495、腹の中は真っ黒
工場長が先導する傍ら、ディラードは澄まし顔で工場内を見回る。作業の手を止めることは許されていないので、手が空いている者だけがディラードに頭を下げて形ばかりの歓迎を見せる。その行動が当然だと言わんばかりに見向きもすることなく事務所へと入っていった。
工場長は事務所に入るや否やすぐにポッドからコーヒーを注ぐ。その手は震えていて、ディラードに対し恐怖しているのが察せられる。
普段は横柄で部下をいびってみたり、自分の作業を部下に押し付けたり、女性作業員に対してセクハラをかましてみたりとやりたい放題。だが、いざ目上が現れると態度は一変し、借りて来た猫のように大人しくなる。上司の前だけでも有能アピールをし続けることが降格を免れて来た彼の処世術なのだ。
ディラードがソファに腰かけ、3秒と経たない内にコーヒーを差し出す。「結構」とあっさり拒否されたが、遅延なく差し出せたことが内申点に繋がっていると解釈しているので工場長は満足げに頷き、邪魔にならないようにカップを隅の方に追いやる。
「それでディラード様……本日はどういったご用件でしょうか?」
工場長は平身低頭、とにかく媚びるように質問を投げかける。ディラードは鼻を鳴らして立ち上がると事務所の窓から工場内を一瞥する。
「明日にも『黒い血液』を実用段階にまで引き上げようと思っていてね。現在の状況の確認に来たのさ」
ディラードの言葉に驚愕し、工場長は目をぱちくりさせる。
「は? そんな急な……」
「ん? 何を不思議そうにしているのさ。僕はそんなにおかしなことを言っているかい?」
「い、いえいえいえっ! そんなまさか……わ、私がお聞きしたいのは『明日にも』という部分にございます。先日ようやく純度の高いブラックブラッドが抽出されたばかりでして……」
「そうだね。それを大量生産するだけだよ」
「失礼を申し上げますが、あれはまだ実験段階のものでして……っ!」
「世情は移りゆくものだよ。今こうしている間にもね。君も知っているだろう? 最近何が起こったかくらい……」
ディラードは耳を欹て、工場長の答えを待つ。彼がこうなったら何か答えないと会話にならない。
「ま、魔導帝の敗北……にございますか?」
「正解。さらに四賢冠の敗北もセットで付けていれば満点だったよ。まぁ、君如きにそこまでは求めない。それよりも問題なのは魔導帝の敗北によるこの国の行く末だからね」
ディラードはクルッと振り返って工場長を見下ろす。
「それで? 生産ラインは常設可能かい?」
「大変申し上げにくいのですが、現在は魔鉱石の仕分け作業と魔流石の中の異物を取り除く作業で手一杯にございます。ここに未だ実用段階にない『ブラックブラッド』の生成作業を加えますとコストはバカになりません」
「ほぅ。それで? 他には何か言いたいことはあるかい?」
「えっと……ブラックブラッドの実用化に向けて今以上のマンパワーを必要とします。ですので……その……人を増やしていただくことは可能でしょうか?」
お伺いを立てる工場長にディラードはくつくつと笑ってゆっくりと歩き出す。
「何故僕が君を工場長に置いているか理解出来ないのかい? 今の人数で問題ないはずだよ? 何でか分かるでしょ?」
「い、いやぁ……分からないです。も、もしやディラード様は死人が出ても構わないと?」
「不正解。これ以上人を減らしてどうするんだい? もっと根本的な部分を見直すんだよ」
人以外に何を見直せばよいのか工場長からの答えは出ない。目を泳がせているとディラードはこれ見よがしにため息を吐く。
「はぁ……僕は愚図は嫌いだが、仕方がない。今回だけは特別に教えてあげよう。術式を再構築して魔力の配分をより効率化することさ。これならばより多くのブラックブラッドを精製可能だよ」
「なんとっ!? 今以上の効率化が出来るとっ!? 流石はディラード様……っ!」
「勘違いするなよ。それは君が考えることさ」
「えっ!!?」
工場長は目を丸くして驚愕の声を上げる。
「おいおい。やめてくれよ素っ頓狂な声を上げるのは。僕が君をこんなポストに置いている意味を考えてもらいたいものだね。君が学生時代怠けたい一心で作った魔術理論を応用しないでどうするというのかな?」
「あ、あれは若気の至りのようなものでして……そ、それにディラード様が組まれている術式に私が上から書き入れるなど恐れ多いというか……」
「グダグダ言うのはやめなよ。時間は限られてるんだよ? 明日までに術式が組めないなら君は用済みだ。分かったらすぐに取り掛かることだね」
「ああっ! お待ちをっ!! ディラード様……っ!!」
ディラードは工場長を置いてサッサと事務所から出ていく。普段聞くことの出来ない情けない声に作業員たちは気分が良くなる。
ディラードは落ちこぼれの自分たちを拾ってくれた救い人。作業員にケチをつけてくる悪魔の様な工場長を押さえつけることの出来る唯一無二の人物。尊敬に値し、目標とすべき人物として皆の心の中に燦然と輝いている。
元を正せば全てディラードが仕組んだことくらい彼らにも理解出来る。しかし歪んでしまった心境では他に行く場所がないと決めつけてしまって動けなくなる。相手の良いところを妬む様に書き換えられてしまった彼らは自罰的に工場に身を委ねてしまう。ゆえにディラードを崇める。
ディラードにとってはこの工場に淀む空気が心地よかった。才能がない者を淘汰するのではなく、小間使いにして自分のためだけに働かせる。しかし恨まれるのではなく、感謝され、率先して身を投げ出しディラードを気持ち良くさせる。
全てはこうあるべきなのだ。だからこそ『黒い血液』が必要になる。
『黒い血液』。それは揮発性の高い液体で強い可燃性を有する、地球で言う所の石油に該当する。厳密には石油とは違い、魔力を発生せる魔流石に近い性質をしている。実験結果では、魔法駆動機関を動かす燃料やランタンオイルなどの生活用品、果ては機界大国の『戎器』の動力にも最適とされている。
そう、ディラードが考える世界征服とは革命的燃料の独占。
このブラックブラッドは『第二次魔導技術革命』の引き金になる可能性が十分ある。今はまだ高価で危険で不安定であるが、将来は戎器、魔導飛空艇、魔導列車、大型兵器すべてに使えるようになり、自然発生する魔流石に頼っている世界の常識を変えると推測される。
(……しかし面倒なことになったね。魔神だって? 異世界からの侵略だなんて夢物語もいいところじゃないか。……でも仕方ないよねぇ。これが現実だからさ。こうなったらブラックブラッドを少しでも多く生成して魔神とやらに献上し、僕の重要度を高める必要がある。とりあえずあの愚図な工場長は明日にでも解雇、拘束し、何らかの重い罪を被せて処刑が有効かな? 抽出の術式を知る唯一の人物は消しとかないとね。次は錬金術師から工場長を任命しようか……忙しい限りだね。まったく……)
ディラードは肩を竦めて車に戻ってくる。取手に触ろうと手を伸ばしたその時、背後から声をかけられた。
「『魔水』のディラードとは、あなたのことで間違いありませんかな?」
長身の自分を超える位置から発生された野太い声にディラードは少々警戒しつつ振り返る。
真っ白で清潔な服が胸筋に引き延ばされてピチピチ。藍緑色の髪をした短髪で、丸眼鏡をかけている男は張り付いた様な笑顔でディラードを見ている。『巨軀』。その一言に尽きる。
「そうだけど。誰だい? 君」
「申し遅れました。私の名はランドルフ。ランドルフ=バルディッシュと申します」
その名前と筋肉を照らし合わせ、ディラードの中で1人の男が浮かび上がる。
「……ちょっと待ってよ。まさか君はあの七元徳の?」
「ご存知でしたか。その通りです。またの名を『慈悲』のランドルフ。以後お見知り置きを」
ディラードは車にもたれかかりながらニヤリと笑う。
「教皇の守護者が魔導大国に出張かい? 僕に何の様かな?」
「単刀直入に申し上げますと、あなたの力を是非お貸し願えないでしょうか? 無論、世界平和のために」




