祭りを開く理由
トーマは御者札を返しに来たのに、会計吏は休職延長の紙を差し出した。
水車の事故から三日目、製粉場では新しい樫板が泥を押し返していた。羽根板が最初の一回転を終える。マルタは水音を聞き、石臼へ麦を落としたが、掲示板の値を事故前へ戻さなかった。急送した粉の運賃も、三日分の補償もまだ残っている。
トーマはその帰りに城へ寄った。右手の布は外れ、薬指と小指があった場所は丸く閉じている。御者札を左手で机へ滑らせた。
「傷は塞がったのでしょう」
会計吏は休職紙を引っ込めなかった。指先で返却欄を塞ぎ、御者札の方を見た。
「手綱は傷口で持つんじゃない」
トーマは厩から借りた革紐を三本、机の脚へ結んだ。左へ引く。右へ引く。二本を同時に張る。残った中指が紐へ食い込み、右端だけが遅れて緩んだ。
「一頭なら、慣れればいける。二頭が別へ跳ねたら止められない。客を乗せて試す気はありません」
リディアは御者札を手に取らなかった。返却欄には本人の署名と、厩務責任者の確認が要る。
「別の馬車へ移るまで保留することもできます」
「元の札を持っていると、急いだ日に誰かが俺を数える」
事故の日、ガルドは右手だけを抜けないトーマを荷台から引き出した。その後も御者名簿には、休職の印と一緒に彼の名が残っていた。空白より、いつか戻る印の方が親切に見えた。
トーマは左手で署名した。名前の後半は、切断を選んだ夜よりまっすぐだった。
会計吏が札へ鋏を入れようとすると、トーマは一度止めた。革の表には、最初に一人で北街道を走った年の傷がある。親指でなぞり、今度は自分で机の鋏を取った。左手だけでは革が逃げたため、リディアが札の端を押さえる。二人で切った穴が、御者資格の失効印になった。
春第3月の終わり、返された御者札は、祭の相談机にも置かれていた。
粉代は事故前の一・一二倍で止まり、リディアの賠償額はまだ決まっていない。治癒倉庫の窓へ詰めた板は反り、雨の日には寝台の足元まで風が入った。ミナは見積書の風除けと洗浄台へ、指を二本置いた。
「祭の夜に怪我人が来ても、桶を寝台の間で運ぶことになります。灯を増やす前に、ここへ水を置きたいです」
祭役のヘニングは、六基の灯枠が並ぶ前年の図を畳まなかった。描かれた灯を、端から一基ずつ指先で押さえた。
「遠くから来る商人は、暗い市へ荷を下ろさない。事故が続いた年に灯まで減らせば、道が危ないと知らせるようなものです」
「六基全部が道を照らすわけではありません」
「四基は祝いだ。祝いを削ったと、城下の者は分かる」
エリオも、祭を荷下ろしだけにする案へ反対した。相談机の図へ、人の列を通す場所を一本、爪で示した。
「閉じた倉で役人に見せるだけなら、王都商会の検品と変わりません。買う人の列まで見て、次の荷を決めるんです」
リディアは祭費を治癒倉庫へ移すつもりで来ていた。試験取引を守るための市だけを残し、祝宴はやめる。それなら無駄は少ないと思っていた。
「外から来る者のために、こちらの怪我人を雨へ寝かせるのか」
戸口からトーマが言った。会計吏に呼ばれ、配車の相談へ来ていた。
「逆も変ですけどね。倉庫だけ直して、薬を運ぶ商人が次から来なくなるのも」
「では、何を削りますか」
「俺に祭の英雄席を作る金から」
祭役の紙には、街道事故から生還した御者の席と、壇上で渡す銀紐が入っていた。トーマはその行へ爪を立てる。
「治癒所を作る話が出た時、俺は、そんなものより車輪を直せと言いました。事故の日も、古い倉へ運ばれるまで気にしていなかった。その俺を座らせて、領は人を大事にしていますって見せるんですか」
誰も、そういう意図だとは答えなかった。トーマは祭の経路図を自分の前へ回し、荷車の幅を指で測った。
「外の荷は北門から入れて、西の厩へ抜く。二頭立ては一刻に三台まで。治癒倉庫の前は空ける。東石橋は人と手押し車だけです」
「配車を頼めますか」
「頼むなら、止める権限もください。公爵家の荷でも、幅と重さが合わなければ回します」
会計吏が、療養中の軽作業手当を口にした。トーマは首を横へ振った。
「荷を止めて商人に恨まれる仕事です。若い厩務頭と同じだけください」
アレクシスは賃金欄を読み、試用期間を祭から三か月とした。判断を覆す場合は、覆した者が配車表へ名を書く。トーマは御者札の返却時刻をその付属紙へ移し、新しい役職欄へ左手で署名した。
細い荷札は左手で揃えるたび床へ落ちた。トーマは太い木札へ穴を開け、荷重ごとに違う数の結び目を付けた。文字の清書は厩の書記へ回し、停止を決める札は自分の机へ残した。
灯枠は六基から二基へ減らした。祝宴鍋も四基から二基にする。浮いた費用は治癒倉庫の風除け、洗浄台、動かせる寝台へ入れ、市の夜道と荷改めに必要な灯だけ残す。ヘニングは図から消された四基へ、最後まで指を置いていた。
「来年戻すとは書かないでくれ」
「今年の削減理由だけ残します」
「なら、それでいい。よくはないが」
公開する配車表には、荷の幅、重さ、入場できる時刻幅だけを書いた。ベルトが警備交替表を重ねかけ、右前腕の痕を見せて手を止める。切れた手甲はまだ直っておらず、借りた無地のものを左脇へ抱えていた。
「巡回時刻は別にします。軍道の迂回も」
三つ葉形補修印の軍道照合は終わっていない。リディアは公開表の端へ、警備経路を含まない、とだけ記した。
エッダは、ニナにも市の札を書かせてほしいと頼んだ。リディアが答える前に、ニナが母親の後ろから顔を出した。
「水の札じゃなくても?」
「学校の席で、先生が確かめる練習札なら。荷や水を動かす札には、まだ入れません」
ニナは頷かなかった。先生へ渡す紙だけ受け取り、母親より先に部屋を出た。
エッダは娘を追わなかった。足音が廊下の先へ消えてから、リディアへ聞いた。
「いつまでです」
「賠償審査が終わっても、自動では戻しません。原物と写しを分ける練習を、先生と私が確かめてからです」
「あの子は、日にちが書いてない罰が一番怖い」
リディアは答えを作れなかった。戻す日を先に決めれば、できるようになったかを見ない。また何も決めなければ、大人の都合で席を消したままにできる。練習を三回確かめた時点で再審査する、と紙へ足した。参加を戻すとは書かなかった。
祭前夜、トーマは西の厩で最後の空きを一つ残していた。治癒倉庫へ怪我人を運ぶ車が、いつでも出入りできるようにするためだった。
日が落ちてから、城門の鐘が予定外に三度鳴った。王都の金紋をつけた箱馬車が二台、近衛の騎馬、その後ろに窓を布で覆った療養車が続いている。
門衛が開門札へ手を伸ばした。トーマは横木を上げなかった。
「西の厩は一台分です。箱馬車は東の兵舎裏へ。騎馬は城外厩。療養車だけ、ここを通します」
近衛が王太子一行だと告げても、彼は表を変えなかった。ベルトがアレクシスを呼び、予定外の警備だけを付け足す。箱馬車は狭い曲がりで一度切り返し、東へ回った。
先頭の扉が開いた。泥へ最初に降りたのはユリウスだった。その後ろで、セレスティアの白い袖が夜気に揺れた。




