第96話 配信の後輩は、先輩のやさしさを知るほど学校の誰かを思い出してしまう
小鳥遊絃葉は、同じ言葉を何度も見返してしまう時点で、だいぶだめだと思っていた。
スマホの画面。
AstraLinkのDM。
天瀬アルトからの短いメッセージ。
『今日はお疲れさまでした。真面目に拾えていたので大丈夫ですよ。わからない項目があれば後で確認します』
もう三回どころではない。
昨日の夜から、少なくとも十回は見ている。
内容は普通だ。
先輩が後輩へ送る気遣いとして、たぶん模範解答みたいな文章ですらある。
でも今の絃葉にとっては、その“普通のやさしさ”が一番効いた。
真面目に拾えていた。
大丈夫ですよ。
わからない項目があれば後で確認します。
その一つ一つに、相手を過剰に持ち上げない配慮がある。
でも、ちゃんと見てくれていたことは分かる。
その感じが、好きだと思う。
かなり。
「……ずるいなあ」
小さく呟いて、スマホを胸元へ押し当てる。
だめだ。
こんなことをしていては完全に痛い後輩だ。
でもやめられない。
しかも困ったことに、最近はその“やさしさの感触”が、学校で話す誰かまで連れてきてしまう。
久瀬湊人。
学校の、静かな男子。
たまに話すと、不思議なくらい落ち着く人。
彼の言葉もまた、似たところで呼吸が整う。
それがどうしてなのか、絃葉はまだうまく説明できない。
◇
翌日、学校。
現場の余韻が少しだけ残っているせいか、絃葉は朝から少しふわついていた。
悪い意味ではない。
でも、地に足がついていない感じはある。
同じクラスの友達に「絃葉、今日なんかぼんやりしてる」と言われて、曖昧に笑ってごまかす。
たしかにそうだ。
頭のどこかが、まだ昨日の現場とDMの文字列を往復している。
授業の合間、窓の外を見る。
深呼吸する。
それでも、気づくとまたスマホへ触れたくなってしまう。
かなり危ない。
「……落ち着いて」
小さく呟いた時、教室の扉の向こうに見覚えのある姿が見えた。
久瀬湊人だ。
同じ階ではないのに、最近なぜか少し目に入る頻度が増えている。
絃葉はそこで、妙な安心を感じてしまっている自分に気づく。
何で。
と自分でも思う。
でも、あの人を見ると少しだけ呼吸が整うのは本当だった。
◇
昼休み、資料を届けに別棟へ向かった帰り道。
ちょうど校舎をつなぐ廊下の途中で、また久瀬と会った。
「あ」
また、ほとんど同時だった。
最近こういうのが多い。
「こんにちは」
久瀬が言う。
「こんにちは」
絃葉も返す。
ほんの数秒のやりとりのはずなのに、それだけで少しだけ肩の力が抜ける。
「……昨日」
絃葉は少しだけ迷ってから言った。
「大きい予定、あったんですか?」
たぶん、踏み込みすぎだ。
でも聞きたくなった。
自分が“緊張する予定”を持っていたみたいに、この人にも何か外側の予定がある気がしたから。
久瀬は一瞬だけ目を丸くした。
そして、少しだけ苦笑する。
「そう見えましたか」
「ちょっとだけ」
「……ありました」
全部は言わない。
でも、丸ごと隠しもしない。
その答え方が、やっぱりこの人らしい。
「おつかれさま」
絃葉が言うと、彼は少しだけ視線を落とした。
「ありがとうございます」
その言い方が、また少しだけ落ち着いていて、やさしい。
絃葉はそこで、不意に思ってしまった。
アルトも、こういう温度で礼を言う。
あまり大げさじゃなく、
でも、ちゃんと相手の気持ちを受け取ったことがわかる声で。
「……どうしましたか」
久瀬が聞く。
絃葉はまた少し長く見すぎていたらしい。
「ううん」
首を振る。
「なんでもない」
でも、本当はなんでもなくない。
今、たしかに“似てる”がまた増えた。
しかも、声だけじゃない。
相手の言葉を受け取る時の、あの少しだけ目を伏せる感じまで重なった。
◇
放課後、帰宅した絃葉は、ほとんど無意識でアルトの切り抜きを再生していた。
後輩ライバーと話している場面。
コラボ相手へ返している短い一言。
そして、礼を言われた時の「いえ」「大丈夫ですよ」のトーン。
やっぱり少し似ている。
完全に同じではない。
でも、“相手の緊張を増やさないための声の置き方”が重なる。
「……話すテンポ、かな」
絃葉は小さく呟いた。
それだ。
声色そのものより、テンポ。
相手の返事を急がせない、あの少しだけ待つ感じ。
言葉を一つ置く前に、相手の呼吸が落ち着くのを見ているみたいな間。
天瀬アルトにもある。
そして久瀬湊人にもある。
そこまで言語化してしまった瞬間、絃葉は自分で少しだけ怖くなった。
言葉になってしまった違和感は、前よりずっと無視しづらい。
「……いや、でも」
違う。
そう思う。
違うに決まっている。
こんなの、ただ自分がアルトのことを意識しすぎて、学校の人へまで影響しているだけかもしれない。
でも、その否定の力も最近は少しずつ弱くなってきていた。
◇
翌日、学校。
絃葉は廊下の窓際で、少しだけぼんやり立っていた。
そこへ、後ろから声がかかる。
「今日は」
振り向く。
久瀬だった。
「前より、少し落ち着いて見えます」
その一言で、絃葉は思わず笑ってしまう。
「それ、この前も言った」
「言いましたね」
「でも」
少しだけ目を細める。
「そう言ってもらえると、ちょっと安心する」
それはもうかなり本音だった。
久瀬は少しだけ困ったように笑う。
「なら、よかったです」
その返しを聞いた瞬間、絃葉の中でまた何かが重なる。
やっぱり。
話すテンポが。
少しだけ。
配信の後輩は、先輩のやさしさを知るほど学校の誰かを思い出してしまう。
そしてその思い出し方が、もう“気のせい”では片づかない場所まで来ているのだと、絃葉は少しずつ気づき始めていた。




