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『学校では地味、配信では人気VTuber、さらに隠し事まである僕の青春ラブコメは最初から難易度が高すぎる』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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124/125

第124話 次に話すと決めた朝、地味男子はいつもより少しだけ静かだった

 眠れなかった。


 目を閉じても、昨日の空き教室の空気が戻ってくる。


 おかえり、と言われたあと。

 誰もすぐには答えを聞かなかった。

 真白は、聞ける顔をしていたのに聞かなかった。

 すばるは、聞きたいことが喉のところまで来ていたはずなのに、飲み込んだ。

 紬希は、ただ静かにこちらを見ていた。

 日野は、いつもの調子で軽く逃げ道を作ってくれた。

 朱莉は、全部を整理したような目で、その場を壊さないように黙っていた。


 だからこそ、苦しかった。


 問い詰められなかったから、逃げられなかった。


 湊人はベッドの上で、ほとんど眠った気のしない体を起こした。


 カーテンの隙間から入る朝の光が、いつもより少しだけ白く見える。

 スマホには通知がいくつか来ていた。

 AstraLinkの業務連絡。

 家側からの確認。

 クラスの連絡。


 けれど、今朝の湊人にとって一番重いのは、どの通知でもなかった。


 今日、話す。


 そのことだけが、胸の中に沈んでいた。


 全部は話せない。

 いや、話してはいけないこともある。

 家のこと。

 久瀬家のこと。

 大財閥の跡取りであること。

 学校へ来ている理由の奥にある、本当の背景。


 そこはまだ、言えない。


 でも、昨日の件についてはもう無理だ。


 駅前の大型ビジョン。

 AstraLinkの告知。

 天瀬アルトのシルエット。

 そして、自分がその場から戻ってきた時の空気。


 あれを見られて、なお何も話さないのは、もう違う。


 真白は言った。


 今日は答えを聞かない。

 でも、次は聞く。

 本人の口から。


 その言葉が、朝になってもずっと耳の奥に残っていた。


「……話すしか、ないな」


 独り言は、部屋の中で思ったより小さく響いた。


 天瀬アルトは、僕です。


 その一文を頭の中で何度も繰り返す。

 言えば、たぶん何かが変わる。

 すばるにとっては推しが同級生になる。

 真白にとっては、隣席の地味男子が画面の向こうの人気配信者になる。

 紬希にとっては、聞いていた声と教室の久瀬湊人が重なる。

 日野にとっても、ただの友人ではなくなる。

 朱莉にとっては、推測していた秘密の一つが確定する。


 変わらないはずがない。


 それでも、話すしかない。


 湊人は制服に袖を通し、鏡の前で一度だけ立ち止まった。


 いつもの地味な高校生。

 普通に見えるよう整えた髪。

 目立たない制服の着方。

 派手さを消した立ち方。


 その奥に、天瀬アルトがいる。


 画面の向こうで、落ち着いた声でコメントを拾い、場を整え、誰かを安心させる顔がある。


 そして、さらにその奥に、まだ話せないものがある。


「……まずは、一つ」


 全部ではなく、一つ。


 今日話すのは、その一つだ。


     ◇


 学校へ向かう道は、いつもより長く感じた。


 駅前を通る時、昨日の大型ビジョンを無意識に見上げてしまう。

 今は別の広告が流れている。

 それだけで少しだけ息が楽になった。


 それでも、あの光景はもう消えない。


 画面に映った天瀬アルトのシルエット。

 それを見上げていたすばるの顔。

 気づいた真白の目。

 黙っていた紬希の横顔。


 自分はもう、ただの地味男子の顔だけではあの場所に戻れない。


 教室の扉の前で、湊人は一度だけ息を吸った。


 開ける。


 朝の教室は、いつものようにざわついていた。

 日野が前の席で鞄から教科書を雑に出している。

 すばるはスマホを伏せたまま、珍しく画面を見ていない。

 真白はすでに席についていて、こちらを見た。

 紬希は窓際で小さくノートを整えている。


 四人の視線が、ほぼ同時に湊人へ向いた。


 それだけで、今日の空気が普通ではないと分かる。


「おはようございます」


 いつも通りに言ったつもりだった。

 けれど、自分でも少し声が硬いと分かった。


「おはよ」


 日野が一番先に返した。

 いつもより少しだけ軽い。

 いや、軽くしようとしている声だった。


「おはよう」

 紬希が静かに言う。

「おはよ」

 すばるも続いた。

 その声は、昨日より少しだけ低い。


 最後に、真白が言った。


「おはよう」


 それだけ。

 でも、その目ははっきりとこちらを見ていた。


 逃げるな。


 声に出さなくても、そう言われている気がした。


 湊人が席へ座ると、日野がわざとらしく伸びをした。


「あー、今日一限なに?」

「現代文」

 真白が答える。

「終わった」

「始まってもいない」

「現代文って、眠い時の破壊力高いだろ」

「眠いのは毎日でしょ」

 すばるが少しだけ笑う。


 そのやりとりは、いつもの窓際に近かった。


 けれど、近いだけだ。

 真ん中に、昨日の答えが置かれている。

 誰もそれを踏まないようにしているだけで、確かにそこにある。


 紬希が、そっと湊人の手元を見た。

 机の上で、指先に力が入っていた。


「久瀬くん」

「はい」

「今日、あまり寝てない?」

 静かな声だった。

 湊人は少しだけ苦笑する。


「……分かりますか」

「うん」

「かなり分かる」

 すばるも小さく言った。

「目元が、なんか仕事明けの配信者みたい」

 言ってから、すばる自身が一瞬だけ固まる。


 その例えが、今はあまりにも近すぎたからだ。


「……ごめん」

「いえ」


 湊人は首を振った。


 これも、今日話す理由の一つだと思った。

 もう、こういう何気ない言葉にみんなが引っかかる。

 本人の前で踏んでいいのか、避けるべきなのか、分からなくなる。


 そんな状態を続けるのは、たぶん誰にとってもよくない。


 真白が短く言う。


「今日、放課後」

「はい」

「逃げないで」

 あまりに直球だった。


 日野が少しだけ眉を上げる。

 すばるは黙る。

 紬希も湊人を見る。


 湊人は、まっすぐ頷いた。


「逃げません」

「本当に?」

「はい」

「“できるだけ”とか“努力します”じゃなくて?」

「逃げません」

 もう一度、言い直した。


 真白は少しだけ目を細めた。

 それから、小さく頷く。


「ならいい」


 その一言に、少しだけ救われる。


     ◇


 一限目も二限目も、湊人の頭にはあまり入ってこなかった。


 板書は取っている。

 先生の声も聞こえている。

 でも、意識の奥ではずっと放課後のことを考えている。


 どこで話すか。

 誰に話すか。

 どう切り出すか。

 どこまで話すか。


 天瀬アルトのことは言う。

 昨日見たものについては、言う。

 大型企画や収録についても、必要な範囲で言う。


 ただし、家のことは言わない。

 まだ。

 そこは、言えない。


 それが卑怯に思えた。


 一つ話すのに、まだ一つ残す。


 でも、全部話せないからといって、何も話さないのはもうもっと卑怯だ。


 昼休みになっても、窓際の会話は少しぎこちなかった。


 日野が購買のパンを出しながら言う。


「なんかさ、今日のこの感じ」

「なに」

 すばるが聞く。

「テスト返却前みたい」

「嫌な例え」

 真白が即座に切る。

「でもちょっと分かる」

 紬希が言う。

「結果は見たいけど、見たくない感じ」

「倉科さんの方が表現的確だった」


 すばるが苦笑した。


 湊人は、その会話を聞きながら弁当箱を開ける。

 箸を持つ。

 けれど、いつもより食が進まない。


 それを見て、真白が言った。


「食べて」

「え」

「今日そういう日だからこそ、食べて」

「……はい」

「話す前に倒れられたら困る」

「そこまででは」

「そこまでじゃなくても食べて」


 逃げ道がない。

 でも、言い方はきついのに、明らかに心配している。


 紬希が自分の飲み物を少し持ち上げて言う。


「水分も」

「はい」

 湊人は素直に頷いた。

「ありがとうございます」


 すばるがその様子を見て、少しだけ笑う。


「なんか、尋問前の体調管理みたいになってる」

「尋問じゃない」

 真白が言う。

「じゃあ何?」

「……聞く時間」

 紬希が小さく言った。


 その言葉で、空気が少しだけ静かになる。


 聞く時間。


 問い詰めるのではなく。

 裁くのでもなく。

 ただ、本人の口から聞く時間。


 日野が、わざと軽く言った。


「じゃあまあ、聞く側も昼飯ちゃんと食っとくか。処理落ちしたら困るし」

「日野はいつも通り食べすぎ」

 すばるが言う。

「今日は頭使うからな」

「使う予定あるんだ」

「あるだろ、たぶん」


 その軽口で、少しだけ空気が戻った。


 湊人は思った。

 やっぱり、ここで話したい。

 この人たちに、ちゃんと話したい。


     ◇


 放課後までの時間は、やけに早く過ぎた。


 ホームルームが終わる。

 クラスメイトたちが立ち上がる。

 鞄を持つ音。

 部活へ向かう声。

 廊下へ流れていく足音。


 その中で、窓際の六人だけがゆっくり残った。


 真白。

 すばる。

 紬希。

 日野。

 朱莉。


 朱莉は、いつの間にか教室の後方にいた。

 驚くほど自然にそこへ立っている。


「場所」

 朱莉が短く言った。

「ここじゃない方がいいわ」

「空き教室?」

 真白が聞く。

「ええ。人が来ないところを使う」

「手配済み?」

 すばるが少し驚いたように言う。

「一応」

「御門さん、こういう時ほんと手際いい」

「褒めてる?」

「かなり」


 朱莉は軽く肩をすくめる。


 湊人は立ち上がり、鞄を持った。

 その瞬間、足が少し重くなる。


 いよいよだ。


 日野が横へ並んで、小さく言った。


「裁判じゃないからな」

「……はい」

「完璧な説明とかしなくていいんじゃね?」

「え」

「言えること言えばいいだろ。言えないことは言えないって言えば」

 その言葉に、湊人は少しだけ息を詰めた。


 日野はいつも、こういう時に軽い顔で一番必要なことを言う。


「ありがとうございます」

「おう」

「その、かなり助かります」

「なら昼飯一口くらい分けてくれてもよかったな」

「今それを」

「冗談だって」


 日野が笑う。

 その笑いで、少しだけ肩の力が抜けた。


     ◇


 空き教室は、校舎の端にあった。


 普段は選択授業や委員会の予備で使われている部屋らしく、机と椅子は少し乱雑に並んでいた。

 朱莉が窓際の机を寄せ、人数分の椅子を軽く整える。


 誰も、正面から湊人を囲むようには座らなかった。


 それがありがたかった。


 真白は少し斜め前。

 すばるはその横で、スマホを机の上に伏せて置いた。

 紬希は湊人の少し近く。

 日野は後ろ気味に座り、あえて大げさに椅子へ背を預けている。

 朱莉は出入口に近い位置。


 逃げ場を塞いでいるようで、圧迫はしない配置だった。


 湊人は、それを見て思った。


 この人たちは、聞く準備をしてくれている。


 真白が最初に言う。


「嘘は要らない」

「はい」

「でも、言えないことは言えないって言って」

「……はい」

「そこを曖昧にされる方が嫌」


 すばるが小さく頷く。


「私も、それでいい」

 彼女の声は少し震えていた。

「たぶん、聞いたらめちゃくちゃ混乱すると思うけど。でも、変にごまかされる方がもっときつい」


 紬希も言った。


「話すなら、ちゃんと聞く」

「……ありがとうございます」

「でも、無理に全部じゃなくていい」

 その言葉は、湊人の胸に静かに入ってくる。


 日野が最後に言う。


「俺はまあ、処理落ちしたらちょっと黙るかも」

「日野」

 真白が低く言う。

「いや、でも正直」

 日野は笑う。

「でも聞くよ。友達だし」


 友達。


 その言葉が、今日はやけに重かった。


 湊人は一度、目を伏せた。

 それから顔を上げる。


「まず」

 声が少しだけ掠れた。

「昨日、皆さんが見たものについて話します」

 誰も口を挟まない。


「駅前の大型ビジョン。AstraLinkの企画告知。そこに映っていた天瀬アルトのことです」


 すばるの指が、机の上で小さく動いた。

 真白はまっすぐこちらを見ている。

 紬希は静かに息を止めていた。


「全部は、話せません」

 湊人は続ける。

「でも、そこについては、もう隠すべきではないと思いました」


 言葉を選びながら、ゆっくり息を吸う。


 ここまで来た。

 もう戻れない。


「天瀬アルトは――」


 その名前を口にした瞬間、すばるの目が揺れた。


 湊人は、その揺れを見た。

 推しを見る目と、同級生を見る目が同時にそこにある。


 胸が痛む。

 でも、ここで止まる方がもっと残酷だ。


 湊人は、静かに言った。


「――僕です」


 空き教室の中から、音が消えた。


 廊下の遠くで誰かが笑う声がした。

 グラウンドから部活の掛け声が聞こえる。

 それなのに、この部屋の中だけは時間が止まったようだった。


 天瀬アルトは、僕です。


 その一文は、思っていたよりずっと短かった。


 けれど、その短い言葉で、これまで守ってきた境界線の一つが、確かにほどけた。

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