第63話 下校ルートが変わるだけで、青春は少しだけ事件になる
下校ルートが少し変わるだけで、こんなにも“いつも通り”は別物になるのかと、久瀬湊人は水曜の放課後に思い知らされていた。
大げさな話ではない。
ただ、
できるだけ一人で帰らない。
校門を出るタイミングをそろえる。
駅までの道を、なんとなくまとまって歩く。
やっていることは、それだけだ。
それだけなのに、少し前までなら自然にばらけていた放課後が、今はゆるやかに一つの流れへまとめられている。
しかもその中心には、かなり高い確率で自分がいる。
ありがたい。
でも、ありがたさと同じくらい、居心地の悪さもあった。
自分の事情のせいで、
みんなの帰り方が変わっている。
その事実を、最近の湊人は前より強く意識してしまう。
前なら、もっと鈍くいられた。
自分の外側の事情と学校生活は、別々の箱に入れておけばいいと思っていたからだ。
でも今は違う。
窓際のあの空気が、自分一人の箱の外へ広がってしまっている。
「……面倒だな」
小さく胸の内で呟く。
ただしそれは、嫌だという意味だけではなかった。
守られていることを自覚してしまう面倒さであり、守られたぶんだけ何かを返したくなる面倒さでもあった。
◇
五限目が終わった頃から、教室の空気は少しずつ放課後へ寄っていく。
机の中へ教科書を戻す音。
廊下の向こうで、部活の仲間を呼ぶ声。
今日もどこかのクラスでは委員会があるらしく、資料を抱えて走る生徒がいる。
いつもの学校の夕方だ。
そのはずなのに、窓際の五人のあいだだけは、最近ずっと小さな確認事項が増えていた。
「今日、日野どこまで同じ?」
すばるが言う。
「駅まで」
日野が答える。
「そのあと部活のやつと合流」
「なら最初は一緒だね」
すばるが頷く。
「紬希は?」
真白が聞く。
「私も駅まで」
紬希が小さく答える。
「図書室寄らないの?」
「今日は寄らない」
「えらい」
すばるが言う。
「なにが」
「今の状況で単独行動しない判断」
「それ普通」
真白が切る。
「でも、倉科さんって前なら一人で静かに動いてたじゃん」
「……そうかも」
紬希は少しだけ苦笑する。
その会話を聞きながら、湊人は少しだけ肩の力が抜ける。
こういう話題を、みんなが“特別な危機管理”ではなく“最近の帰り方”として雑談の延長で扱ってくれるのがありがたかった。
大げさに守るのではない。
でも、放ってもおかない。
その距離感が今の自分には一番助かる。
「久瀬くんは?」
すばるが当然みたいに聞く。
「はい」
「今日は寄り道なし?」
「なし、です」
「その“です”は信用していい?」
そこへ真白が小さく入る。
湊人は少しだけ苦笑した。
「今日はかなり信用していい方です」
「かなり」
日野が笑う。
「最近の会話、程度表現多すぎない?」
「必要だから」
真白が即答する。
その返しに小さな笑いが起きる。
その笑いの中で、湊人は思う。
やっぱり、この空気は好きだ。
少し前までなら、帰る方向なんてその場の流れで決まり、誰がどこまで一緒でも深い意味はなかった。
でも今は、その小さな確認そのものが、みんなの側の意志になっている。
守ろうとしてくれている。
それをもう、見ないふりではいられない。
◇
放課後、五人は少し時間を合わせるように教室を出た。
これも前なら、もっと適当だった。
誰かが先に行って、
誰かが忘れ物で戻って、
結果的に途中で合流したりしなかったりする。
そういう緩いまとまり方。
でも今日は、誰もそれをしない。
自然に、でもはっきりと、同じタイミングで動く。
廊下へ出る。
夕方の学校らしい匂いがする。
グラウンドの土の匂い、体育館からの掛け声、掃除終わりの少し湿った空気。
そこを五人で歩いていくだけなのに、湊人には少しだけ“隊列”みたいに感じられた。
「これさ」
すばるが言う。
「なんか修学旅行の班行動みたいじゃない?」
「規模が小さい」
真白が返す。
「五人班」
日野が笑う。
「班っていうか、見守り登校の逆版?」
「言い方」
すばるが吹き出す。
紬希も少しだけ笑っている。
その何でもないやりとりの中で、久瀬は少しだけ胸が痛む。
ありがたいからだ。
ありがたいくせに、自分が原因でこの流れができていると思うと、どこか申し訳なさが残る。
「……ごめ」
またそれが出かけた瞬間、真白が横から刺した。
「禁止」
反射速度が速すぎる。
「まだ言ってないんですが」
「今の口の形でわかる」
「すご」
すばるが言う。
「真白、最近そこだけ超能力みたいになってる」
「アンタの観察癖に言われたくない」
「それはそう」
日野まで頷いて笑う。
紬希が静かにこちらを見る。
「一緒に帰るの、そんなに変?」
その問いはやわらかい。
でも、かなり核心でもあった。
「……変、ではないです」
湊人は答える。
「ただ」
「ただ?」
紬希が待つ。
「最近、皆さんの帰り方まで変えている気がして」
そこまで言うと、今度は日野が最初に肩をすくめた。
「それはまあ、少しはそう」
「日野」
すばるがたしなめる。
「いやでも、そこ濁しても仕方なくない?」
日野は気楽に言う。
「変えてるのはたしかに変えてる」
真白も小さく頷いた。
そこで終わるかと思ったが、日野はそのまま続けた。
「でもさ」
「うん」
「変えたくて変えてるわけでもないけど、嫌々でもないんだよ」
その言い方が、思った以上に真っ直ぐだった。
すばるもすぐに乗る。
「そうそう」
「“大変だから仕方なく”だけじゃない」
紬希も静かに言う。
「普通に、そうした方がいいと思ってる」
最後に真白が言い切った。
「全員で決めてるの」
その一言で、湊人は少しだけ言葉を失う。
全員で決めている。
つまり、自分だけが中心ではない。
もちろん、きっかけは自分だろう。
でも、もうそれはみんなの学校生活の守り方として共有されている。
その認識は、少しだけ救いだった。
申し訳なさを全部は消せない。
でも、ただ“迷惑をかけているだけ”ではないのだと思えるから。
◇
校門を出る時、五人の会話は少しだけ途切れた。
誰も露骨には周囲を見回さない。
でも、全員が少しずつ気配を読んでいるのが分かる。
門の向こう。
歩道。
少し離れた電柱の影。
コンビニ前。
停車中の車。
ただの風景なら、それで済む。
でも今の彼らには、そのどれもが“もしかしたら”の候補に見えてしまう。
「……いない?」
すばるが小さく呟く。
「今日の時点では」
真白が答える。
「油断しないで」
紬希が珍しく少しだけ先に言う。
その声に、湊人は目を向ける。
紬希は少しだけ頬を赤くしながらも、視線は逸らさなかった。
「駅前の方が見られてることもあるから」
「たしかに」
日野が頷く。
「前もそっちだったし」
観察の精度が少しずつ全員に共有されている。
それが頼もしくもあり、やはり少しだけ申し訳なくもある。
でも、その感情に浸っていられるほど、現実は都合よくない。
駅へ向かう途中、三つ目の角を曲がった時だった。
すばるが、不意に話を止めた。
「……あ」
その一音だけで、全員の意識が同じ方向へ寄る。
少し先の歩道。
自販機の横。
スマホを見ているふりをして立っている男が一人。
昨日や一昨日と同じ人間ではない。
でも、立ち方と視線の置き方が似ている。
通行人の顔ではない。
待ち合わせの顔でもない。
“見ている側”の静けさだ。
湊人の背中に冷たいものが走る。
やはり、下校ルートも押さえられている。
「……いたね」
すばるがほとんど息だけで言う。
「うん」
真白も小さく答える。
紬希は黙っているが、歩く速度がほんの少しだけ詰まった。
日野だけが、いつもより低い声で言った。
「普通に見てるな」
その率直さが、逆に今の状況の嫌さを際立たせる。
男は、露骨に近づいてくるわけではない。
でも、こちらが五人で歩いていることを、明らかに確認していた。
誰が誰の隣にいるか、
どのタイミングで会話が途切れるか、
誰が周囲を警戒しているかまで、見ているような気がする。
「まじで嫌なんだけど」
すばるが言う。
かなり本音だ。
「うん」
真白も短く返す。
紬希が小さく言う。
「ここで、ばらけない方がいい」
「同意」
日野も頷く。
その即答がありがたい。
五人は、そのまま会話を少しだけ減らし、まとまって駅まで歩いた。
大げさに逃げるでもなく、
でも不用意に散ることもなく。
その動き自体が、すでに少し事件じみていると湊人は思った。
◇
駅へ着いてからも、ほんの少しだけ緊張は残った。
改札前で立ち止まり、方向の違う者同士で別れる準備をする。
いつもの高校生なら、それはただの「じゃあまた明日」で終わる場面だ。
でも今日は少し違う。
今ここでばらけること自体が、少しだけ意味を持ってしまう。
「日野」
真白が言う。
「うん」
「今日はどっち側?」
「北口」
「じゃあそこまで久瀬と同じ」
「了解」
会話が妙に実務的になる。
すばるがそれを聞いて、少しだけ苦笑した。
「なんか、ほんとに防衛線だね」
「笑えない」
真白が返す。
「でも、ありがたい」
不意に久瀬がそう言った。
そこで一瞬、みんなが黙る。
「……礼は禁止」
真白が先に言う。
「はい」
「でも」
すばるが少しだけ肩をすくめた。
「ありがたいのは、まあ、わかる」
紬希も小さく頷く。
日野はいつも通りの軽さで言った。
「次は普通に帰れるといいけどな」
その一言が、今日いちばん現実的な願いだった。
普通に帰る。
それだけのことが、今は少しだけ遠い。
◇
夜、自室で一人になってから、湊人は今日の帰り道を何度も思い返していた。
五人で歩いたこと。
笑いながらも、全員が少しずつ周囲を見ていたこと。
角を曲がった先に、やはり“見ている人間”がいたこと。
そして、そのあともばらけずに駅まで行ったこと。
下校ルートが変わるだけ。
本当なら、それだけのはずだ。
でも、その“だけ”の変化の中に、今の自分たちの状況が全部詰まっている気がした。
学校の空気を守りたい。
でも外側の視線は、もう日常の導線まで触れ始めている。
それに対して、自分一人で何とかする段階はたぶん過ぎた。
今日、五人で歩いたあの感じが、その何よりの証明だった。
「……これ、ほんとに青春なのか?」
小さく呟くと、自分で少しだけ笑ってしまう。
普通の高校生活のくせに、帰る方向を共有して、視線の位置を気にして、駅までまとまって歩く。
それはたしかに少しだけ事件じみている。
でも同時に、その“まとまって歩く時間”が嫌ではなかったことも、もう認めるしかなかった。
守られている。
でも、守られているだけでは終わりたくない。
そういう気持ちがまた少しずつ膨らんでいく。
下校ルートが変わるだけで、青春は少しだけ事件になる。
そしてその事件っぽさの中で、窓際の五人の距離はまた一段、静かに近づいてしまっていた。




