489、1つずつ、1歩ずつ
魔導帝の敗北は即ち国の敗北。
浮遊要塞の到着から半日も保つことなく魔導大国アイズ・オブ・トゥルースは陥落した。
信じられないことだが、全力で抵抗したにも関わらず双方に1人の死者も出ていない。マイラが遊ぶことなく本気で殺しに来ていたら、瞬時に国の半分が焦土と化していたことは想像に難くない。
魔導大国で領主を任されている『魔導星』を含めた上層部の面々は情報を共有することなくこの事態を把握し、万が一のための避難準備や、新たなる支配者への貢物を考えるなどの保身に走る。この国最強である魔導帝が負けた以上、無駄な戦いは避けるに越したことはない。
彼らの辞書に『愛国心』の文字はない。
「これは想定外だったなぁ……」
アセリアは頭を抱える。
確かに魔導帝の敗北を願う気持ちは少なからずあった。しかしそれは戦いに勝つ前提でのちょっとした出来心。アリーシャを自由にしてあげたいと思うわがまま。アセリアの祈りなど関係なしに魔神が魔導帝よりも遥かに強かっただけのことなのだが、本当に負けたら驚きと共に後ろめたさもやって来る。
「──はい。それなりに戦ってくれると確信していましたが、魔神の強さは底知れませんね。正直、想定が甘かったと言わざるを得ません」
この事態にはアリーシャも少々驚いている。四賢冠も含め、たった1人に対し全く相手になっていない。特に支配空間が後から塗り替えられた事実は絶望に値する。魔導の奥義すら魔神には通用しない。
「人が抗うレベルを完全に超えてるよ……あんなのにどうやって勝てっていうの? あたしならさっさと降参して死なないように立ち回るけど?」
「──私たちだけではそれが最も懸命でしょう。ですが、手立てはあります」
アリーシャの言葉にアセリアはゆっくりと視線を向ける。
「……一応聞くけどどうやって?」
「──こちらには2柱の魔神が仲間にいます。敵方から引き抜いた最高戦力。目には目を、歯に歯を、外なるものには外なるものをぶつける。それがセオリーというものでしょう」
「なるほど。……え? 元よりそのつもりならどうしてわざわざ陛下を焚きつけたりなんか……」
「──戦力は多いに越したことはありません。陛下に本気を出していただくことで多少なりとも希望を持っていました。こうして敵の強さも観測出来ましたので何も得られなかったわけではないというのがせめてもの救いでしょう。欲を言えば魔神を1体でも多く倒してくれればと思いましたが……」
アリーシャは考え込むように口元に右手を持ってくる。下唇の下部を親指で押すようにして黙ってしまう。
「魔導帝だけでは不十分だったようだな」
いつからそこにいたのか、背後に立っていたブルックの存在に声をかけられたことで気付いた。アセリアは肩を竦める。
「……四賢冠もね。魔導大国で最も強い御方と4人の強者が揃って1人も削れないなんて悪夢そのものでしょ?」
「まさしく。我がルオドスタ帝国でも同じ状態に陥った。剣神が瞬殺され、剣聖である我々が束になっても敵わない魔神という存在。それは彼の魔導大国も同じであったということだな。……さて、ここからが本番だ」
「本番? 何をするつもり?」
アセリアの問いにブルックは踵を返して背を向け、肩越しに語る。
「各方面にいる『魔導星』を訪ね、この戦いの仲間を募る」
「は? そんな無茶な……相手は自己中と自己保身に塗れた連中よ?」
「……やるだけやってみるしかない」
「……仮に奇跡的に仲間に入ってくれても戦いなんて参加してくんないよ?」
「参戦せずとも兵站の役割を担ってくれれば助かる。……ここからは総力戦となる。これ以上の問答は無用」
ブルックはそのまま館へと歩き去る。
「どう見る? アリーシャ。彼らを好きにさせても大丈夫かしら?」
「──計りかねます。しかし彼の言うようにここからは垣根無しの総力戦を仕掛ける他に道はありません。彼らには彼らのやり方があるのでしょうし、ここは一つ信じてみようと思います」
「信じるねぇ……」
アセリアは去って行く後ろ姿を目で追いながら肩を竦める。
その視線を背中に感じながらブルックは揺らぐことのない迷いなき目で真っ直ぐ今後の展望を見据えている。
館に入って仲間の元に行き、先の話を伝えるとセオドアがため息をつきながら両手で後頭部を支えるようにしてソファに寝転がる。
「あ〜あ、やっぱなぁ。これだからさっさと行ったほうが良かったんだ」
セオドアの言葉はデュランに刺さる。さっさと潜入調査をしようとする仲間に待ったを掛けた負い目のせいか、反論の言葉は出てこない。そんなデュランを見かねてかレナールがセオドアの頭をパチンと平手で叩いた。
「痛ぇっ! 何だよっ!?」
「あんただって納得の上で待機したんでしょっ。今更ぐちぐち言わないっ」
「でもよ……」
口答えしようとするセオドアにギロリと睨みを聞かせることでそれ以上は喋らせない。そこに申し訳なさそうにデュランが口を挟む。
「いや、セオドアの言う通りだ。私も少しばかり慎重が過ぎたと反省している。確かに先に動いていればあらゆる意味で先手が取れていたと今更ながらに思う」
悔しそうに奥歯を噛むデュランにアレンが首を振る。
「そんなに自分を責めないでくださいよ。レナールさんの言う通り、過ぎたことを持ち出しても次には繋がりません。今はこれからのことを話すところです」
「……アレンに同意」
慰めるように声を掛けたアレンの背後でブリジットも賛同する。ブルックも頷いている。
「アレンの言う通りだ。それにこういっては何だが、魔導帝が敗北したことによって逃げ道は塞がれたも同然だ。おかげで選択肢は狭まり余裕はなくなったと見て良い。頑なな連中であっても逃げ道が無ければ首を縦に振りやすいだろう」
魔導大国は実力主義ゆえに経験や家柄に関係なく才能だけで若輩でも上にのし上がれる。そのせいで性格破綻者が上層部に蔓延っているが、地位を手に入れた以上はその場所から降りたくないのが心情である。魔導帝、もしくは四賢冠の敗北で乗っ取られた国が、果たして同じポストを用意してくれているかは疑問である。
「……まるで余裕がなくなるのが良いことのように……」
「いいことじゃねぇか。えぇ? デュランよぉ。俺たちが見てきた魔導大国の連中って奴はこう言う事態にでもならなけりゃ結束はしないだろ?」
セオドアは自慢の腹筋でスッと起き上がり、そのままの勢いで立ち上がる。
「魔導星は8人。その内の1人が『月光の乙女』のおかげで仲間入りを果たした。残り7人をどう堕として行くか。こいつは難問だぜ」
剣聖たちが頭を捻っていると、端から見ていたティオが立ち上がる。
「私たちも手伝います。ねっ、みんなっ」
ティオがランドルフ、オーウェン、クレイ、クラウディア、アドニス、リディアを順に見て行く。
「ええ。もちろんですとも」
七元徳は全員が頷き、剣聖の考えを支持する。ブルックはその支持を歓迎する。
「そうと決まれば話は早い。七元徳の諸君に手伝ってもらえるなら百人力だ」
「とは言っても、この国では我々は部外者。目立ってしまっては後が面倒では?」
オーウェンは腕を組んでフンッと鼻を鳴らす。オーウェンは砂漠地帯の出身ゆえに生まれつき肌が浅黒い。魔法を専門に扱う日焼けもろくにしていない真っ白なもやしっ子肌の魔導大国ではどうしても目立つ。
「いや、君たちが動く必要はない。ただ教会を拠点にさせてもらえればそれに越したことはない」
その言葉に納得する。エデン正教は宗教を広めるべく、各国に教会を立てて信者を入り込ませている。七元徳は最も尊き御方の最側近。その七元徳が教会に口利きすれば、教会のどこへでも出入りが可能となる。
「こりゃいいや。教会となりゃ裏社会のアホどもも迂闊に入れねぇ。夜は安眠出来そうだな」
セオドアの呑気な言葉に空気がピリつく。この国には首都以外では政府機関が制御出来ているところと出来ていないところに差がある。悪人が蔓延る土壌があるので、警戒が必要になってくる。慎重論には裏事情も少し噛んでいた。
「我々は我々の出来る範囲内で敵と向き合う。魔神との戦いを控え、戦力強化に邁進する。いいな?」
ブルックの芯の通った言葉に全員が頷いた。
そう、悲観している場合ではない。1つずつ、1歩ずつ進んでいく。




