第25話 推しを知ってる耳は、思っているより嘘を許さない
鳴海すばるは、自分が面倒くさいオタクであるという自覚を持っている。
それもかなり筋金入りの部類だ。
好きな配信者の切り抜きを繰り返し見るし、声の癖や笑う前の息まで覚えるし、コラボで先輩相手にどう返したかまで、わりと平気で記憶している。
そこまで行くと、もう“推している”というより、“聞いている”に近い。
耳で推している、とでも言えばいいのかもしれない。
だからこそ、一度引っかかった違和感は、そう簡単には消えてくれない。
土曜のカラオケが終わった夜。
アルトの雑談で聞いたあの言葉。
少しだけ、約束を守れたような気がしていて。
あれが、まだ頭から離れなかった。
別にそれだけなら、偶然で済む。
世の中には約束を守ってうれしくなる人なんていくらでもいるし、たまたまその日にそういう話題になることだってある。
でも、鳴海すばるにとって一番引っかかるのは、いつだって“言葉そのもの”より“置き方”だった。
あの少しだけ、の前の呼吸。
約束という単語を強くしすぎず、でも軽くもしない音の落とし方。
うれしかったことを自慢にしないで、聞いている側の温度まで下げない言い回し。
あれが、昼の久瀬湊人と地続きに聞こえてしまったのだ。
「……もうやだ」
ベッドに転がったまま、すばるは枕に顔を押しつけた。
信じたいわけじゃない。
むしろ逆だ。
こんな都合のいい話、本当であってほしくないとすら思う。
だってもし本当に、久瀬湊人が天瀬アルトだったら、いろんな意味でヤバい。
学校での顔も、今までの会話も、全部一気に別の意味を持ち始める。
それは面白い。
でも、面白いだけじゃ済まない。
同じクラスの、ちょっと変な転校生として見ていた相手が、実はずっと推してきた配信者かもしれない――なんて、そんなのはオタクの妄想としては最高でも、現実としてはだいぶ処理に困る。
「……証拠ないし」
自分に言い聞かせるように呟いてから、すばるはスマホを開いた。
開くな。
今日はやめろ。
そう思いながら、指はもう動いている。
天瀬アルトの切り抜きフォルダ。
そこに保存してあるお気に入りの短い動画たち。
さらに、昨日の雑談アーカイブ。
そして頭の中には、学校での久瀬湊人の声がある。
「ほんとに、病気だな私……」
自覚はある。
でも、確かめたくなる。
推しを知ってる耳は、思っているより嘘を許さない。
たとえそれが、嘘だと決まったわけでもない“違和感”であっても。
◇
翌朝、教室へ入った時には、まだ自分の中の整理は終わっていなかった。
いや、整理なんてできていない。
むしろ昨夜の比較のせいで、引っかかりは前より増している。
ただ一つ、決めたことはあった。
決めつけない。
これだけは守る。
オタクは時々、好きすぎるあまりに世界を自分の見たい形へ繋げてしまう。
声が似てる、返しが近い、言葉の温度が同じ――そういう断片だけで「だから同一人物だ!」に飛ぶのは、さすがに暴走だ。
だから、決めつけない。
でも、耳が気づくことまで無理に否定もしない。
それくらいの距離でいようと思った。
「おはよー」
教室へ入ると、日野が前の席から手を上げた。
「おはよ」
返しながら、窓際を見る。
久瀬はもう来ていた。
今日も妙にきちんとした姿勢で席についていて、でも顔は少しだけ眠そうで、なんかもうそこが腹立つくらい“それっぽい”。
真白もいて、こっちはこっちで朝から機嫌が悪いわけでもない顔をしている。
あの二人、最近ほんとに普通にしゃべるよな、とすばるは思う。
最初の頃は、真白が噛みついて、久瀬が少し困って、それで終わっていた。
なのに今は、噛みつき方も返し方も、だいぶ“いつものやつ”になっている。
その空気に、自分や日野や紬希まで自然に混ざるようになっているのも、不思議といえば不思議だった。
席へ着くと、真白がこちらを見た。
「何その顔」
「え?」
「朝から妙に考え込んでる顔」
「そんな顔してた?」
「してる」
即答だった。
久瀬も少しだけ視線を向けてくる。
その“気になるけど踏み込みすぎない”感じもまた、今のすばるにはだいぶ危険だった。
「……ちょっと寝不足」
無難に答える。
「また夜更かし?」
日野が笑う。
「何見てたの。推しか?」
「まあ……ちょっと」
「ちょっとで済む?」
真白が半眼になる。
「済まないかも」
「でしょうね」
そこまでは、いつも通りの流れだった。
でもすばるの中では、昨夜から考えていたことがまだぐるぐるしていた。
今の久瀬の「大丈夫ですか」の抑えた言い方。
さっき真白に返した時の、語尾の少しだけやわらかい落ち方。
似てる。
やっぱり似てる。
でも、じゃあ本人なのかと言われると、そこはまだ違う。
違うはずだ。
そこへ飛ぶには証拠が足りなさすぎる。
足りなさすぎる、はずなのに。
◇
一限目が終わった休み時間。
すばるは、ついに自分でもよくないと思いながら、短い切り抜き動画を一つ再生してしまった。
イヤホンは片耳だけ。
音量は小さめ。
席でこっそり確認する程度。
動画の中のアルトは、コラボ相手の強い振りに対して、少し笑ってからこう返している。
『その言い方ですと、皆さんが少しだけ誤解してしまいますから』
聞いた瞬間、やっぱり背筋がぞわっとした。
この“少しだけ”の置き方。
この、やわらかいのにちゃんと止める感じ。
これを自分は、学校で何度も似た方向で聞いている。
「……だめだって」
小さく呟いて、すばるは動画を止めた。
「何がだめなの?」
真横から声がして、心臓が飛びそうになった。
「うわっ」
見ると、真白が立っていた。
「驚きすぎ」
「いや、急に来ないでよ!」
「ここ私の席の横」
「そうだけど」
真白は呆れた顔で、すばるのスマホをちらりと見る。
「またアルト?」
「うん……」
「飽きないわね」
「飽きるわけないでしょ」
真白はそこで少し黙った。
それから、妙に静かな声で言う。
「まだ気になってるんだ」
「何が」
「似てるってやつ」
すばるはスマホを伏せた。
言うか迷ったが、たぶん真白はすでにだいたい気づいている。
「……気にはなってる」
「へえ」
「でも、別に“本人だ!”って決めつけてるわけじゃないからね」
そこだけは強く言った。
「ただ、耳が引っかかるだけ」
「耳がね」
「そう。耳が」
真白は少しだけ目を細める。
「鳴海ってさ」
「なに」
「たぶん、その手の違和感は当たる方なんでしょ」
意外な言葉だった。
「え」
「だって、アンタそういうのだけ無駄に解像度高いし」
「無駄って何」
「でも、だからって全部をそのまま信じるのも違う」
真白はそう言ってから、デスクの上へ軽く指を置いた。
「私は、似てるとかそういうのはわかんない。でも」
「でも?」
「久瀬が何か隠してる時だけ、変なのはわかる」
そこが、真白らしい。
配信者の声や言い回しではなく、目の前の久瀬湊人そのものの揺れを見る。
そこにすばるは、少しだけ息を吐いた。
「……そっちはそっちで怖いな」
「事実だから」
「でもそれ、最近ちょっと強くなってない?」
「なにが」
「真白の“久瀬観察眼”」
「観察してない」
「してるよ」
「してない」
「してる」
二人で小声の応酬をしていたら、前の席から日野が振り返った。
「何朝から小学生みたいなことしてんの」
「日野は黙ってて」
「怖」
笑いが小さく起きる。
その軽さに少しだけ救われる。
そうだ。
今のところ、この違和感はまだ教室の軽口の範囲だ。
それを超えるかどうかは、自分次第でもある。
だから決めつけない。
でも見ないふりもしない。
すばるはそうやって、自分の中の線を引き直した。
◇
昼休み、窓際。
いつものようにパンと飲み物が並ぶ。
紬希のお弁当箱もそこにある。
最近では、ここに紬希がいるのもかなり自然になってきた。
「そういえば」
日野が言う。
「昨日の文化祭のプリント、みんな見た?」
「見た」
真白が答える。
「うちのクラス、展示寄りになるんだっけ」
「そうそう」
すばるも頷く。
「で、役割分担が来週決まるって」
「裏方希望」
真白が即答する。
「えー」
すばるが不満げな声を出す。
「真白、絶対表にいた方がいいじゃん」
「何その雑な評価」
「だって顔がいいし」
「鳴海、それ褒めてるようで言い方雑」
日野が笑う。
真白は呆れながらストローをくわえた。
「鳴海こそ表に立てば」
「私はオタク側の合いの手担当だから」
「そんな役職ない」
真白が切る。
その流れのまま、すばるの視線は久瀬へ向いた。
「久瀬くんは?」
「何がでしょう」
「文化祭、表と裏どっちが向いてると思う?」
「裏方、では」
「出た」
すばるが笑う。
「自分のことになると一気に控えめ」
「事実かと」
「でもアンタ、人をまとめる側の方が向いてるでしょ」
真白が言う。
「は?」
思わず、すばるは真白を見る。
「そこ即答なんだ」
「だってそうじゃない」
真白は当然みたいな顔で続ける。
「目立つの好きじゃなさそうなのに、調整だけは妙にできるし」
「わかる」
日野もすぐ頷く。
「文化祭ってそういうやつ一番助かる」
「でも本人は絶対やりたがらなさそう」
すばるが言うと、真白が横目で久瀬を見る。
「やりたくないでしょ?」
「……あまり」
「ほら」
「でも向いてる」
紬希が、静かにそう言った。
全員の視線が一度そちらへ向く。
紬希は少しだけ目を伏せるが、言葉は続けた。
「久瀬くんって、誰かが困ってる時に変に騒がないで助ける感じあるから」
「それ」
すばるが思わず身を乗り出した。
「それなんだよなあ」
「何が」
真白が聞く。
「“変に騒がないで助ける感じ”」
すばるは言いながら、自分でも少しだけ苦しくなった。
それ。
まさに、それがアルトっぽいと感じる核心の一つだからだ。
ただ優しいだけじゃない。
助けることを見せびらかさない。
でも、気づいたら場が整っている。
そういうところ。
それを、紬希も別の言葉で感じ取っている。
「鳴海?」
日野が声をかける。
「え?」
「また変なとこで止まってる」
「いや、ちょっと」
「ちょっと何」
真白が聞く。
すばるは一度だけ息を吸った。
本当は言いたくない。
でも、飲み込みすぎると自分だけ変になる。
「……倉科さんの今の表現、めちゃくちゃわかる」
「え」
紬希が少し驚く。
「“変に騒がないで助ける感じ”って、ほんとそう」
すばるはそこで止めた。
本当は、その先に“だからアルトっぽい”がある。
でも今日は、そこまで言わないと決めている。
真白は少しだけこちらを見て、何も言わなかった。
たぶん、その止め方に気づいたのだろう。
紬希は小さく頷いた。
「……うん」
それだけ。
でも、その“うん”の中には、少しだけ深い共感があった。
やっぱり、この静かな子は近いところまで来ている。
すばるはそう思った。
同一人物だと信じているわけではない。
でも、久瀬とアルトの“同じ方向のやさしさ”には、確実に触れている。
そしてそれは、たぶん自分よりずっと静かに、深く。
◇
放課後、自室に戻ったあと、すばるはまたスマホを開いていた。
やめようと思った。
でも結局、また切り抜きフォルダを開いている。
「……本当にだめだって」
言いながら、昨日の雑談切り抜きと、少し前のコラボ返し切り抜きを並べる。
さらに、今日の昼の久瀬の声を頭の中で再生する。
自分でもかなり危ないことをしている自覚はある。
でも、ただ“似てる気がする”のまま放っておくには、耳がもうそこを見つけすぎてしまっている。
それに、今日は少しだけ前進もあった。
真白が言った。
似てるかどうかは分からないけど、久瀬が何か隠してる時だけ変なのは分かる、と。
つまり、この違和感は自分だけの幻覚ではない。
方向は違っても、何かしら“普通じゃない”を拾っている人はいる。
「……でも、それでも本人とは限らないんだよな」
そこが一番厄介だった。
隠し事があることと、天瀬アルトであることはイコールではない。
家の事情かもしれないし、別の何かかもしれない。
むしろ、そっちの方が現実的ですらある。
なのに、声が引っかかる。
返しが引っかかる。
今日の“変に騒がないで助ける感じ”まで重なると、もう偶然の箱に押し込むのが少し難しくなってくる。
すばるはスマホをベッドへ放り、天井を見上げた。
「……決めつけない」
改めて、自分へ言い聞かせる。
「でも、聞こえるものは聞こえる」
それが、今の自分の限界だった。
推しを知ってる耳は、思っているより嘘を許さない。
でも、その耳が聞いた違和感を、そのまま真実扱いするのも違う。
そのあいだで揺れながら、すばるは小さく息を吐いた。
たぶん、これはまだ答えの出ない話だ。
でも、出ないまま放っておけるほど、自分の耳はもう鈍くなかった。




