領の契約は誰のもの
翌日の正午までに、八枚の施設札それぞれの行き先を決めなければならなかった。
リディアは水車小屋の長机に、白石、南井戸、西製粉、北門、南市場、灰峰、葦原、聖鐘の札を並べた。東石橋を失い、城の会議室へ集まる道が遠くなったため、まだ粉の匂いが残る小屋を借りている。
各区の現地委任は明日の正午で切れる。参加すれば、灯の警告と共通保守へ入れる。月の負担は銀貨十二枚相当。現金で足りない分は、決められた日数の見回りや油運びで置き換えられる。
「灰峰は、保守労働へ替えてください」
リディアが言うと、灰峰のロッテは小さな麻袋を机へ置いた。口から麦種が数粒こぼれた。
「若い者を六日出せば、畑へ蒔くのが六日遅れます。銀貨を出すなら、秋の仔牛を今売る。どちらが十二枚ですか」
ロッテの爪には土が入っていた。十二枚をどの暮らしから切るか、すでに数えてきた手だった。
「葦原も同じです」
隣の男は、水の染みた長靴を脱がずに座っていた。春の増水で二つの畑をまだ使えない。現金を出せば堤の土嚢を買えず、労働を出せばその堤を積む者が減る。
リディアは灰峰と葦原の札を重ねた。領会計吏へ向いた。
「二村分を、最初の六十日だけ立て替えられませんか」
会計吏は、橋損害の仮払い票を開いた。十二の露店、二台の手押し車、布商の木戸。橋本体の見積りは、まだ空欄である。
「二村を立てれば、聖鐘も同じ扱いを求めます。粉価差額と水車補償を残したままでは、三地区分は出せません」
聖鐘村のアーノ神官補の手は、青い参加札の手前で止まった。札を取らずに、リディアを見た。
「費用の問題ではありません。村の施療所は王家神殿から薬を受け、秋の種子貸付も同じ保証へ入っています。地方線へ移ったと見なされれば、どちらも契約違反になる」
「地方線は、王家との関係を切る契約ではありません」
「王都がそう読むという保証は?」
グレゴールの青印が、リディアの机に残っている。優遇継続見合わせ。昨日の今日で、関係は切れないと言葉だけで請け合うことはできなかった。
「確認文を王都へ送ります」
「答えが来る前に、種蒔きは終わります」
アーノは聖鐘の札を自分の側へ引いた。青い面を伏せたままだった。
白石のヘニングが、十二枚の参加費を払うと言った。南井戸のエッダも続いた。けれど二人とも、ほかの三地区を恒久的に肩代わりすることは拒んだ。
「また働いた側の名だけ台帳から落ちる」
ヘニングが、井戸修理で受け取った古い支払延期札を一本持ってきていた。机へ置かれた七本目の約束を、アレクシスも見ている。
「均等負担を崩しましょう」
リディアは前の試算を脇へ寄せた。新しい紙へ手を伸ばした。
「取水量、荷数、利用者数で――」
「測る人が増える」
マルタが遮った。水車停止の補償はまだ決まらず、橋で流れた粉も数え終わっていない。
「粉を挽くたび、うちの分が増えるんだろう。払わないとは言わない。でも、賑わう所から取れば全部埋まると思わないでおくれ」
八区すべてをつなげば、警告の空白が減る。その正しさを説明する文なら、リディアは何頁でも書けた。種籾、土嚢、王家施療を失う人へ、穴のない図の美しさは渡せない。
アレクシスが八枚の札を見た。どれにも手は伸ばさなかった。
「全地区を入れる案は、期限までに成立しない」
「領主命令で参加させれば形だけは整います」
リディアは自分で言い、その案を紙へ書かなかった。領主命令で参加と記すことはできても、施設責任者の署名がなければ線は開かない。日々の水量や油を記す者もいなくなる。
トーマが配車机から持ってきた道札を、八枚の間へ置いた。右手の三本で札を押さえ、左手で紐をほどく。
「灰峰の灯がなければ、あそこを通る荷はどうします」
「手動見回りを増やします」
「誰の金で?」
誰も答えなかった。トーマは灰峰へ向かう荷札の結び目を一つ増やした。
「なら、最初から遅れる札にします。点いてるふりをされるより、御者は選べる」
リディアは八枚を一度、机の中央から外した。代わりに白、灰、黒の細い札を切った。
白は参加。施設責任者が署名し、費用を払い、地方線を使う。
灰は保留。線を結ばず、物理保守を続ける。七日前に申請し、現場を確認すれば途中から入れる。
黒は離脱。六十日のあいだ地方線を使わず、王家契約を選ぶ。住民名簿も地方側へ渡さない。
説明を書き終える前に、ロッテが灰札を取った。
「保留のまま病人が出たら?」
「治癒倉庫の薬を買うことまで止めません。輸送と灯の優先は、参加区と同じにはできません」
「払ってないから死ねとは言わない?」
「言いません。どの荷を誰が運ぶかは、その時に別の紙で決めます」
ロッテは参加へ変えるとは約束せず、灰札へ名を書いた。葦原も保留を選ぶ。アーノは黒札の撤回条件を何度も読み、王家から回答が来ても六十日満了までは地方線へ自動移行しない一文を足した。
南市場の代表が、白札を裏返した。参加の面が、机へ伏せられた。
「灰峰の人も、うちの市で井戸を使う。保留なら、水代を別に取るのですか」
「井戸の利用札は今までどおりです。地方線の費用を払わないことと、水を売らないことは分けます」
「でも、故障した時は、こちらの負担で直した井戸から汲む」
エッダが鍵束を机へ置いた。いちばん大きな井戸門の鍵が、木の上で跳ねた。
「南井戸は閉めないよ。閉めない代わりに、灰峰まで運べと言われても、うちの荷車を無償では出さない。水を使うのと、届けてもらうのを同じにしないでおくれ」
ロッテは机の麦種を拾い、麻袋へ戻した。口をきつく絞った。
「運べる者はこちらで出す。井戸へ入れるなら」
二人はそこで初めて相手の顔を見た。
北門の責任者は、保留区を通る道へ地方灯を延ばさないなら、見回りが一日に二巡増えると算盤を置いた。領の四十二枚では、六十日の後半が足りない。
「最初の三十日で通行数を取り直します」
リディアは紙の三十日目へ印を置いた。そこから後半へ、指を滑らせた。
「次の三十日は、その数を見て配分を変える。足りなければ、参加区の負担をまた上げるのか、巡回を減らすのか、満了前に決めます」
「減らして事故が出たら?」
「決めた者と、減らした巡回を残します」
責任者は白札へ二度手を伸ばし、二度とも触れる前に止めた。北門が抜ければ自分の荷も止まると南市場の代表に言われて、ようやく署名した。
残る五区の負担は、月十二枚相当から十五枚へ上がった。共通の継ぎ目と手動巡回へ、領が六十日で四十二枚を出す。マルタは十五という数字を見て舌打ちし、それでも西製粉の白札へ署名した。
翌日の正午、選択は参加五、保留二、離脱一で締められた。そこからリディアたちは五つの施設を回った。
日没、五枚の白札だけが現場図へ戻った。
白石はヘニング、南井戸はエッダ、西製粉はマルタ。北門と南市場も、それぞれの責任者が対象と六十日の期間を読んだ。最後にアレクシスが、共通継ぎ目へ使える蓄積と費用の上限を領印で封じる。
リディアは印の時刻を確かめてから銀筆を取った。保留と離脱の三地区を避け、五本の試験線を一つずつ開く。
南井戸の灯は淡く点き、西製粉は二度明滅した。北門まで届いた線は、色を保てず白く薄れた。新しい線が土地へ馴染むには三日から七日かかる。それまでは人が巡る。トーマは北門札へ、灯を信用せず石を見ろ、と御者向けの印を足した。
現場図には、灰色の穴が二つと黒い穴が一つ残った。リディアは継ぎ目を整えようと銀筆を近づけ、止めた。
アレクシスは三か所を塗り潰さず領印を押し、図を会計吏へ渡した。
日が落ちた。南門の鐘が鳴った。
一台の荷車が、積んだまま北から戻ってきた。幌には王都商会の青印があり、灰峰と聖鐘の施療所へ渡す薬箱が二つずつ載っている。発注日は、再審査印が押される前だった。
御者が荷台から降りた。返送札を差し出した。
「受け取り先が地方線か王家線か分けられない。荷ごと南倉へ戻せと」
灰札にも黒札にも入らなかった薬箱が、車輪の上で城門を出ていった。




