502、木の屑
(14……13……12……11……)
カツンッカツンッと硬い床を叩く硬い靴底。黒く光沢のあるヒールを履き、心の中で数字を唱えながら目的の場所に向けて歩く女性。数字を1つずつ下げて唱える様子から秒数であることが分かる。
5秒前に扉の前に付き、0秒で扉を開ける。そこには敷地内に入って出入り口に歩いてくる3人の姿があった。
図ったように開いた扉に気付いて立ち止まり、扉を凝視するレナールとブリジット、そしてクラウディア。姿を見せたのは20代後半の美しい女性。肩に流れる艶やかな黒髪と理知的な印象を与える眼鏡が特徴的。長身且つ良好なスタイルを強調するように、肌に張り付くようなピチピチのビジネススーツを着込んだ女性は握っていた取っ手から手を放し、一歩前に出てお辞儀をする。
「時間通りお越しくださり恐縮致します。オドル様がお待ちでございます。どうぞ中へ」
開けた状態を保持し、3人を中へと誘導する。それに応えるようにクラウディアが率先して館へと歩き出す。
「これはご親切に。わたくしはクラウディア。クラウディア=ファルシオンと申しますわ」
「存じ上げております。七元徳のお一人、『救済』のクラウディア様。そしてご無礼をお許しくださいませ。オドル様のご命令で『節制』のアドニス様のみ謁見出来ませんことを深くお詫びしたく……」
「大丈夫ですのよ。そんなに気になさらなくても」
「ありがとうございます。寛大なお心に感謝いたします。謁見は叶いませんが、中でお待ちいただくことは可能でございます。良ければアドニス様も中に入られてはいかがでしょうか?」
それを聞いてクラウディアは目を丸くする。
「よろしいんですの? あとで主人に色々言われませんこと?」
「はい。まったく問題ございません」
女性の言葉にクラウディアは後ろを振り向いてアドニスに対し手招きする。アドニスは不可解な目でクラウディアを見ていたが、「中で待ってもよろしいそうですわ」の一言でようやく理解出来た。「最初からそう言え」とでもいうような愚痴が聞けそうな雰囲気にレナールは苦笑いをする。
「……ところで、あなたが噂の副官の一人で間違いないかしら?」
「はい、その通りです。名をリゼット、姓をフラウロン。私のことは特に気にしないで下さい。ただ『副官』と呼んでいただければ結構ですので。さぁ、どうぞ。中にお入りを……」
副官は館内に招き入れる。4人が揃って入った瞬間、足元が急に光り輝く。あまりに急な出来事に何事かと構えたが、副官は微笑んで説明する。
「これは申し訳ございません。言い忘れておりました。オドル様は大変研究熱心な御方で、薬の調合など飽くなき探求心をお持ちです。中には精神に異常をきたす劇薬も取り扱っておいでですので、万が一にもお客様に何かあっては事です。失礼ながら、皆さまには状態異常を跳ねのける加護を付けさせていただきました」
何でも無いように話すが、とんでもないことを言っているのに驚愕を隠せない。
「劇薬だと? 施設を設けずに役宅で調合しているというのか?」
「施設は別にございますが、持ち帰ってくるということもあるということでございます。とはいえ、御心配には及びません。そういった危険から身を守る魔法でございます」
副官の言うことを素直に聞くべきか迷う。アドニスは警戒心をあらわにし、クラウディアに目で訴える。しかし、その視線をレナールが遮った。
「それなら良かった。危険が無いに越したことはないからねぇ。それじゃさっさと案内してもらおうか?」
レナールはいつもの口調で副官に尋ねた。七元徳の供回りで付いてきている設定なのに無礼が過ぎる。現に顔を隠すように白いフードを目深に被っているので、女性であることくらいしか判別出来まい。ブリジットは顔を覆いたい気分になったが、副官は特に気にしない素振りで返答する。
「畏まりました。アドニス様は申し訳ないのですが、そちらの椅子にお座りになってお待ちくださいませ、後でお飲み物でもお持ちいたします」
「……いや、構わん。そう長居することもない」
レナールのいつもの口調に驚くこともせず、アドニスに一礼した後、踵を返して案内を開始する。3人は多少の引っかかりこそあったが、気にするほどでもないと自分に言い聞かせて副官について行った。
*
館の執務室で男はいそいそと準備をしていた。そこ彼処においたアロマキャンドルに火をつけ、甘い匂いを漂わせる。鼻歌を歌いながら戸棚を開け、長方形の箱を取り出して中身を確認する。中に入っているのは柔らかいちり紙。たとえ鼻を千回擤んでも皮膚を傷つけることのないお気に入りのちり紙だ。少なくなっていたら補充しようかと考えていたがその必要はなさそうだ。
男は下卑た笑みを浮かべながらちり紙を机の手の届く位置に置く。仕上げに太い葉肉の植物からこそぎ取ったヌメヌメの液体を詰めた瓶を引き出しから取り出せば準備万端。今回は特に必要ないかもしれないが、いつでも使える様にそっと隠しておく。
ここまで来ると、後は客人を待つだけ。そわそわしながら机の上に置いた立て札を弄って、名前をよく見せようと動かす。
そこに書かれていたのは『森林の魔導師』の称号とフルネーム。オドル=クラウ=ワークスの文字。
彼こそがニグスブルグの君主であり、別名『魔樹』のオドル。
年齢は50代後半で『魔導星』では最年長。丸々太った男であり、頭も禿げ上がり容姿はだいぶ醜い。おまけに低身長で女性全般にゴキブリ並みに嫌われている。
「ぐひひっ! こんなタイミングの良い時にワシを訪ねてくる女がいるとはツイてるなぁ。しかも3人もかぁ。じゅるるっ……2日は寝られんかもしれないのぅっ!」
テンションを上げ、涎を袖で拭いながら扉が開くその時を待つ。
──ガチャッ
開け放たれた扉。匂い立つアロマの香りが外に放たれた。
「うっ!?」
廊下で女性の声が聞こえる。副官の声ではない。ドクンッと心臓が一つ跳ね、生唾を飲んで目を血走らせている。しかし次に聞こえてきた声は想像していたものと違っていた。
「くっさっ!!」
「うぇっ……何だか甘ったるいですわ」
「……気分が悪い……」
その瞬間にオドルは「えっ!!?」と素っ頓狂な声を上げながら廊下へと走る。
「な、なんでっ?! これを嗅げば一発で……っ!」
そう言いながら覗かせた顔に軽蔑の目を向けられる。
「一発で? いったい何ですか?」
そこには3人とオドルの間に立つ副官の姿があった。緊張して固まるオドル。そのまま副官は言葉を続ける。
「つい先日、娼館から連絡がありましてね。5人が意識不明、2人が理性を失い、男数人に嬲られる事件がありましたが、もしかしなくてもオドル様がやらかした奴ですよね? あの晩、私たちが解呪しなければ全員死ぬまで狂ってたかもしれないのですよ? それをこの3人に使用しようと考えていたのですか?」
「ち、違うっ! あれは試験段階で今回のとは……っ!!」
言いかけて口籠る。「あ……いや、その……」と急に挙動不審になった。
「全員が正気を取り戻したのと巨額の賠償金で事なきを得ましたが、普通に出禁ですので二度と、決して近づかない様にお願いします。あの店の付近にも近寄らないで下さいね」
オドルは悪戯が親に見つかった様な不貞腐れた顔で首を引っ込め、扉をゆっくりと閉めた。副官は「はぁ……」とため息混じりに3人を見る。
「大変申し訳ございません。お見苦しいところをお見せてしまいました。それと一応お伝えしますが、何を依頼するにしましても、オドル様はおやめになられた方がよろしいかと存じます。奇跡的に薬草学の権威であるだけですので、皆様のお役に立てるかどうかは甚だ疑問にございます。お詫びの印に最高級のお茶をお淹れいたしますが、如何でしょうか?」
その提案にレナール、ブリジット、クラウディアはそれぞれ視線を交わし合う。丁重にお断りし、館を後にすることを決めた。




