第29話 文化祭準備は、秘密を隠したい人間に向いていない
文化祭準備という言葉には、どうしてあんなに“みんなで何かをやる”圧があるのだろう。
月曜日の放課後、久瀬湊人はホームルームの最後に配られたプリントを眺めながら、本気でそう思っていた。
企画概要。
係分担。
必要物品。
当日シフト。
準備日程。
文字にすればただの予定表なのに、その一枚の中には“誰がどこにいて、誰と何をして、どの時間に何を動かすか”がびっしり詰まっている。つまり、隠し事が多い人間にとっては、かなり相性の悪い紙だ。
学校では地味でいたい。
目立ちたくない。
途中で消える予定があることも多い。
さらに夜には配信や打ち合わせがある。
そういう生活をしている人間に、文化祭準備は向いていない。
なのに、教室の空気はすでに“みんなでやるぞ”の方向へ熱を持ち始めていた。
「で、うちのクラス展示型でほぼ決まりなんだっけ?」
日野がプリントをひらひらさせながら言う。
「そうみたい」
すばるが答える。
「でも装飾とか案内とか、結局やることめっちゃ多いよこれ」
「そりゃ文化祭なんだからそうでしょ」
真白が呆れたように言う。
「“展示なら楽”みたいな顔してたの誰」
「日野」
「即答」
日野が笑う。
紬希は自席で配られた資料をきちんと揃えながら、小さく言った。
「でも、喫茶とか発表よりは、シフトの融通はきくかも」
「それ」
すばるが紬希を指差す。
「今めっちゃ大事なこと言った」
「鳴海、指差しやめなさい」
真白がすぐ切る。
教室には、放課後特有のざわつきがあった。
椅子を少し寄せる音、誰かがペンケースを机へ落とす音、文化祭の話題だけでちょっと浮ついた笑い声。どのクラスでも今日あたりから似たような空気になっているのだろう。
その中で、湊人はできるだけ目立たない位置でいたかった。
だが、そういう日に限って、日野は遠慮がない。
「久瀬は?」
「はい」
「何係やる?」
軽い問い。
でも、この手の“何やる?”は学校生活の中で案外大きい。
「……裏方がよいかと」
とりあえず無難に答える。
すぐに真白が反応した。
「出た」
「何がでしょう」
「アンタ、こういう時だけ全力で裏行こうとする」
「何か問題が?」
「問題はないけど、向いてるかは別」
真白の言い方は相変わらず少し刺す。
でも最近の湊人には、それがただの攻撃ではないことも分かるようになっていた。
「でも実際、裏の方がよくない?」
すばるが言う。
「表に立たせたら逆に目立つし」
「いや、裏でも目立つでしょ」
日野が笑う。
「こいつ、なんか気づいたら仕事まとめてそうだし」
「それ」
真白が頷く。
「そこなのよ」
「どういう意味でしょう」
湊人が聞くと、真白はため息混じりに答えた。
「アンタ、自分から前に出るの嫌いなくせに、人がわちゃわちゃし始めると妙に整理したがるでしょ」
「整理したがる……」
「するじゃん」
「まあ、少しは」
「ほら」
真白が即座に言う。
日野も笑っている。
「久瀬ってそういうとこあるよな。前に出たいわけじゃないのに、結局場を回す側にいる感じ」
そこへ、今まで静かに聞いていた紬希が小さく口を開いた。
「たぶん、困ってる人を放っておけないからじゃないかな」
一瞬、空気がやわらかく静まる。
紬希は言ってから少しだけ視線を落としたが、言葉自体は揺らがなかった。
「誰かが困ってたり、まとまってなかったりすると、自然に動く感じする」
その言い方に、湊人は少しだけ息を詰めた。
そこも見ているのか、と思う。
しかもかなり正確に。
すばるはすぐに乗る。
「わかる。変に“俺がやります!”って感じじゃないのに、気づいたら収まってるやつ」
「言い方」
真白が呆れる。
「でも近い」
「でしょ?」
日野まで頷く。
「だから裏方希望でも、結局リーダーっぽい位置にされる未来見える」
見える。
湊人自身も、それはうっすら分かっていた。
だからこそ、避けたいのだ。
文化祭準備は、ただでさえ人と関わる時間が増える。
放課後の残り時間も増える。
しかも人前での立ち回りや調整役を期待されると、久瀬湊人の“普通”はあっという間に薄くなる。
「……できれば、目立たない役の方が助かるのですが」
少し本音を混ぜて言うと、すばるがすぐに聞く。
「助かるって、誰が?」
「僕が」
「本人都合すぎる」
日野が笑う。
「でもまあ正直」
真白が言った。
「それはちょっと分かる」
「え」
すばるが目を丸くする。
「真白が久瀬に甘い」
「甘くない」
「今のはちょっと甘い」
「現実的なだけ」
真白は腕を組んで続けた。
「目立ちたくない人を無理やり表に立たせても面倒でしょ」
「でもその理屈でいくと、真白も本来は裏方じゃない?」
日野の一言で、今度は真白が少し詰まる。
「私は……」
「顔がいいから表でしょ」
すばるがさらっと言う。
「アンタほんと急に雑なこと言うわよね」
「褒めてるのに」
「褒め方の問題」
教室に笑いが起きる。
その笑いに紛れながら、湊人は少しだけ考える。
文化祭準備。
隠し事が多い自分には向いていない。
でも、それを理由に全部を引いてしまうと、今度は“また急に遠くなる人”になってしまう。
来ると言って、来られない。
いると言って、途中で消える。
その感じを真白もすばるも、そしてきっと紬希も、もう少しずつ感じ始めている。
だからこそ、ここで完全に逃げるのも違う気がした。
◇
係決めは想像通り、すんなり終わらなかった。
意見が割れたわけではない。
むしろ全員がふわっとしていて、だからこそ決まらない。
「装飾系やりたい人ー」
級長の女子が聞く。
数人が手を挙げる。
「じゃあ装飾はその辺ね。案内係は?」
少し減る。
「受付は?」
さらに減る。
「備品管理は?」
誰も手を挙げない。
ある意味、一番文化祭っぽい流れだった。
「そうなるよねえ」
すばるが小さく言う。
「誰もやりたくないやつ最後まで残る」
「人生ってそういうもの」
日野が適当なことを言う。
「急に重い」
真白が言う。
級長が困った顔で周囲を見る。
「えーっと、備品管理、誰か……」
その沈黙が落ちた瞬間、湊人は心の中で嫌な予感がした。
こういう時、たぶん自分は黙っているのが正解なのだ。
なのに、沈黙が長引くと体が先に動きそうになる。
誰かが困っている。
場が止まる。
その状態を、どうにも放っておきづらい。
やめろ。
今、手を挙げるな。
そう思った直後に、別の声が先に上がった。
「久瀬くん向いてそう」
すばるだった。
「鳴海」
真白が低い声を出す。
「何」
「今それ言う?」
「いやだって向いてるじゃん」
「そういう時だけ動くな」
だが、もう遅かった。
何人かが「たしかに」と頷く。
日野まで笑っている。
「まあ、わかる」
「日野まで」
真白が呆れた顔をする。
級長の視線がこちらへ向く。
教室の空気が、軽く一つの方向へ寄る。
ここで全力で拒否すると、逆に浮く。
受けると、確実に仕事が増える。
そして、そういう数秒の迷いを見て、御門朱莉みたいな人間は“この人は引き受け慣れてるけど、隠そうとしてる”と見抜くのだろう。
「……一人では難しいですが」
結局、湊人はそう言ってしまった。
「補佐がいれば、可能かもしれません」
それは断りではない。
でも単独では受けないという線引き。
「うわ」
すばるが嬉しそうに言う。
「出た、うまい返し」
「鳴海、今のは黙ってなさい」
真白が切る。
だが級長はほっとした顔をした。
「じゃあ、久瀬くん備品管理で、誰か一緒にやってくれる人いる?」
数秒の間。
そして、意外なところから手が上がった。
「……私、やる」
真白だった。
教室が少しだけざわつく。
すばるが「えっ」と声を漏らし、日野が面白そうに目を丸くする。
紬希は驚いた顔で真白を見る。
「何その反応」
真白はすぐにむっとした。
「いや、だって」
すばるが言う。
「アンタ、絶対もっと目立つやつ嫌がると思ってた」
「実際嫌」
「じゃあなんで」
「鳴海」
真白は冷たく言い切る。
「アンタが余計なこと言ったからでしょ」
「私のせい!?」
「半分は」
「残り半分は?」
日野が聞く。
「知らない」
でも、その知らないの中身は、たぶん本人も分かっている。
真白は久瀬が一人で抱え込むのを、あまり見たくないのだ。
しかも今の流れで彼が受けるなら、自分が一緒にいた方がまだマシだと判断したのだろう。
それはかなり真白らしい優しさだった。
そして、紬希はその光景を見ながら、小さく胸の奥が揺れるのを感じていた。
ああ、と思う。
やっぱり真白はかなり近い。
そして自分は、そのことに少しざわついてしまう程度には、久瀬湊人を気にしている。
「じゃあ備品管理、久瀬くんと柊坂さんで」
級長が決める。
「あと必要なら補助に何人か入れる感じで」
「はい」
湊人が答える。
その声は落ち着いている。
でもその横顔に、少しだけ諦めと覚悟が混ざったのを、紬希は見てしまった。
やっぱり、この人はこうなる。
前へ出たいわけじゃないのに、結局“困ってる場”を拾ってしまう。
そして、その拾い方がたぶん好きなのだ。
いや、好きというより、好きになってしまいそうなのだ。
◇
文化祭準備の役割がざっくり決まったあと、教室の空気は少しだけ散った。
装飾担当が集まり、受付担当が時間表を見て話し、真白は備品の一覧表をめくっている。
湊人もそこへ加わり、必要物品の分類をざっと整理し始めていた。
「画用紙とテープは別管理の方がいいですね」
「なんで?」
真白が聞く。
「足りなくなった時に、消耗品だけ確認できるので」
「……慣れてるの?」
またその問いだ。
少し前なら、真白はこういう聞き方をあまりしなかった。
最近の彼女は、かなり自然に核心の近くへ触れてくる。
「慣れているというほどでは」
「それ禁止」
「え?」
「その“慣れているというほどでは”って言い方」
真白は一覧表を机へ置く。
「たぶん半分以上できる人の前置きでしょ」
そこへ日野が笑いながら口を挟む。
「それはわかる」
「日野」
「いやでも、久瀬ってそういうの多いじゃん。“無理ではないと思います”とか“できなくはないです”とか」
「それでだいたいちゃんとできる」
すばるまで乗ってくる。
囲まれているな、と湊人は思った。
しかも、悪意のない囲み方だから余計に逃げにくい。
「……文化祭準備は、目立たない裏方のつもりだったんですが」
小さく本音を漏らすと、真白がすぐに返す。
「だから言ったでしょ」
「何を」
「アンタ、結局こうなるって」
その言い方が妙にやさしい。
紬希は少し離れた場所から、そのやりとりを見ていた。
近くに行こうと思えば行ける。
でも今は、少しだけ行きにくい。
真白と久瀬の間には、最近特有の、少しだけ近い空気がある。
それを見ると、自分の胸の内が少しだけ落ち着かなくなる。
だから距離を置こうとする。
でも、気になって見ることはやめられない。
「倉科さん」
不意に、久瀬の声が飛んできた。
「え?」
見られていたのかと思って、少し肩が揺れる。
「もしよろしければ、後で掲示位置だけ一緒に確認してもらえませんか」
「私?」
「はい。見る側の印象も知りたいので」
その一言で、心が少しだけ明るくなる自分がいる。
真白もそのやり取りを聞いていた。
何も言わない。
でも、少しだけ目を細めた気がした。
「……うん」
紬希は小さく頷く。
「わかった」
それだけなのに、呼ばれたことが妙にうれしい。
やっぱりだめだな、と思う。
こういう小さなことでうれしくなる時点で、かなり進んでいる。
◇
放課後の帰り道、紬希は一人で歩きながら、今日一日のことを反芻していた。
文化祭準備。
役割分担。
備品管理になった久瀬と真白。
掲示位置を一緒に見てほしいと頼まれた自分。
そして、その全部を抱えながら気づいてしまった、自分の気持ち。
これはたぶん、もうかなり恋に近い。
久瀬が他の子と近いと少しだけ落ち着かない。
自分に声をかけてもらえるとうれしい。
教室で姿を見つけると、どこかほっとする。
それだけなら、“同級生への恋の入口”として説明がつく。
でもそこへ、アルトがいる。
夜に配信を聞けば、また別の方向から心がやわらかくなる。
遠いはずの推しに、尊敬以上の熱が混ざり始めている。
それなのに、久瀬の声や言葉の置き方が時々そこへ触れてきてしまう。
「……ほんと、反則」
小さく呟く。
好きかもしれない相手が、推しに似ている。
それは、思っていたよりずっとしんどい。
だって、自分が今誰を好きになりかけているのか、どこまでが憧れでどこからが恋なのか、境目が曖昧になるから。
そして、その曖昧さの中で、今日一つだけはっきりしたこともある。
文化祭準備は、久瀬湊人をもっと“クラスの真ん中寄り”へ連れていってしまう。
そうなれば、真白とも自分とも、もっと近くなる時間が増える。
それはうれしい。
でも、たぶんそのぶんだけ苦しくもなる。
好きかもしれない相手が、推しに似ているのは反則だと思う。
でも今の紬希には、その反則の中へ少しずつ踏み込むことしかできなかった。




