499、土の星
この日、闘技場は大盛り上がりであった。何故ならこの日は賭けに勝った金額が倍とまではいかないが、高めに設定されたオッズにさらに上乗せされる形で多めに支払われる。
これは『土の魔導師』の計らいであり、魔神襲来の騒動を隠す目的で開催された一大企画。民を楽しませるために今現在用意出来る最大レベルの魔獣と召喚獣も用意した。
すべては住民をここに止めるための策。史上最低の出来事である『魔導帝の敗北』で恐怖した民たちが、ロドム地方から遠い田舎に疎開でもされた日には商売が滞ってしまう。
根っからの商売人である彼は、大事に大事に貯め込んでいた財政を切り崩してでも住民を逃さない道を選んだのだ。もしここで空から取り返しのつかないほどの攻撃で闘技場の観客が消滅させられたとしてもこの選択に間違いはなかったと胸を張って言える。
闘技場の貴賓室。豪華に飾り付けられた客席に座り、グラスを片手に余興に浸る男。
『土の魔導師』シードル=クラウ=ガルフォード。またの名を『魔土』のシードル。
黒い短髪と整えられた顎鬚。銀色の刺繍の付いた黒服を着ており、胸元を開き黒いローブをマントの様に羽織っている。背が高く、褐色肌で筋肉質。その見た目と放つ雰囲気からジャガラームの民の血が入っていると推察出来る。年齢は40代前後で、右目の瞳は青色。左目を失くしたのか、それともファッションか眼帯をしている。そのワイルドな容姿はイケオジの空気を孕んでいた。
喉が乾いていたのかグラスの酒を一気に飲み干し、その後すぐに空のグラスを右横に差し出す。シードルの背後に控えていた執事の様な男性が慣れた手つきでボトルを傾け、グラスに酒を注ぎ始めた。
シードルはその光景を一瞥することもせず、適量注がれたグラスの重みでそのまま口元に持って行き、一口だけ口に含んだ。
(貴賓席の空席が目立つな……。チッ……やはり出資者の大半が国外逃亡を図ったか。あの臆病者どもめ……っ)
心の中で悪態を吐くシードル。今回の闘技場を開催するにあたって出資者への出席を募っていたのだが、やはりと言うべきか大半の出資者は来ていない。魔神襲来で何が起こってもおかしくない現状において、財産もさることながら命あっての物種。逃げを打つことは予測済みだった。いつの世も金に余裕のあるものから逃げる。
(しかし、大金を事前に支払ってまでこの俺を欺くとは……。フェーデラントが敗北したせいでとんだ大損だ)
今回の大会はなんとか開催出来たが、次の大会はともかく、そのまた次の大会となると厳しくなってくる。伝統とも言えるこの街一番の興行、闘技場の開催も危ぶまれる事態。表情には全く出さないが、腹の中は怒りで煮え滾っていた。
「……シードル様。お楽しみのところ申し訳ございません」
シードルの側近である蝶ネクタイの男が耳打ちで話しかける。
「ん……なんだ?」
「総合病院『サンクタム』の院長がお越しです」
「なに? サンクタムの院長だと……エデン正教が闘技場に?」
「はっ。シードル様にお会いしたいと」
エデン正教は賭け事を戒律で基本的に禁止している。しかもこの街一番の病院の院長でもある男がこんなところに足を運び、主催者であるシードルに会いたいと言ってくるとは思いもよらない。説教なら聞く気はないが、出資者が逃げ出した今になって話を持ちかけるのは何か裏があると見て良い。
そしてその裏をかいてエデン正教を闘技場に取り込めたら凄いことになる。もしも正教公認の賭けが成立したら、それは素晴らしいことだ。戒律を超えたギャンブルなどとんでもない価値となる。
シードルはすぐに連れてこいとジェスチャーで示し、蝶ネクタイの男は即座に礼で返す。
怒りで沸騰していた腸は凪の様に静まりかえり、代わりに脳味噌をフル回転させていた。エデン正教がバックについた時の儲けを既に計算し始めたのだ。ここ最近で一番頭を使っているくらいに──。
「シードル様。お連れいたしました」
会場に向けられた椅子から立ち上がり、優雅に振り返る。あまり待たされることなく現れた院長はオドオドして自信なさげに佇んでいた。おかしい。前にあった時は胸を張り、威厳に満ちていた様に思うが、自分の領域でないとこんなにも人は変わるものなのかと疑問符が浮かぶ。
「ようこそアルマロス院長」
「こ、これはシードル様。お久しぶりにございます」
「丁度良いところに来られましたな。さぁ、こちらにお座りください。話なら座ってお聞きしましょう」
シードルは自分が座っていた椅子のすぐ横を指し示す。そこに椅子は置かれていなかったが、察した部下がすぐに豪華な椅子を用意する。
「大変申し訳ないのだが、もう3つ用意してもらってもよろしいか?」
突如、院長の背後からヌゥッと扉の枠を潜る様に褐色肌の巨体が姿を現す。その背後にも2人。衣装からエデン教の信者であることは何となく理解出来るが、存在感が異様である。貴賓室で待機していた部下たちも驚いている。シードルに院長の話を持って来た蝶ネクタイの男は院長の取り巻きが何を偉そうにと困惑の眼差しを向ける。部下たちの反応を見て察したシードルは呆れ気味に小さく首を振る。
「……構わないが、君たちは何者かな?」
その問いに大男が答える。
「申し遅れました。私は七元徳が一人、『忍耐』のオーウェン=ロンパイア」
「同じく七元徳が一人、『勤勉』のクレイ=グラディウス。以後よろしくです」
クレイが人差し指と中指を合わせて立て、額に当てて挑発する様に挨拶する。その瞬間にシードルの目の色が変わる。院長どころではない。まさか七元徳まで出てくるとは思いもよらず、口角が微妙に上がった。
「ほぉっ! 七元徳の方々でしたか。これは失礼をいたしました」
「いやなに、先に名乗らなかった我々にも非がある。不躾ではないかと思ったのだが、院長をダシに会ってもらおうと考えての行動である。非を詫びさせていただくである」
オーウェンは馬鹿正直に答え、頭を下げる。その行動に後ろに控えていたセオドアが肩を竦めた。
「ははっ。確かに急に七元徳の方々が約束もなしに急に来られたとあっては警戒を示してしまうかもしれません。そういった意味では、これは理に適った行動と言っても間違いではないでしょうな。ところでその方は一体誰でしょうか? まだお名前を伺っておりませんが……」
シードルは白いローブのフードを深々と被ったセオドアを指し示す。その問いに焦りながらクレイが答える。
「あ、ああ。こいつはまぁ良いじゃないですか。そんなことよりもほら、試合始まっちゃいますよ?」
クレイの反応にシードルは眉を潜め、少々警戒心をあらわにする。
(院長はおろか、七元徳も言葉を濁す誰か……。かなりの要注意人物と見てまず間違い無い、か)
しかしすぐに笑顔を取り繕い、部下を見て頷く。部下たちはシードルの言いたいことを察して椅子を3つ用意した。
「すまないが込み入った話である。人払いを頼めますかな?」
オーウェンの頼みごとにシードルは逡巡したが、すぐに「もちろん」と言って部下を貴賓室から追い出す。全員が出て行き、扉が閉まったのを確認すると用意された椅子に座り始める。
だが、思ったのとは違う席だ。七元徳が近くに座り、シードルと密会を始めるのかと思いきや、シードルにとって謎の男がすぐ側に座り、七元徳の2人、院長の順に座る。この状況には当然シードルも困惑した。
その感情を察したセオドアは深々と被ったフードを取り、シードルに素顔を見せる。
「初めましてだな。俺の名はセオドア。セオドア=ストレイフって者だ」
その名に覚えのあったシードルは混乱する。
「わたし……いや、俺の記憶が正しければ第三剣聖がその名を名乗っていた。同姓同名でなければだが……」
「当たりだよ」
「……ふっ、おいおい。院長の名をダシにして闘技場にいっちょ噛みに来たのだと思ったんだが……こんな回りくどいことをして七元徳と剣聖がこの俺に何の様だ?」
「ふーん。いっちょ噛み、ねぇ……」
セオドアはチラッと観客席の方を見る。満員の観客席よりも上のぐるっと周りを囲むガラガラの貴賓席が目に入った。ニヤッとほくそ笑みながらセオドアはシードルに目を向ける。
「まぁいいから座れよ。一緒に試合を観ようや」




