第118話 お嬢様は、それでも残る最後の危険地点へ自分で立つ
御門朱莉は、感情だけで現場へ立つ人間をあまり信用していない。
心配だから行く。
放っておけないから行く。
それ自体は悪くない。
むしろ人としては自然だ。
でも、そういう理由だけで危険地点へ立つと、たいてい視野が狭くなる。
見るべきものではなく、見たいものばかりを追ってしまう。
結果として、止めるべき流れを止め損ねる。
だから朱莉は、自分が今日ここに立つ理由を、感情だけでは組み立てないようにしていた。
危ない場所が一つ残った。
そこが学校側の流れと配信側の裏動線の接点になる。
だったら、そこへ一番向いている人間が先に立つ。
それだけだ。
そう整理しておかないと、今の自分の胸の内側にある微妙な熱まで見えてしまいそうだったからでもある。
「……面倒ね」
行事終盤、班行動の流れから少しだけ外れた位置で、朱莉は小さく呟いた。
街の空気は、夕方へ少しずつ傾いている。
学生の集団がまだ散りきらず、
買い物客が増え始め、
駅前ビジョンのあたりには、あからさまではないが確実に“何かありそうな日”のざわつきが出ていた。
ここから先は、もう偶然頼みではない。
危険地点が見えている以上、そこを見に行くしかない。
◇
学校行事の解散が近づく中で、朱莉は動いた。
班の流れからごく自然に少しだけ距離を取る。
教師の目からは、別に不自然ではない範囲。
スマホを見て、集合時刻の確認をしているようにも見える。
だが実際には、視線の先は一つだった。
駅前メイン通りから一本外れた、あの接続路。
メインを避けた生徒が流れやすく、
配信側の裏動線とも近い、
いちばん事故が起きやすい場所。
朱莉はその入口が見える位置へ、自分の立ち位置を静かに調整した。
近すぎない。
遠すぎない。
双方が視界へ入る位置。
歩きながら、頭の中ではもう盤面しか見ていない。
学校側は、解散直後にばらける。
その中で、駅前ビジョンを見に行くタイプと、混雑を避けて脇道へ入るタイプが出る。
すばるは前者に見えるが、今日は真白が強めに手綱を引いている。
紬希はたぶん真白側へ寄る。
日野は、流れ次第。
久瀬は――。
そこで一瞬だけ、思考が止まる。
今の久瀬はまだ学校側の輪の中にいる。
だが、もう次の顔へ切り替わる直前だ。
つまり最も危ういのは、学校側の彼ではなく、そのあとに裏動線へ入る方の彼だ。
「だから、先に押さえる」
自分へ言い聞かせるみたいに小さく呟く。
◇
一方その頃、窓際の四人もまた、それぞれ別の形で緊張を高めていた。
真白は、表情こそいつも通りに近かったが、視線の動きが少しだけ鋭い。
今日ここから先、誰がどこへ行くかをかなり細かく見ている。
すばるは、大型ビジョンを意識しないようにしているくせに、意識しているのが丸わかりだ。
紬希は、さっきの「戻ってきて」を言ったあとだからか、少し静かな覚悟がある顔をしていた。
日野だけが、表面上はいちばん軽い。
だが、最近の彼は空気の悪化へかなり敏感だ。
「御門さん、どこ行った?」
日野が言う。
真白は少しだけ眉を寄せた。
「動いた」
「だよな」
すばるが小さく息を吐く。
「たぶん、危ない場所」
その一言に、紬希が静かに頷く。
朱莉はああいう時、説明より先に配置を取る。
それが最近はもう、窓際の全員にかなり共有されていた。
◇
朱莉が危険地点へ着いた時、まだ何も起きていなかった。
人の流れはある。
だが、致命的な重なりではない。
学校行事の解散直後にしては、まだ散り方がばらけている方だ。
メイン通りへ吸われる生徒も多い。
いい傾向だ、と一瞬だけ思う。
だが、安心はしない。
こういう時は、少し遅れて危ない流れが来る。
視線を動かす。
メイン通り。
裏動線の入口。
駅方向。
ビジョン前へ集まり始めた人影。
その向こう側に、関係者らしき動きが少しだけ混じっている。
「……来るわね」
小さく言う。
嫌な勘ではない。
もうこれは、盤面の読みとして近かった。
配信側の現地稼働は、メインからほんの少しだけ遅れて裏へ流れる。
学校側の“混んでるからこっちへ行こう”も、同じタイミングで出やすい。
だから、一番危ないのは今から数分後だ。
朱莉は少しだけ立ち位置を変えた。
もし学校側の生徒が流れてきたら、自然に別方向へ誘導できる位置。
もし配信側の人物が見えたら、先に気づける位置。
やることは単純だ。
早く見つけて、早くずらす。
それだけ。
◇
その頃、久瀬湊人は学校側の輪から少しずつ離れ始めていた。
まだ完全には消えていない。
でももう、学校の久瀬湊人のままで居続ける時間は終わりつつある。
紬希の「戻ってきて」は、まだ胸のどこかに残っていた。
だから余計に、足取りが少しだけ重い。
学校側を離れる。
裏導線へ入る。
向こう側の現場へ合流する。
やることは決まっている。
だが今日は、その動線そのものが危険だと分かっているから苦しい。
しかも、朱莉が一番危ない場所へ行った。
真白たちも、たぶんそれぞれに見ている。
学校側の時間と、配信側の時間が、今この街で本当にぶつかりかけている。
「……あと少し」
小さく呟く。
何が“あと少し”なのか、自分でもわからない。
切り替えまでかもしれないし、
危険地点を抜けるまでかもしれないし、
今日一日そのものかもしれない。
◇
裏導線の入口近くで、朱莉は最初の異変を見た。
制服姿の女子三人。
メイン通りの混雑を避けるように、自然な流れでこちらへ寄ってくる。
表情からして、ただの寄り道だ。
悪意はない。
好奇心と流れだけ。
いちばん危ない種類の“偶然”だった。
同時に、配信側らしき人影も奥から動く。
スタッフ一名。
その少し後ろ。
帽子とマスクの人物。
「……ほんとに来た」
朱莉は表情を変えずに、一歩だけ前へ出た。
「ねえ」
制服の女子たちへ向けて、やわらかく声をかける。
急に止めると不自然だ。
だから、あくまで自然に。
「あっ、御門先輩」
一人が気づく。
ちょうどいい。
「そっち、今人の流れ悪いわよ」
朱莉はさらりと言う。
「え、そうなんですか?」
「メイン戻った方が早い」
嘘ではない。
今この瞬間に限っては、ほんとうにその方が安全だ。
三人は顔を見合わせ、少し迷ってから素直に方向を変えた。
ひとまず一つ。
だが、その直後、別の流れが来る。
班行動を終えたらしい男子二人組。
メインを避けて裏へ入ろうとしている。
しかも、向こう側の帽子とマスクの人物は、ちょうどそのタイミングで動き出していた。
朱莉の視線が鋭くなる。
間に合うか。
たぶん、ぎりぎり。
◇
少し離れた位置で、真白もその空気の変化を感じ取っていた。
メイン通りのざわつきとは違う、ピンポイントな張り。
朱莉が動く時の、あの無駄のない歩幅。
そして、視界の端で揺れた帽子の影。
「……来る」
それは、ほとんど反射みたいな声だった。
すばるがすぐにこちらを見る。
「なに」
紬希も息を止める。
日野は笑わなかった。
真白はもう、ただ前を見ていた。
危ない場所。
残った一か所。
そこへ学校側と配信側の流れが、本当に近づいている。
お嬢様は、それでも残る最後の危険地点へ自分で立つ。
そしてその一点に立ったからこそ、次の瞬間、本当に何が来るのかを誰より先に見てしまうのだった。




