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『学校では地味、配信では人気VTuber、さらに隠し事まである僕の青春ラブコメは最初から難易度が高すぎる』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第55話 校門の外から来る人間は、教室の空気を知らないまま壊しにくる

 月曜の午後、学校という場所は、一度落ち着いた顔をしてからまたざわつく。


 昼休みが終わり、授業が二つ三つ流れて、放課後が近づいてくる頃。

 眠気と倦怠感と、帰り支度への薄い期待が混ざって、空気そのものが少しだけ緩む時間だ。


 その緩みの中で、久瀬湊人は逆に少しずつ神経を尖らせていた。


 理由は簡単だ。

 こういう、“学校が学校らしい無防備さになる時間”に限って、向こう側は平然と近づいてくるからだ。


 先週の金曜は、校門の外で相馬と会った。

 土曜は家側の用件で削られ、月曜はその疲れを教室へ持ち込んだ。

 そして今週も、まだどこかで“確認”が続いている気配がある。


 通知は来ていない。

 でも、それが逆に嫌だった。


 家側が本当に厄介なのは、必要な時にだけ静かに現れるところだ。

 こちらの予定表へわざわざ大きく割り込むのではなく、ちょうど逃げにくい場所を選んでくる。


 学校の近く。

 帰り道。

 放課後の数分。

 教室の空気の外側ぎりぎり。


 そこを知っているみたいに、毎回少しだけ踏み込んでくる。


「……来るなよ」


 誰に向けたともなく、心の中でそう呟く。


 だが、そういう日に限って、嫌な予感は当たる。


     ◇


 その日の窓際は、久しぶりに少し軽かった。


 文化祭も打ち上げも一段落し、重たい話題の山をひとまず越えたからだろう。

 完全に以前のままというわけではないが、少なくとも、会話がいちいち引っかからずに流れる瞬間が増えていた。


「でさ」

 鳴海すばるが言う。

「打ち上げの写真、級長がアルバム作るって」

「仕事早い」

 日野が笑う。

「えら」

「鳴海のテンションが文化祭後もずっと高い」

 真白が刺す。

「だって楽しかったし」

「それはそう」

 紬希が小さく言った。

 その一言に、すばるが嬉しそうに大きく頷く。


 そのやりとりを見ながら、湊人は少しだけ思う。

 やっぱり、この空気はいい。

 ここへ普通に混ざれている時だけ、自分は少しだけ“外側”を忘れられる。


 真白は最近、前ほど苛立ちをそのままぶつけなくなった。

 すばるは、疑いを抱えながらも軽さを失いすぎないようにしている。

 紬希は静かなまま、でも前より確実に近い。

 日野は相変わらずで、それがありがたい。


 そうやってようやく整い始めた空気なのに。

 だからこそ、壊されるのが嫌だった。


「久瀬」

 真白が言う。

「はい」

「今日、昼はちゃんと食べた?」

 唐突だった。

 でも今の真白は、こういう変なところで実務的な心配をする。

「ええ」

「ほんとに?」

「疑い深いですね」

「アンタが信用を削ってるから」

 即答だ。

 そこへすばるが笑いながら入る。

「でも最近の真白、その聞き方ちょっとお母さんっぽい」

「殺すわよ」

「急に物騒」

 日野が吹き出す。

 紬希も小さく笑った。


 この笑いを、湊人は守りたいと思う。

 思ってしまう。

 それが、やっぱり危ない。


     ◇


 五限目の終わり頃、御門朱莉は窓際から外を見ていた。


 別に風景を見る趣味があるわけではない。

 ただ、校門の外へ停まる車の種類には、少しだけ目がいく。


 学校へ来る車には大体、いくつかの分類がある。

 保護者の送迎。

 業者。

 学校関係者。

 時々ある来賓。

 そして、ごくたまに、それらのどれにも見えない静かな車。


 朱莉は、そういう“学校に似合わない静けさ”を見ると、どうしても少しだけ立ち止まってしまう。


「……また」


 小さく呟く。


 黒いセダン。

 前に見たのと似ている。

 目立たない位置。

 でも、ただ停まっているだけではない感じ。


 運転席にはスーツの男。

 助手席には、別の男。

 どちらも、いかにも送り迎えという顔ではない。

 それに何より、“待ち方”が違う。


 誰かを迎えに来た人間は、もっと落ち着かない。

 時間を見るし、スマホも触るし、少しは周囲を見る。

 でもあの二人は違う。

 静かに、ただその場にいる。

 必要なものが現れるのを待つ人間の気配だ。


 その時点で、朱莉の中ではかなり怪しい。


「御門さん?」

 後ろから級友に声をかけられ、朱莉は一度だけ視線を外した。

「何?」

「次、移動教室」

「ああ」

 そうだった。

 いつまでも窓の外を見ているわけにはいかない。

 だが、その黒い車の位置と輪郭は、頭の中へしっかり残った。


     ◇


 放課後、教室の空気はゆるやかに散り始める。


 部活のある人間は先に出る。

 寄り道組は誰と行くかを確認し始める。

 少し残って話す者もいる。

 そんな中で、窓際の五人も、いつものようにゆるくまとまっていた。


「今日は珍しく、誰も急に消えない日?」

 すばるが言う。

「言い方」

 真白が呆れる。

「でもまあ、そうかも」

 日野が笑う。

 そこへ湊人が少しだけ苦笑する。

「僕に向けて言っています?」

「半分」

 すばるが即答する。

「残り半分は誰」

「学校そのもの」

「雑」

 でも、その雑さがありがたい。

 今日は少なくとも、ここまでは普通の放課後だ。


 そう思った時、教室の後ろ扉がノックされた。


 軽いノックではない。

 学校の生徒同士のそれより、少しだけ抑制が利きすぎている音。


「失礼します」

 入ってきたのは、見知らぬ男だった。

 四十代前半くらい。

 スーツ。

 無駄のない姿勢。

 だが、相馬ほど洗練されてはいない。

 もっと“実務”に寄った硬さがある。


 教室の空気が一瞬だけ止まる。


「どなたですか?」

 級長が先に聞く。

 男は教室全体をざっと見渡し、それから言った。

「久瀬さんはいらっしゃいますか」

 その瞬間、湊人の背筋を冷たいものが走る。


 やめてくれ、と思う。

 ここで。

 教室の中で。

 その呼び方で。


 真白がすぐにこちらを見る。

 すばるも紬希も、明らかに空気の変化を拾っている。

 日野だけがまだ状況を飲み込めずにいる顔だが、それでも“何か普通じゃない”ことは分かっているらしい。


「……僕です」

 湊人はできるだけ平らに言う。

 男は小さく一礼した。

「少々、お話を」

「今ですか」

「はい」

 短い。

 嫌な種類の短さだ。


「学校の外でお願いします」

 湊人はすぐに返した。

 そこだけは譲れない。

 すると男は一瞬だけ間を置く。

 その迷い方で、こいつは相馬ほど学校側への配慮を理解していないのだと分かる。


「短く済みます」

「外で」

 今度は少しだけ強く言う。

 教室の空気が、さらにぴんと張る。


 級長が困った顔をしている。

 担任はいない。

 クラスメイトたちは、見知らぬスーツの男と転校生の会話にどう反応していいか分からない。


 最悪だ。

 こういう“学校の空気を知らないまま壊しにくる”感じが、一番最悪だ。


「……では」

 男はようやく頷く。

「校門の外で」

 そう言い残して去っていく。


 扉が閉まる。

 教室の空気が、じわじわとこちらへ寄ってくるのが分かる。


     ◇


 最初に口を開いたのは、やはり真白だった。


「何、あれ」

 低い。

 かなり低い。

 でも怒鳴ってはいない。

 むしろ、抑えている時の声だ。


「学校の外の用件です」

 湊人は短く答える。

「それは見ればわかる」

 真白が切る。

「なんで教室まで来るの」

 それが一番痛い問いだった。


 なんで。

 たぶん、向こうにとってはそれくらい大したことではないからだ。

 学校という空間の繊細さを知らない。

 あるいは、知っていても優先順位が低い。


 すばるが少しだけ青ざめた顔で言う。

「いや、待って。教室にスーツの人入ってきて“久瀬さんは”って、普通にだいぶ怖いんだけど」

「うん」

 紬希も小さく頷く。

 声は小さいが、かなり本音だ。


 日野がようやく口を開く。

「……これ、俺が思ってたより、だいぶ重いやつ?」

 その言い方に、湊人は少しだけ目を閉じたくなる。

 日野にまで、そこまで言わせてしまった。


「ごめん」

 思わずそう言うと、真白がすぐに返した。

「謝る前に、まず行ってこい」

 その一言は、かなり鋭くて、かなりやさしかった。


「でも」

「でもじゃない」

 真白は続ける。

「ここで何か説明しようとしても、たぶん今は無理でしょ」

 そうだ。

 無理だ。

 教室の中で、

 みんなの前で、

 見知らぬスーツの男が来た理由を説明できるほど、自分の状況は単純じゃない。


「……はい」

 湊人は小さく頷く。


 紬希が、少しだけためらってから言う。

「気をつけて」

 短い。

 でも、それだけで十分だった。


 すばるは少し迷ってから、かなり珍しく冗談を言わずに言った。

「戻ってきたら、ちゃんと生きてたって顔して」

 それはたぶん、彼女なりの精一杯の軽さだ。

 真白と紬希のやさしさのあいだで、自分の役割を探した結果の一言。


 日野も頷く。

「なんか、今日は普通にそれ」

 それ、という指示語の雑さが、逆に助かった。


 湊人は四人の顔を見る。

 みんな違う。

 でも、全員が“今のこれは普通じゃない”と理解している。


 そしてその理解の上で、責めるより先に送り出そうとしている。

 それが余計に胸へ来る。


「……行ってきます」

 ほとんど、それしか言えなかった。


     ◇


 校門を出たところで待っていた男は、近くで見るとやはり相馬ほど洗練されていなかった。


「申し訳ありません」

 男は一応そう言った。

 だが、その言い方もどこか形式的だ。

 場を乱したことへの実感が薄い。


「本当にそう思うなら」

 湊人は低く言う。

「教室まで来ないでください」

 男はわずかに目を伏せた。

「急ぎで」

「それが理由になると思っている時点で、学校を知らない」

 かなりきつい言い方だった。

 でも、今日はそれくらいでちょうどよかった。


「……失礼しました」

 男はそこでようやく一歩引いた。

「で」

 湊人が言う。

「要件は」

「家側からの確認です。今後、直接接触の窓口が増える可能性があります」

 その一言で、湊人のこめかみが痛くなる。


「増やさないでください」

「ですが」

「学校の中へは絶対に入れないでください」

 そこだけは強く言う。

 男は少し驚いた顔をした。

「そこまで」

「そこまでです」

 即答した自分に、少しだけ驚く。

 でも本音だった。


 教室の中へ、窓際の空気の中へ、向こう側の事情をこれ以上持ち込みたくない。

 それが今の自分にとってかなり重要になっている。


 男は少しだけ黙ってから、一礼した。

「伝えます」

「必ず」

「はい」

 やりとりは短く終わった。

 でも、その短さの割に、ひどく疲れる会話だった。


     ◇


 教室へ戻ると、もう窓際の空気は完全には元通りではなかった。


 日野はまだ残っていたが、普段ほど気楽ではない。

 すばるはスマホをいじるふりをしながら、かなりこちらを気にしている。

 紬希はまっすぐ見るのを少しだけ避けている。

 真白は逆に、かなりまっすぐ見ていた。


「……大丈夫」

 真白が言う。

 問いではない。

 確認だ。


「はい」

 短く答える。

「本当に?」

 今度はすばる。

「かなり本当に」

「それ信用していい?」

「今日は、たぶん」

 そこまで言うと、真白が小さく息を吐く。

「ならいい」

 でもその“ならいい”は、本当は全然よくないことも含んでいる。


 紬希が小さく聞いた。

「……ああいう人、また来るの?」

 その問いはかなり痛かった。

 でも、今は誤魔化さない方がいい。


「来ないように、言いました」

 それが答えだった。

 絶対来ない、とは言えない。

 でも、来ないように言った。

 それが今の自分にできる精一杯。


 その一言で、四人の表情が少しだけ変わる。


 自分たちを守ろうとしている。

 教室の空気を守ろうとしている。

 そこが伝わってしまったのだろう。


 真白が最初に視線を逸らした。

「……そう」

 短い。

 でも、その“そう”には、少しだけ安堵が混ざっていた。


 すばるは小さく言う。

「本人かどうかとか、そういうの一旦置いといても」

 そこで言葉を切る。

「普通に嫌なんだけど、今の」

 それはかなり本音だった。

 そして、かなり正しかった。


 日野がうなずく。

「うん。俺もそれ」

 紬希も静かに重ねる。

「学校の中には、来てほしくない」

 その言葉で、湊人は少しだけ救われる。

 責められていないからではない。

 “学校の側”の気持ちとして共有されたからだ。


     ◇


 その夜、すばるはベッドに寝転びながら思った。


 もし今日、あのスーツの男が来なかったら。

 たぶん自分たちはまだ、“何か外の顔があるらしい”くらいのふわっとした距離でいられた。


 でも、来た。

 教室まで入ってきた。

 そしてそれだけで、かなりはっきりしたことがある。


 久瀬湊人の抱えているものは、声が似てるとか、外で別の顔があるとか、そういう興味本位の話だけでは済まない。

 ちゃんと、学校の空気を壊しかねない重さがある。


 それが今さらみたいに現実になって、正直かなり怖かった。


 同じ頃、真白は家の机に頬杖をついて思っていた。


 問い詰めたいわけじゃない。

 でも、もう“何となく気になる”では済まないところまで来ている。

 それでも今日、自分が一番強く思ったのは、秘密の正体より先に、あの教室へああいう人間が入ってきてほしくないということだった。


 そして紬希は布団の中で目を閉じながら思う。


 好きになりかけている相手が抱えているものが、自分の想像よりずっと重いのかもしれない。

 でも、重いからといって離れたいとは思えない。

 むしろ、学校の中だけでも少し楽でいてほしいと思ってしまう。


 校門の外から来る人間は、教室の空気を知らないまま壊しにくる。

 その事実は、窓際の五人の距離を、良くない形で、でも確実に一段深くしてしまったのだった。

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