候補印を返す夜
第18日第3鐘、セレスティアは白鹿詰所の受領台へ監査証言移動票を置いた。馬車の揺れが止まっても、指にはまだ紙の端が震えて感じられた。
ローヴェンは王都出発の第15日第1鐘、ヴァルハルト城下到着の第18日第1鐘、そこから境界まで半日の継送印を一つずつ確かめた。救護要請による派遣という欄はない。
「予定日程の到着として記録します」
「はい。ここで何が起きたかは、着いてから聞きました」
時刻を記し終えると、セレスティアは治療室へ通された。寝台のガルドは濡れた服を脱がされ、乾いた布の下でも肩を震わせている。枕元には蓄積済みの保温石が一基、保温布が一床だけ用意されていた。
成人医療責任者がガルドの手首へ指を置いた。脈を三度数えてから、声を掛ける。
「氏名を」
「ガルド・ノイン」
「いまの時刻を」
「第3鐘を過ぎた」
目はセレスティアを追った。意識を失った患者として扱うことはできない。
医療責任者は四欄の用紙を出した。医療の実施、診療記録、黒封監査用の封印記録、広報。紙を一度に寝台へ滑らせず、最初の欄からガルドへ読ませる。
セレスティアは保温石に触れないまま説明した。自分の両手は、寝台から一歩離れた位置に置く。
「この石にある熱を、布の冷たい場所へ半刻だけ均します。熱は増やしません。傷を治すことも、身体の中をつなぐこともしません」
「止めるのは」
「あなたが止めろと言った時。脈が乱れた時。皮膚温札が赤い目盛へ入った時。半刻が満ちた時です。どれか一つで、医療責任者が終わらせます」
医療責任者が、開始後にも声で停止できると補った。四つの中止条件を指で一欄ずつ示す。
「自分の言葉で言えますか」
ガルドは布の端から手を出した。震える人差し指を、説明文の最初へ置く。
「石と布にある熱だけを、半刻ならす。俺が止めろと言えば止まる。脈、赤い札、時間でも止める。治ったことにはしない」
四欄が一つずつ戻された。ガルドは医療へ印を置き、診療記録へ別の印を置いた。黒封監査用の封印記録も説明を聞いて選ぶ。
広報欄では、指を止めた。空白のまま次の紙を返す。
セレスティアはその欄を拒否とも承諾とも読み上げなかった。三つの印と一つの空欄が見える状態で、医療責任者が開始時刻へ署名する。
保温石には、すでに蓄えられた熱の目盛があった。セレスティアが両掌を置くと、片側だけ熱かった石の表面がゆっくり均される。保温布の縁へ通した既存の細線が、封印目盛まで淡く色を変えた。
セレスティアは息を整え、声の高さを一つに保った。石から布へ移る熱が一か所へ集まらないよう、冷たい部分へ順に回した。
医療責任者は脈を数え、皮膚温札から目を離さない。ガルドの震えは細かくなったが、止まってはいない。
四半刻で、ガルドが目を開けた。皮膚温札を見ようとして、顎だけをわずかに動かす。
「続ける」
医療責任者は本人の言葉だけを記録した。脈に乱れはなく、皮膚温札も赤い目盛の手前にある。それでも、半刻を越えてよい理由にはならなかった。
砂が最後まで落ちる。医療責任者の指が、終了欄の上で待っていた。
「終了」
成人医療責任者の声で、セレスティアは両手を離した。石に新しい熱は残っていない。布の温度差が小さくなり、ガルドは氏名と時刻をもう一度答えたが、起き上がる許可は出なかった。
低体温後の観察と休養が、診療記録へ残る。前三欄の記録はそれぞれの保管先へ分けられ、空白の広報欄から公表用の写しは作られなかった。
夜の第4鐘前、セレスティアは治療室ではなく監査受付へ戻った。候補印の紐を首から外し、王国監査局の受取布へ置く。
「候補としての仕事を、今日から受けません。俸給も受け取りません」
ローヴェンは印の傷と番号を確認し、受取札を切った。候補印から外した紐も、同じ受取布へ別に留める。
「物理保管を監査へ移します。法的な候補資格の処理は、権限機関へ送ります」
「それまで職務へ戻るよう命じられたら」
「今日の拒否記録を示します。宿と護衛は候補俸給ではなく、監査証人保護の票で続きます」
セレスティアは候補印の受取札と、職務・俸給の拒否票を別々に受け取った。印の受取札に残ったのは、番号と時刻だけだった。
同じ境界内の証拠保全室では、BLACK_SEAL_01/F-03が二重封のまま待っていた。ローヴェンは送付目録、事故保全部と儀礼運用局の二印、開封予定時刻、立会人を読み合わせる。原本を城下へ持ち帰る欄はない。
独立書記が時刻を記した。ローヴェンは一本目の糸を切り、外封の印を目録へ照合する。次に二本目を切り、内封から実物の挿紙を取り出した。
セレスティアが大祭前に見た対象表と同じ配置だった。患者枝の欄、主祈祷者受諾欄、空白の公式停止欄。彼女は自分の署名がある範囲だけを指した。
「大祭前、私はこの受諾欄へ署名しました。公式停止欄には書いていません」
「挿紙全体の筆者を知っていますか」
「知りません」
ローヴェンは一度に一つだけ確かめた。挿紙の端には、公式欄の線より細い鉛筆字が残っている。誰の筆跡か、内容が正しいか、事故とどう関わるかを読む欄は、その日の開封票にはなかった。
「細い鉛筆字あり。筆者未同定」
独立書記が存在だけを記した。内容を写す前に、ローヴェンは挿紙を元の位置へ戻す。
同じ立会人の前で新しい糸を一本掛け、封蝋の番号を読む。もう一本を反対側へ掛け、再封時刻を記した。F-03の保管欄は、ローヴェン、境界残置のままだった。
第二の封蝋が固まるまで、誰も筆者の名を口にしなかった。




