475、苦いコーヒー
ドワーフの王国の王、グスタフ=ドルドバーンからの要請により和平会談が約束された今日、堆く積まれた書類の中で何かの書類にペンを走らせる女性がいた。淀みなく走るペンが紙の上から離れ、ペン立てに収納された時、女性はその美しい顔を上げる。
目線の先にはすでに冷えてしまった黒く苦い豆の汁がマグカップの中で波を立てることなく静かに光を吸い込んでいる。熱いうちに一口含んだ程度でなみなみと入ったコーヒーは、時間の経過とともに空中に漂った埃が入り、黒の中に見えるか見えないかの白いゴミを浮かばせた。
女性はマグカップを手に取って立ち上がり、窓際に置いた枯れた植物の鉢植えに流し入れ、生活用魔道具の保温機能付きポットから新しいコーヒーを入れ直した。
「あ〜あ。いけないなぁ。水分なら何でもいいって訳じゃ無いんですよ? 主任」
いつからそこに居たのか、メガネと無精髭が特徴的な白衣を着た男が壁にもたれかかるように立っていた。
男の名はラストゥス=ホーエンハイム。昨今、龍球王国まで出向き、禍津神を復活に導いた1人。口に加えた長い鍼のようなものをアゴを使って上下させながらニヤニヤと笑っている。
「……解析は済んだの?」
主任と呼ばれた女はオレンジ色の長髪をローポニーテールに結い、左右に揺らしながらぶっきら棒に質問する。ラストゥスは機嫌の悪そうな女に薄ら笑いを浮かべながら顎をポリポリと掻いた。
「ええ、ええ。もちろんですよ。しかしですねぇ、あんな物何に使えるんです? 人知を超えたものは扱わない方が賢明ですよん」
ラストゥスの言葉にジロッとメガネの奥の紫苑色の瞳が見つめる。切れ長なツリ目は融通が利かなさそうな印象を与える。
「私はそれを解明し、人知の及ぶ範囲に書き換えることを主眼としている。全てを既知に出来れば、扱い方を違えることなく使用出来るから……」
「ほぉ。流石ですね主任。それは後世に残していくための布石であると捉えてもよろしいので?」
「ふんっ……バカ言わないで。私は私のため以外に研究なんてしていないわ」
「おやおや。てっきりあなたが熱心に勧められている『神域適合実験』の子供達のためかと思っていました。確か娘さんが驚異の数値を叩き出したとか何とか……」
女はマグカップに注いだコーヒーを一口すすり、豊満な体を白衣の下に隠しながら自分の机に戻る。席に着くと、スリットの入ったスカートを黒タイツの履いた足で押し除けながら足を組む。机の上に立てかけられた名札にはティアナ=バーミリオンの名札立てが置かれていた。
「女神教が生み出した『勇者選出』の法は私の研究に大いに役立った事実は認めるわ。けど私に取ってはほぼ無用の長物。実験結果には満足しているけど、もはやどうでも良い物よ」
「では今回の禍津神のことは……」
「最終段階に必要なピース。重要度で言えば1番だと確信するわ」
ティアナの無感情な美しい顔にラストゥスはいつものヘラヘラ顔で肩を竦める。
「本当に人間が『座』に上がれるとお思いなのですか? 部外者が立ち入るのは反感を買うだけだと僕は思いますけどねぇ」
「しかしそれこそが知りたいところなのよ。これを解明することが出来れば、神域のその先に踏み入ることが出来る。──長旅ご苦労だったわ。ラストゥス」
終始疲れた顔で相手をしていたティアナの口角が微妙に上がる。ラストゥスは視線を逸らし、虚空を見つめるようにため息をついた。
「他ならぬ先輩の頼みですからね。僕は正直現場向きじゃ無いんですから……」
「そんなお前だけが私を見捨てなかった」
ティアナは机の上に伏せるように倒していた写真立てを起こす。そこには今より少し若く見えるティアナが赤子を抱いて座り、その脇に男が立つ家族写真があった。
「……ヴォルカン先輩の所在は掴んでいるんでしょう? 会いに行ったりしないんですか?」
ラストゥスの投げかける問いに写真立てを伏せ、見下すように睨む。
「余計なお世話よ」
「これは失敬。娘さんのことが気がかりで仕方ないものと勝手に邪推しておりました。謹んでお詫び申し上げます」
「そんなものはいらない。私に取ってあの子は通過点に過ぎない。これも感傷ではなく戒め。ヴォルカンのような優秀な男と実験の貴重なサンプルをみすみす取り零した私へのね。──ま、そんなことはどうでも良いわ。それよりも先に起こった戦争についてを私に言いに来たのではなくって?」
湯気の立つコーヒーをまた一口すすりながら薄目でラストゥスに問いかける。「あ、そうでした」とすっとぼけた感じを出しながら、もたれかかった壁から離れる。
「和平ですって。元帥が認めるはずもありませんがね」
「そうは言っても承認する他ない。相手が相手だし、私も会いたいと思っている人物だから……」
「レッド=カーマインですか。複雑怪奇な存在ですねぇ」
「でもあなたも会ってみたいでしょう? 女神ミルレースを屠った最強の人間と」
「神域を犯すエラーですよ? 当然じゃないですか。あとそれから、龍球のアキマサという方はなかなか面白い能力をお持ちのようですよ? 魔神の力やその他諸々も含まれたデータ。少し長いですが、良かったらご覧ください」
机の上にコトッと優しく置いたクリスタル。そこに龍球で撮影された動画や文章にまとめた資料が保管されている。ティアナが受け取ったのを確認し、踵を返して出て行こうとする。しかしまたもいつから入ってきたのか、入り口付近に立つ男の姿があった。ラストゥスは一瞬、白衣のポケットに突っ込んだ手を出しかけたが、相手を見てそのまま手を仕舞う。
「そのデータ。宜しければ吾輩も拝見させていただきたいものですな」
髭をねじり上げながら男は優雅に歩き出す。カイゼル髭が特徴的な紳士であり魔神、ルークフィン=ヴィンテージ。まさかの訪問にティアナの顔は緩む。
「どうやってここが? ここは私の隠れオフィスなんだけど?」
「これはこれは……僕をつけてきたんですかね? だったら申し訳ないです先輩」
ラストゥスが平謝りをしている横にルークフィンが並ぶ。
「簡単なコトですな。吾輩はこの国に降り立つ以前にある程度の情報を収集し、降り立った後は細かい部分まで把握するように徹しておりました。あなたが居たのはただの偶然。しかし、あなたは吾輩と彼女との会談の邪魔にはならないと判断しました。このまま残っていただいても結構ですな」
「おぉっ。そりゃありがたい申し出です。でもやめときましょう。僕は口が軽いもので秘密の内容を漏らしてしまうかもですから、ここらでお暇させていただきます。どうぞ、お2人でごゆっくり」
そのまま振り返ることなく部屋を出て行く。ルークフィンは特に反応することもなくティアナに向き直った。
「吾輩はルークフィン=ヴィンテージ。デザイア様の部下であり、魔神の地位を預かる忠実な僕。機界大国ジェムクロフトの支配を申し付けられました。いわばあなた方の敵ですな」
「これはご丁寧に。既にご存知のことと思いますが、私は技術開発機関『ダイダロス』の最高責任者、ティアナ=バーミリオンです。どうぞお掛けになってください。それほどのもてなしも出来ませんが、お茶でも飲みながら腰を据えてゆっくりとお話をいたしませんか?」
「ふむ。断るのも失礼というもの。ご相伴に預かりましょう」
ルークフィンは言われるがままに案内されたソファへと腰掛け、出されたお茶と対面に座るティアナを前に髭をねじり上げる。
魔神との初対面にも物怖じしないティアナの胆力に感心しながら機界大国における将来の立ち位置などを話し始める。デザイアの庇護を受ければ、この世界で唯一の支配者層としての地位の確立も夢ではないなどと提示する。
「……アンドレイド元帥ならともかく、支配など私にはどうでも良いことです。それ以上に、私はあなたにお聞きしたい」
「何なりと」
「異世界の技術、知識をこの私にお授けください。その代わりに、我々が手にした情報はあなたに捧げます」
「これは、願ってもない。吾輩とあなたは良きパートナーとなれそうですな」
即断即決。ティアナはルークフィンと硬い握手を交わした。




