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『学校では地味、配信では人気VTuber、さらに隠し事まである僕の青春ラブコメは最初から難易度が高すぎる』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第58話 秘密はまだ明かされない。でも、守りたい場所はもう共有されてしまった

 月曜の放課後、教室の窓から差し込む光は少しだけやわらかい。


 文化祭の熱も、

 打ち上げの余韻も、

 教室へ入ってきたスーツの男の嫌な気配も、

 それぞれがまだ完全には消えていないのに、時間だけはちゃんと前へ進んでいる。


 その“前へ進んでしまった感じ”を、久瀬湊人は最近ずっと不思議に思っていた。


 もう少し、壊れると思っていたからだ。


 文化祭の非常階段。

 数秒だけ聞かれた声。

 打ち上げに行けなかった夜。

 教室の中へ踏み込んできた学校の外の人間。


 どれも、本来ならもっと大きく何かを崩してもおかしくなかった。

 少なくとも、窓際の空気はもっと気まずくなってもよかったはずだ。


 それなのに、完全には壊れなかった。


 前と同じではない。

 でも、残っている。

 しかもその残り方は、以前より少しだけ深い。


 誰も正体は知らない。

 誰も全部は分かっていない。

 それでも、“ここを壊したくない”だけは、もうかなり共有されてしまっている。


 その事実が、最近の湊人には一番重くて、一番ありがたかった。


     ◇


 その日の昼休み、窓際の一角は妙に静かに落ち着いていた。


 日野が購買のパンを半分こぼしながら食べ、

 すばるが「食べ方終わってる」と笑い、

 真白が「机汚すな」と冷たく刺し、

 紬希がティッシュを差し出す。


 たったそれだけの、なんでもない流れ。

 でもその“なんでもなさ”が、今は少し特別だった。


 こういう普通を、最近は前よりちゃんと守ろうとする空気がある。

 誰か一人が頑張るのではなく、五人全員が少しずつ。


「そういえば」

 日野がパンを飲み込みながら言う。

「来週、写真共有会みたいなやつ、ほんとにやるらしい」

「写真共有会って名前ださい」

 真白が言う。

「でも内容は普通に楽しそう」

 すばるが言う。

「文化祭の写真、まだ全部見てないし」

 紬希も小さく頷いた。

「うん」

 そこまでの流れのあと、自然と視線が久瀬へ向く。

 もうみんな、それを隠さなくなりつつあった。


 来られるか。

 大丈夫か。

 今回は普通にそこへいられるか。


 そういう確認を、以前よりずっと自然に、でも以前よりずっと重くしてしまう。


「……たぶん」

 久瀬は苦笑する。

「そこまで大きな行事ではないので」

「その言い方」

 真白が言う。

「今のところ、かなり平和寄りです」

「それは信じていい?」

 すばるが聞く。

「できれば」

「“できます”じゃないのが久瀬くんだよね」

 そこで小さな笑いが起きる。


 その笑いを聞きながら、湊人は思う。

 もうここでは、“何もない顔”の方が不自然なのだ。

 言えないことはある。

 でも、全部なかったことにする段階でもない。


 その中途半端な場所に、今の窓際はちゃんと居場所を作ってしまっている。


     ◇


 放課後、教室の人数が少し減った頃。


 すばるはスマホをいじりながら、ぽつりと言った。

「ねえ」

 真白が「なに」と返す。

「私さ」

「うん」

「たぶんもう、“本人かどうか”だけで悩んでるわけじゃないんだよね」

 その言葉に、教室のこの列だけが少しだけ静まる。


 久瀬も、紬希も、日野も、無意識にそちらを見る。


 すばるは少し照れくさそうに笑った。

「いや、もちろんそれはそれでまだ引っかかってるんだけど」

「うん」

 真白が促す。

「でも最近は、なんていうか」

 言葉を探すように少しだけ視線を上へ向ける。

「普通に、この窓際が変な外側の事情で壊れるの嫌だなって気持ちの方が、前に来てる」

 その一言に、誰もすぐには返さなかった。

 でも、否定もされない。


 日野が最初に小さく笑った。

「それは俺もわかる」

「え、日野まで?」

「だって教室に急にスーツの人来るの、普通に嫌だろ」

 かなり本質だった。

 すばるは少しだけ肩の力を抜く。

「だよね」

「うん」

 日野は頷く。

「なんか、クラスの空気に土足で入ってこられる感じ」

 その言い方に、真白が小さく息を吐いた。

「それ」

 短い。

 でも、かなり強い同意だった。


 紬希も少しだけ視線を落としてから言う。

「私も」

 その声は静かだ。

「全部知りたいわけじゃない。でも、学校の中くらいは、普通でいてほしい」

 その願いは、きっと今の全員に近い。


 秘密そのものを今すぐ暴きたいわけじゃない。

 でも、その秘密のせいでここが壊れるのは嫌だ。

 そこだけが、もうかなり共有されている。


 真白は腕を組んだまま言った。

「結局」

「うん」

 すばるが見る。

「正体とかそのへん、今すぐ全部聞きたいわけじゃないのよ」

「うん」

「でも、アンタが学校で普通にいられなくなるのは嫌」

 まっすぐだった。

 かなり。

 そしてたぶん、今のこの窓際で一番深い言葉でもあった。


 久瀬は、その一言に少しだけ息を止める。

 そうか、と思う。

 やっぱり、そこまで来てしまったのかと。


 誰も正体は知らない。

 でも、自分が守りたいと思っている“学校のこの場所”を、みんなも守りたいと思い始めている。


 それは、かなりうれしい。

 でも同時に、かなり危ない。


 守りたいものが共有された瞬間、それはもう自分だけのものではなくなるからだ。


     ◇


 そのあと、珍しく御門朱莉が教室へ顔を出した。


 それだけで空気が少しだけ変わる。

 彼女はいつだって、学校の中にいるのに少しだけ外の空気をまとっている。


「御門さん」

 すばるが言う。

「なに、珍しい」

「通りかかっただけ」

 そう言いながらも、朱莉の視線は一瞬で窓際の全員を見た。

 そして、その空気の変化もたぶんすぐに読んだのだろう。


「なんか」

 朱莉が言う。

「前より妙に落ち着いてるわね」

「褒めてる?」

 すばるが聞く。

「半分」

「残り半分は?」

「諦め方を覚えた感じ」

 かなり痛いところを突かれる。

 でも、それもまた少しだけ正しい。


「諦めたくはないけど」

 真白が言う。

「全部を今すぐ知るのは、たぶん無理」

「へえ」

 朱莉は少しだけ目を細める。

「じゃあ、何を共有したの?」

 その聞き方は、まるで会議の要点確認みたいで、少しだけ笑いそうになる。

 でも今の窓際には、そのくらいの距離感がちょうどよかったのかもしれない。


 答えたのは紬希だった。

「……学校の中は、守りたいってこと」

 朱莉はほんの少しだけ目を丸くする。

 そのあと、小さく笑った。

「なるほど」

 納得したような声。


「正体はまだ知らない」

 すばるが続ける。

「でも、なんか外のやつでこの辺壊されるの嫌」

「同意」

 日野が言う。

「雑」

 真白が切る。

「でも意味は同じ」

 そこへ湊人は何も言えなかった。


 言葉が出ない。

 出ないのに、胸の中だけがやけに熱い。


 こんなふうに、守りたいものを共有されてしまったら、もう簡単には離れられない。

 秘密を抱えている側の自分の方が、むしろそこへ強く縛られてしまう。


 朱莉はその沈黙を見て、静かに言った。

「じゃあ、もう本格的に次の段階ね」

「次の段階?」

 すばるが聞く。

「ええ」

 朱莉はあっさり頷く。

「秘密の中身を探る段階じゃないの」

「じゃあ何」

 真白が問う。

「秘密の外圧から、学校側をどう守るかって話」

 その一言は、かなり現実的だった。

 そして、かなり正しかった。


     ◇


 放課後、教室がほとんど空になったあと、久瀬は一人で窓際に残っていた。


 特に理由はない。

 でも、すぐに帰るには少しだけ胸の中が重たかった。


 窓の外は、夕方の色へ移り始めている。

 部活へ向かう声、下校する生徒の笑い声、自転車置き場の金属音。

 普通の放課後の音だ。


 なのに、今日の自分には、その普通が少しだけ特別に見える。


 誰も正体を知らない。

 それは変わらない。

 でも、守りたい場所については、もうかなり共有されてしまった。


 すばるは“本人かどうか”より、“困ってるのが嫌”の方へ寄った。

 紬希は“知りたい”より“普通でいてほしい”の方を選んだ。

 真白は問い詰める代わりに、隣にいることを選んだ。

 日野は軽いまま、でもちゃんと“クラスの空気に土足で来るな”と思っていた。

 朱莉は、その全部を見て“次の段階”と言った。


 そこまで来てしまったのだと思う。


「……ほんとに、もう戻れないな」


 独り言が落ちる。


 でも、その“戻れない”を、前ほど悪いことだとも思えない。

 むしろ、ここまで来たからこそ、学校のこの窓際へ対して前よりはっきりとした執着が生まれている。


 だから危ない。

 だから守りたい。


 その両方が、最近はいつも同時にある。


     ◇


 校門へ向かう途中、久瀬はふと違和感を覚えた。


 人の視線だ。

 露骨ではない。

 でも、ただの通行人や保護者とは違う、確認するみたいな視線。


 少し離れた場所。

 校門の外、歩道の向こう側。

 立っているのは、黒っぽいコートを着た男だった。


 年齢は四十代後半くらい。

 スーツではない。

 でも、ただの街の大人とも少し違う。

 立ち方に妙な硬さがある。

 公的機関の人間、あるいはそれに近い種類の匂い。


 男は、こちらと目が合う直前にわずかに視線を逸らした。

 その逸らし方が、逆に“見ていた”ことを証明している。


「……誰だ」


 小さく呟く。

 家側の人間ではない。

 少なくとも相馬たちの系統とは違う。


 もっと別の、もっと説明しづらい重さ。

 そういうものが、校門の外へ新しく立ち始めている気がした。


 その時、少し後ろから御門朱莉の声がした。


「見た?」

 振り返る。

 朱莉も、もう気づいているらしい。


「ええ」

 湊人が答えると、朱莉は小さく息を吐いた。

「家側だけじゃないわね、あれ」

「そう見えますか」

「見える」

 即答だった。

「公的な匂いがする」

 その表現が、あまりにも今の違和感にぴったりで、湊人の背中に冷たいものが走る。


 家柄。

 配信。

 学校生活。

 そこへさらに、もっと外側の何かが近づいてくるのだとしたら――。


「……面倒だな」

 思わず言うと、朱莉が横で笑った。

「今さら?」

「今さらですが」

「じゃあ、次はもっとちゃんと面倒になるわね」

 その言い方は冗談めいているのに、目は笑っていなかった。


 久瀬は校門の外へ視線を戻す。

 もう男の姿はない。

 でも、あの視線の感じだけははっきり残っている。


 秘密はまだ明かされない。

 でも、守りたい場所はもう共有されてしまった。

 そしてそこへ、家側とはまた別の外圧が近づき始めている。


 それはたぶん、次の章で一段大きな揺れになるのだろう。


     ◇


 夜、自室で一人になったあと、久瀬湊人はベッドに腰かけたまま長く息を吐いた。


 今日の窓際の会話。

 共有された“守りたい場所”。

 朱莉の「次の段階」。

 校門の外にいた、公的な匂いのする男。


 学校と、

 配信と、

 家と、

 その外側のもっと大きなもの。


 それらが、少しずつ同じ方向へ寄ってきている気がする。

 まだ正体は知られていない。

 でも、知られないまま守りきれる段階も、そろそろ終わりに近づいているのかもしれない。


「……難易度高すぎるだろ」


 小さく呟く。

 でも、その声は完全な絶望ではなかった。


 窓際の居場所がある。

 待ってくれる人たちがいる。

 壊したくない学校の時間がある。


 それが共有されてしまったからこそ、たぶん次はもっと本気で守らなければならない。


 そしてその“守る”が、もう自分一人だけの問題ではなくなっていることも、今日ではっきりしたのだった。

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