第103話 お嬢様は、“次の事故”を未然に防ぐため、先に会議を始める
御門朱莉は、事故のあとに集まる話し合いが嫌いだった。
正確には、嫌いというより信用していない。
何かが起きたあとで「もっと早く言ってくれれば」とか、
「あの時点で共有されていれば」とか、
そういう言葉が並ぶ場は、だいたい遅い。
遅いからこそ正論がよく響く。
でも、響いたところで壊れたものは戻らない。
だから朱莉は、起きていない事故の前に集まる方を好む。
まだ壊れていない段階で、
まだ引き返せるうちに、
危険の形だけ先に共有しておく。
その方がずっと綺麗だし、ずっと現実的だ。
そして今の久瀬湊人を取り巻く状況は、まさにその“先に会議を始めるべき段階”に来ていた。
学校近くの街で揺れ始めた境界線。
家側と配信側の二方向から来る負荷。
学校生活を守りたいのに、守るための材料がまだ少ない窓際の四人。
そして、何もかも一人で抱え込むには、もう遅すぎる本人。
「……ほんと、遅いくらい」
昼休み、生徒会室から出た朱莉は、小さく呟いた。
今必要なのは、秘密を暴くことではない。
少なくとも、まだ。
今必要なのは、次に危ない日の情報密度を上げることだ。
勘と雰囲気だけで支えるには、もうかなり複雑になっている。
だったら、次の事故の前に会議を始めるしかない。
◇
放課後、二年三組の教室はいつものように少しずつ人が減っていた。
部活組が先に出ていく。
寄り道組が雑談を始める。
その中で、窓際の五人だけは最近ほとんど自然に残るようになっている。
日野が前の席でだらけていて、
すばるがスマホを触りながら何か言いたそうにしていて、
紬希は小さくノートを閉じ、
真白はすでに“何か始まりそうな空気”を読んでいる。
そこへ朱莉が、今日は珍しく最初から隠す気もなく入ってきた。
「なに」
真白がすぐに言う。
「会議」
朱莉は短く返した。
その一言で、日野が吹き出す。
「出た」
すばるも「今日はわかりやすいね」と笑う。
でも、その笑いも完全な冗談ではない。
最近の朱莉が“会議”と言う時は、たいてい本当に必要な時だとみんな知っているからだ。
「何の」
真白が聞く。
「次の事故の前の」
その答えに、窓際の空気が少し静まる。
久瀬だけが、ほんの少しだけ目を細めた。
たぶん、もう半分くらい内容を読んでいる。
だからこそ、朱莉は最初から整理した言葉で入った。
「今のままだと」
彼女は言う。
「次に危ない日が来た時、また勘と雰囲気だけで動くことになる」
「うん」
すばるが頷く。
「それじゃ足りない」
真白もすぐ続く。
そこは最近の窓際でも共有されている認識だった。
「だから」
朱莉は久瀬を見る。
「アンタ、もう少しだけ開示しなさい」
教室のこの列だけ、空気がまた止まる。
「全部じゃない」
朱莉は続ける。
「でも、もう“水曜と金曜が危ないです”だけでは遅い」
「……」
「何時ごろか」
「……」
「どのエリアか」
「……」
「一人になる時間帯があるか」
そこまで言って、少しだけ間を置いた。
「少なくとも、そのくらい」
それはかなり現実的で、かなり厳しい要求だった。
でも、同時にかなり妥当でもあった。
◇
最初に口を開いたのは、意外にも日野だった。
「いや、でもさ」
「なに」
朱莉が返す。
「それ、たしかに必要かも」
最近の日野は、雑に見えて時々すごく核心へ触る。
「この前みたいに“近かった”だけ持ち帰るの、たしかにきつい」
「それ」
すばるがすぐに乗る。
「ほんとそれ」
紬希も小さく頷いた。
「うん」
真白は腕を組んだまま、まっすぐ久瀬を見る。
「私もそう思う」
そこまで来ると、教室のこの一角の意見はかなり揃っていた。
秘密の中身は聞かない。
でも、危ない日の情報はもう少し前へ出してほしい。
そうでなければ、次のニアミスで本当に何かが壊れるかもしれない。
久瀬はしばらく黙っていた。
その沈黙は、拒否ではない。
たぶん計っているのだ。
どこまでなら言えるのか、
どこから先が危険なのか、
その線を自分でも探している。
「……どのくらいまでなら」
ようやく出たのは、その問いだった。
それが出た時点で、朱莉は少しだけ肩の力を抜く。
ゼロではない。
考える側へ入った。
それで十分、前進だ。
「まず」
朱莉は即答した。
「時間帯」
「……はい」
「次に場所の粒度」
「粒度?」
すばるが聞く。
「住所までいらない」
朱莉は言う。
「でも“学校近辺”“駅前圏”“別エリア”くらいは必要」
「あー」
日野が頷く。
「それならたしかに」
「あと」
真白が補足する。
「終わったあとの連絡、遅くなるかもじゃなくて、最初から“何時以降”で言えるならそっち」
その実務感がすごい。
でも、最近の真白は本当にそこへ強くなった。
「一人になる時間」
紬希が静かに言った。
「そこも知りたい」
全員が少しだけ彼女を見る。
その言葉は小さい。
でも、かなり大事だった。
「移動の時とか」
紬希は続ける。
「現場の前後とか」
「一番危ないのそこかも」
すばるが言う。
「うん」
真白も頷く。
久瀬はそれを聞いて、少しだけ目を伏せた。
そこが一番言いづらい場所なのだろう。
だからこそ、今ここで出しておいた方がいい。
◇
「……わかりました」
数秒の沈黙のあと、久瀬が言った。
短いが、はっきりしていた。
「次からは」
「うん」
「危ない日については、時間帯とエリアくらいまでは出します」
その答えに、窓際の空気が少しだけやわらぐ。
「一人の時間も?」
真白が聞く。
容赦がない。
でも必要だ。
久瀬は少しだけ苦笑した。
「言える範囲で」
「その“言える範囲で”を広げろって話してる」
すばるがすぐに言う。
その返しに、日野が笑う。
「最近の鳴海、ほんとそういうとこ鋭い」
「オタクは詳細が欲しい生き物なので」
「変な方向に使うな」
真白が切る。
紬希が少しだけ笑った。
その笑いで、張っていた空気が少し戻る。
でも中身は戻らない。
今のやりとりで、久瀬は確実に一歩だけ開示側へ寄った。
それはたぶん、今後の窓際にとってかなり大きい。
「あと」
朱莉が最後に言う。
「これは念のため」
「なに」
日野が聞く。
「今後、学校近くで現場がある日は」
少しだけ目を細める。
「“偶然近くにいました”が成立しないように動きなさい」
その一言に、すばるが「うわ」と言った。
真白はすぐ理解した顔をする。
紬希は少し遅れて頷く。
日野だけが「どういう意味?」と首を傾げた。
「要するに」
真白が代わりに言う。
「近くに行くなら、行く理由をちゃんと作れってこと」
「なるほど」
「偶然は一番危ない」
朱莉が続ける。
「見つかる時は、たいてい偶然の顔をして来るから」
その言葉は、嫌なくらい本質だった。
◇
その日の帰り道、五人の空気はいつもより少し静かだった。
重いわけではない。
でも、“次からはもう少し開示する”と久瀬が言ったことの意味を、みんな少しずつ噛みしめている感じがある。
「会議だったね」
すばるが言う。
「会議だったな」
日野が笑う。
「でも必要」
紬希が小さく言った。
真白は短く頷く。
「うん」
そして久瀬は、少しだけ目を伏せたあとで言った。
「……ありがとうございます」
その礼は、今日はかなり本音だった。
秘密を守るための会議ではない。
日常を守るための会議だ。
そのことが、今の自分にはひどく大きかったのだろう。
お嬢様は、“次の事故”を未然に防ぐため、先に会議を始める。
そしてその会議は、秘密を暴くためではなく、秘密ごと日常を守るためのものへ変わっていくのだった。




