第86話 静かな放課後の裏で、配信の現実はどんどん近くなる
静かな放課後ほど、裏で何かが進んでいる時は怖い。
久瀬湊人は、月曜の夕方にAstraLinkから届いた更新通知を見て、まっさきにそう思った。
学校から帰宅して、
制服を着替えて、
少し遅めの軽食を取り、
ようやく机へ向かったところだった。
通知の件名は、いつものように事務的だ。
大型リアル企画・現地収録候補地および導線再調整
嫌な予感しかしない。
だが、開かないという選択肢もない。
画面を開く。
候補地一覧。
交通導線。
現場入り予定時刻。
スタッフのコメント。
そして、読み進めて二十秒後、湊人は本気で額を押さえた。
「……近すぎるだろ」
更新後の候補地は、以前よりさらに学校側の生活圏に寄っていた。
学校から二駅圏内。
放課後の学生が普通に流れ込む商業エリア。
週末には街頭ビジョン展開もある場所。
しかも、収録予定時間は学生の下校導線とぶつかりやすい夕方寄り。
これでは、ただ“街で偶然見かけるかも”では済まない。
学校帰りの生徒、
窓際の面々、
AstraLinkのファン、
一般通行人。
全部の動線が、危うい形で重なりうる。
しかも、さらに悪いことに、学校側の予定表とも微妙に噛んでいた。
今週金曜、放課後。
クラス単位ではないが、小さな学校側イベントがあり、下校タイミングが少し後ろへずれる。
つまり、“いつもならもう家にいる時間帯”に、学校の人間がまだ街へ流れてくる可能性がある。
「最悪だ……」
またその言葉が口をつく。
だが、今回は本当にその一言しか出なかった。
家側の問題は、一応一歩整理した。
学校生活優先の線も少しは通った。
なのに今度は、配信の現実が物理的に学校へ近づいてくる。
守るべき境界線そのものが、どんどん薄くなっている気がした。
◇
翌朝、教室へ入った瞬間に、窓際の四人はまたほとんど同時にこちらを見た。
最近は本当に隠しきれない。
隠しきれないし、隠しても意味がない段階に来ている気もする。
「おはようございます」
声をかける。
「おはよ」
日野が返し、
「おはよう」
紬希が言い、
すばるは少し目を細めた。
「今日やばい?」
朝一でそこへ来るのも、最近はもう自然だった。
真白は席に座ったままこちらを見ている。
言葉より先に“どういう種類か”を見ようとしている目だ。
「……候補地が更新されました」
湊人が答えると、すばるの肩がぴくっと動く。
「大型企画?」
「ええ」
「悪い方?」
「かなり」
そこで日野が「またその“かなり”」と笑うが、今日はその笑いも少し薄かった。
「学校から近い?」
真白が聞く。
「前より」
湊人は言った。
「近いです」
その一言で、窓際の空気がすっと冷える。
紬希が小さく息を止める。
すばるは「うわ」とかなり本気で言った。
日野まで「それだいぶだるいな」と眉を寄せる。
「どのくらい」
真白が聞く。
「二駅圏内」
「……は?」
珍しく、真白が少しだけ表情を崩した。
「近すぎ」
「はい」
「しかも」
湊人は続ける。
「今週金曜、学校側の下校タイミングが少し後ろにずれる日と、重なる可能性があります」
そこまで言うと、すばるが本気で机へ突っ伏した。
「やめて」
かなり本音だった。
「それ、普通に危険じゃん」
日野が言う。
「ええ」
湊人も頷く。
「偶然見かけるとかのレベルじゃなくなる」
紬希が静かに言う。
その通りだった。
今までは、“もし近ければ危ない”の話だった。
今は違う。
近い。
しかも、学校側の動線と時間帯まで被りうる。
危険が、かなり具体的な形になっている。
◇
一限目のあと、窓際の列はもう完全に“対応会議”みたいな空気になっていた。
「まず」
真白が言う。
「これ、配信側に変えられないの」
「確認はします」
湊人が答える。
「でも、向こうは効率重視なので」
「効率って」
すばるが顔を上げる。
「いや、わかるけど」
「わかるんだ」
日野が聞く。
「街頭ビジョンあって、人通りあって、映える場所ならそっち優先される」
すばるの説明はやはり詳しい。
その詳しさが今は逆に怖かった。
「だからこそ」
湊人は言う。
「学校生活との接触可能性を理由に、再調整をお願いするしか」
「それ、通る?」
真白。
「わかりません」
「でも言う」
「ええ」
そこは即答できた。
前なら、まず一人で抱え込んだだろう。
自分の中だけで何とかしようとしたはずだ。
でも今は違う。
窓際の面々に共有し、危険度を言葉にし、そこから手を打つ。
その流れを、ようやく自分でも取れるようになってきた。
「今週金曜」
紬希が小さく言う。
「最初から、普通じゃない日だと思っておく」
「うん」
真白が頷く。
「その方がいい」
「私、その日ちょっと嫌な予感しかしない」
すばるが言う。
その言い方に、日野が苦笑する。
「最近の鳴海の勘、笑えないんだよな」
「でしょ」
「そこは自慢するな」
真白が切る。
でも完全には否定しない。
すばるの勘が最近かなり当たることは、全員が知っている。
◇
昼休み、朱莉にもその話は共有された。
場所はいつもの渡り廊下。
スマホ画面を見せると、朱莉は候補地と時間帯を一瞥しただけで、すぐに結論を出した。
「だいぶ危ない」
「ええ」
「しかも、学校イベントで下校がずれる日?」
「はい」
「最悪」
真白と同じことを、朱莉も言う。
だが、その“最悪”はさらに実務寄りだ。
「動線が交わる」
朱莉は言う。
「学校帰りの学生」
「ええ」
「現場入りするライバー側」
「はい」
「それに、街頭ビジョンで人が溜まる」
そこまで整理されると、もう逃げ道がない。
偶然が起きる。
それもかなり高い確率で。
今週金曜は、そういう日になりかねない。
「……変えてもらえると思いますか」
湊人が聞く。
朱莉は少しだけ考えた。
「全面変更は難しい」
「でしょうね」
「でも」
彼女はスマホ画面を指で軽く叩く。
「時間帯調整か、現場入り導線の変更は交渉余地ある」
その言い方は、相変わらず具体的だ。
「向こうにとって大事なのは企画成功であって、学校生活じゃない」
朱莉が続ける。
「だから、学校を守りたいなら、“学校だから困る”じゃ弱い」
「では」
「事故リスク」
短く言い切る。
「一般学生との接触、導線混雑、予期せぬ撮影・拡散の危険」
その整理があまりにも鮮やかで、湊人は思わず息を止めた。
なるほど、と思う。
学校生活を守りたい、という自分の個人的な事情ではなく、向こうにとっても損になる言葉へ置き換えるのだ。
朱莉はやはり、正面から感情でぶつからない。
盤面を変える人間なのだ。
◇
放課後、教室の窓際は少しだけ張っていた。
まだ何も起きていない。
でも、今週金曜が危ないことはもう全員が共有している。
そのせいか、何気ない会話にも少しだけ先の緊張が混ざる。
「ねえ」
すばるが言う。
「なに」
真白が返す。
「今の時点でちょっと胃が痛い」
「早い」
日野が笑う。
「でも、わかる」
紬希も小さく言う。
「まだ金曜じゃないのに」
「そこが嫌」
すばるは本気だ。
「何も起きてないのに、先に“危ない日”って共有されてるの、普通にしんどい」
その感覚は、湊人にもよく分かる。
起きてから対処するのも苦しい。
でも、起きる前から危ないと分かっている日を待つのも、別の意味でかなりつらい。
「……すみません」
小さくそう言うと、真白がすぐ返す。
「そこじゃない」
「え」
「謝るより、まず配信側へ言う」
それもまた、その通りだった。
「今日中に送ります」
湊人は頷く。
「時間帯か導線の再調整」
「うん」
すばるが言う。
「それ、ちゃんと事故リスクっぽく言った方がいい」
「えらい」
日野が笑う。
「最近の鳴海、オタクと実務の両立がすごい」
「やめて、自分でも怖いから」
そこへ少しだけ笑いが起きる。
その笑いが、今はありがたい。
◇
夜、自室で、湊人は配信側へ送る文面を見直していた。
学生下校時間帯との重複が大きく、現場周辺での偶発的接触や無許可撮影・拡散のリスクが高いと考えます。
企画進行上の効率は理解していますが、時間帯または現場入り導線の再調整をご検討ください。
朱莉の言葉を借りた。
学校生活を守りたい、という感情だけではなく、向こうにとっても損失になる言葉へ変えた。
それでどこまで通るかは分からない。
でも、少なくともやるべきことは見えている。
静かな放課後の裏で、配信の現実はどんどん近くなる。
そして、その近づき方はもう“いつか危ないかも”ではなく、“今週金曜が危ない”という具体的な形を持ち始めていた。




