見える灯、見えない傷
薬草の第一便を開けると、契約分の八束に足した九つ目の予備だけが、甘く腐った匂いを立てた。
辺境祭の朝、荷改め所には南方の供給者が二人、エリオの後ろから手元を見ていた。契約分は、焼失した冬用薬草の半分に当たる。これを受け取れなければ、前金を使った意味も、午後の商談も薄くなる。
ミナは束を割らず、鼻先へ近づけた。隣で外科医ルッツが封の印と乾燥日を読む。
「表は乾いています。中が温かいです」
ミナが言うと、エリオは縄を解いた。中心の葉は茶色く貼りつき、指で押すと水が滲んだ。
「外の八束と箱は別です。これだけ返します」
「一束だけ南へ戻せば、運賃の方が高い」
「治癒倉庫へ入れれば、隣まで黴びます」
ルッツが束へ不適合の札を付け、ミナは確認者の一人として名を書いた。決裁欄には入らない。
「返送費は私と仕入先で持つ。次便の利益から引かないでください。今日の損を次の値へ隠すと、どこで払ったか分からなくなる」
受領量は予定どおり八束だった。薬草の不足は半分残り、エリオは予備一束の仕入れと返送で損をする。リディアは受領札を確かめ、預託金の残り半分だけを解放した。
荷改め所の外では、トーマが左手で木札を動かしていた。王都一行の箱馬車二台は兵舎裏、近衛の馬は城外厩。療養車だけが治癒倉庫の近くに置かれている。
「南の油樽は北回り。東石橋へ車輪を入れないで」
商人が王家の荷を先に出せと文句を言った。トーマは配車表を裏返した。
「先に出すなら、王家の箱馬車があなたの樽を待ちます。狭い道へ二台は入らない」
近衛の御者が、聞こえないふりをして馬具を締め直した。
療養車の窓布が少し上がり、火傷痕のある女と、その娘らしい若者が外を見た。セレスティアが朝に一度訪ねたが、祭壇へは連れてこなかった。治癒倉庫で診察の順を待つ、とルッツから聞いている。リディアの手元には、二人の名も病状もまだ届いていなかった。
昼になると、市の通りには例年の三分の一ほどしか灯枠がなかった。それでも二基の下には、粉、豆、清潔布、南方の乾燥薬草が並んだ。飾りの代わりに、荷下ろし時刻と返品札が見える位置へ掛けられている。
学校席では、ニナが先生と字形札を写していた。水番の紙も配車表も、彼女の机にはない。エッダが離れた場所から一度見たが、娘は顔を上げなかった。
水車事故の話を聞いた商人が、修理の済んだ羽根板を見上げた。マルタへ三日の停止量を尋ねた。
「城が先に払ったよ。払ったから終わりって顔をしたら、次の注文は渡さない」
「粉の値は、まだ高いままですか」
「運んだ分と直した分がある。一・一二倍。前の値へ戻す日は、まだ書けない」
商人は値札と修理済みの水車を見比べた。
午後、二人の供給者は薬草第二便の交渉席へ座った。片方は王都商会の倉庫枠を失う危険手当を求め、もう片方は北街道の夜越えを拒んだ。エリオは全てを引き受けず、祭後に経路と値を詰める約束だけを取った。
「署名は?」
リディアが聞くと、エリオは肩をすくめた。供給者の前に置いた署名欄には、指一本触れなかった。
「今日させれば、明日逃げます。南へ帰って、王都の照会票をもう一度見てから決める。そこまで含めて商談です」
東石橋の入口では、祭番が人の流れを片側へ寄せていた。荷馬車は北回りへ送れても、王太子の姿を見ようと立ち止まる者までは配車表にない。トーマは手押し車を一台ずつ通し、橋上へ露店荷を置かないよう札を増やした。
「人の数も止めますか」
祭番に聞かれ、トーマは広場を見た。橋を閉じれば、南方の商人が帰る道も狭くなる。市場代表と祭役の確認なしに、人の通行まで止める権限は配車係にない。
「立ち止まらせないでください。荷は北へ。人数は祭役へ知らせます」
その返事を聞いたリディアは、人波が落ち着くまで祭番を二人増やした。橋の石は、朝の点検札では異常なしだった。
壇上には、事故から生還した御者の椅子が置かれなかった。トーマは配車机から一度も離れず、片手で結べるよう太い紐を通した札を使っていた。以前の同僚が荷馬車を連ねて通っても、右手を外套から出さない。
ベルトが市の北端を巡回した。借り物の手甲と袖の間に、右前腕の薄い痕が見えた。サラが直すはずだった白糸の手甲は、まだ警備所の箱にある。
日没前、二基の灯へ試験線を入れた。祭役と水番が現地を確かめ、アレクシスが使える蓄積の上限を署名する。リディアの銀筆から伸びた線は、灯枠の根元へ届いた。
一基目が青く点き、二基目は一度揺れてから同じ色へ落ち着いた。人々の声が広場を押し広げる。青い光は、暗くなる道の端を示していた。
リディアは灯の下から離れ、城の小部屋へ戻った。机には今日の受領札、不適合束の返送費、粉の差額、祭の支出が置かれている。
アレクシスも祝宴へ出なかった。湿った束の札を、指で持ち上げた。
「エリオの第一便は、成功か」
「第一便の予定分だけです。焼けた量の半分は残り、次を運ぶ者もまだ署名していません」
「灯は点いた」
「橋と治癒倉庫の状態は変わりません」
窓の下では、二つの祝宴鍋を囲む声がしていた。アレクシスは机の端に残された平焼きパンを半分に割り、片方を損失表の横へ置いた。リディアは冷えた方を取り、受領札をもう一度めくる。
アレクシスの指が、リディアの賠償審査日で止まった。来週。その下にはニナの運用停止、王宮照会は受領者名のみと続く。リディアは今日届いた薬草の行だけに受領時刻を書いた。
広場の声が急に細くなった。
窓から見ると、見物席にいたユリウスが階段を下りていた。セレスティアも後ろに続く。白い祈祷衣ではなく旅装だったが、道を空けた人々はすぐに彼女だと気づいた。
ユリウスは点いた二基の灯、返品札を掲げた薬草、配車机のトーマを順に見た。リディアとアレクシスが広場へ戻るのを待ち、人前で告げた。
「有効に動くことは見た。だからこそ、地方ごとには分けておけない」
彼の護衛が王家の金印を開く。
「この契約は、王家へ戻す」




