利益を持ってきた男
エリオ・サーンは、粉の値札を朝の一・四倍へ書き替えた掲示板の前で、荷を売らずに待っていた。
二台にはライ麦粉、一台には乾燥豆が積まれている。製粉場から来たマルタが粉袋の口を開き、掌へ一つまみ落とした。色を見て、舌の先で舐め、奥歯で噛む。
「去年の粉だね。湿ってはいない」
「南じゃ今年の麦が出る前に売り切りたい。ここでは水車が止まった。双方に都合がいい」
エリオは笑わなかった。荷車の幌にも、旅靴にも、南道の赤い土が厚く残っている。値上がりを聞いて駆けつけた男の姿ではなかった。事故の前から北へ向かっていた荷だ。
「この値で買い取れと?」
リディアは掲示板を指した。エリオは、値札を見る前に首を振った。
「一・三倍で城へまとめて売ります。市場で一袋ずつ捌けば一・四倍にできるが、雨除けと夜番と売り子が要る。三台空けて、明日の第二鐘までに南へ戻る方が得だ」
「安く救うつもりはない、というお話でした」
「一割は救いじゃなく、手間の差です」
マルタが豆の俵も調べた。虫食いを五粒拾い出し、残りを指で押す。
「豆で粉の代わりはできないよ」
「できるとは言っていません。保存食工房の鍋を二日延ばせる。粉をそちらへ取られずに済む」
掲示板の脇には、事故翌日の配給予定が張られていた。製粉場の貯えは明日の夕刻まで。新しい樫板が入り、泥を抜き終えるのは三日目になる。エリオの二台を足せば、パン屋と治癒倉庫へ渡す一日の隙間だけは埋められる。全員が好きなだけ買える量ではない。
「買います」
リディアが言い切った。マルタは粉のついた手を上げた。
「領が買うなら、うちの損害から値を引かないでおくれ。この粉は修理の代わりじゃない」
「別に記録します。水車の修理、三日分の休業、注文の損失、今日の仕入れは分けます」
「あんたの審査も?」
「まだ終わっていません」
城が三台を買えば、エリオは誰へ高く売るかを選べなくなる。その代わり、代金は今夜受け取れる。低所得者の購入札は昨日のまま使い、事故前との差額を領が払うことも、即納の紙へ入れた。
「金持ちの家から先に売れば、もっと残りますよ」
「次も三台まとめて買うとは書きません」
「書かれたら困ります。相場が下がった時まで今日の値を取りたくはない」
マルタはそれで納得した様子を見せず、受領する袋へ一つずつ白墨を引いた。エリオは、今朝の相場より下げた分まで帳面に書いた。仕入れ値、飼葉、南道の橋銭、ここで得る利益。数字の横へ、予定より一日早く引き返せる分、と小さく足す。
即納分の話が決まると、彼は荷台の底から油布の包みを出した。
中には、王都商会の青い印を押した照会票が三枚入っていた。南方の倉庫主と薬草問屋へ、王家保証の確認が取れない経路を使っているか、取引先名を書かせる文面だった。回答しなければ倉庫の貸付枠を再審査する、と末尾にある。
「なぜ、あなたがこれを」
「冬まで王都商会で働いていました。南方荷の帳面を作る係です」
「辞めた理由は?」
「十年勤めても、自分の名前で売れる荷が一つもなかった。だから辞めました」
よく整えた答えだった。リディアが黙っていると、エリオは三枚目を裏返した。端に、彼の字で仕入れ先と借入額が書かれている。
「それだけじゃない。値を上げろと言われた荷を、先に安く流して叱られた。見切りが早いのは長所だと思っていましたが、上役には勝手と呼ばれた」
「今度は、私たちがその勝手へ前金を出すのですか」
「前金がなければ、南の問屋は王都の倉を捨てません」
エリオは照会票の一枚を畳み、元の折り目と違う箇所で止めた。王都商会の名を使えば、北で失敗しても南の支店へ戻れる。独立の取引へ署名すれば、その逃げ道を自分で狭めることになる。
「私も安全な方へ戻れるうちは、問屋に危険を取れとは言えません」
エリオが欲しいのは、焼けた一台分の薬草を二回に分けて運ぶ試験取引だった。辺境祭までに不足分の半分。祭で荷下ろしと検品を外部商人へ見せ、参加者が増えた場合だけ、残り半分を次便にする。
城へ戻るころには、日が落ちていた。会計吏は試算を三度やり直し、最後に冬備え用の仕入れ予算へ太い横線を引いた。
「前金は、この予算の四分の一になります。失敗すれば、秋に買える塩か穀物を減らすことになります」
「薬草を失ったままでも、冬の治癒所が減ります」
アレクシスは椅子へ深く座った。エリオの照会票を、青い印から順に読んだ。
「王都商会へ戻る気は」
「あります。私の商会が潰れれば」
エリオは平然と答えた。その目は、照会票の青い印から離れなかった。
「ただし、戻る時は今より高く買わせたい」
アレクシスの指が照会票の青い印で止まる。リディアは試験取引の紙を二つに分けた。即納した粉と豆は、今夜の現物売買。薬草は、先に払う危険を含む別契約にする。
「祝福灯で誠実さを判定する欄は作りません」
「そんな便利なものを頼んだ覚えはありませんが」
「書いた品が届いたことしか、線は示せません。湿っているか、混ぜ物があるか、使えるかは、人が開けて確かめます」
エリオは紙を引き寄せた。まだ署名欄には触れなかった。
「では、届かなければ?」
「受領者名と時刻が空く。期限を過ぎれば前金を返す。道が閉じた場合は、閉鎖を決めた者と場所を示し、延期か解除を協議する」
「魔物に食われても全額返金では、私だけが損をする」
「王都商会から取引を止められた場合まで、領に払わせるつもりですか」
二人は、危険を半分ずつにする場所では合意できなかった。損失の原因ごとに、エリオ、領、供給者が負う範囲を分けた。街道閉鎖は領、品質不良は供給者とエリオ、王都商会からの信用停止はエリオ。護衛が指定経路を外れた場合は、その判断者が払う。
冬仕入れ予算の四分の一は、契約と同時に封印預託へ移す。半分は南方で薬草を買う時、残りはヴァルハルトで受領した時にエリオへ渡す。前金を戻せない時の担保として、彼は三台の荷車と南市の倉札を置いた。商人が身軽に逃げるための道具を、自分から紙へ入れた。
翌朝、粉袋はパン屋と治癒倉庫へ運ばれた。掲示板の値は一・三倍へ下がったが、事故前には戻らない。列の先頭で、マルタが購入札と袋の数を照合している。
エリオは空になった一台へ乗り、残る二台を御者へ任せた。南へ帰る前に、春第3月末の辺境祭の日付を確かめる。
「倉庫の中で一度うまく届いたと言っても、問屋は来ません」
彼は照会票を油布へ戻した。青い印が包みの内側へ伏せられた。
「荷を下ろすところ、悪い束を返すところ、夜に馬を置ける場所。商人が自分で見られる市を開いてください。でなければ、次の半分を積む者はいない」
リディアの手元には、治癒倉庫の風除けを直す見積書と、辺境祭の費用表が残った。




