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29.悪役令嬢のバッド・エンド【肆−③】

 『全てに片がついたなら、自由になりたい。』


静かな声音で告げられた言葉。

初恋の相手によく似た面立ちの、全く違う瞳の色をした青年がポツリと溢した言葉。


『自由になれたその時に、私の隣には貴女がいてほしい。』


その言葉に、なんと答えただろうか?


夢を語る幼い少年のようにキラキラと輝く瞳で、心に思い描いた望みを(てら)いなく告げる。

4歳年上の青年が、途端に可愛らしく、この上なく愛おしく想えた。


状況は最悪の最中、しかし同時に幸福の絶頂でもあった。


この日々を懐かしむ日は、遠く遥か彼方にまで遠ざかってからになる。

この幸福な日々を、取り戻せたなら……何が出来るだろう?

自問しても自答できない。


ただ言えるのは、青年が夢見た日々は実現しなかった。

この時の2人が共に歩む未来は、最初からこの世界では用意されてはいなかったのだから。





 結果から言えばフォコンペレーラ公爵家の現状は、想定した最悪の状況だった。

『聖女』は家族を人質、断罪の舞台への招待に頷かせる交換材料に選んでいた。

最初からそれが目的であったかは、本人のみぞ知る。


舞踏会は、奇しくもライリエルの16回目の誕生日と重なった。

年の瀬に近い、雪月(ニヴォーズ)の25日。


これが最後となる『聖女』との真っ向勝負の場。

この招待に応じないという選択肢は消された。

ならば、今度こそはと覚悟を決めて全力で臨むのみ。


後日届いた舞踏会の為に誂えられたドレス一式。

公爵家のお抱えテイラーにでも仕立てさせたのか。

寸分の狂いなく仕立て上げられた、最高級品の生地を惜しげもなく使用して作られたオフショルダーのAラインドレスは(わたくし)の身体にぴたりと合った。


薄い生成りの生地に金糸銀糸で精緻な刺繍が施され、華美になりすぎないよう配慮された上品な意匠を凝らしてある。


ここで王太子殿下の瞳の色を選んでくる気が知れない。

以前言っていたことが真実起こるとしたら、婚約解消を会場に集まる皆の前で宣言するのだろう。

私をより惨めにさせる布石だと考えられるが、このドレスでなければならない、とは招待状に記載されていなかった。


公爵家の内情が知れたその日の内に、ドレスを1着急ぎで誂え準備したので、このドレスを着る気は毛頭無い。


ドレスを納めてあった箱にはカードが添えられていた。

内容は想像どおり、舞踏会の参加を促すもので、その文章には、参加しなかった場合に起こるだろう家族への生命の危機を暗示させる言葉が散りばめられていた。



 あと1週間、舞踏会当日まで時間がある。

可能な限り、フォコンペレーラ公爵家の内情を探ったが、潜り込ませた人員はしばらくすると『聖女』の術中に嵌ってしまい情報はのぞめなくなる。

そう何度も同じ手は使えないため、これ以上の情報収集は諦めざるを得なかった。


ここに至るまでにも、私達は出来うる限りで情報収集や現状をこれ以上悪化させない対策を試みてきた。


フィン様は王家の秘史の中に【魅了】の魔導の理に関する記述がないか、時間を見つけては人目を忍んで保管場所へと向かい、終わりの見えない膨大な量の記述を読み解いている。

勿論のこと、学園長、王弟としての業務や政務をこなしながら、の限られた時間を惜しんで行動している。


セルヴィウス卿は『聖女』の【魅了】の影響下にない王族の保護を目的に動いている。

国王陛下、王妃陛下、王太子殿下を除く残り4人の王族を『聖女』に接触させないよう尽力している。

目下頼みの綱となっているのが第二王子殿下だった。

『聖女』は(しき)りに第二王子を術中におさめようと擦り寄ってきたが尽くにべもなくあしらわれ、今では諦めたのか近寄ってこなくなったそうだ。


一度だけ見返した、清く澄んだアメジストの瞳が脳裏に蘇る。

確かに、あの第二王子が簡単に他人に気を許すとは到底思えない。

他者を傍に置くことさえ、想像に至らない。

そうであると素直に納得できる、不思議な説得力があった。


気難しい第二王子の協力を仰ぎ、了承を得ることに成功したセルヴィウス卿に意思疎通に苦心したのではと尋ねると、キッパリと否定された。


「いいえ、まったく。 苦になどなりえません。」


そう答えたセルヴィウス卿の顔にはそこはかとない喜びが滲んで見えた。


不思議に思ったが、そういえばと思い出す。

セルヴィウス卿は騎士団に配属される前、ほんの一時期近衛騎士団に籍を置き、第二王子殿下の近衛として侍っていた事がある、と以前何かの話のついでにお父様が教えてくださった。


成長なさった第二王子殿下の凛々しいお姿に感慨深くなっているのだろう、と勝手に解釈して深くは気に留めなかった。



 私はといえば教会の書庫の探索を細々と継続していた。

書棚に収められた分には一通り目を通し終えた後、書棚に収まりきらなかったものにとりかかる。

その作業の合間に不思議な書物、ではなく開いてみると手書きの文字が見えたので手記だとわかった。


随分と古い物のようで、日焼けして所々破れも見られた。

書かれている文字にも古い字体が混じっていたが、何とか読み進められた。


湿気で所々(ところどころ)張り付いたページを(ほど)きながらパラパラと流し見ていく。

内容は日記かと思えば、何かの覚書やデッサン等、多岐にわたって記してあり、目についたもの、思いついたものを書き留めたもののようだった。


特殊な状態で書庫にあったにしては取り立てて隠す必要があるとは思えない内容だった。

どうしようか迷った挙げ句、エリファレット邸に持ち帰り、ウィルフレッド様にご覧になって頂いた。

私では気づけない何かがこの手記の中に書かれているかもしれないと思ってのことだった。


案の定、ウィルフレッド様はデッサンの1つ、印章を模写した絵に目をとめられた。

印章年鑑を参照し、それがどの年代に使用されたものであるのか特定された。

他にもなにかの書物を確認してから王城に詰めるフィンレイ様に通信石で連絡をとられた。

この印章が使用されていた年代を伝えると、王家の秘史を確認してみたらどうかとも伝えていらした。


確認し次第、エリファレット邸へ行くことを約束したフィン様の返事を聞いてから、通信を終えられたウィルフレッド様はこの印章について簡単に説明してくださった。



 今から500年ほど前に、この印章を使用していた人物は教会の枢機卿に就いていた。

次代の教皇候補だったその人物は、ある時を境に魔に魅入られたと噂がたち、異常な行動が増え、遂には自ら塔の上から身を投げて自死した。


原因は不明とされていたが、しばらく経ってからどうやら恋人の死がきっかけだったらしいとまことしやかに囁かれだした。

その噂も、教会関係者によって緘口令がしかれ有耶無耶となり人々の記憶から忘れられていった。


この頃にも丁度『聖女』が現れていたと教会史に記録があった事も、フィン様に連絡する前に確認されたそうだ。


『聖女』の素養がある者はおよそ100年毎の周期でに誕生する。

しかし真実『聖女』に覚醒を果たすのは、およそ500年に1度の頻度だった。

そして『破滅を招く魔女』が救済されるのも、500年に1度…。


偶然にしては、出来すぎている。

フィン様が話してくださった王家の秘史に記された内容も思い出されて、尚更偶然とは思えなくなる。


数時間後に、約束通りやって来たフィン様の口から予想通りの内容が語られた。

この年にも『聖女』によって『破滅を招く魔女』が救済された記録が記されていた、と。


この手記を記したのは恐らく女性、すなわち枢機卿の恋人だった女性は『破滅を招く魔女』として何らかの形で『聖女』によって救済されたのだ。


手の中の手記をぎゅっと握りしめる。

すると、薄い革の装丁の下に、なにか不規則な凹凸があることに気付く。

よく見ると、一度表紙を剥がした跡があり、綺麗に貼り直して今の状態になったことが解った。


剥がした跡に沿って、ペーパーナイフの尖った先で強くなぞり接着を剥がしていく。

現れた裸の表紙には、茶色く変色した()()のシミと、同じ色味で文字が書かれていた。


[此の世に仰ぐべき《神》はいない

 『聖女』は偽りの救済者だ

 私は【魅了】などされない

 私にはその能力は通用しないと証明された

 だからこそ憎い!呪わしい!

 偽りの『聖女』と《神》に永劫の呪いを!!

 私は断じて狂ってなどいない!!

 狂っているのは、此の世界だ!!

 彼の世で此の世の滅び去る日を

 指折り数えて待つとしよう!!

 永久(とこしえ)なる“■■”よ!!!

 此の世界を真に救済せよ!!!]


読み終えた後、暫くは誰も口を開かなかった。

心が重く沈み込んでしまって、息苦しくなる。


この沈黙を破ったのはフィン様だった。


「彼に【魅了】が効果を発揮しなかったのは、何故なのでしょう? 証明されたということは、『聖女』が行使した【魅了】を目の前で打ち破ったのでしょうか…? 一体どうやって、何が彼を守ったというのでしょう?」


【魅了】を跳ね除けてみせた、それは何度行使されても変わらなかったのだろうか?

【魅了】の攻略の重要な手がかりが見つかった、それは確かだが、何が彼に“遺失魔法(ハノ・マギア)”を無効化にさせたのか、肝心なそこがいくら頭を捻っても解らなかった。


この手記はフィン様の手元にある方が良いと判断して、王城へと帰るフィン様に手渡した。

この手記の持ち主だった女性は、どんな気持ちで最期を迎えたのだろうか…。

恋人に見送られて、輪廻転生の輪へと旅立ったのだろうか。

それとも、独り寂しく葬られたのだろうか。


どうしても考えてしまうのは、『破滅を招く魔女』として救済された女性のこと。

『聖女』がその役目を果たしたという実績を残すための生贄にしか思えない。

そしてこの事が私にはとても他人事とは思えない。


暗い表情の私を励ますように、手記を手渡したあとも中途半端な位置で彷徨わせていた右手を取られ、フィン様の顔の位置まで持ち上げられた…と思った直後に、見せつけるようにしながら手首の内側に口づけられた。


「ーーーーーーっ!!?」


驚きすぎて口をハクハクさせることしか出来ず、声は喉の奥で絡まり詰まってしまった。


「あまり思い詰めないで下さい、もしまた思い出して暗い感情に呑まれそうになったなら、今のキスも一緒に思い出して下さいね。 すぐに暗い感情なんて吹き飛びます、きっと効果覿面(こうかてきめん)であると保証しますから、ね?」


「ーーーーーーっ!!!」


結局文句は喉から先に出すことが出来ず、したり顔のフィン様に物申すことが出来なかった。

上機嫌で手をひらつかせて馬車へと乗り込む後ろ姿に、急に引き止めたい衝動に駆られる。

今このまま行かせたら、もう二度とは会えないような不安に襲われた。


私はこの時どんな表情だったのか。

馬車に乗り込んでから振り返ったフィン様は少し不思議そうに見返してきたが、私を安心させるように穏やかに微笑んだだけだった。

学園長室で私の異変にいち早く気付いた慧眼の持ち主が何も言及しなかった。

ならきっと、少し悲し気な表情くらいですんでいたのだろう。

この時に、私は馬車の姿が見えなくなるまでずっと、体が冷えるのも構わず見送りつづけたのだった。



 それが今日起こった出来事だった。

王城に帰り着いたフィン様から無事に到着したとの連絡が通信石にてもたらされた。

そうでなくとも安否確認のために毎日決まった時間に何かしらの連絡を通信石で寄越して下さっていた。


だからこそ王城で孤軍奮闘するフィン様を少しだけ安心して応援していられた。

舞踏会が3日後に迫った日に、定時連絡が途絶えてしまい、王城でも姿が見かけられなくなったとセルヴィウス卿から連絡がもたらされて………目の前が暗くなった。


それでも希望を捨てるには早すぎる。

もう既に彼は王族としてその存在を世間に知られている。

どんなに目の敵にされたとしても、生命の危険などありはしない。

ウィルフレッド様も、セルヴィウス卿も、そう励ましてくださった。


今は目前に迫る舞踏会だ。

その事だけに終身して、他事に注意を逸していては足元を掬われてしまう。

気を強く持って、臨まなければ。


セルヴィウス卿の指揮の下、鋭意捜索してもフィン様の行方は依然として掴めず、安否もわからない。

悪い予感は拭いされないまま、舞踏会当日を迎えた。



 待ち合わせ場所として王太子殿下が指定してきたのは、こうなる以前何度か2人で散策したことがある、王城の数ある庭園の中でも私が1番気に入っていた中央庭園の入り口にある緑門の前。


王城の一室ではなかったのが、招待状の内容を見たときからの疑問だった。

舞踏会の会場となる大広間はここからだと距離がありすぎるのに、何故?


王太子殿下も、この庭園を私との思い出の場所だと少なからず思っていたのだろうか?

私たちがまだ穏やかに微笑み合いながら、連れ立って歩いていられた過ぎ去った日々。

その中の限られた短い時間を過ごした場所の一つ。


1年前までは当たり前に続くと信じ、王太子殿下と過ごしていた日々が、今ではもう懐かしいと感じてしまう。


「逃げずに来たのだな。」


声のした方に、ゆっくりと体から向きなおる。

言葉からも感じた苦々しさがありありと浮かぶ表情で王城から歩いてきたのだろう王太子殿下が腕を組み立っていた。

私の纏うドレスを見て、秀麗な眉根を寄せた。


王太子殿下が贈って寄越したドレスは予定通り着なかった。

奇しくもデザインが似通ってしまったが、色味や細かな装飾が全く違う。

オフショルダーのAラインドレスを瑠璃色の生地で仕立てた。

銀糸で施した刺繍は控えめに、生地に直接縫い付けられた幾つものブルーダイヤモンドが夜空に瞬く星星のような煌めきを添えている。


ドレスはフィン様に誂えて頂いた。

実際に出来上がったドレスを着た私を見つめていた、あの嬉しさを隠さない優しい笑顔がもう一度見たい…。


そのために、今日、今この時を乗り切らなければ…!


「勿論、逃げられるはず御座いませんでしょう? 愛する家族の生命を天秤にかけられては、私に逃亡という選択肢は選べませんもの。」


「愚かだな、君は理解していないのか? 家族が君を疎んでいる現実を。 君に対する愛情など疾うの昔に消え失せていると、まだ理解できていないというのか? 救えないな、未だにそんな家族を愛しているなどと、あり得ない。 現実を受け止められず後悔できぬとは、愚の骨頂だ。」


王太子殿下の吐き捨てる言葉に苛立ちが垣間見える。

何をそんなに苛ついているのか。

これも【魅了】の影響なのだろうか?


「私は、そうは思えません。 私は、愛したことを悔いてはおりません。 ただ、愛しているからこそ、こんなにも辛く苦しいのです。 愛した人々からの厭う言葉はこの身を裂かれるより、私の心を、精神を…苛みました。 ですが私が彼等を愛したことを、悔やむことはありません。」


ただ、一方通行なのが辛い。

愛を返されない我が身が、虚しい。


「私は愛したいから、愛したのです。 確かに絶望しました、ですが、愛したことを恨みきることは……出来なかった。 愚かだと思われようと、私は今でも、家族を…そして勿論殿下のことも…愛しております。 特別な愛情では、なくなってしまいましたが……、家族に対するのと同じ愛情を、抱き続けております。 『鷹』は愛情が深い、そう教えてくださったのは、ディオン様でしたわね…あの日のことは、今も大切な思い出としてこの胸に残っております。」


 ーー貴方が忘れてしまっても、私の胸にはいつまでも優しい記憶として残り続ける。ーー


ありったけの慈愛を籠めて微笑む。


その表情を息を詰めて見返していた王太子が突如苦しげに呻き声をあげて身体をくの字に折ると、絞りだした声音で途切れ途切れに告げる。


「逃げ……ろ…! ライ…リ、エル!!」


「ーー殿下っ?!」


「これは…、違う! こんな事は……私の、本意ではない!!」


「正気に…戻られたんですか…?!」


「長くは保たない、今のうちに…早く、行け! う…ぐぅっ!! ぐ…あぁっ、くそっ……!!!」


「殿下! お気を確かに…、ディオン王太子殿下!!?」


一際苦しげに呻き、頭を抱えて蹲る。

呻き声が止み、静かになる。

再び立ち上がった時には、先程の葛藤は立ち消えて、何事もなかったかのように涼しい顔に戻っていた。


「ーーーふぅ。 何か…取り乱してしまったかな? まぁ何があったにせよ、時間切れだ。 覚悟は良いか、ライリエル・デ・フォコンペレーラ。 全てに別れを告げる覚悟は?」


煌めく光をなくした黄金色の瞳を静かに眺める。

先程の残滓を探るようにじっくり見つめてから、告げる。


「………殿下、申し訳ございません。 私は逃げるわけには参りません。 家族を見捨てて…、いいえ、私が愛した人々を見捨てて逃げ出すことなど出来ないのです。 今日(こんにち)まで私を支えてくれた、あの方に応えるためにも。」


「…ふん、では行こうか? 君の最後の晴れ舞台へ。 お手をどうぞ、レディ?」


「宜しくお願い致しますわね、ディオン王太子殿下。」


感情を消した抑揚のない声でエスコートを申し出るかつての婚約者に、優雅に手を差し出す。

僅かな震えも起こさないように細心の注意を払いながら。

相手に気取られることがないように。


かつてあった淡い恋心がこの時に真実過去の感情(モノ)となった事を、自分以外の誰にも、知られたくなかった。



 会場に入るとすぐ、幾対もの目が私たちに向けられる。

主に私の一挙手一投足を逃さず見届けるつもりのようだ。


そこはもう既に、準備が万端整っているようだった。

私を断罪するための特別な舞台が。


会場の奥まで王太子殿下のエスコートで向かうのだと思われた。

しかし小上がりになった壇上に立つ『聖女』が見えた時点で、王太子の手は自然と私から離れた。

道半ばで聖女の元へと一直線に向かう王太子に置き去られる。

最後と言っておきながら、ちゃんとしたエスコートをする気は更々なかったようだ。


「あぁ~らぁ、いらっしゃい♡ やっといらしてくださったのネ、お義姉様♡」


戻ってきた恋人に手を伸ばし、その腕に自身の腕を絡ませ、肩に頭を凭せかける。

優越感を隠そうともしない、厭らしくニヤついた表情で口端を吊り上げて嗤っている。


「随分、遅かったですわねぇ~? 一体何をなさっていらしたのぉ~? ワタクシ、待ちくたびれてしまいましたわぁ~~!!」


大仰な身振り手振り、最後は欠伸のまねまでして待ち惚けたことを主張する。

その仕種だけでも騒がしい。


「じゃぁ、はいっ! サクッと終わらせちゃいましょう? お義姉様にとっての、最後の舞踏会を♡♡」


パンッ!

軽く叩き合わせたその手の甲に頬を寄せる。

それが合図となり、会場に流れていた楽団による優美な演奏が止む。


舞台照明を一身に照射されたように、会場中の目が私を不躾に睨めつけてくる。

その目はどれも、昏く淀んでいるように見えた。


強制的に歩かされ続けた、針の筵の上。

その最終地点に、私は立っている。

穴だらけになった足裏で、それでも懸命に立ち続ける。


私を支えてくれる、愛しい存在がまだ、此の世に存在しているから。

無様に怯える事など許されない。

今度こそ、立ち向かってみせる。


「お義姉様、ワタクシとってもとぉ~~っても、傷ついておりますのぉ。 お義姉様ぁ、この場で額ずいて、謝罪してくだされば、今までの事はぜぇ~~んぶ、水に流して差し上げますヮ♡」


「ルシフェーラ様、私には貴女に謝罪することなど御座いません。 何に傷ついているのかは存じ上げませんが、言い掛かりはおよしになって?」


「この期に及んで、まだ認めないのか? 君がルーフェを厭い、排除しようとしていたと、この場にいる誰もが承知しているというのに。 未だに罪を認めないとは、君には良心というものが備わっていないのか?」


「王太子殿下、私は勿論良心を人並み以上に持ち合わせております。 だからこそ、この様な茶番にもお付き合いしているのです! 今日この日、この場所で、この茶番劇に幕を下ろす為、ただそれだけの為に!! 貴方がたのおっしゃる『聖女』様に対する虐めなど、そもそも起こってもいない架空の出来事です。 事実無根であるのに、何故私がやったなどと、胸を張っておっしゃれるのですか?」


「忘れたのか? 目撃者も大勢いる。 その中の一人は君の兄君だ。 実の兄が、妹を見間違える筈など無い。 私が付けた見張りの目をも騙して犯行に及ぶ術も、君なら容易だろう。 闇魔法は君の得意分野だ、方法など数限りなく実践できよう?」


「兄の証言のみを盲目的に信じていらっしゃるのですか? それこそ、貴方らしくない! 一方のみの意見を尊重するなどと、以前の殿下は絶対になさらなかった、私はそれを何度となくお側で見てまいりました! ただ声高に糾弾するだけならば誰にでもできる、だからこそ真実を詳らかにし、罪を犯したものに己の罪から逃げる口実を作る一切の隙も与えてはならないのだ、と。 今の殿下は、それが全く出来ていない。 すべて憶測の域を出ない、それを断罪の理由に出来るとお思いですか?」


「はいはいは~~いっ! ストップストップぅ~~!!」


王太子殿下との会話に割り込んできたのは奇妙な言葉を使いだした『聖女』様その人だった。


「お義姉様ったら、落ち着いて下さいな? ここでは貴女に反論や意見など求めていないのですからぁ~。 ワタクシの許可なく勝手に喋って、何様のつもりですの? ただ貴女は断頭台への決められた道筋を歩んでいる、その中の外せない1過程に身をおいている、その事実だけが必要なのです。 今この過程では貴女のセリフは一切、必要ないのですからぁ~~♪」


出来の悪い役者に場面解説をする舞台監督のように、良くわからない説明をさも当然であるかのように言ってのける。


「あと、勘違いしないで下さいな? 主役は常にこのワタクシ、だ・け♡ この場面で必要なのは、義姉からの非道な行いに耐え忍んだ『聖女』であるワタクシが王太子の擁護と寵愛を勝ち取り、諸悪の根源である義姉を断罪し、総てを取り上げて幸せを手にする。 その構図が必要なのです。 断罪される貴女のセリフなんて何の意味もな~~い、の♪ オーケー?」


身振り手振りがいちいち大仰で、鼻につく。


「だって総てはワタクシの為の舞台なのですから~~♪ 貴女が何をしようと、どんな言葉を吐こうと、誰を諭そうと、なぁ~~~んにも、変わらないのです、わっ♪ 行き着く先は、常にたったの、ひ・と・つ♡ 悪役である貴女のバッド・エンドと主役であるワタクシのハッピー・エンド! 絶対不変の定められたシナリオは何があろうと決して覆らない~~♪ ワタクシが白と言えば、何色でも白になる。 それがこの世の真・理、なのですぅっわ♪♪」


1人でクルクルと回り、踊り、また回る。

その動作を繰り返しながら、嚙まないのが不思議なほど回り続ける舌は滑らかに言葉を口ずさむ。


しかしその口ずさむセリフの中に、理解できない単語がそこかしこに混じる。

それらのせいもあり、理解できない。

何を言っているのだろうか、さっきから。

思わず怪訝な表情で見てしまう。


「あらぁ? 理解できませんか?? 矮小なお義姉様の頭脳では理解しきれませんか??? なら1つ面白いことをして差し上げますわねぇ♪ よーーく、見ておいて下さいな?」


自分の口元を指でさし示しながら、勿体振って間を取ってから。

右手を静かにあげる。

掌を上にして、腕を真っ直ぐに伸ばして高く掲げきる。


「『嗤え』」


たった1言。

簡単な単語1つ、聞いただけで会場に居る全ての者が一斉に嗤いだす。

耳を覆っても、防ぎきれない轟音となって鼓膜を激しく揺さぶってくる。

あまりの音の大きさに、建物や地面まで揺れだしそうだ。


掲げた右手をぐっと握りしめるのと同時に。


「『黙れ』」


シン……。

簡単な単語1つで轟音がピタリと止んだ。

会場中の人間の顔から『嗤い』の表情も抜け落ちて真顔となっている。


これは、何の冗談だろう。


 ーーこれが…“遺失魔法(ハノ・マギア)”の1つ、【魅了】の為せる業……その能力のほんの片鱗…? この会場に居る、全ての人間に……【魅了】をかけているとでも?ーー


唯の人間である、『聖女』が……?

あり得ない、人間には到底、できるはずもない所業だ。

人一人の精神を【魅了】で完全に縛るだけでも、相当な精神力を要するはずだと、フィン様が読み解いた名もなき書物にそう記されていたのだから。


今目の前にいるのは、本当にルシフェーラ・アンジェロンなのだろうか?

人間のルシフェーラ?


その瞳は昏い。

薔薇色が欠片も窺えない程に濁りきっている。


違う。

これはきっと、違う。

目の前の『聖女』は人間ではないーー!!


「どうでしたか? これで、お馬鹿なお義姉様でもお解りいただけましてぇ? 最初っからぁ~真実なんて、必要ないのですぅっわ! んふふっ、ふふふふ、んはははははっ!! じゃあ、種明かしも済んだことだしぃ、ちゃちゃ~~っと、終わらせましょうかぁ~~? 断罪劇の終幕のま・え・に、なにかお伝えすることがあるのよねぇ~? ディオン殿下ぁ?」


私の顔に浮かんだ畏怖の表情に、厭らしい笑みを深める。

歪みきった愉悦を隠そうともしない醜悪な笑み。


その笑顔のままで、現実を突きつけたことに満足したのか、主役とはどういう意味であるのか見せつけられて溜飲が下がったのか、舞台の進行を脇役に譲った。


「最後に一つ、とっておきの贈り物を用意してある。 気に入ってくれると良いのだが…。」


ゆっくりとした動作で一段、また一段、と壇上よりおりてこちら数歩手前まで近づき、少し身体を前に倒して形の良い口元をライリエルの耳元に寄せる。

周囲には聴こえない声量の囁きを私の耳殻内に吐息にのせて吹き込む。

一言一言ハッキリと、区切るようにして。


「フィンレイ・フォワ・エリファレットは、死んだ。 自身の出生に不満を抱き、王家に反意を持って謀反を企てた明白な罪により、昨日処刑された。 秘密裏に行われたからな、君が知らないのも無理はない。」


「そんなの嘘です!」


反射的に言い返す。

言葉の意味は、途中から上手く理解できなかった。

心臓がドクドクと逸りだして動く音と振動が、やけに大きく強く体に打ち響いている。


「嘘ではないさ、君に言伝も預かっている。 一応私の叔父上でもあるからね、最後の言葉くらい聞いて差し上げないと。 『君の側に最後まで共にいられず申し訳ない、けれど私は悔いてなどいない。 その事をどうか覚えておいて欲しい。 私の『青の君』、この心は永久(とわ)に共に。』 書き留めてはいないが、一語一句漏らさず伝えたよ? 礼は不要だ。 どうだい、この贈り物の感想は、如何かな? 君への良い手向けとなっただろうか?」


カタカタと身体が小刻みに震えだす。

『青の君』は、フィンレイがライリエルに対して時々呼びかけていた(あざな)だ。

2人きりの時に、数えるほどしか言われていない。

それをこの王太子が口にしたということは、言伝は本物、ということはつまり……処刑は本当にーーー?!


ガクンッ!と勢いよく膝から床へと崩折れる。

足に力が入れていられない。

それまでの凛とした態度が嘘のように、顔面には絶望している以外にない、悲壮な表情を浮かべている。


「どうやら、信じてもらえたようだね。 嬉しいよ、君達の役に、想い合う2人の役に立てて、いや違うか、想い合っていた、かな。 これが最初で最後なことは気の毒に思うが…自業自得、そうだろう? 王家に楯突いて、平穏無事ですむはずなど無い。 賢い君なら、勿論解っていただろう? なのに、何故こんな愚行に走った? 彼は止めなかったのか? 信じられないな。 彼も賢い部類と思っていたが…どうやら過大評価し過ぎていたようだ。」


虚ろな目で座り込むライリエルへ、最後の引導を渡すように、これ以上立ち直れないように、心を折り切る言葉を浴びせる。


「いい勉強になっただろう、来世ではそれが役立つことを願っているよ。 それとこれも、大事なことだ。 愛情を捧げる相手は、しっかりと見極めないと。 後悔してからでは、遅い。 取り返しがつかなくなる前に、身の振り方を改めないと……彼のような最期を迎えることになる。 誰の目にも触れず、ひっそりと、この世から去る事になるのだから。」


言葉の終わり頃には、座り込む少女の目は瞠られきっていた。

しかしその目に涙は無い。

ただ、果てしない虚ろが黒々と陰を落としきってラピスラズリの瞳は光が失われていた。


『フィンレイ・フォワ・エリファレットは、死んだ。 自身の出生に不満を抱き、王家に反意を持って謀反を企てた明白な罪により、昨日(さくじつ)処刑された。』


その言葉が耳の中で、何度も何度も繰り返され、今も囁き込まれているように、消えてくれない。

あれから、何を言われても、この言葉たちが耳の中に居座って、他の言葉の侵入を阻んでいる。


上手く聞き取れていない間に、王太子達(かれら)の話は終わっていた。


婚約破棄宣言、公爵家からの絶縁宣言もあったように思う。

会場中から向けられる、侮蔑や軽蔑、嫌悪、あらゆる悪感情に塗れた、操られた白い眼差し。


それらすべてがまるで気にならない。

なんだか、全てが、どうでもよく思えた。


「さて、長いようで実に短く、呆気ない幕引きとなったな? ライリエル嬢、他になにか言い残しておく事はあるかな? 元婚約者のよしみだ、今なら恨み言の1つくらい甘んじて聞き届けられるが、何かあるかな?」


座り込む私に、手を差し伸べてくる。

どんなに虚ろな目で見つめても、王太子殿下は優美な微笑を崩さない

どういう意図であるにしろ、立ち上がる必要はあったので素直に手をのせる。


ぐっと、思いの外強い力で立ち上がらされた。

決して乱暴ではなかったが、何かを言外に訴えるような行動に思われた。

然し今となっては、それが何に繋がるのかなど考える気力もない。


これまで私をこの場に留め、この針の筵の上を歩き続けさせた原動力であり、心の拠り所であった最後の砦が、打ち破られた。

砦の中、必死に隠して守り抜いてきたものが、暴き立てられ、白日の下に晒された。


私は誰かに愛される存在でありたかった。

私が愛した分、同じだけの愛情を返されることを希ってきた。

誰かに愛されることで、世界に必要とされた確固たる存在意義が欲しかった、得られると思っていた。


だから大事に、護ってきた。

その護り抜きたかったものが、如何にちっぽけで、意味のないものであるか。

それを見せつけるように暴かれたあと、全てを踏みにじられた。


かけがえのない想いだったのに…。

確かな愛情がこの胸に芽生えてから、護り抱いて、大事に育んできた。

それをより確かな、名のつく関係に結びつける前に、想いを伝える相手を喪った。


大事に護り抱いていた砦ごと、根こそぎ奪い去られ、この胸にはポッカリと大きな穴が開くばかり。


空虚になった胸に去来するのは罪悪感を伴った深い後悔と、果てしない喪失感だった。

私に手を貸したばっかりに、その尊い生命を散らさせてしまった。

孤独に負けて、彼の手を取った私のせいで。

つき離せなかった、私のせいで。

寄りかかった私の、弱さのせいで…。


あの笑顔が、あの声が、もうどうやっても見られないし聴かれない。

あの優しい手が、差し伸べられることが二度とは無い。

彼が此の世に存在しない現実が、ただただ、胸に痛かった。



 地位も名誉も愛情もうしなって、唯の私が残された。


王太子殿下に掴まれたままの手を緩く動かして拘束から逃れた後、ある目的を持ってゆっくりとその手を動かした。


何も持たない私に残された、選び取れる道はたった1つ。

ただ、在るが儘を受け入れて、静かに頭を下げ、この場を辞するのみ。


立ち向かう意義をなくした。

抗い続ける意志をなくした。

護る勇気をなくしてしまった。


それでも、なくならなかったのは…。

擦り切れるほど反復し、身体に染み込ませた淑女としての立居振舞。

公爵家の令嬢として、恥ずかしくない、自信に満ち溢れた姿で、いたかった。


それも、もうなんの意味も持たないのに、こんなに無気力になっても、自然と体が動く。

地位や名誉を奪われようと、私のこれまでの努力で身についたものは、決して消え去ったりはしないと証明するように。


その事が酷く可笑しくなって、泣き笑いのような、淑女らしくない表情になってしまった。

令嬢の仮面を剥がされた私は、こんなにも自然に感情を顔にのせられる。


何もかもを失くして、手に入れた自由。

自由を確かに望んでいた。


いつだったか、自由を望んだ青年が溢した言葉に私は答えていた。


『すべてが終わったなら、私も自由を望みます。 その時に…ちゃんとお返事いたしますね。』


自由なんて……今更嬉しくもない。


ただ空虚な虚が、この胸に広がるばかり。


十分過ぎる礼をした後、振り返ること無く断罪の舞台となった舞踏会の会場を出ていく。

誰かの呼び止める声が聞こえた気がしたが、良く聞こえなかった。


今の私に掛けられる言葉など、聴くに耐えない罵詈雑言でしかない。

立ち止まることも、振り返ることも、する労力が無駄になる言葉であるはずだ。


失意の底にいる少女は気付かなかった。

自分が何に呑み込まれたのかを。

器でない者にも視認できるほど濃く立ち込めた黒い靄が作り出した幻影の入り口。

出口だと思い迷いなく進んだ先は、黒い靄の根源へと続く黄昏の(みち)だった。


少女は身体に収めた靄が導くままに、“■■”の待ち受ける場所へと向かう。

二度とは戻れない黄泉路を逝くように、一歩一歩着実に終わりの時に向かって行く。


黒い靄に呑み込まれて姿を消した少女を、堪えきれない愉悦に塗れた笑みで『聖女』が見送っていた。

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