値上げの顔
第2鐘が鳴るあいだ、ミナは薬匙を患者の唇から離さなかった。治癒倉庫の寝台で、熱に濡れた少年が三度に分けて薬湯を飲む。鐘の余韻が消えた時、椀は空になっていた。間に合った、と誰かが言うより早く、ミナは次の名を投薬帳で確かめた。
「南井戸のエルゼ。術後二日目。半包です」
届いた日常薬二箱は、すでに一回分ずつ切り分けられていた。清潔布は洗浄台へ、針箱はルッツの施錠棚へ運ばれる。窓の外では、薬舗から続いた列が治癒倉庫の角まで折れていた。私売りの棚は、どの店も空だった。
薬舗の主人が、昨日の倍近い値を書いた木札を裏返した。後ろから罵声が飛び、主人の妻が戸板を閉めようとする。
「閉めないでください」
リディアは戸口へ入り、値札を外させた。
「城下の全薬舗に、事故前の価格を上限として――」
「何日ですか」
主人は値札を渡さなかった。
「次の荷が着くまでです」
「次の荷の値を、もう聞きましたか」
南方商会が求めた危険手当は九十六枚だった。橋守を増やし、二経路へ分け、護衛を足すための費用である。事故前の値へ戻せば、品を仕入れても運んだ分を店へ載せられない。
ミナが倉庫から出てきた。袖に薬湯の染みがついている。
「一人何包までかは、患者の状態で決められます。店の原価は決められません。調剤する人の賃金まで、無料にはしないでください」
列の前で子を抱いた女が、では金のない家は熱を出すなというのか、と言った。主人は俯いたまま、昨夜だけで乾燥束の仕入れ札が三度書き替わったと答える。リディアが作ろうとした一枚の上限札では、二つを同時に守れなかった。
エリオは列の外で、三軒の仕入れ札を集めていた。事故後の値を高い順に並べるのではなく、基礎の品代、運賃、調剤料へ分けている。
「値を隠せば、私なら運賃を薬草へ混ぜます」
彼が自分なら、と言ったため、主人が顔を上げた。エリオは仕入れ札を一枚、値札の横へ返した。
「混ぜたあとで一割下げれば、親切な店に見える。次の便が落ちたら、また上げられます」
「それを止めるには?」
「何に払う値か、別々に見せる。高すぎるかは、その後で争えます」
エリオは仕入れの比較と掲示を引き受ける代わりに、次便の出発分四十八枚を自分の商会から立て替え、二十日後に四枚の固定手数料を得る案を出した。五区が借りるのは四十八枚、返すのは五十二枚と、最初から二つの数字を置いた。
リディアはその紙を持って南倉へ向かった。初荷の基礎価格は二百四十枚、危険手当は六十枚。受領札のある二台分は基礎百八十枚で、川へ落ちた第3車の商品六十枚はカミラの帳面に残る。
「危険手当まで、三分の二にしますか」
会計吏が尋ねると、カミラは救助に使った泥の残る補修縄を机へ置いた。御者と荷馬は三日動き、宿、橋守、護衛も使った。切り口の片方は斧で潰れ、もう片方には橋板の木屑が食い込んでいた。会計吏は縄に触れず、受領札をその脇へ置いた。
「六十枚は履行済みです。未達の商品六十枚と流れた荷車は、こちらの損にします」
リディアは最終対価を二百四十枚とし、前払い百八十枚を充当した。返金はなく、残金は六十枚。カミラが未達六十枚の損失欄へ署名すると、領会計吏とカミラは燕麦四台のうち二台の留め金を開いた。カミラは自分の名を書き終えるまで、机の縄を片づけさせなかった。
査定五十四枚の二台を緊急予備へ戻し、査定六十枚の二台だけに新しい封印縄を回した。倉番が封の端を引くと、ベルトは二つの車輪止めを順に蹴り、動かないことを確かめた。解放した二台の車輪が倉床を鳴らす一方、封じた二台は列の奥に残った。
「二台は、まだ使えません」
ベルトは冬季運行変更票の四を二へ直し、解放された二台を厩の列へ戻した。第3鐘は少し過ぎていた。
それから、ベルトは折り目のついた退職願をガルドへ渡した。ガルドは日付を確かめ、受領欄へ第5月第13日と書く。退職は第6月末。秋第7月第1日からサラの店で、布の運搬と裁断台の整備をする予定が添えられていた。秋の注文は六軒分あり、騎士団の許可が遅れれば、店は別の人手を雇うとも書いてある。
「勤務表は、明日から組み替える」
「今月は、まだ副長です」
ベルトは封を終えた黒二の車輪止めを蹴って確かめた。アレクシスは、差額六枚を覆っていた南楡林の収益権へ解除印を押した。カミラと領会計の印も並び、林班番号を封じた紙ごと公爵家の家産箱へ戻す。私費四十八枚は初回の前払いに使われたままで、返済にも寄付にも書き替えなかった。
翌日、リディアは水車小屋の長机へ三つの欄を並べた。品そのものの基礎価格、便ごとの危険手当、登録された低所得世帯へ危険手当分だけを補う補助である。
薬舗の調剤料と品代は、誰にも無料にしない。危険手当は基礎価格へ混ぜない。補助の上限は三十六枚で、次月の南門通行料見込を補助専用へ先に取り置く。領会計の今月の自由財源欄には、使用不可の三十六が残った。
私売り棚は空で、まだ補助を使って買った家はいない。現金支出も受領者も零だった。それでも代替の荷が来るか、制度を正式に解くまでは、三十六枚を橋や粉へ戻せない。
五つの参加区は世帯名簿と参加費を出している。保留の灰峰と葦原、離脱した聖鐘は、名簿を地方側へ渡していない。その三地区の家庭は補助の対象にならず、店頭では全額を払う。
灰峰のロッテは、基礎価格と危険手当の二行を指で押さえた。
「灰峰の道を通った荷にも、この手当は付きますね。けれど、うちの子が買えば全部払う」
「救急処置と治癒倉庫の投薬は、参加の有無で断りません」
「今は熱がなく、冬に備えて一包買う家の話をしています」
返せる言葉はなかった。灰峰は十二枚を種麦から切れず、保留を選んだ。
「この三十六枚に、灰峰を入れる余りはありません」
リディアが言うと、ロッテは怒ったまま紙から手を離した。灰札を一度折ったが、麻袋へは戻さなかった。
「なら、入らないと書いて持ち帰ります。助けてもらったことにはしません」
薬舗の主人は、新しい値札に三行を作った。エリオの手数料も、五十二枚返済の欄から消さない。列の者は安くなったとは言わず、自分がどの欄を払うのかを読んだ。
それでも、いつ荷が来るか分からなければ、並べる日に全員が並ぶ。ロッテが灰札を麻袋へしまう横で、トーマは今日の薬車の到着時刻を門帳から写していた。リディアは、その時刻の横へ次の欄を引いた。
「到着する日と鐘、台数、品目を、先に出せませんか」
カミラが顔を上げた。エリオは返済表へ置いていた指を止めた。
空の棚の前で待つ時間まで、価格にして見せる方法を、リディアはまだ知らなかった。




