白鹿峠は二つある
秋第9月第14日、第2鐘。北東境界の鐘が二度鳴り終えても、ヴァルハルトの保守荷台は現れなかった。
リディアの前には、荷のない道が伸びている。厩へ戻した荷台の番号と、ガルドが署名した停止票の時刻は、成人書記がすでに認証抄へ移していた。
対岸から来た男は、閉じた革挟みを石卓へ置いた。革の角には、下流の白い泥が乾いて残っていた。
「レオンハルト・ヴェルナー。本人照合と、ルメリア側の立会権限を」
旅券、権限票、認証印の順だった。照合が済むと、レオンハルトはルメリアの台帳原本を手元へ残し、認証抄だけを開いた。次に、共同現認の不履行時に門を閉じる条項を、その下へ置く。
「停止した便は、軍用路を使えたと主張しますか」
「しません。空の荷台番号は七。停止は第12日第3鐘です」
「では、規定どおり求めます」
ルメリア側の水番が、閉門桿へ両手を掛けた。ヴァルハルト側の成人水番も反対側へ立ち、歯止めを一つずつ外す。長い桿が石の受けへ落ちると、水面の震えが門板の手前で詰まった。
ヨハン・ケルンは閉じた門より先に、支流の枝管を見た。石へ耳を寄せ、まだ続いている水音を確かめる。
「治療室まで半刻です。音が消えたら、槽の十二目盛だけになります」
一日四樽。三日分だ。リディアの手が腰の革差しへ動いた。
銀筆はなかった。代わりにローヴェンの受取札が指へ当たる。彼女はヴァルハルト側の書記から木筆を借り、証拠紙ではない位置控えを膝へ載せた。
「両方の目盛を、同じ場所の誤差として扱う案を出していました」
レオンハルトは自国の抄を渡さなかった。該当行を指で押さえ、リディアから読める向きへ回す。
「同じ語かどうかより、何を測った語かを確かめます。こちらの原本は、こちらの水番が持ちます」
両岸の成人水番が先に斜面へ下り、登録公証書記が一人ずつ続いた。渇水で普段は水の下にある杭が、泥をまとって露出している。ヴァルハルトの水番は布を当て、白鹿峠分水門の低水位目盛を拓本へ取った。
その目盛から見えるのは、門と警備詰所、治療室へ分かれる支流だった。杭の背には、門板を替えた年と、生活用枝管の番号が刻まれている。
リディアは借りた木筆で、杭から離れるたび歩数を控えた。斜面は二度折れ、季節流路を横切り、門の上端はやがて木立の陰へ消えた。水は歩く向きと同じように低い方へ逃げていく。二つを同じ地点として補正するつもりだった紙の幅では、この坂も流れも収まらなかった。
レオンハルトは下流側を自分で歩いた。靴底を泥へ沈め、ルメリアの水番が示した別の杭で止まる。
そこには白鹿下沢分水標とあり、門板の交換年も、警備詰所の番号もなかった。染色、飲用、家畜という用途の区分と、下流へ渡った水を読む目盛だけが刻まれていた。
「こちらは、この地点で受け取る配分を測っています」
「門の別名ではない」
二つの記録は、離れた二本の杭に触れていた。片方の布をもう片方の目盛へ当てれば、刻線の間隔から合わなかった。
水番たちは低い水跡へ新しい布を当てた。公証書記は拓本の裏へ地点、時刻、採取者を書き、各岸の封へ別々に収める。相手へ渡す分は、その場で作った認証写しだけだった。
「学校の照会用には、もう一段写しを分けます」
ヴァルハルトの書記が確認すると、リディアは木筆を置いた。位置控えも証拠封から一歩離れた机へ戻す。
「教員と成人書記の立会いを付けてください。原本の封にも、位置控えにも触れさせません」
照会先には学校責任者、立会人には教員と成人書記を置いた。二つの拓本から権利を決める仕事は、両岸の成人公証書記へ残した。
閉門から半刻が過ぎたところで、斜面を戻った一行の足元にある細い支流の水位が、石一枚ぶん下がった。治療室の方向から走ってきた水番が、濡れていない木片をヨハンへ渡す。枝管の末端へ差しても水滴が付かなかった印だった。第4鐘が近づくまで、水音は戻らなかった。
レオンハルトは二地点の認証写しを並べたが、重ねなかった。泥の色も、紙へ移った刻線の向きも違っていた。
「本日中に二地点を別々に現認した形で、七十二時間の水量案を求めます。下流の不足を消した文には署名しません」
「こちらも、治療室を用途点の一行へ畳みません」
リディアが答えると、ヨハンはすでに詰所へ向かっていた。治療室の貯水槽を開き、十二本の目盛へ指を当てる。流入管からは、さっきまで水が石を擦っていた場所へ、空の音だけが落ちた。
窓の外を、小さな革当てのある長靴が通った。リナは修繕した昼食籠を両腕で抱え、まだ乾いている上岸の道を、父の家へ向かって歩いていた。籠の留め具が、歩幅に合わせて小さく鳴った。




