第105話 学校では地味、外では王子。その両方を守るには、もう一人では足りない
久瀬湊人は、一人で抱え込むことに向いていないわけではない。
むしろ、かなり向いている方だと思う。
表情を整えるのは得意だ。
言える範囲と言えない範囲を瞬時に分けるのも、昔から染みついている。
必要な時に必要な顔を作ることもできる。
学校では地味な転校生。
外では天瀬アルト。
その切り替えだって、最初の頃に比べればずっと自然になっていた。
だから、今まで何とかやれてきた。
家側の事情も、
配信側の仕事も、
学校生活も、
それぞれ別の箱へ入れて回していれば、少なくとも表面は保てた。
けれど最近、ようやく認めざるを得なくなっている。
一人で抱え込めるのは、箱同士が離れている時だけだ。
同じ街で揺れ始めた今は、もう足りない。
家側の問題が学校へ近づいた時、真白たちが止めた。
配信側の企画が学校近辺へ寄ってきた時、朱莉が盤面を見た。
危ない日を先に出せと、真白が言った。
“平気なふりが多い日”だと、紬希が見抜いた。
推しの違和感から、すばるがずっと何かを拾い続けていた。
日野は軽い顔で、でもいつも一番単純で正しいことを言った。
守ってもらっている。
かなり。
そして、もうそれを“ありがたいけど申し訳ない”だけで片づける段階ではない。
「……一人じゃ、足りないんだよな」
夜、自室で机に肘をつきながら、小さく呟く。
学校では地味。
外では王子。
その両方を守りたい。
でも、守りたいものが二つある時点で、もう“一人で全部どうにかする”は限界なのだろう。
◇
翌朝、教室へ入ると、窓際の空気はいつも通りのようでいて、やはり今までより少し深かった。
日野が朝から「今日乗り切れば明日休み」と意味不明な計算をしていて、
すばるが「毎日その理屈で生きてる」と笑い、
真白が「うるさい」と切って、
紬希が小さく笑う。
その中に、今日も自分が入る。
「おはようございます」
声をかけると、四人がそれぞれ返す。
その温度が、前よりずっと近い。
近いからこそ、今朝の湊人には一つ、もう曖昧にしたくないことがあった。
「少し」
自分から言う。
一瞬で視線が集まる。
最近はもう、それだけで十分通じる。
「共有があります」
そう続けると、日野が「出た、会議ワード」と笑う。
すばるも少しだけ身を乗り出す。
真白は最初からかなり真面目な顔だった。
紬希は静かに待っている。
「次に危ない日」
湊人は言葉を選ぶ。
「うん」
真白が促す。
「来週、木曜の放課後です」
その一言で、窓際の空気がまた少しだけ張る。
「この前言ってたやつ?」
すばるが聞く。
「ええ」
「確定した?」
「かなり近いです」
そう答えてから、少しだけ息を吐く。
ここまでは前から言っていた。
でも今日は、その先まで言うと決めていた。
「場所は」
湊人は続ける。
「駅前圏です」
真白の目が少しだけ細くなる。
日野が「うわ」と言う。
紬希も、小さく息を止めた。
すばるは一瞬だけ本気で固まった。
「駅前圏って」
真白が聞く。
「学校からの帰り導線に、かなり近いです」
そこまで言うと、さすがに教室のこの列だけ空気が重くなる。
でも、それでも今日は続けた。
「あと」
自分の声が少しだけ低くなるのが分かる。
「現場前後、一人になる時間があります」
今までなら、そこは言わなかった。
言えなかった。
でも今日は言った。
真白が少しだけ目を見開く。
すばるも息を止める。
紬希は静かなまま、でもかなりまっすぐこちらを見ていた。
日野だけが、少し遅れて「そこが一番まずいじゃん」と言った。
「ええ」
湊人は頷く。
「だから、前より多く出しておこうと思って」
その一言に、四人の表情が少しずつ変わる。
驚き。
安堵。
少しの緊張。
そして、たぶん少しの嬉しさ。
「……そう」
真白が最初に言った。
短い。
でも、その短さの奥にあるものはかなりやわらかい。
「それなら、だいぶ違う」
その評価は、今の真白にしてはかなり前向きだった。
「うん」
紬希も小さく頷く。
「一人の時間あるって、先にわかるだけで」
そこで少しだけ言葉を探す。
「……心配の仕方が変わる」
その表現が、今の湊人にはひどくありがたかった。
「わかる」
すばるも頷く。
「勘だけでビクビクするより全然いい」
日野が笑う。
「最近の鳴海、ほんとにそのへん素直だな」
「うるさい」
でも、そのやりとりに小さな笑いが起きる。
笑いが起きる。
それだけで少し救われる。
こういう空気を守りたいのだと、改めて思う。
◇
昼休み、朱莉もその共有を聞いた。
「駅前圏」
彼女は短く繰り返す。
「ええ」
「一人の時間あり」
「あります」
「そこまで出たなら上出来」
かなりあっさりした評価だった。
だが朱莉にそう言われると、それなりに意味がある。
「次は」
彼女は続ける。
「何時台か」
やはりそこへ来る。
でも、もう以前ほど身構えなくて済む自分がいた。
「夕方の後半です」
「なら」
朱莉は少し考える。
「学生流動と完全にはズレない」
「ええ」
「面倒」
「かなり」
そう答えると、朱莉は少しだけ口元を緩めた。
「でも前よりマシ」
「何が」
「こっちが“何も知らないまま事故を待つ”形じゃなくなった」
それがたぶん、本質だった。
最近の窓際や朱莉たちは、事情を全部知らない。
でも、何も知らないわけでもなくなった。
その差はきっと大きい。
「アンタ」
朱莉が言う。
「はい」
「ようやく、一人で守るのに限界あるって認め始めたわね」
その言い方に、湊人は少しだけ苦笑した。
「否定できません」
「ならいい」
やはり短い。
でも、その“ならいい”は前より少しだけやわらかかった。
◇
放課後、窓際の五人で駅へ向かう道。
今日の空気は、少し不思議だった。
危ない日の共有をしたのに、ただ重いだけではない。
むしろ前より少しだけ整っている感じがある。
「なんか」
日野が言う。
「今までで一番会議として前進した感ある」
「会議として、って何」
すばるが笑う。
「でもわかる」
真白が言う。
「うん」
紬希も頷く。
たぶん、今までの共有は“今日は危ない”までだった。
でも今日は違う。
場所。
時間帯。
一人になる時間。
そこまで出た。
全部ではない。
それでも、今の自分たちには十分大きい。
「……ありがとうございます」
湊人が言うと、すばるがすぐに返す。
「そこ礼言うとこ?」
「かなり」
「便利ワード禁止」
そう言いながらも、すばるは少しだけ嬉しそうだった。
真白も「礼より、次も同じように出す」と言う。
紬希は静かに笑っていた。
日野は「最近の久瀬、ようやく包囲網を味方として使い始めたな」と適当なことを言う。
でも、その適当さの奥にある意味はたぶん本当だった。
一人で抱え込む限界を、ようやく自分でも認め始めている。
それはたぶん、弱くなったのではない。
守りたいものが増えたから、やり方を変えざるを得なくなっただけだ。
◇
夜、自室。
スマホのメモへ、次の危ない日の情報を整理しながら、湊人は少しだけ思う。
学校では地味。
外では王子。
その両方を守りたい。
でも、その両方を守るには、もう一人では足りない。
それを認めるのは、少し悔しい。
けれど同時に、少しだけ楽でもある。
次に危ない日は、前より多く話す。
その決意が、今日はようやくちゃんと自分の中へ落ちていた。
学校では地味、外では王子。
その両方を守るには、もう一人では足りない。
だからこそ今の湊人は、“守るために少し開示する”側へようやく足を踏み出し始めていた。




