439、さらば龍球王国
その日、魔導戦艦は飛び立った。同時に数ヶ月もの間、龍球王国の領空を侵犯し、すっかり日常に溶け込んでいた浮遊要塞もゆっくりと移動を開始する。
ようやく訪れた平和を噛みしめるように国民は空を見上げて笑顔を滲ませる。晴れやかな空は龍球王国の将来を明るく照らしているようだった。
「いいなぁシズク殿もヒビキ殿もアキマサ殿も……わたくしも一緒に戦いに出たかったなぁ……」
ホウヨクは足で地面を掘る様にいじける。大きく広い背中が小さく見えるほどのいじけっぷりに部下たちもそっと距離を置く。そんな中、ホウヨクを鼓舞するようにコジュウロウがパシンッと背中を叩いた。
「なにバカなこと言ってんだよ。お前が居なくなったら誰がこの国を守るってんだ? ニシキ様も俺も誰よりお前を頼りにしてんだから不貞腐れんなよ」
「コジュウロウ殿~」
「うわっ! バカよせっ! 抱き着いてんじゃねぇよっ! ほら仕事仕事。あいつらが行ってる間にとっとと片しちまうぞ」
「……うむっ! あい分かったっ!!」
コジュウロウに慰められたホウヨクは少し元気を取り戻し、持ち場に戻っていく。コジュウロウはホウヨクを見送った後、肩を竦めつつ浮遊要塞に目を向ける。世界を救いに行くアキマサたちの背中を幻視しながら。
「……お頭」
いつ忍び寄ったのか、ヌッと陰から現れるように部下が登場した。コジュウロウは目を合わせることなく反応する。
「見つかったか?」
「いえ、トガノジョウ=トウダ及びシンクロウ=クロバの足跡は不明のままです。既に国外に逃亡したか、あるいは呪いに飲まれたかのどちらかではないかと……」
「ライトやディロンの話じゃ触れた途端に消滅するヤバい泥だったらしいからな。ぶっちゃけ消滅してくれてた方が楽っちゃ楽だが……。後2、3日捜索して何もなければ打ち切れ」
「はっ」
「ところで、ヒラミツの方はどうなっている?」
「流刑の沙汰が下ってからは暴れておりましたが、今は神妙にしております」
国外追放を受けたヒラミツ=シバは『何故自分ばかりが』と憤慨し、先の戦いにて央龍皇に弓引いた賊軍を根こそぎ処罰するべきだと強弁し始め、道連れを強く要望した。
しかし、他の家臣たちはヨリマロたちの命令に逆らえなかった挙句、国家転覆を利用したオキノブの革命計画に巻き込まれたという見方が強く残り、キジン一派から寝返ったテルヒサの件も含め、情状酌量の余地ありということでお咎めなし。
その点ヒラミツは、央龍皇から貸し与えられている領土を勝手に外国勢力に売り渡し、オオトリ家の家臣という立場でありながら謀反を起こす大罪。
一見すれば外患誘致罪に問われてもおかしくなく、死刑にならなかったのが不思議といえる。これは売った先がルオドスタ帝国の剣師たちであり、剣師たちは戦争に参加していないのが関係している。今回やらかしたのが機界大国の連中であることを思えば、謀反と土地売買は無関係だと判断出来、結果それぞれの罪で罰せられて国外追放となったのだ。
ちなみに戦争前にやらかしたサコン=マシラにも国外追放の話が出たが、既に御家追放の処分が下っているためにこれ以上は過剰と判断し、囚人として刑務所にお勤めすることになった。
「引き続き目を光らせろ」
「御意っ」
部下は目もくれないコジュウロウにお辞儀で返し、物の陰に隠れ潜むように立ち去った。
(……魔神襲来は劇薬だったな)
グレゴールの襲来はヨリマロたちの動きを活発化させるだけに飽き足らず、機界大国の暗部が凶行に走るきっかけにもなった。そのせいでいずれ来る災厄が早まり大変な目に合ったが、丁度レッドたちが来てくれたおかげで犠牲はあったものの、無事解決に至った。
このまま龍球王国が何事もなく復興出来れば、ヨリマロやムネヤス、シュウザやトガノジョウなどの悪辣極まる武将たちを排した、健全でより良い社会を構築していけると固く信じられる。
「……災い転じて福となす、か」
コジュウロウは武将も平民も忍びすら関係なく王国復興のために入り乱れ、活気が戻っていく様を見ながらポツリと呟く。誰に聞かれるでもない言葉は中空に溶け、風に乗って遠くへと飛んでいった。
*
シンクロウは暗闇を彷徨っていた。自分が今どこを進み、どこを目指しているのかも分からないままに。
──熱い。
全身がじりじりと焼けるように熱い。
目の前に現れる幻影は在りし日の記憶。
『サブロウ。……サブロウ。お前がクロバ家を継ぐのだ。イチロウタでは我が黒羽圓冥流を使いこなすことなど一生出来ん。分かるか? サブロウ。この世は力こそ全てなのだ』
幼き頃、父親にしごかれていた。
あの時の俺はただひたすらに強くなることに必死だった。
強くなければ馬鹿にされ虐げられる。
強い人に憧れた。ナガヨシさんやオキノブさん、セイリン家当主ヒズミさんを目標に、とにかく鍛え上げた。
特訓の成果が出る度、父親の機嫌は目に見えて良くなる。機嫌が悪いとすぐに手が出るから、正直あまり一緒に居たくなかったが、褒められた時の喜びは人一倍だった。
勉学に励み、体を鍛え、父の期待に応え続ける日々。いつしか剣術は体の一部となり、呼吸と大差ない領域にまで発展する。
父は満足し、未熟な兄から家督を簒奪させようと秘かに画策していた。しかしその目論見は失敗する。
父が逝った。戦死だった。
龍球王国アマツカグラと神聖エルサリオン帝国の戦争。
傲慢なエルフとの諍いが戦争まで発展し、ついには多くの死者を出した。きっかけはゲンム家の奥方の連れ去りだとか聞いたがどうでも良い話だ。
跡を継いだイチロウタは『センクロウ』へと名を変え、クロバの当主となった。
元々妾の子だった俺に跡目争いなど興味のない話。当主が変わっても尽くすだけだったが、兄は亡き父の身辺整理を行っている最中に秘かに画策していた家督簒奪を知った──。
「──っ!」
シンクロウは滝のような汗を流しながら目を見開いた。真っ白な天井に棒状の魔導光が嵌め込まれ、煌々と辺りを照らしている。ドクンドクンと脈打つ心臓が耳元にでも置いてあるかのようにやかましい。
どうやらベッドの上にいるようだが、誰が運んだのか、どこに居るのかなど全く分からない。直前の記憶を思い出そうと眉間を押さえた時、「痛いの?」と声が聞こえて来た。
シンクロウはバッと起き上がり、声の主を確認する。そこに居たのは小さな少女。
黒く長いウェーブ掛かった綺麗な髪、おでこにひし形の赤いクリスタルが埋め込まれている。ジト目のような垂れ目の奥、光のない瞳がジッとシンクロウを見つめている。絹のような白いキャミソールに身を包んだ女児が丸椅子に座って足をプラプラさせている。
「……何者だ?」
そう問いながら少女とは反対方向に移動し、ベッドから降りる。たかが少女相手に距離を取るのは警戒し過ぎとも捉えられるが、得体の知れない存在は魔物と大差ない。
視線を動かしながら周りを確認する。ベッドの他にあるのは少女の座る丸椅子と固定された棚。近くに武器が置かれていない。シンクロウが着ているのはいつもと違う衣服は医療現場で使用される患者衣。もちろん何も装備していないが、最悪素手でも戦える。
「怖いの?」
煽っているようにも聞こえるが、純粋な興味で聞いていることが表情から伝わってくる。シンクロウはなんだか馬鹿らしくなって屈めた腰を伸ばした。
「いや、怖くはない。問題はここがどこでお前は誰かということだ」
「ここはダイダロスの医療施設でメリオラはメリオラ」
「ダイダロスだと? つまりここは……」
シンクロウがメリオラと名乗った少女から視線を切った直後、マイクの電源が入ったような音が部屋に木霊する。
『そうだよぉ。ここは機界大国さ』
どこに設置してあるのか定かではないが、隠れたスピーカーから良く知る声が聞こえてくる。この声を聴くと気絶直前の記憶がフッと蘇ってくるようだった。
「──ぐっ!?」
思い出したくもない記憶に頭を抱えてしゃがみ込む。体は魔法で治癒が施されているのか全く痛みはなかったが、心の傷までは治らない。過度なストレスが偏頭痛となってシンクロウを襲う。
──パシュンッ
金属の管から空気が漏れ出たような音が鳴りながら扉が開く。そこには黒色のワイルドなミディアムヘアに相手を見下したように見える垂れ目に黒色の瞳を持つ、眼鏡と無精髭が特徴の男が白衣を身に纏って立っていた。
それを見たシンクロウは苦々しく睨みつけながら名前を呼ぶ。
「……ラストゥス……っ!」
「はぁいっ、おはようシンクロウ君。かれこれ一週間とちょっとぶりかな? よく眠っていたねぇ。働き過ぎなんじゃないかい?」
ラストゥスの顔を見た途端にゆっくりと立ち上がり、臨戦態勢となるシンクロウ。殺意を感じ取ったメリオラは「お父様」と言ってラストゥスに駆け寄る。白衣をぎゅっと握ってシンクロウをジトッと見ている。
その瞬間にシンクロウの肩から力が抜け、困惑したように目を泳がせる。
「あらら、メリオラちゃんが僕のこと心配してくれちゃったじゃないの。いけないねぇ、命の恩人にそんな殺気を向けちゃぁ……」
「ふざけるな。どうして俺を……」
「いやぁ……何というか居た堪れなくてねぇ。君のその、何て言うか『共依存』的な価値観がさぁ、見るに堪えないというか……ま、とにかく僕の気まぐれって奴さ」
「チッ……何が気まぐれだ。もういい。俺を解放しろ」
「解放? 仮にここから出たとしてどこに行こうっての?」
「国に帰るんだよ」
シンクロウは興が覚めたと言わんばかりに肩を竦める。ラストゥスは首をゆっくりと横に振り、ニコリと笑った。
「君にもう帰る場所はない。お役御免だよシンクロウ君」
「……なんだと?」
シンクロウはラストゥスからの説明を受け、現在の龍球王国の内情を知る。あれだけ国を搔きまわしたのに今もまだ間者が潜り込んでいる事態に驚愕を隠せないが、その報告が全て真実だとするのならシンクロウは戻った途端に逮捕される。二度と出られない牢獄で一生を終えるか、死刑か。待っているのは地獄のみ。
とはいえもはや守る者も生きる希望もない。罪を償うなら素直に出頭し、残りの人生を監獄か斬首で終わらせられたら本望ではないだろうか。
「ほら」
そう言ってベッドに投げ出されたのはオキノブから託された刀。大業物・名刀『鴉黒』。
シンクロウは目を見開き、プルプルと手を震わせながら刀を手に取った。
「治療するまで離さなかった大事な刀。返しとくよ。……あ、この部屋傷付けないでね? すっごく高いから」
ラストゥスはパチッとウィンクして歩き去る。メリオラも一瞬チラッとシンクロウを見た後、ラストゥスの後を追って一緒に出て行き、しばらくすると自動で扉が閉まった。
1人になったシンクロウは刀を抱え込み、部屋の隅で縮こまる。
静かになった部屋で呆然としていると、鎧を着込んだ時特有の金属の擦れる音と重そうな足音が聞こえてくる。その音はシンクロウの前に立ち、見下ろすようにしているのが何となく分かった。
『──振り回してすまなかったなぁ。シンクロウ』
その声にハッとして顔を上げる。ぼんやりと光り輝くオキノブが立っていた。全てのしがらみから解放された男の顔は晴々として和やかだった。
『──生きろ。お前自身のために……』
オキノブはそれだけを言い残して消えていった。
シンクロウの肩は小刻みに震え、大粒の涙を流す。
それはただの幻影であり、オキノブが最期に残したセリフなどではない。自分の中にある生存本能がオキノブの形を取って説得しただけなのだろう。しかしその言葉はシンクロウに染み渡り、空虚な心に火を灯した。




