第109話 新人ライバーは、学校行事の日に先輩と同じ街へ行くことをまだ知らない
小鳥遊絃葉は、予定表を見る時だけ少し呼吸が浅くなる。
それは昔からだ。
テスト日程。
提出期限。
配信の記念日。
コラボ予定。
学校行事。
大事な日が文字になって並ぶと、まだ起きていないことまで急に現実味を持ち始める。
だから本当は、予定表をじっと見るのはあまり好きではない。
でも、見ないわけにもいかない。
木曜の夜。
自室の机に向かった絃葉は、学校から配布された行事予定の写真と、AstraLink側から来ている大型企画の暫定スケジュールを、ほとんど無意識のうちに並べていた。
学校側は、来週の校外行事。
行き先はまだ最終確定ではないが、街側へ出る流れになる可能性が高い。
配信側は、街頭連動強化を含む大型企画の次段階。
学生層リーチを意識したエリア選定。
現地入り時間は夕方寄り。
そこまで読んで、絃葉の指が止まった。
「……え」
小さく声が漏れる。
もう一度見る。
日付を確認する。
見間違いではない。
同じだ。
学校行事の候補日と、
大型企画の現地稼働候補日が、
同じ日付の上に乗っている。
「うそ……」
思わずそう呟く。
でも、画面は変わらない。
今まで絃葉の中で、学校と配信はぎりぎり別の箱に入っていた。
同じ週に重なることはある。
忙しさが続くこともある。
でも、同じ日に、しかも同じ街へ向かう可能性があるなんて、そこまでは想像していなかった。
胸の奥が、嫌な意味でざわつく。
学校のクラスメイトたち。
先生。
友達。
そして――なぜか、その中でも最初に浮かんだのは久瀬湊人だった。
どうしてこの人が最初に出てくるのか、自分でも少し分からない。
でも最近は、緊張した時や落ち着かない時に思い出す相手として、もうかなり自然な場所に来てしまっている。
「……もし、あの日」
そこまで考えて、すぐに首を振る。
まだ決まったわけじゃない。
学校行事の詳細も、大型企画の最終動線も、確定ではない。
でも、確定ではないからこそ怖い。
偶然の顔をして、全部が同じ日に集まるかもしれないからだ。
◇
翌朝、学校へ向かう足取りは少しだけ重かった。
理由ははっきりしている。
昨日知ってしまった“日付の重なり”が、寝て起きても消えなかったからだ。
学校へ入れば、行事の話は普通に出るだろう。
どこへ行くのか、
持ち物は何か、
班分けはどうなるのか、
そういう、普通の高校生らしい会話が。
でも自分には、その“普通”のすぐ横に、配信側の予定表がもう重なって見えてしまっている。
教室へ入ると、やはりすぐにその話題が出た。
「来週の行事、結局どの辺なんだろうね」
「駅前の方って聞いた」
「えー人多そう」
「班行動ならまだ楽じゃない?」
クラスメイトたちの何気ない会話。
そこへ絃葉はうまく入れなかった。
笑って相づちは打てる。
でも、心の中では別の意味でざわついている。
もし本当に駅前圏なら。
もし同じ日に、AstraLinkの現場が近くで動いていたら。
もし学校の誰かが、思ってもみない形でそこへ触れたら。
そして、もし――。
「絃葉?」
友達に呼ばれて、はっとする。
「え」
「大丈夫? 今日なんか変」
苦笑するしかない。
「ちょっと寝不足」
それ自体は半分本当だった。
昨夜は結局、予定表を見たあとしばらく眠れなかった。
天瀬アルトと同じ現場になるかもしれない嬉しさと、
学校の時間と近づきすぎる怖さが、
両方同時に来てしまったからだ。
◇
昼休み、絃葉は少しだけ一人になりたくて、別棟へ続く渡り廊下まで来ていた。
風が少し通る。
人はいるが、教室よりは静かだ。
こういう場所の方が、自分の考えを整理しやすい。
スマホを開く。
学校側の予定表の写真。
AstraLinkの暫定スケジュール。
もう何度も見たのに、また見てしまう。
「……重なってるよね、やっぱり」
小さく呟く。
確認しても楽にはならない。
でも、見ないと余計に落ち着かない。
「小鳥遊さん」
不意に後ろから声がして、絃葉は肩を揺らした。
振り返る。
久瀬湊人だった。
「あ」
最近、本当にこの一音ばかりだ。
だが、それしか出ないのだから仕方ない。
「こんにちは」
久瀬が言う。
「こんにちは」
返しながら、絃葉は少しだけ自分の呼吸が楽になるのを感じていた。
どうしてだろう、とまた思う。
この人に名前を呼ばれると、少しだけ安心する。
大きな理由はない。
でも、たぶんそれだけで十分だった。
「……今日は」
久瀬が少しだけ言葉を探す。
「また考えごとの顔ですね」
その言い方に、絃葉は小さく笑ってしまう。
「そんなにわかる?」
「少し」
やっぱり、その“少し”がやさしい。
「ちょっと」
絃葉はスマホを軽く持ち直した。
「来週の予定を見てて」
「学校の?」
そこで一瞬、心臓が跳ねる。
どうして学校だと分かったのだろう。
でも、スマホに学校の予定表を映していたのだから当然かもしれない。
「うん」
絃葉は頷く。
「行事の日」
「ええ」
「少し落ち着かなくて」
そこまで言うと、久瀬はほんのわずかに目を細めた。
その変化は小さい。
でも、絃葉にはなぜか少しだけ重く見えた。
「……そうですか」
返事は落ち着いている。
でも、今日のそれはいつもより少しだけ慎重だった。
「久瀬くんも」
絃葉は思わず聞いてしまう。
「来週の行事、気になる?」
本当に何気ない問いとして出したつもりだった。
でも、相手の立場からすると少し危うい質問だったのかもしれない。
久瀬は一瞬だけ黙る。
その沈黙のあとで、小さく答えた。
「……少し」
その“少し”が、今日は妙に引っかかる。
いつもの、やわらかく丸めた“少し”とは少し違う。
もっと慎重で、もっと奥に何かある音。
「そっか」
絃葉はそれ以上聞かなかった。
聞けなかった。
でも、その一言だけで、自分の中の不安が少しだけ別の形へ変わる。
この人も、来週を少し気にしている。
それが自分と同じ理由なのかは分からない。
でも、全然関係ないとも言い切れない。
「大きい予定が重なると」
久瀬が静かに言った。
「まだ何も起きてなくても、少し落ち着かなくなりますし」
その言葉が、まっすぐ入ってくる。
まるで、昨夜の自分のために用意されたみたいに。
「……うん」
絃葉は小さく頷いた。
「今、それ」
「なら、普通です」
また、その言い方。
普通。
大丈夫。
急がせない。
そういう言葉の置き方。
やっぱり、少し似ている。
天瀬アルトのやさしさと。
でも今は、その“似てる”に飛びつくより先に、少しだけ安心したかった。
「ありがとう」
絃葉は言う。
「ちょっと楽になった」
久瀬は少しだけ困ったように笑った。
「それならよかったです」
その返しのあと、少しだけ沈黙が落ちる。
不思議と気まずくはない。
むしろ、その短い静けさごと話しやすいのが、この人らしかった。
◇
教室へ戻ってからも、絃葉はその会話を何度も思い出していた。
大きい予定が重なると、まだ何も起きてなくても少し落ち着かなくなる。
それは本当にその通りだった。
配信の予定。
学校の予定。
その二つが重なるだけで、まだ始まっていない来週が、もう少し苦しくなる。
でも、その“苦しさは普通なんだ”と一度言ってもらえただけで、息がしやすくなったのも本当だった。
「……なんでこんなに話しやすいんだろう」
心の中でそう思う。
アルトへの憧れとは別だ。
でも、別なのに、どこか似たところで安心する。
最近の絃葉の中では、その二つが少しずつ近い場所へ来てしまっている。
◇
帰宅後、AstraLinkの共有チャットに、新しい連絡が入った。
『来週の現地稼働、候補日最終調整中。現時点では先日共有日程を軸に進行予定です』
それを見て、絃葉は本気で小さく息を止めた。
やっぱり、同日の可能性が高い。
学校行事と、
大型企画の現場が。
「……ほんとに?」
呟きながら、スマホを見つめる。
天瀬アルトと同じ現場に立てるかもしれない嬉しさは、もちろんある。
でも今は、それと同じくらい、学校側と近づきすぎる怖さも大きい。
しかも、その怖さの中で、また久瀬の顔が浮かぶ。
来週の行事を少し気にしていた顔。
“少し”と答えた時の、慎重な声。
そこに何があるのか、まだ絃葉には分からない。
新人ライバーは、学校行事の日に先輩と同じ街へ行くことをまだ知らない。
でも、その日付の重なりがただの偶然ではないかもしれないと、少しずつ感じ始めてしまっていた。




