母の注釈は正しくない
二つ目の封蝋が固まると、ローヴェンは鉛筆字の存在票だけを受領台へ滑らせた。秋第9月第18日、夜の第4鐘を過ぎた時刻と、再封に用いた二本の糸の番号がある。
リディアは紙を持ち上げなかった。扉の向こうには、いま閉じたばかりのBLACK_SEAL_01/F-03がある。細い字をもう一度見れば、母の手だと言ってしまう気がした。
「比較を請求します。ここから原本を出さない方法で」
ローヴェンは返事の代わりに、通常の公用筆を置いた。銀筆は彼の受取札とともに封印中で、返却欄には何も書かれていない。
リディアは請求紙を二枚に分けた。一枚目には王都運用庫を宛先として、F-03作成時の関係者全員から、真正な同時代見本を複数選ぶよう記した。
「私は似ていると思います。それを選定理由にも、比較結果にも入れないでください」
「本人申告として請求控えに残します。鑑定欄には移しません」
二枚目はエルンスト家の封印物保管者宛てだった。求めるものを、封印物受払簿の年月、寸法、差出印に限る。封筒を開けないこと、内容と筆跡を写さないことを、宛名より先に書いた。二枚の署名欄へ、同じ通常筆で一つずつ名を置いた。
証拠保全室の外には、同じ壁に二つの発送口があった。右は王都運用庫へ向かう監査便口、左は家保管者へ向かう認証便口で、受付釘も革袋も別だった。リディアは一通ずつ番号を読み、別々の受領人へ渡した。
第19日の朝、二つの革袋は同じ境界門を出たが、経路票はそこで分かれた。城下まで半日。王都便は城下から二日弱の早馬継送へ入り、馬替え所ごとの受領印を要した。通常馬車なら三日かかる道を、紙だけが先に行く。
境界に残ったF-03は、毎朝二本の封糸を照合された。鉛筆字の内容も母の名も日々の保管票には現れず、リディアは停止栓の点検控えと補償窓口の受領札を先に処理した。待っている間にも、濁った水は水番の膝を冷やし、フリーダの損害欄には新しい乾燥状況が加わった。
第24日、第4鐘前に第十二号が帰着し、翌朝、第十九号が別便で着いた。第十二号の外套裾は乾いた泥で白く、第十九号の革袋には別の馬替え所の雨染みが残っていた。二人は王都運用庫が別々に選んだ真正見本を自分の認証封で持ち帰り、互いの選定票も認証文も見ていなかった。
家から届いた認証索引抄は、年月、寸法、差出印以外を黒く覆っていた。母が何を書いたかは載っていない。灯りの下でも、黒い覆いの下は透けなかった。リディアは紙の端を持ち上げず、封蝋の欠けを一度見て、紙から手を離した。
第26日第2鐘、第十二号が先に比較室へ入り、ローヴェンが二本の封糸を切った。リディアは目隠し硝子の隣室で入退室の鐘だけを聞いた。最初の鐘から次の鐘まで、白壁の小さな傷を四つ数えた。五つ目を探そうとして、同じ傷をまた数えていることに気づいた。
最初の報告が別封で事故保全口へ渡ってから、第十九号が自分の見本で同じ比較を行った。次の入室鐘が鳴るまで、リディアは立たず、椅子の縁を握った。爪の跡が掌に残っていた。F-03は新しい二本の糸で再封され、境界金庫へ戻った。
二人の認証写しは、共通する筆画が多く、マリアンヌ・エルンストと同人筆跡である蓋然性が高い、と別々に結論した。二枚は同じ机に並べられたが、署名も紙色も違っていた。リディアは結論の一行を一枚ずつ読み、二枚目の同じ語で息を止めた。一方は紙端を含む五か所、もう一方は擦れと傾きの四か所を比較不能に残していた。リディアの右手は報告の端から指二本ぶん離れたまま止まった。二枚目を読み終えても、紙を自分の側へ引かなかった。
細い字の内容は、一語も認証されなかった。観察、疑問、推測のどれが正しいか、事故や七灯と結びつくかは報告範囲の外だった。机には二枚の認証写しだけが残った。リディアは右手を膝へ戻した。
アレクシスは報告を覗き込まず、早馬と二人分の旅費を会計票へ移した。向かいの椅子を引く音がしてからも、どちらも口を開かなかった。
「二人とも高い、と書いた。それ以上は書いていないな」
「はい。母が書いた可能性が高い。でも、母が正しかったとは書いてありません」
アレクシスは報告へ手を伸ばさなかった。リディアの指から力が抜けた。遠い冬の食卓で母が帳面の数字を直していた時も、鉛筆は同じ細さだった。
家の索引抄を横へ置き、年月を一度、寸法を一度、差出印を一度だけ指で追った。三つはF-03関係票の記載と一致する。中身を開ける根拠にはなっても、中身そのものにはならない。
リディアは新しい公用筆を取り、先の二通とは別番号の限定内容開示請求へ署名した。開示対象と閲覧者を空欄にせず、母の封印物のうち三点一致した一件だけ、と範囲を閉じる。
発送口では、その請求を載せた革袋が境界の外へ運ばれた。反対側の廊下で金庫の鍵が回り、F-03の保管票には、筆者未確定の朱書きが残った。




