第104話 オタクは、答えが欲しいのに、答えが出るのも怖くなる
鳴海すばるは、知りたい気持ちと知るのが怖い気持ちが、こんなに同時に存在できるのだと最近初めて知った。
前までは単純だった。
推しの新情報が出たら嬉しい。
知らなかった一面が見えたらもっと好きになる。
答え合わせは快感だ。
解像度が上がるほど、推しへの熱も上がる。
でも今、自分が欲しがっている答えは、そういう種類のものではなかった。
天瀬アルトと、
久瀬湊人。
その二人が、もし本当に一つの線で繋がっていたら。
その瞬間、自分の世界の見え方はたぶん大きく変わる。
推しのままで見ていられるだろうか。
学校の窓際の空気を今まで通りで受け取れるだろうか。
あの人の疲れ方も、
優しさも、
少し困ったように笑う癖も、
全部を別の意味で見始めてしまわないだろうか。
その未来が、少し怖かった。
「……やめたい」
夜、自室のベッドに転がりながら、すばるは小さく呟いた。
やめたいのは、推しを見ることではない。
答えを探すことの方だ。
でも、やめられない。
気づいてしまった違和感は、もう前みたいに気のせいへ戻せない。
◇
翌朝、すばるは少しだけぼんやりしたまま教室へ入った。
窓際の空気はいつも通りだ。
日野がだるいことを言い、
真白が切り、
紬希が笑い、
久瀬は静かにそこにいる。
その“いる”だけで、また心が変な動きをする。
推しを見た時の高揚とは違う。
でも、ただのクラスメイトを見る時とも違う。
「おはよ」
少しだけ低めの声で言う。
「おはようございます」
久瀬が返す。
その声を聞いた瞬間、昨夜聞いていたアルトの雑談アーカイブの一場面がまた脳裏に浮かぶ。
だめだ。
ほんとうにだめだ。
「鳴海」
真白が言う。
「なに」
「今日、だいぶひどい顔」
「知ってる」
「何があった」
そこまで聞かれると、もう隠せない。
「……答えが欲しいのに」
すばるは小さく言った。
「うん」
「答えが出るのも怖い」
その一言で、窓際の空気が少しだけ静まる。
日野が最初に「おお」と声を漏らす。
紬希は少しだけ目を伏せた。
真白だけは、思っていたよりすぐ頷いた。
「わかる」
その返しが、今のすばるにはやけに救いだった。
「やっぱり?」
「うん」
真白は続ける。
「今の状態で、もし本当にそうなら」
「うん」
「アンタの中で推しと学校がぶつかる」
「それ」
すばるは即答する。
「まさにそれ」
言葉にされると、余計にはっきりする。
自分が怖いのは、正体そのものより、その正体が分かったあとの自分の感情の方なのだ。
◇
昼休み、すばるは一人で購買の袋を持ちながら、窓際の少し外に立っていた。
少しだけ距離を取ったのは、考えたかったからだ。
ここ最近、自分の中では二つの気持ちがずっと綱引きしている。
知りたい。
かなり。
オタクとして、違和感の答えが欲しい。
もし本当にアルト=久瀬なら、それはそれで自分の人生がひっくり返るレベルの事件だ。
でも、知りたくない。
それも本当だ。
今の窓際の空気は、答えが曖昧だからこそ成立している部分もある気がする。
もし全部が明るみに出たら、真白の厳しさも、紬希の静かな優しさも、日野の軽さも、全部少しずつ意味が変わってしまう。
「……どうすればいいの」
小さく呟いたところで、横から紬希の声がした。
「鳴海さん」
「うわ」
びくっとして顔を上げる。
紬希は小さく苦笑していた。
「びっくりした」
「最近の私、かなり挙動不審だからね……」
「少し」
その“少し”のやさしさがありがたい。
「さっきの」
紬希が言う。
「うん」
「答えが欲しいのに、怖いって話」
「うん」
「わかる気がする」
その言葉に、すばるは少しだけ驚く。
紬希はもっと静かな形で気持ちを抱えるタイプだと思っていたからだ。
「私も」
紬希は続ける。
「全部知れたら楽になるのかなって思う時ある」
「うん」
「でも、知らない今だから保ててるものもある気がする」
それは、すばるの中でまだ言葉になりきっていなかった部分をそのまま形にしていた。
知らない今だから保ててるもの。
たしかにそうだ。
今の自分たちは、疑いと違和感と好意と日常を、曖昧なまま同時に持っている。
それが苦しい。
でも、その曖昧さが壊れた時のことを想像すると、もっと怖い。
「……ありがと」
すばるは小さく言う。
「ちょっと整理できた」
「よかった」
紬希はやわらかく笑った。
◇
放課後、五人で駅まで歩く途中、すばるはふと前を向いたまま言った。
「ねえ」
「なに」
真白が返す。
「私、たぶん」
「うん」
「確かめたいんじゃなくて、覚悟したいのかも」
その一言に、空気が少しだけ変わる。
日野が「覚悟?」と聞く。
紬希は黙って聞いている。
真白だけは少しだけ目を細めた。
「どういう」
「もし本当にそうだった時」
すばるは言う。
「今まで通りじゃいられないの、わかってるから」
それが、今の自分の本音だった。
答えが欲しい。
でも本当は、答えそのものより“答えを受け止める準備”が欲しいのだ。
いきなり事実だけ投げ込まれたら、たぶん自分は推しとしてもクラスメイトとしても、どっちの顔をすればいいか分からなくなる。
「……それ」
真白が言う。
「たぶん、かなり正しい」
その一言に、少しだけ救われる。
日野も「まあ、急に全部来たらしんどいわな」と笑う。
紬希は小さく頷いた。
そして久瀬だけが、少し静かな顔でこちらを見ていた。
その視線の意味を、すばるはまだ読めない。
でも、今はそれでよかった。
オタクは、答えが欲しいのに、答えが出るのも怖くなる。
それはたぶん、“知りたい”が“壊したい”ではないからだ。
今のすばるは、答えより先に、その答えが来ても今の関係を失いきらないための準備を、無意識に求め始めていた。




