第94話 ツンデレは、疑うより先に“また無理する日”を数え始める
柊坂真白は、最近の自分がだいぶおかしい自覚があった。
少し前までなら、誰かの事情なんてそこまで気にしなかった。
興味がなかったわけではないが、“言わないならそれまで”で済ませる程度の距離感は守っていたと思う。
でも今は違う。
久瀬湊人の秘密が何なのか。
家側の問題がどこまで重いのか。
配信側の大型企画が具体的に何をするものなのか。
そういう中身は、たしかに気になる。
でも、それ以上に気になるのは別のことだ。
次に、いつ無理をするのか。
今週は水曜の放課後。
金曜も怪しい。
週末は現場絡み。
さらに、そのあとにもたぶん何かある。
そうやって“危ない日”を先に数え始めている自分がいる。
それはたぶん、もう普通のクラスメイトの距離感ではない。
でも、だからといって今さら引ける気もしなかった。
「……面倒」
朝、駅から学校へ向かう道を歩きながら、小さく呟く。
面倒だ。
でも嫌ではない。
そこが、なおさら面倒だった。
◇
教室へ入ると、窓際の空気はいつも通りのようでいて、やっぱり最近らしい緊張を少し含んでいた。
日野が前の席でだるそうに伸びをし、
すばるがスマホを見ながら「今日の情報量はまだ耐えられる」とか意味の分からないことを言い、
紬希が小さく笑っている。
そして久瀬湊人は、もう来ていた。
今日の顔は、少しだけましだ。
それでも、今週の“危ない日”が近づくほど、真白の中では別の時計が動き始める。
この人は、危ない日が近いほど余計に平然としようとする。
そこが厄介だ。
だから最近の真白は、表情より先にスケジュールの方を見たくなる。
「おはよう」
「おはようございます」
返事は整っている。
だが真白は、そこで終わらせない。
「今週」
「はい」
「水曜と金曜以外は?」
朝一からそれを聞く自分も、だいぶどうかしている。
でも最近は、聞かないであとから無理される方がもっと嫌だった。
すばるが「うわ、管理担当」と小さく笑い、日野は「もう面談じゃん」と言う。
紬希だけは、少しだけ真白の方を見て、それから久瀬の反応を待った。
「……今のところ」
久瀬が言う。
「大きい予定は、その二日です」
「今のところ、ね」
真白が確認する。
「ええ」
「増えたら」
「共有します」
そこまで反射で返ってくるなら、最近の包囲網も少しは役に立っているのだろう。
「よし」
真白は頷いた。
すばるが横からにやにやする。
「ほんとに最近の真白、そこだけすごい」
「何が」
「“秘密暴きたい”じゃなくて“危険日管理したい”に寄ってるとこ」
その言い方に、真白は少しだけ眉を寄せる。
でも、否定しきれなかった。
◇
一限目が終わったあと、真白は自分でも少し驚くくらい自然に言っていた。
「久瀬」
「はい」
「予定、並べろ」
一瞬、窓際の空気が止まる。
すばるが「出た」と言い、日野は吹き出しかける。
紬希だけは少しだけ困ったように笑った。
「並べる、とは」
久瀬が聞く。
「今週と来週で」
真白は言う。
「“危ない日”を先に」
かなり直球だった。
でも今の真白には、それが一番合理的に思えた。
秘密の中身は言えなくても、
いつ無理が増えるのかは言えるはずだ。
そこだけでも共有されていれば、少なくとも窓際の四人は前よりずっとましに動ける。
「……来週もですか」
久瀬が少しだけ苦笑する。
「そう」
「かなり徹底していますね」
「必要だから」
即答だった。
すばるが横から口を挟む。
「でも、わりとわかる」
「うん」
紬希も頷く。
「先にわかってた方が、見方が変わるから」
その言葉が、真白の中で少しだけしっくり来る。
そうなのだ。
見方が変わる。
ただ疲れている人を見るのと、“今日は最初から危ない日だ”と分かった上で見るのとでは、こちらの構え方が全然違う。
久瀬はしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。
「今週は、水曜と金曜」
「うん」
「来週は、火曜の夜と木曜の放課後が怪しいです」
「怪しい、ね」
真白が繰り返す。
「確定じゃないので」
「でも可能性高い」
「ええ」
そこまで言えば十分だった。
日野が「増えてるじゃん」と言い、
すばるは「普通にやだ」と本音を漏らし、
紬希は静かなまま、でもかなり心配そうな顔になる。
真白はその反応を見て思う。
やっぱり先に並べさせてよかった。
今の窓際はもう、“何かあったら考える”では遅いのだ。
◇
昼休み、真白は珍しく一人で階段踊り場へ出た。
整理したかったからだ。
今週水曜、金曜。
来週火曜夜、木曜放課後。
そこへ家側の用件が急に入る可能性もある。
配信側の候補地変更の返事もまだ分からない。
正直に言えば、全部追いきれる気はしない。
でも、少なくとも“危ない日を数える”ことだけはできる。
それをするだけで、自分の中の苛立ちは少しだけましになる。
「……ほんとに外側に頼りすぎ」
小さく呟く。
その言葉は、少し前にも考えたことがあった。
家側。
配信側。
学校の外の顔。
その全部が久瀬の時間を削っている。
それなのに学校の中では、なるべく普通に見せようとする。
無理に決まっている。
むしろ、今までよく保っていた方だ。
そこまで考えて、真白は少しだけ眉を寄せる。
自分は、いつからこんなふうに誰かのスケジュールの危険日を数える人間になったのだろう。
でも答えはたぶん簡単だ。
文化祭の頃から、
少しずつ、
気づけばそうなっていたのだ。
◇
放課後、教室の人数が減ったあと。
真白は久瀬を呼び止めた。
「ちょっと」
「はい」
その返事は相変わらず丁寧だ。
でも今日は、それすら少しだけ苛立つ。
「アンタ」
「はい」
「もうちょっと、日常の外側に頼りすぎ」
言ってから、自分でも少しだけ直球すぎたと思う。
でも、撤回する気にはならなかった。
久瀬は一瞬だけ目を丸くした。
「……頼りすぎ、でしょうか」
「そう」
真白は言い切る。
「家側も、配信側も、全部向こうの都合で時間持っていかれてる」
「……」
「で、学校では普通でいようとする」
「はい」
「無理に決まってる」
そこまで言うと、久瀬は少しだけ苦く笑った。
「耳が痛いですね」
「痛いなら改善して」
「簡単では」
「簡単じゃないのはわかる」
そこで真白は一度だけ息を吸う。
「でも、せめて危ない日は先に出せ」
結局そこへ戻る。
最近の真白にとって、一番現実的な線だった。
秘密の正体を知るより先に、
いつ無理をするかを知る。
その方が、今はずっと重要だった。
久瀬は少しだけ目を伏せてから、小さく頷いた。
「……わかりました」
「本当に?」
「はい」
「じゃあ次」
「ええ」
「増えたら、増えた時点で言う」
「言います」
その返事に、真白はようやく少しだけ肩の力を抜いた。
ツンデレは、疑うより先に“また無理する日”を数え始める。
それはもしかすると、秘密を暴くよりずっと深いところで、相手の日常を守ろうとしている証拠なのかもしれなかった。




