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『学校では地味、配信では人気VTuber、さらに隠し事まである僕の青春ラブコメは最初から難易度が高すぎる』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第119話 秘密は、目の前で擦れ違っただけでも“知った側”の心を変えてしまう

 それは、本当に一瞬だった。


 あとから思い返せば、たぶん三秒もなかった。

 人の流れが交差して、

 誰かの肩が視界を塞ぎ、

 駅前のざわめきが一段だけ大きくなり、

 朱莉が男子二人組へ声をかけようとした、その直前。


 真白は、見てしまった。


 顔全部ではない。

 はっきりした姿でもない。

 制服姿でもなければ、教室で見慣れた立ち方そのものでもない。


 帽子。

 マスク。

 私服。

 スタッフに促されて裏導線へ入る、目立たないようにしている一人の人物。


 普通なら見逃す。

 ただの通行人だと思う。

 あるいは、関係者の一人だと思って終わる。


 でも、真白には無理だった。


 歩幅。

 人の流れへぶつからないために、半歩だけ外へ逃がす足の置き方。

 スタッフへ返す時の小さな頷き。

 誰かと接触しそうになった瞬間、先に道を譲るあの一拍。


 それは、学校の廊下で何度も見た動きだった。


 久瀬湊人の動きだった。


「……っ」


 真白は息を呑んだ。

 声にはならなかった。

 でも、隣にいたすばるがすぐに気づいた。


「真白?」

 問いかける声。

 けれど真白は答えられなかった。


 今、見た。

 見てしまった。


 まだ決定打ではない。

 顔を見たわけではない。

 声を聞いたわけでもない。

 それでも、これまで積み重なってきた違和感を、全部まとめて押し込むには十分すぎる断片だった。


 見えかけたものではない。

 今度は、見た。


     ◇


 朱莉は動いた。


 男子二人組が裏導線へ入りかけた瞬間、自然な声で呼び止める。


「そっち、今通り抜けにくいわよ」

「え?」

 一人が振り返る。

 同じ学校の生徒だ。

 顔に見覚えがある程度の相手。


「この先、搬入車が止まってる」

 朱莉は平然と言った。

 実際、少し奥には関係者車両がある。

 嘘ではない。

「メイン側へ戻った方が早い」

「あ、そうなんですか」

「じゃあ戻るか」


 男子二人は素直に向きを変えた。

 それだけで、学校側の流れが一つ逸れる。


 その間に、帽子とマスクの人物はスタッフに促されて、少し奥へ消えた。

 ぎりぎりだった。

 本当にぎりぎり。


 朱莉は表情を変えない。

 だが、胸の奥で小さく息を吐く。


 防げた。

 少なくとも、今の接触は。


 けれど、同時に分かっていた。

 自分一人が防いだところで、見てしまった者がいる。

 視界の端で、真白の表情が変わったのを、朱莉は見逃していなかった。


 あれは、ただ危なかったことに驚いた顔ではない。

 何かを“認識してしまった”顔だ。


「……最悪ね」


 小さく呟く。

 でも今は、そこへ行けない。

 まずは導線を守る。

 感情の整理は、そのあとだ。


     ◇


 すばるは、真白の横顔を見ていた。


 大型ビジョンでもない。

 AstraLinkの告知でもない。

 真白の視線は、裏導線の奥へ向いている。


 そして、その顔が今までと違った。


 疑っている顔ではない。

 迷っている顔でもない。

 もっと先だ。

 見えたものを、まだ心が受け止めきれていない人の顔。


「……真白」

 もう一度、すばるは呼ぶ。

「今」

 真白が小さく言った。

 声がほんの少しだけ掠れている。

「今、いた」


 その一言で、すばるの心臓が大きく跳ねた。


「誰が」

 聞くまでもない。

 でも聞いてしまう。


 真白はすぐには答えなかった。

 答えたら、その瞬間に何かが変わると分かっているような沈黙だった。


 紬希も、日野も、動けない。

 四人の周囲だけ、街のざわめきから少し切り離されたように静かになった。


「……久瀬」

 ようやく出た名前は、音としては小さかった。

 でも、すばるの中では大きすぎるくらい響いた。


「顔、見たの?」

 すばるが聞く。

「見てない」

 真白は即答する。

「じゃあ」

「でも」

 その“でも”で、全部が止まる。


 真白は自分の手を少しだけ握り込んでいた。

 表情はまだ崩していない。

 でも、その目はもう前と同じではなかった。


「動き」

 真白が言う。

「歩き方と、避け方と、頷き方」

 細かい。

 でも、最近の自分たちはそういう細部ばかり拾ってきた。

 だからこそ、その言葉の重さが分かる。


 すばるは、喉の奥が少し乾くのを感じた。


 自分はずっと声や間や癖を拾っていた。

 でも、今日真白が見たのは“学校の久瀬が外の動線へ入っていく断片”だ。

 それは、自分の推測とは別方向から来た、ほぼ決定的な破片だった。


「……ほんとに?」

 日野が小さく言う。

 いつもの軽さはない。

「断定はしない」

 真白が言った。

「まだ」

 その“まだ”が、今までよりずっと重い。


     ◇


 少し離れた位置で、久瀬湊人はスタッフに促されながら裏導線を抜けていた。


 帽子を深くかぶり、マスクをして、視線を必要以上に上げない。

 スタッフが前に立ち、人の流れを見てくれている。

 それでも、背中に冷たいものが走っていた。


 見られたかもしれない。


 確証はない。

 誰かと目が合ったわけでもない。

 名前を呼ばれたわけでもない。

 でも、分かる。


 一瞬、真白の方角から視線が刺さった。

 ただの通行人へ向ける視線ではない。

 何かを拾った人の視線だった。


 そして真白は、そういう時に絶対ごまかさない。


「……まずい」


 声には出さない。

 でも、胸の中でははっきりそう思った。


 完全にバレたわけではない。

 まだ、たぶん。

 でも、真白は何かを見た。

 すばるもおそらく、その反応を見た。

 紬希も、日野も、空気の変化は感じたはずだ。


 秘密はまだ暴かれていない。

 でも、もう“何も見られていない”とは言えない。


 その事実が、現場へ向かう足取りを重くする。


     ◇


 朱莉が戻ってきたのは、数分後だった。


 表面上は落ち着いている。

 だが、真白はその顔を見るなり分かった。

 朱莉も、だいたい察している。


「とりあえず」

 朱莉は言った。

「今の接触は避けた」

 その言葉に、日野がようやく息を吐く。

「助かった、でいいのか?」

「学校側との接触という意味では」

 朱莉は答える。

「でも」

 すばるが言う。

 その先は言わない。

 言わなくても分かる。


 真白が、見た。

 見てしまった。


 朱莉は真白へ視線を向ける。

「どこまで」

 短く聞く。

 さすがに無駄がない。


「顔は見てない」

 真白は答えた。

「声も聞いてない」

「なら?」

「でも、動きは見た」

 朱莉は数秒だけ黙った。

 それから、小さく息を吐く。


「……それ、あなたが一番拾うやつね」

「うん」

 真白は否定しなかった。


 すばるは、そこでまた心臓が重くなる。

 真白がここまで否定しない。

 朱莉も軽く扱わない。

 つまり、もうこれは“気のせいかもね”で戻せる段階ではない。


     ◇


 紬希はずっと黙っていた。


 言葉が出なかった。

 さっき、自分は「戻ってきて」と言った。

 久瀬は「ちゃんと、戻ります」と言った。


 そのすぐあとで、彼が本当に“消える側”へ向かい、

 そして真白がその断片を見てしまった。


 戻ってきて。

 その言葉の重さが、今になって胸の中で膨らんでくる。


 何を見たのかは、紬希には分からない。

 でも、真白の顔を見れば分かる。

 何かが変わった。

 もう、昨日までと同じ距離ではいられない何かが、少しだけ起きてしまった。


「……戻ってくるよね」

 紬希は小さく言った。

 誰に向けたのか分からない。

 自分に言い聞かせたのかもしれない。


 すばるが、少しだけ苦しそうに頷く。

「うん」

 真白は何も言わない。

 でも、その沈黙は“信じていない”ではなかった。

 むしろ、戻ってきた時にどう向き合うかをもう考え始めている沈黙だった。


     ◇


 駅前の大型ビジョンでは、AstraLinkの告知がまた流れていた。


 華やかな文字。

 シルエット。

 次回への期待を煽る演出。

 ファンなら高揚するはずの映像。


 でも、すばるはもう素直に見られなかった。


 推しの供給が目の前にある。

 なのに、胸の中には喜びより先に、今見た真白の顔が残っている。

 そして、裏導線へ消えていったかもしれない久瀬の断片が重なっている。


 目の前で擦れ違っただけ。

 完全に見たわけではない。

 声も聞いていない。

 名前を呼んだわけでもない。


 それでも、知ってしまうことはある。

 見てしまった側の心だけが、先に変わってしまうことがある。


「……もう」

 すばるが小さく呟く。

「戻れないかも」

 その言葉に、真白は少しだけ目を伏せた。


「まだ」

 彼女は言う。

「本人の口からは聞いてない」

 すばるが顔を上げる。

「うん」

「だから、まだ壊さない」

 その声は静かだった。

 でも、かなり強かった。


 見た。

 でも、まだ壊さない。

 本人が戻ってくるまで。

 本人の口から何かを聞くまで。

 少なくとも、自分たちの推測だけで窓際の空気を壊すことはしない。


 真白はそう決めたのだろう。


 秘密は、目の前で擦れ違っただけでも“知った側”の心を変えてしまう。

 そして真白は、変わってしまった心を抱えたまま、それでもまだ、本人が戻ってくる場所を壊さないと決めたのだった。

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