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第57話・混沌たる邪悪



 眩い光が収まり、少し長い沈黙が流れる。

 何が起こったか、この場の誰もそれを理解する者はいない。


 ただ、一人を除いて――


「……そうか」


 僕の目の前で奴は膝から崩れ落ちると、そう短くつぶやく。


「もう、いいのか」


 不思議と、奴は憑き物が取れたような晴れ晴れしい顔をしたまま笑みを浮かべ洞窟の天井を眺めていた。


「あーあ、こうなっちゃったか……」


 だが、一方で近くで表情の悟れない魔王の本は相変わらず他人の神経を逆なでする声色で奴を観察していた。

 次の瞬間、僕たちの体にかかっていた重力が全て解除される。


「な、なんのつもり?」


 状況がいまいちつかめず困惑する僕たちをよそに彼は口を開く。


「息子に会えた。一言だけだが、話せもした」

「僕に転生させるんじゃなかったのか?」

「もう、いいと言っていた。だったら、俺ももういいんだ。君の中で息子は生き続けている」

「息子って、やっぱりあいつが……」


 僕の中にいた雪原の荒野に佇む僕と瓜二つの男。

 あれが、本当に目の前の男の息子だとすれば、先の僕の急な気絶も説明がつく。


「それで、どうするんだ?」

「この男の罪もまとめて自首する。この本には治癒の魔法もあるから、タキオンにまだ息があるなら救おう」

「……いいのか?」


 こちらとしてもその方が助かるが、あまりの潔さに少し毒気が抜かれて来た。

 それほど、息子が彼にとって大きな存在だったのだろう。


(一言、話せたって言うのも大きいかな)


 その姿はおばあちゃんと最後の言葉を交わせなかった僕には少し眩しく映った。


「ああ、この体を乗っ取った時から最後はそうしようと思っていた。それが、自分がやろうとしたことへのケジメだとな」

「そうか、そうだよな。ケジメは大事だもんな……なら、さっさとタキオンを直してやってくれ」


 まだ、タキオンの魔力の反応は感じる。

 なぜか止血は済んでいたのか、ギリギリの瀬戸際で生きていたらしい。


 だが、これで全て丸く収まる。


 これで、終わりだ――


「それだと、私が困るんだよねえ」


 耳に残る邪悪な声。


阿歩炉(アポロ)!!」


 それと同時に彼は自身の息子の名前を呼びながら僕を押し出す。

 次の瞬間に、目の前で鮮血が散った。


「なんの、つもりだ……」

「君ならそうすると思ってね。別人とはいえ限りなく同じなんだ嫌でも庇うだろ」


 目を疑う光景がそこにはあった。

 さっきまで奴に従順に従ってきたはずの本が反旗を翻し、伸びた触手が身を貫いていたのだから


「ガハっ」

「お前!!」


 間違いない致命傷だ。

 とてつもない出血量と共にその場に崩れ落ちる奴を僕は抱き寄せた。


 レインボーソードも同時に振るうがふよふよと本は浮き上がり容易に回避されてしまう。


「忘れちゃったのかな。私のことを、あんなに熱烈に殺してあげたのに」

「だ、れだ……」

無涅(むね) 彼岸(ひがん)。名前を明かせば、自分の死の前後の記憶も思い出せるんじゃないのかな。影山くん」


 アンルーフの体に入った影山と呼ばれる男は、目の前の本に住む”何か”に名前を明かされた途端に青い顔が赤く染まる。


「貴様!ゴホッガハッ……阿歩炉を洗脳しただけでは足らず!!ここまでの外道を繰り返すか!!」

「はいはい。そう言うのいいんで、場は十分盛り上がったので前座はとっとと舞台から降りてくださいね~」

「ふざけるな!クソ外道!!」


 激昂と共に立ち上がろうとするもよろけるばかりで、口で奴は応戦し続けた。

 文脈から察するに、この本こそが全ての元凶という事ではないか。


「もう、黙れ本!!『”風”よ。我が掌より、横1㎜、高さ30㎝、縦5㎝の刃となって直進せよ!』」

「無駄無駄『提唱(プリンピキア)幻想打ち消す神の奇跡フレイザー・イルルシオ』」


 奴の手から離れたというのに、容易に本単体で魔法を使い風の刃は最初からなかったかのように空に消えた。


「『提唱(プリンピキア)絶望斥く神の奇跡(シャルル・クーロン)』」

「離され、るッ!!」

「アポロ!」


 それに続いて、斥ける魔法も詠唱し男を庇っていた僕を吹き飛ばす。

 かなりの勢いで吹き飛ばされたせいか、数度転がりアフェにキャッチされて何とか止まることができた。


「ありが……ッ!?」


 感謝を伝えようとする間もなく、目の前でとんでもない事が起こっていた。


 ――本が人を食っている。


 いや、本来はありえない状態だが、白紙のページにアンルーフを取り込もうとする瞬間はそうとしか形容できなかった。

 目を閉じて聞き澄ましてみれば、咀嚼音すら聞こえたかもしれない。


「うぷ。ふぅ、不味いわね。味感じないけど……さて、こんな使い勝手の悪い体からもおさらばしましょうかね」


 数秒とかからずアンルーフの肉体は易々と取り込まれてしまった。


「『提唱(プリンピキア)生誕許し神の奇跡(ダーウィン・オリジン)』」


 次の瞬間――本に肉が出来た、骨が伸びた、臓器が生まれた。

 その数秒後には魔王の本は肉に取り込まれ、皮によって隠され姿を消す。


 すなわち、目の前で人間が生まれたのだ。


「か、体を作った!?」

「疑似的な死者蘇生よ。連発は流石に厳しいけれどね。うーん、何千年ぶりかしら肉の体は、いい気分ね。服は……これでいいわね」


 軽い背伸びと同時にアンルーフがさっきまで着ていた服を羽織る。


 あの本が受肉した。

 これは、相当にマズい事なのは言うまでもないが、それよりも一刻の猶予もない事がある。


「ファナさん!タキオンの治療を……」

「ああ、あの子もそろそろ楽にしてあげないとですね。『提唱(プリンピキア)次元切り拓く神の奇跡アリストテレス・ディメンション』」


 制止の声を出す間も、タキオンが声を上げる間もなかった。


 無涅(むね) 彼岸(ひがん)と名乗った女は一切の躊躇なく魔法を放ちタキオンの残った上半身と命をこの世から永遠に失わせたのだ。


「さあ、始めましょう。最終ラウンドよ!!」

無涅(むね) 彼岸(ひがん)ッッ!!」


 もう、許す余地もない。

 目の前の邪悪を前にして、対話の可能性はないと確信した。


 ゆえに、これから僕が彼女に容赦することは一切ないだろう。


 最終ラウンドのコングが鳴り響いた。



次回、転換編ラストバトル!

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