第82話 お嬢様は、“秘密の種類”が増えたことだけは見逃さない
御門朱莉は、秘密そのものより、秘密が増えた時の疲れ方に興味があった。
人は一つのことを隠している時と、二つ以上を同時に隠している時とで、明らかに呼吸が変わる。
一つだけなら、まだ軸がある。
どこに気を張ればいいのか、
何を守ればいいのか、
本人の中でも線引きが比較的はっきりしている。
でも、秘密が複数になると違う。
気を張る方向が増える。
それぞれの線が微妙に重なって、本人の中でも優先順位が揺れ始める。
結果として、“一見落ち着いているのに、目の奥だけが忙しい人”が出来上がる。
そして最近の久瀬湊人は、まさにそれだった。
家側の問題で削られていた時期の彼は、もっと分かりやすかった。
張っていて、
少し尖っていて、
何か一つの大きなものへ耐えている顔をしていた。
今は違う。
家側の件は、前より少しだけ整理された。
それでも疲れている。
しかも、前と違う種類の疲れで。
時間に削られている顔。
スケジュールに押されている顔。
そのくせ、学校では地味な転校生の顔を崩さないようにしている。
そこまで来ると、朱莉の中では答えはかなり出ていた。
「……一つじゃないのよね」
昼休み、渡り廊下の窓から中庭を見下ろしながら、小さく呟く。
家柄か、政治か、財界か、そのあたりに近い何か。
それが一つ。
そしてたぶん、もう一つ別の“外の顔”がある。
しかも、そのもう一つは家側とは違って、もっと日々の時間に食い込む種類のものだ。
久瀬湊人が抱えている秘密は、一つではない。
少なくとも朱莉には、もうそこだけはほとんど確信に近かった。
◇
金曜の放課後、生徒会の雑務を終えた朱莉は、二年三組の教室を覗いた。
別に、毎日寄る必要はない。
でも最近は、あの窓際の空気を見るだけでだいたい状況がわかることが多い。
便利という言い方は悪いが、かなり観察しやすい。
そして今日も、だいたい予想通りだった。
日野が前の席でのんびりしていて、
すばるが何かを話しすぎていて、
真白がそれを冷静に切っていて、
紬希は小さく笑いながらも、やっぱり久瀬の方を見ている。
そして、その中心にいる久瀬湊人は、少しだけ疲れている。
だが、前ほど崩れてはいない。
むしろ、崩さないために気を使い続けている人の疲れ方だ。
「……ほんとに、増えたわね」
朱莉は教室の後ろ扉にもたれたまま、そう思った。
一つの秘密に追われる顔ではない。
少なくとも二種類以上の“外の顔”を、学校生活へ食い込ませないように必死で支えている人間の顔だ。
「御門さん」
最初にこちらへ気づいたのは、やはり久瀬だった。
「なに」
朱莉は短く返す。
「通りかかっただけですか」
「半分」
その半分の意味を説明する気はない。
真白が少しだけ目を細める。
「また何か見抜いた顔してる」
「してる?」
すばるが言う。
「してる」
紬希も小さく頷いた。
この辺りの観察力は、最近の窓際もかなり育ってきている。
朱莉は少しだけ肩をすくめた。
「アンタたちも、最近かなり見るようになったわね」
「見たくなくても見える」
真白が言う。
「それ」
すばるも頷く。
「最近の久瀬くん、違和感の種類が増えすぎ」
その表現がわりと本質に近くて、朱莉は少しだけ笑いそうになった。
違和感の種類が増えた。
まさにその通りだ。
「で」
真白が言う。
「何」
「今日は何を見たの」
前置きなく核心へ来る。
最近の真白は、そのへんの躊躇がかなり減った。
朱莉は少しだけ久瀬を見た。
彼は、もう半分くらい察している顔をしている。
だからこそ、今日は少しだけ踏み込むことにした。
「アンタ」
朱莉が言う。
「はい」
「外の顔、一つじゃないでしょ」
教室のこの列だけ、空気がきれいに止まる。
すばるが「うわ」と小さく言い、
日野は本気で一拍遅れてこちらを見る。
紬希は目を見開き、真白は逆に静かになった。
そして久瀬だけが、ほとんど動かなかった。
動かなかったこと自体が、かなり答えに近い。
◇
「……どういう意味でしょう」
久瀬が静かに言う。
落ち着いた返しだ。
でも、朱莉には分かる。
これは否定ではない。
“どこまで見えているか探るための聞き返し”だ。
「家側の件で削られてる時と」
朱莉は淡々と続けた。
「今の疲れ方、違う」
そこへ真白がすぐ頷く。
「うん」
「時間に追われてる感じ」
紬希も静かに言う。
「最近ずっとそう」
すばるも乗る。
「だから今度は配信側って話になったわけだし」
その辺りはすでに窓際でも共有されている。
「つまり」
朱莉は言葉を整理する。
「家側の問題とは別に、もう一つ“現実の時間を削る外の顔”がある」
「……」
「少なくとも私はそう見てる」
そこまで言って、少しだけ間を置いた。
「違う?」
問うた形にはした。
でも、本音ではかなり確信している。
久瀬は少しだけ目を伏せた。
その沈黙が、否定よりずっと強い意味を持つ。
「……否定は、しません」
やがて、彼はそう言った。
かなりぎりぎりの答えだ。
でも今の彼にできる範囲としては、それがほぼ最大なのだろう。
すばるが思わず机へ突っ伏しそうになる。
「え、じゃあほんとに」
「一つじゃないんだ」
日野が続く。
紬希は何も言わない。
でも、少しだけ息を止めていた。
真白だけは、そこで小さく息を吐いた。
「やっぱり」
その声は驚きというより、確認に近かった。
彼女はたぶん、前からかなりそこへ近い感覚を持っていたのだ。
◇
朱莉は教室の後ろから一歩だけ中へ入った。
「別に」
彼女は言う。
「今すぐ全部言えって話じゃない」
「……はい」
「でも、秘密の種類が増えてることだけは、こっちも見えてる」
それは半分警告で、半分は共有だった。
見えている。
つまり、誤魔化しきれない。
でも同時に、見えているからこそ対処の仕方も変わる。
今の窓際はもう、何か一つだけを想定して動く段階ではない。
「だから」
朱莉は続ける。
「家側と配信側で疲れ方が違うなら、その区別くらいは先に出しなさい」
その一言に、すばるがすぐ反応した。
「それ、めっちゃ大事」
紬希も頷く。
「うん」
真白は腕を組んだまま、低く言った。
「次に黙って無理したら、今度はかなり面倒」
その言い方は相変わらずだ。
でも、内容は朱莉の言葉とかなり同じ方向を向いている。
日野が笑う。
「最近の窓際、条件整理がうますぎない?」
「必要だから」
真白が言う。
それに朱莉も心の中で同意した。
必要なのだ。
秘密を一つだけ抱えているなら、まだ“なんとなく気にしておく”で済む。
でも、種類が増えた時点で、その曖昧さは学校生活を壊す側に回る。
「……わかりました」
久瀬が言った。
「今後は、せめて種類の共有は」
「種類」
すばるが苦笑する。
「言い方、だいぶ秘密持ちって感じ」
「事実だから仕方ない」
真白が切る。
その返しに、少しだけ笑いが起きた。
緊張が張ったままではなく、少しだけ日常側へ戻る笑いだ。
それが、今の窓際には大事だった。
◇
放課後、駅までの道。
五人で歩く流れは今日も自然にできていた。
もう誰も「一緒に帰る?」とは聞かない。
そうするのが当然みたいに、ゆるくまとまって歩く。
「でもさ」
すばるが言う。
「家側と配信側って、並べるとすごいね」
「何が」
日野が聞く。
「重さのジャンル違いすぎる」
「わかる」
紬希が小さく言う。
「片方は張る感じ」
「もう片方は削られる感じ」
すばるが続ける。
その表現が、湊人には妙にしっくり来た。
「……たしかに」
思わず口にすると、真白がすぐこちらを見る。
「なら次から、そういう言い方でいい」
「え」
「張る方なのか、削られる方なのか」
その分類は雑だ。
でも、今の窓際にはかなり有効かもしれない。
「それいい」
すばるが笑う。
「わかりやすい」
「わかりやすい?」
日野が言う。
「俺にも」
「じゃあ採用」
真白が淡々と言う。
紬希も少しだけやわらかく頷いた。
結局こうなるのだ、と湊人は思う。
秘密の中身はまだ言えない。
でも、疲れ方や無理の種類は共有されていく。
それが最近の窓際のやり方なのだろう。
自分の抱えているものは一つではない。
その事実を、朱莉は今日かなりはっきりと突きつけた。
けれど不思議と、それで追い詰められた感じは少なかった。
むしろ、“やっとそこまで見えている前提で話せる”ことの方が、少しだけ楽だった。
◇
夜、自室。
机の前でスマホを見つめながら、湊人は今日のことを反芻していた。
外の顔、一つじゃないでしょ。
朱莉のあの一言は、思っていた以上に効いた。
図星だから、ではない。
そこまで見抜かれてもなお、まだここで日常が壊れていないことの方が大きかった。
真白も、
すばるも、
紬希も、
日野も、
もうかなりのところまで察している。
それでも、知りたいより先に“学校の時間を守る”方を選び続けている。
「……ほんとに、変な関係だな」
小さく呟く。
でも、その変さが嫌ではない。
嫌ではないどころか、最近の自分にはかなり大事なものになっている。
お嬢様は、“秘密の種類”が増えたことだけは見逃さない。
そして、その見逃さなさがまた一つ、窓際の関係を“ただの違和感の共有”から“秘密込みで支える関係”へ変えていくのだった。




