第24話 お嬢様は、“似ている”より先に“隠している”を見抜く
御門朱莉は、物事を“なんとなく”で済ませるのがあまり好きではない。
好きか嫌いかで言えば、嫌いだ。
人の印象だってそうだ。
雰囲気が変、声がいい、育ちがよさそう、距離感が妙に綺麗――そういうぼんやりした感想で終わらせる人間は多い。けれど朱莉は、そこから一歩だけ先へ進みたくなる。
どこが変なのか。
何が育ちのよさに見えるのか。
どうしてその言葉の置き方になるのか。
そういうものを、自分の中ではっきりさせたい。
だから久瀬湊人という転校生も、最初はただ“地味なくせに何かが合っていない男”くらいの認識だったのに、今ではわりと面倒な観察対象になっていた。
顔がいいとか、声が落ち着いているとか、そういう分かりやすい要素ではない。
もっと細かいところだ。
椅子を引く時に音を立てない。
人とぶつかりそうになった時、謝るより先に相手の逃げ場を作る。
紙を渡す向きが自然すぎる。
目上に対する距離の詰め方が、妙に“知っている側”のそれだ。
しかも厄介なのは、それらを本人が隠そうとしている気配まであることだった。
わざと雑に振る舞っているわけではない。
でも、何かを平らに見せようとしている。
そのせいで逆に、ところどころ不自然に目立つ。
「……感じ悪いわね」
放課後の廊下を歩きながら、朱莉は小さく呟いた。
「見えてるのに言語化しきれないの」
今日の用事は、図書準備室へ置かれた資料の回収だった。
文化祭準備に関連する掲示資料の整理で、生徒会と各クラス代表が少しずつ動き始めている。朱莉はその手の雑務も嫌いではない。むしろ、人がどう動くか見えるから嫌いではない。
角を曲がった先に、目当ての準備室がある。
そして、その少し手前で、ちょうど朱莉は見つけてしまった。
久瀬湊人を。
◇
準備室の前で、湊人は棚の前に立っていた。
片手にクリアファイル、もう片方の手で棚のラベルを確認している。教師に何か頼まれたのだろう。動きに無駄がなく、かといって大げさでもない。その“普通にしているのに整っている感じ”が、やっぱり癪だった。
「へえ」
朱莉が声をかけると、湊人は振り返った。
「御門さん」
「アンタ、よくこういうとこいるわね」
「そうでしょうか」
「そうよ。教室にいるより、頼まれごとしてる時の方がしっくりくる」
少し意地悪く言う。
すると湊人は、ほんの一拍だけ間を置いてから答えた。
「それは褒め言葉として受け取ってよろしいでしょうか」
その返し方。
やっぱり腹が立つ。
「そうやってすぐ曖昧に返すの、癖?」
「曖昧、でしょうか」
「ええ。褒めてるのか刺してるのか、相手に選ばせる言い方」
朱莉は準備室の扉枠に軽く寄りかかった。
「便利でしょ、それ」
「便利に使っているつもりは」
「ないのにできるなら、なおさら面倒ね」
湊人は少しだけ苦笑する。
この苦笑の形も朱莉は気に食わなかった。
困ったふりをしているのではなく、本当に“どう返すのが最適か”を一瞬で探している顔だ。
「今日は何の用?」
「先生に資料を取ってくるよう頼まれまして」
「断らないの」
「断る理由がないので」
「その即答」
朱莉は鼻を鳴らす。
「アンタ、人に仕事振られるの慣れてるでしょ」
「学校では、まだそうでもありません」
「学校では、ね」
そこをわざと拾うと、湊人の目がほんの少しだけ細くなった。
あ、と思う。
今、触れた。
完全なボロではない。
でも、“学校では”という区切りを、本人は少し意識していた。
「御門さんは」
湊人が逆に聞いてくる。
「どうしてそんなに、僕のことを観察なさるんですか」
「気になるから」
朱莉はあっさり答えた。
「曖昧なの嫌いなの」
「僕が、ですか」
「アンタが、というより、アンタの持ってる違和感が」
そう言ってから、朱莉はまっすぐ彼を見る。
「地味にしたいなら、もっと徹底すればいいのに」
湊人は沈黙した。
「立ち方、視線、物の渡し方、引き際。全部ちょっとずつ“知ってる人”なのよ」
「知ってる人」
「場のさばき方とか、上下の距離感とか、そういうの」
朱莉は少しだけ顎を上げた。
「庶民の学校に似合わないの。アンタ」
言ってみると、しっくりきた。
これだ。
朱莉が彼に感じていた違和感の一つは。
育ちのよさ、では言い足りない。
むしろ、“場に対しての身体の使い方を知っている人間”の感じ。
それは配信者かもしれないし、家柄かもしれないし、もっと別の何かかもしれない。
でも少なくとも、“何も知らない普通の転校生”ではない。
「……そう見えるんですね」
湊人の返事は静かだった。
「見える」
朱莉は迷わない。
「しかも厄介なのは、アンタそれを少し隠そうとしてるでしょ」
そこで、はっきりと反応があった。
本当に一瞬だけ。
呼吸の置き方が変わった。
朱莉は心の中で笑う。
当たりだ。
「別に責めてるわけじゃないのよ」
むしろ楽しげに言う。
「誰だって隠したいことくらいあるでしょ。でも」
「でも?」
「隠す時だけ硬くなるの」
その一言で、湊人は完全には否定しなかった。
苦笑と沈黙のあいだみたいな表情になる。
「……御門さんは、鋭いんですね」
「嬉しくない褒め方」
「事実です」
「その“事実です”も便利」
朱莉はそこで体を起こした。
「で、アンタ何隠してるの?」
今度は直球だ。
湊人はさすがに困った顔をした。
それでも、すぐには目を逸らさない。
そのこと自体がまた、どこか育ちを感じさせて腹が立つ。
「言えないことは、あります」
ようやく出てきた答えがそれだった。
「ふうん」
「でも」
「でも?」
「害はないと思います」
その言い方に、朱莉は思わず笑った。
「何それ」
「何でしょう」
「害はない、って。まるで危険人物の自己申告みたい」
「そんなつもりでは」
「知ってる。そういうつもりじゃないから面倒なのよ」
朱莉は少しだけ首を傾げる。
「じゃあ、これだけ教えて」
「何でしょう」
「アンタ、庶民の学校で普通にしてたいの?」
「……はい」
「本気で?」
「できるなら」
「できるなら、ね」
そこも曖昧だ。
でも、その曖昧さの裏にある“本当は簡単じゃない”という感触が、今日はかなり見えた。
たぶん最近、学校の中で何かしら距離が縮まってきているのだろう。
それが彼を少し困らせている。
そこまで読めると、朱莉は逆に少しだけ愉快になった。
「じゃあ頑張りなさいよ」
「え?」
「普通に」
朱莉は資料棚のラベルを見ながら言う。
「でも多分、無理よ」
「なぜでしょう」
「アンタ、自分で思ってるより目立つから」
言い切ると、湊人はほんの少しだけ本気で困った顔をした。
その表情が、さっきまでよりずっと年相応で、少しだけおかしかった。
◇
資料を抱えて準備室を出ると、廊下の端に真白が立っていた。
「……あ」
湊人が小さく声を漏らす。
真白は朱莉と湊人を見比べて、少しだけ眉を寄せた。
「何してるの」
「仕事」
朱莉が答える。
「アンタこそ」
「先生にプリント頼まれた」
真白はそれだけ言ってから、湊人の手元の資料を見る。
「また雑用?」
「そういうわけでは」
「そういうわけでしょ」
真白は呆れたように言う。
「アンタ、こういう時ばっか自然に動くから」
朱莉がそこで小さく笑った。
「でしょ?」
「何が」
真白が警戒する。
「やっぱりアンタも思ってるのね。この人、妙に“知ってる側”っぽいって」
真白の表情が一瞬だけ止まる。
その反応を見て、朱莉は確信する。
なるほど。
真白も、別方向から同じ違和感に触れているのだ。
「……言い方が気に入らない」
真白は少し遅れてそう返した。
「でも、まあ」
「まあ?」
「普通じゃないとは思ってる」
思ってたより、素直に出た。
湊人が横で困った顔をしている。
その困り方が、学校でよく見る“少しだけ追い詰められた久瀬湊人”の顔で、朱莉は少しだけ面白かった。
「二人とも失礼では」
「そう?」
朱莉は言う。
「むしろ、かなり評価してるわよ」
「どういう理屈ですか」
「隠してるのに隠しきれてないの、結構レア」
「褒めてる?」
真白が呆れ気味に言う。
「半分くらい」
「便利ね、その言い方」
「そっちもでしょ」
朱莉は真白を見た。
「アンタ、思ってるよりだいぶ気にしてる顔してるし」
「は?」
「この転校生のこと」
空気がぴたりと止まる。
真白の顔がわずかに赤くなる。
わかりやすすぎる。
しかも本人はそれを隠すのがそこまで得意ではない。
「何言ってんの」
「いや、別に恋してるとかじゃなくても」
「“とか”って何よ」
「言葉尻に引っかからないで」
朱莉は肩をすくめた。
「ただ、気にしてるでしょ。アンタ」
真白は数秒黙ってから、吐き捨てるみたいに言う。
「……変だから」
「理由になってないわね」
「そっちは?」
真白が言い返す。
「アンタだって気にしてるじゃない」
「観察対象としてはね」
「最悪」
「褒め言葉として受け取るわ」
湊人はそのやり取りの真ん中で、だいぶ疲れた顔をしていた。
それが少しだけかわいそうで、でも面白くて、朱莉はさらに言葉を重ねたくなる。
「まあでも」
資料棚にもたれず、今度は素直に彼へ向き直る。
「アンタ、面白いのよ」
「面白い」
「うん。普通になりたそうなのに、普通でいられない感じ」
その言葉に、真白が一瞬だけこちらを見る。
それはたぶん、彼女にとっても刺さる表現だったのだろう。
湊人はしばらく黙ってから、小さく息を吐いた。
「……御門さんは、たぶん敵に回したくないタイプですね」
「褒めてる?」
「事実です」
「それ、ちょっと好き」
「朱莉」
真白が低い声を出す。
「何」
「ややこしくするな」
「してないわよ。まだ」
“まだ”を強調して言うと、湊人の眉が少し動いた。
そう。
まだだ。
まだ朱莉は決定的なものを掴んでいない。
でも、何かを隠していることだけはもうほぼ確信していた。
その何かが配信なのか、家柄なのか、あるいは両方なのかは分からない。
でも、“庶民の学校に自然に溶け込むには、少し知りすぎている人間”であることは間違いない。
◇
家へ戻ったあとも、湊人は御門朱莉の言葉を何度も思い返していた。
隠す時だけ硬くなる。
普通になりたそうなのに、普通でいられない感じ。
アンタ、自分で思ってるより目立つから。
どれも嫌なくらい当たっている。
配信のことを知っている鳴海すばるや倉科紬希に見抜かれるのも厄介だ。
でも、何も知らないまま所作や空気だけで“何か隠してる”と見抜いてくる御門朱莉は、別方向に怖い。
しかも真白まで同じ場にいて、違和感を共有しかけたのが最悪だった。
「……よくない流れだな」
机に向かいながら小さく呟く。
画面の端では、AstraLinkの共有サーバーにこはくの短い書き込みが上がっていた。
今夜は少しだけ短めにするという報告と、最近コメントを拾う余裕が少しずつ増えてきた気がするという、控えめな手応えの言葉。
昼の学校では家柄を疑われ、
夜の配信側では後輩が少しずつ成長し、
その間で自分は普通でいようとしている。
全部が同時に進んでいるのに、どれ一つとして止められない。
朱莉の言葉がまた頭をよぎる。
まだ途中だから。
たしかにその通りだ。
今はまだ、どの違和感も途中だ。
けれど途中だからこそ、怖い。
形になる前の違和感は、小さくて、でもしつこい。
それがいちばん、逃げにくいのかもしれなかった。




