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第56話・第三ラウンド――ノックアウト



 イージスたちが決着をつけたのを察して笑みを浮かべながら僕は再び目の前の敵に集中しだす。


 泥水のプールに奴を引きずり込むことには成功した。


(これで、ほぼ勝ちのはず……なんだけど)


 原則、奴が魔法使いである以上はどれだけ短くとも詠唱をしなければ魔法は発動しない。

 水の中は魔法使いや魔術師にとって絶対的な天敵となる。


 ただ、僕にはこの状況でも妙な胸騒ぎがあった。


「何か見落としているのか……いや、今は『”風”よ。我が足先を中心に深さ20㎝先から横2m、深さ5m、縦10mの水をかき混ぜろ』」


 奴は力のベクトルを操れる。

 だが、こうやってかき混ぜてしまえば自身の向いている方向すらわからないだろう。


 もちろん、ベラルトさんもかき混ぜられるがあの人がこの程度の渦に負けるわけがない。


(魔力?)


 奴が身体強化でも使うのか――刹那の間だけそう思考した。

 ただ、それにしては魔力が一部に集中しているし、お粗末としか思えない。


 その瞬間、泥水のプールから影が一つ浮かび上がってくる。


「やあ」

「本が、飛んで喋っただと……」


 紛れもない、この禍々しい気配は奴の手元にあった魔王の魔法書だ。


 目を疑いたくなるが、間違いなくこの本は自力で浮き上がり、目の前で喋っている。

 それも、聞いただけですぐ様この本を破壊したくなるくらいの嫌悪感を放つ邪悪な声で


「『提唱(プリンピキア)重責圧し潰す神の奇跡(ニュートン・ジー)』」

「うぐっ……ぅ」


 次の瞬間には、本が自分で詠唱し魔法を発動させていた。

 それにより、今までとは圧倒的に違う重力が僕を軽いクレーターが出来てしまうほどの力で叩き潰す。


(動けない。魔力で相殺とかの次元じゃないぞこれ……!)

「ノックアウトーなんてね。この距離ならもう逃げられないよ。後は、不甲斐ない持ち主を助けに行こうか」

「や、めろぉッ……」


 そんな制止の言葉が届くはずもなく、伸ばした手もすぐ地面に叩き落とされる。


(どうする、奥の手を切るか……いや、ダメだ。ここで発動させたら僕はともかくベラルトさんごと殺してしまう)


 思考の遅延。

 どうにもできないまま、本は再び空中で魔力を解放する。


「『提唱(プリンピキア)幻想打ち消す神の奇跡フレイザー・イルルシオ』」


 その時、奴とベラルトさんを飲み込んでいた泥水と渦がまるで最初からなかったかのように水滴一つ残さず消える。


「なんだ、それ」

「あらゆる魔法や魔術を消滅させる最強の後だし呪文だ。精密すぎて俺じゃ発動できないがな」


 それと同時に全く濡れていない奴が底から立ち上がり、本も手元に納まる。

 だが、そこはまだベラルトさんの間合いだ。


「オレを忘れたか!!」

「忘れるはずがないだろう。濁流の中でのパンチは効いたぞ!『提唱(プリンピキア)希望引き寄せる(アイザック・)神の奇跡(クーロン)』『提唱(プリンピキア)絶望斥く神の奇跡(シャルル・クーロン)』」


 しかし、既に濁流から出た今、奴に制約はない。

 魔法の詠唱と共に、ベラルトさんの進行が止まった。


 斥ける力、引き寄せる力でサンドイッチのように押しつぶされているのだ。


「押しつぶすつもりだったが、一体どんな力しているんだ。しかも、徐々に近づいて来てる……」

「ふんぬぅ!!」

「まあ、俺は時間さえ稼げればそれでいいがな。『提唱(プリンピキア)天空へ導く神の奇跡アルキメデス・エウレーカ』」


 そう告げて、奴はベラルトさんに一瞥した後に斥力、引力、重力、そして最後は浮力を操り5mの穴を飛び越えて来た。


「やっと、この時が来た……俺の息子を取り戻せる日が」


 目の前に立つ男の狂気は役目を終えたのか鳴りを潜めている。


 ならば、危険ではないかと言えるはずもなく特に隣でとんでもないくらい禍々しい魔力を放つ本から目を離せない。


「アポロ!?ッ、やめなさい!!」

「出力最大!『”提唱(プリンピキア)重責圧し潰す神の奇跡(ニュートン・ジー)』」


 ベラルトさんも動けず、僕も倒れ伏し、そんな現状を見て他のみんなも駆け出すが、すぐさま重力によって地面に叩き落とされた。


 アフェもギリギリまで這って来ようとするが、近づけば近づくほど力を増す重力の影響ですぐ倒れ伏してしまう。


「始めろ」

「了解でーす」


 そう奴が告げると、本は軽口で返し膨大な魔力を纏って地に伏す僕の前に降りてくる。


(in)めに、(principio)神は(creavit)天と(Deus)地を(caelum)創造した(et terram)


 声ではなく文字として僕の目の前に現れる。

 多くの人間はこの言語を知らない――たが、この場で僕だけはそれを知っていた。


「その、詠唱は……」


 嫌な予感。

 ただ、相手の狙いが僕の体への転生なら、予想は外れている可能性が高い。


(in)めに言(principio)(erat)あった。(Verbum,)(et)は神と(Verbum)(erat)にあった。(apud Deum,)言は神(et Deus)(erat)あった(Verbum)

「いや、違う!?」


 続く二節目で僕の知る物とは違うことにはわかった。

 やはり、これは転生のための詠唱だ。


(こうなったら、自爆覚悟で……)

「動くな。余計な真似をするな。終わるまで、じっとしろ。さもなくば、君の仲間たちは……これ以上は言う必要はないな」

「くっ」


 全員が人質に取られている現状。

 余計な動きをすれば、本当にやられかねないし、今のこいつなら人の一人や二人暗いは容易に手にかけそうな覇気があった。


肉の(Seminatur )体で(corpus)蒔かれ、(animale,)霊の(surget)体で(corpus)蘇る(spiritale)

「終わりだ」

「やめて、やめなさい!やめてよ!!」


 その時、後ろから怒号が飛ぶ。

 この重力下では口を開くのですらかなり辛いはずだというのに、アフェは体全身を軋ませながら全力で叫んだ。


「やめて!!あたしからアポロを奪わないで……」

「……」


 その姿を見て、奴は視線を一瞬伏せて本に告げた。


「やれ」

「ダメッ、アポロ!!」

「『輪廻転生(レズレクティオ)』」


 薄い薄氷のような光が辺りを包んだ。


 それと同時に本から伸びてくる二本の腕に重力下で動けない僕の頭ががっしりと強く掴まれたと思えば耳元に声が響く。


『今こそ一つに』


 それを、最後に僕の意識は――




 ***




 雪原の荒野。

 再び、そこに訪れた僕はその中心で墓標に腰を掛けるカゲヤマと相対していた。


 だが、声をかけようとしたその時――


『さっさと帰れ!』

「ぐふっ……!」


 出会い際に不意打ちのドロップキックが僕の顔面に突き刺さる。

 その痛みと共に僕は現実に帰って来た。


『もういいんだよ。父さん』


 そんな言葉が胸に響くと同時に、目の前には愕然とした表情で膝から崩れ落ちる奴の姿があった。



アポロ敗北?

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