457、嚇怒
「ま、魔物だと……っ?」
部下から上がってきた情報にハインケルは戦々恐々とする。完全に管理されているはずのダンジョンから漏れ出た強い魔物なのか、はたまた小国家連合が戦場をかき乱すために出してきた虎の子か。
即座に後者だと考えたハインケルだが、どうも様子がおかしい。
「魔物の数は300は下らないものと思われますっ!」
1体でも手強い強力な個体を300体以上用意していた。そんなはずはない。だとするなら『ティノバ共和国』のジェイド=ホークや『トリアーノ』のウィリアム=ノートンからの情報は意図的に隠されたものだと考えざるを得ない。
「おのれ……彼奴ら裏切ったか……っ!!」
機界大国に損害を与えることの意味を知ってのことなのか。それとも他に策があってのことなのか。いずれにしても、危険な状況だ。対策なしに兵を無駄には出来ない。
「いったん後退するぞっ!! 退けぇっ!! 退け退けぇっ!!」
ハインケルの号令と共に戦術的撤退を余儀なくされる。
ミノタウロスたちは敵を後追いすることなく任された配置を乱すことなく止まる。
無様な醜態を見せることになったハインケルだったが、羞恥以上にルークフィンに対する怒りが湧いた。
(あの男……よもやこの状況を知っていたのであるまいな? 魔物がいることを知っていながら周知しなかったのなら許さんぞルークフィン……っ!!)
心の中で恨み節を呟きながら元いた場所まで引き返した。
*
「始まりましたな」
ルークフィンはヒゲの毛先をねじねじと整えながらホログラムを確認している。部屋にはアンドレイドやエクセルが席について共に戦況を見守る。同時にルークフィンの側にはアンドレイドたちが初めて会う女性が盤上を見つめていた。
「……どこかの将が勝手に動いているようね。これも想定内なの? ルークフィン」
静かに透き通るような声でルークフィンに質問したのは青みがかった銀髪の美女。
デザイアの部下であり、『黒欲聖典』の魔女、ノヴァリンド=シルヴァリア=スノー。見た目通り氷属性の魔法を得意とする魔神クラスの実力者。最近亡き魔神ヴァイザー代わりに魔神の席を賜った。
ノヴァリンドの質問にチラリと視線を送りながらコクリと頷く。
「ええ、もちろん。むしろ囮になってくれるように吾輩が誘導したと言えましょう」
ルークフィンの自信ある言葉にそういうことかとノヴァリンドは納得したが、意味が分からなかったアンドレイドが反応する。
「何? 誘導だと? 『待機』の一言でどうやってハインケルの思考を操ったのだ?」
アンドレイドの疑問に対し、ルークフィンは手を後ろに組んでコツコツと革靴を鳴らしながら窓際に向かって歩く。
「ハインケル殿は血気盛んな様子。外様の吾輩の指示に従わないだろうことは出会った当初より看破済み。ならばいっそのこと囮に使用するのが良いと判断したまでですな。有利な状況が揃えば、自らの意思で敵陣に飛び込むことになる。思い描いた通りに事が運んでおります」
「感情の機微を読み、上を出し抜こうとする欲求を刺激したと? 莫迦な。そのような不確定要素に頼みを置くなど狂気の沙汰。最初から囮になれと命令する方が理に適っている」
「それはその通り。否定するつもりはありません。しかし、吾輩は不確定要素をも取り込み、戦場をより有利に動かすことを実践しているのです。こちらに居るノヴァリンド殿に全てを俯瞰して見るように学んでいただきたい一心でして……」
アンドレイドの目がギョロリとノヴァリンドに向く。殺意すら感じる鋭い眼光だが、ノヴァリンドは全く意に介することなく涼しい顔で地図を眺めている。
「ほぅ……この者も天上の存在か」
「左様。ノヴァリンド殿は次代を担う若き英傑。デザイア様のために今に満足せず、耐えず成長していただきたいと願っております」
ルークフィンの気持ちを聞いたノヴァリンドは不適に笑う。
「……それはつまり『黒欲聖典』の中で私がデザイア様に適任だと捉えても?」
「如何様にも」
「それで? この私に何をしろというの?」
既に答えが出ているであろう状況にあえて質問をするノヴァリンド。ルークフィンもそれを確信しているようで、特に嫌味を言うことはない。
「ノヴァリンド殿にこの戦争の指揮権を預けます。今ある駒で戦争を勝利に導いてください」
ノヴァリンドは鼻で笑う。当然そうくるだろうと思っての反応。だがこれはアンドレイドの逆鱗に触れた。怒りによって高まった熱を全身を覆う鎧から蒸気を排出する。
──ゴシュウウウゥゥッ
「……茶番だ」
今にも攻撃に転じるかと思われるほどの殺気にエクセルは思わず立ち上がり、ルークフィンに対して口撃を仕掛ける。
「自分が今何を言っているのか分かっておいでですかっ!? あなたがこの方に教鞭をとるのは勝手ですっ! ですが、この戦場は元帥があなたに任せたものっ! それを勝手に移譲するなどと万死に値しますっ!!」
「お待ちなさい。何も吾輩が指揮権を放棄するとは言っておりません。預けると申したのです」
「何をっ?! それは詭弁ですっ!」
「いえいえ、詭弁ではありませんとも。もちろんノヴァリンド殿の手に負えない事態となれば、吾輩が代わりに指揮しますゆえ、ご安心を」
「いや、だから……っ!!」
エクセルが前のめりになってルークフィンを非難していたが、アンドレイドはスッと右手を上げてエクセルを制した。
「よい。座れエクセル」
「……はっ」
エクセルは感情を無理やり抑え、静かに席に着く。
「お前が買っているこの女の実力。とくと見せてもらおう」
「ふっ……だそうですよ。ノヴァリンド殿」
ルークフィンはアンドレイドの言葉を受け流してノヴァリンドに直接渡す。
「そうね、ここまでお膳立てされたんだもの。少し、本気でやらせてもらうかな」
デザイアに相応しいと言われて上機嫌になったノヴァリンドは盤上に目を落とす。ホログラムが味方陣営の動きを同期し、リアルタイムの動きを観察出来る特殊な盤上はまるでシミュレーションゲームのようだ。しかし、起こっていることは全て本物。一つの戦術ミスが全てを瓦解させる。




