30.悪役令嬢のバッド・エンド【肆−④】
明るい会場から、暗い庭園へ。
帰る場所など無いのに、私は何かに導かれるように迷わず足を動かす。
辺りは静かすぎるほど、静まり返っていた。
ぼんやりしながら動く足に任せて歩き続けて、どこまで来てしまったのか。
見覚えのない景色。
こんな場所が…王城の敷地内にあっただろうか?
なにかの水際で立ち止まる。
このあたり一面見渡す限りに、光は殆ど差し込まない。
夜空に輝くはずの銀后の姿は、今はどこにもみあたら無い。
星星の光も弱いらしく、生い茂った木々に遮られてか、この暗がりまでは届かない。
ここには辛うじて物体の輪郭が濃淡の違いで判るだけの光量しかない。
そんな中で、この足元にある水は酷く黒ずんで見えた。
チャプチャプではなく、トプントプンと少し粘り気のある水音がする。
ただ黒い水面だけを見つめていると、段々と辺りの暗さに慣れてきた。
そして慣れた目で見つめる水面が、本当に水面か疑問に思った。
光を全く反射していないのだ。
黒い何かが、一面に広がるだけ。
そしてこれは波うっているのではなく、蠢いていたのだとようやく理解した。
反動を付けて、ゆっくりと着実に動いている。
何かの生物であるらしいことが、ゾッと恐怖を駆り立てた。
現に余裕を持って水際の前で立ち止まったはずの足元に、この黒い生物はもう直ぐにでも触れそうなところまで差し迫っていたのだ。
足を絡め取られる既のところで、勢いよく足を動かして飛び退く。
ーー捕まったら、囚われてしまう!ーー
本能からの警告によって、間一髪、接触は免れる。
しかしそれも無駄な足掻きに終わった。
既に逃げ場など無かった。
正面にばかり気を取られて、いつの間にか漆黒の生物が私を中心にして距離を十分とってぐるりと取り囲み終えていた。
取り囲んだまま、上へ上へと蠢かせて高く伸び上がりそびえ立つ壁となって、音もなく躙り寄り、じわじわと迫りくる漆黒の生物。
唯一囲われずに開いていた頭上も、その漆黒で隙間なく埋められた。
不思議なことに、漆黒に覆い尽くされた後の視界は暗闇にはならなかった。
光を通さなかったこの生物の表面とは違い、内側からは外の景色が透けて見えるのだ。
血管の様な細い管がこの生物の内部に無数に張り巡らされ、規則的に管の表面が波打っている。
穹窿状になった生物の内に閉じ込められただけで、それ以上変化は訪れない。
恐怖で早鐘を打っていた心臓も何も起こらないことで落ち着き、冷静な思考も戻ってきた。
この生物は私をどうするつもりなのだろうか。
このままずっと、閉じ込めているだけなのだろうか。
ーーでも、丁度良いかもしれない。 今の私には帰る家も、私の身を案じる人も、私が逢いたいと思う人も…存在しないのだから。ーー
程よい暗さが心地良い。
管の波打つさまが、懐かしい光景に思える。
まるで母親の胎内にでも居るかのように錯覚してしまう。
外界から隔絶された、音のない閉ざされた空間。
それもあってか、誰からも必要とされなかった私を守ってくれているようだ、と都合よく考えてしまう。
どれだけ時間が経っても、一定の距離を保って私には触れようとしてこない。
襲われるかと警戒していたが、その必要はなさそうだと今では勝手に判断して寛いでしまっている。
立っているのも疲れるので、その場に腰を下ろす。
山なりに立てた両足を両腕で胸元に抱き込み、その膝頭の上に額をのせる。
そうすると、再びあの言葉が耳の奥で再生される。
そうしたら、再び出口の無い思考に囚われてしまう。
フィン様は、処刑されてしまった。
フィン様は、約束を果たしてくださったのに…私は何も果たせなかった。
フィン様は、ずっと私の答えを待っていて下さったのに…結局私の口からは何一つ伝えられなかった。
フィン様は、私と出会ったことを後悔しただろうか…?
言伝では『後悔していない』と言っていたが、きっと嘘だ。
優しい嘘。
私を気に病ませない為の、優しすぎる嘘。
結局、後悔しかない。
あの時、ああしていれば。
あの時、ああだったなら。
私には、後悔しか残らなかった。
こうならない為に、自分を律して目標達成に心血を注ぐと決めたはずなのに。
なんの意味もなかった。
私の努力は報われず、なんの成果も残せず、全てこの手からこぼれ落ちてしまった。
私の弱さが、そのすべての原因だ。
立ち向かえる勇気も、力も、持ち合わせてなどいなかったのに。
いたずらに周囲の無関係な人間を巻き込んで、負わなくても良かった責任を負わせてしまった。
ーーすべて私の…わたくし独りの……犠牲だけで済むはずだったのに………。ーー
大人しくしていればよかった。
私独りが耐え凌げば…愛する存在を失わずに済んだのに………。
出口のない後悔に囚われた思考が頭を占めて、考えることに疲れ果てた後、いつの間にか気絶するように深い眠りに落ちていた。
静かに寝息を立て始めた意識のない少女の身体に、十分に取っていた距離を埋めるように、にじり寄る黒の生物。
少女が意識を手放すこの時を待っていたかのように、行動を再開した。
徐々に距離は縮まり、隙間が黒で埋められていく。
トロリとした黒が少女の足首に迫る。
そして遂に、音もなくその身体に触れた。
接触した部分は触れた瞬間から境目が不明瞭になり、溶けたように混ざり合っている。
【融合】が、静かに、着実に、行われていく。
目覚めたときには内容も覚えていない夢の中の住人となった少女には、これに抗う術はなかった。
目覚めたら、私は見知らぬ場所、漆黒の生物の外にいた。
ドレス姿のまま、むき出しの地面に寝転がっていた。
どこを見回しても見当たらない、漆黒の生物は跡形もなく姿を消している。
私の寝ていた場所、寝姿の輪郭に沿って地面が見えており、その輪郭を堺に周囲一帯は見渡す限り枯れ果てた草原が広がるのみ。
後変わったことと言えば…私の髪色。
水色がかった銀髪が、あの生物の漆黒が染み込んだように、光を弾かない黒になっていたのだ。
これではまるで……『破滅を招く魔女』そのものだ。
自分の目に見える変化を静かに見つめていると、こちらに近づいてくる複数の足音が耳に届く。
私が目覚めるのを待っていたのか。
頃合いを狙い澄ましたように、武装した騎士団の一大隊が私を用心深くも迅速に取り囲む。
その指揮をとっているのは、騎士団長のセルヴィウス卿ではなく、その子息のレスター・デ・オーヴェテルネルだった。
「フォコンペレーラ公爵家の元公爵令嬢ライリエル、お前が『破滅を招く魔女』であることは最早明白。 処刑の準備が整い次第刑を執行する。 これより刑場となる《黄昏の拝殿》へ連行する。 抵抗するならば容赦はしない、愚かなお前にもこの意味は理解るな?」
他の騎士より数歩前に進み出て、レスターが声高に処刑宣告をする。
「私を…処刑するのですか? フィンレイ様のように? 一体私が何の罪を犯したとおっしゃるのです? レスター様、貴方は今本当に、本来のままの貴方ですか?」
「何…? どういう意味だ?」
「そのままの、意味です。 貴方は以前と変わりない己であると…自信を持って、貴方の名に誓えますか?」
「誓えるとも、私は…私……、変容など、していない……! 言葉巧みに惑わすつもりか? 私はどこぞの王弟とは違う、惑わされたりなどしない!」
後半の言葉に心がざわめいたが、一瞬で凪いだ。
怒りを抱いても、今の私には虚しいだけだった。
熱を維持するだけの感情が動いてくれない。
少しの葛藤は見られたが、彼を正気に戻すことはかなわない。
それはしょうがない事だった。
真実レスターとライリエルの間には信頼関係など築けていなかったのだから、相手の魂を覚醒めさせる事など…どたい無理な話だった。
「そうですか…、わかりました。 もう何も、貴方様に尋ねる言葉はありません。 どこへなりと、ご随意にお連れ下さい。 私は逃げも隠れも致しません。 そもそもの話、逃げ帰れる場所も…もうありませんから。」
疲れた。
立ち上がることすら億劫になるほどに。
静かに、かつてはラピスラズリに煌めいていた瞳を瞼の下に覆い隠す。
今の瞳は見なくてもわかる。
子供の時分、擦り切れるほど読み込んだ絵本、その挿絵で見飽きるほどに見て既に脳裏に焼き付いているといって過言なく知っている。
『破滅を招く魔女』で間違いないと言われたならば、光を通さぬ黒以外にあり得ないからだ。
連れて行かれたのは、王城の地下深く。
一体どれだけ下れば最奥へと到れるのか、気が遠くなりかけたところでやっと目的の場所にたどり着けたらしい。
厳重な封印が施された扉の先には、転移の魔法陣が部屋全体に施されている四角い部屋。
なんの説明もなくその部屋の中に遠慮のない力で乱暴に放り投げ入れられた。
手足を魔導具の鎖で拘束され、動きを制限されていた為、満足な受け身も取れず床に打ちつけられた衝撃を半身ですべて受け止めることとなった。
痛みで声も出せない。
身体を丸めながらこの身を苛む激痛をどうにか逃がそうと浅い呼吸を繰り返す。
呻くことさえできず無言のままに引かない痛みに悶えていると、入り口が徐々に閉じられていく。
ただ閉じ込められるのを、黙って見ていることしかできなかった。
私がこの部屋に入った瞬間から、至るところに施された魔法陣の半分が赤黒く光りだしていた。
なんとか開いた薄目でその状況を見て理解する。
一体これから何処へ転移されるのか。
ここがレスターが言っていた《黄昏の拝殿》ではなさそうなので、恐らくそこへと転移されるのだと思うが…。
そもそも、《黄昏の拝殿》とはどんな場所なのか、何故王城の地下にそこへと至る転移の魔法陣が厳重に封印されて存在するのか。
誰が今、この決定を下しえたのか。
国王陛下は相変わらず昏睡状態のまま、目覚める気配は無いと、……生前、ほんの数日前にフィン様は言っていた。
暫定的に国政をあずかるのは宰相が妥当だろう。
しかし現状、まともに判断を下せる人間は果たしてどれだけ残っているのだろうか…。
ここまで考えて、急に馬鹿らしくなる。
この国を憂う理由など、もう何もないはずなのに、何を真剣に考えているのだろうか。
考えるだけ無駄だ。
この国を襲った異常事態は、人ならざるものの手によってもたらされたのだから。
今までの全ては、我らが偉大なる《一なる神》の…思し召しなのだから。
人の手には、到底負えない事象だ。
これまでの、この身に起きた不幸は、《神》から与えられた宿命だったのだ。
逃れられない運命だったのだ。
そう考えれば、受け入れられる。
諦めがつく、これから待ち受ける己の死も。
そんな綺麗事は、大嘘だ!
全く、納得などできはしない!!
到底受け入れられないし、諦めなど…つくはずもない!!!
悔しい!
何もできない自分が、無力すぎて。
恨めしい!!
こんな人生を歩ませた、存在すべてが。
呪わしい!!!
私に不幸を押し付ける、この世界の存在すべてが。
怨嗟の言葉が胸を満たす。
負の感情がこの心に滾る怒りを駆り立てて、永劫の呪詛を紡がせて、この世界の破滅を望ませる。
激しく燃え上がった黒の炎がこの身を焦がし、炙られた負の感情が赤黒くドロドロと煮溶けて、腸に溜まり、蜷局を巻くように渦巻き、撹拌され、更なる熱を生み出し、その温度を灼熱へと高め、腸を煮立たせる。
その滾る灼熱が、此の身の奥底に受け継がれた最古の血と共に宿る能力を戒める枷を破壊する段階に辿り着く寸前。
「あーあーーっ! テステス、マイクのテストちゅ~~~~っっ!! うんうん、大丈夫そう♪」
突如大音声で密閉された部屋に響き渡った声に邪魔される。
閉じられた石壁に、長方形に切り取られた映像が浮かび上がった。
最初は白一面だった映像が切り替わり、今一番見たくない顔が、画面いっぱいに拡大されて映し出された。
「はぁあ~~~い! お元気ぃ、昨夜ぶりのお義姉様ぁ~~~?! あなたの天敵ぃ『聖女』様がご挨拶差し上げてよぉ~~~~っ??!」
今までも最悪だったが、今が最も狂っている。
不快な感情を逆撫でする癖の強すぎる喋り。
こんな酷い喋り方を、していただろうか?
「あ~~あぁ~~~っ! 長かっっっったぁぁああぁぁ~~~~!! やぁぁ~~~っと、終わっっっっっったぁぁああぁぁ~~~~~!!!」
大きく、大仰に、これみよがしに、身体を限界まで伸び上がらせている。
「は~~~~~あぁ~~~~~っと! やっと、オサラバできますわねぇ~、お義姉様? 清々しちゃう、涙が出そうなくらい、心から、キッパリサッパリスッキリィ~~~~ッ!! できちゃいますわね♪ んふふふ、んん~ははははははっ、あぁっははははははっはっははははっ!!!」
堪えきれなくなったように、不気味に嗤い出す。
胸の悪くなるような笑声に、身の毛がよだつ。
「んふっんふっんふっ、んはははははっ! あぁ、可笑しかったぁ~~っ!! その顔、その目、その姿!!!」
こちらを不躾に指さして嗤う。
「とぉ~~~~ってもぉ、お・似・合・い・よ♡ 惨めに地に伏せて、芋虫みたいに這いつくばってるそのす・が・た♡♡ もおっっさいっっっっっっっこ~~~~~~♡♡♡」
自分の両手を胸の前で組み合わせて、ぴょんぴょんその場で跳ね回る。
「あんたにお似合いだわぁ~、良い子ちゃんしちゃって、アイツそっくりに正義感振り回して、立ち向かってくれちゃってぇ、憎いったらありゃしない、ほんとこの手で殺せないのが残念なくらいだわぁ~~。 まぁ、トドメは#あの子に譲るとしてぇ、今までの過程が愉しめたからぁ、ひとまず良しとしましょ~~~か、ねぇ?」
暴れて疲れたのか、傍にあるらしい椅子に腰掛けて溜息を盛大に吐いてから幾分か勢いの落ちた声でぶつくさと苛立たしげに吐き捨てた。
黒く濁りきった昏い瞳でこちらを睨めつけるのは変わらないまま。
「あぁ、そういえばぁ~、まだお愉しみは残ってたわっ♡ これなでワタクシが被った精神的苦痛に対するお・れ・い、がまだ済んでなかったものねぇ? 忘れるところだったぁ♡」
パチンッと指を鳴らして、まさに今思い出したように、わざとらしく宣う。
鳴らした指の音で手足を拘束していた魔導具が解かれた。
自由になった手足に安心したのも束の間、続く『聖女』の言葉で身を固くする。
「ワタクシのココロが感じたい・た・み、倍にしておかえししてぇ~、あ・げ・る♡♡♡」
キィィィーーーーーン
言葉の終わりとともにこちらの部屋の宙空に光が集まりだし、薄く細長い木の葉型の刃が形作られた。
「『聖女』って殺傷能力が低い攻撃魔法しか使えないのが玉に瑕なのよねぇ~~っ! でもでもぉ~~、長く甚振りたい時にはぁ、とぉ~~~~っっても!! 重宝するのよねぇえぇ~~~~~っ♪♪」
可笑しくてたまらない様子でニタニタと嗤い、物騒な言葉を吐く。
「でわでわっ♪ まずわぁ、1枚目~~~♡」
宙空でとどまっていた光の刃が強く発光しだす。
「ばっきゅ~~~~~んっ!!」
巫山戯た掛け声に合わせて光の刃が一際強く瞬いた後、地に伏す少女の右肩に突き刺さっていた。
「っぅぁぁあああぁぁあぁあああぁぁっっっ!!!」
熱い!!
そう思った後にズクンズクンと鼓動に合わせて重い痛みが波のように体中に広がっていく。
貫通はしていない、骨に阻まれてそれほど深くまでは食い込めなかったようだ。
『殺傷能力が低い攻撃魔法しか使えない』先程本人が洩らしていた通りのようだ。
だからといって、痛みが小さくなる事には繋がらない。
「うんうん、いい感じっ! じゃあこの調子でぇ、どんどん行ってみよぉ~~☆ あそ~~~れっ! ばっきゅばきゅ~~~~んっ!!」
言葉の途中から、また新たな光の刃が宙空に作られて、号令とともに音もなく身体に突き刺さる。
2回目は一気に10枚の刃が容赦なく右腕に打ち込まれた。
「ぁあああぁぁあぁぁっっっ!! ぅぁああっううぅぅぅっっ!!!」
裂かれた皮膚からは鮮血が滴り落ちていく。
痛みは頭にも響いて、耳の中では鼓動の音が煩いぐらいに打ち響いている。
「あ~~、動かれるのも面倒だから、動けなくしちゃいましょ~~~♪ ちょっと長めにしてぇ~、厚さも増し増しでぇ~~、今度は4つ時間差でぇ♪♪ ばんばんばんばんっっとぉ、ね〜ら〜い〜うち〜〜〜っ!!!」
「イィいいあぁぃぃっっっ!!! ゔぅぅっっ!!」
宣言通りに時間差で今までのものより長細く創造された光の刃が私の身体、ある4箇所に打ち込まれる。
両の手の平、両の足裏を貫通して床にまで切っ先が食い込んだ。
「あぁ~~んっ!! ダメダメぇ~~~っ!! 折角の悲鳴が台無しじゃな~~~いぃ!!! 堪えても痛みが内に籠もるだけですよぉ~~? 思いっきりぃ、叫びまくってくれないと面白くないでしょぉ~~~??! 白けさせないでよホンット空気読めないヤツって困っちゃうわぁ~~~っ!!!」
苛立ち紛れに1枚、左肩に。
愉悦混じりに5枚、時間差で追加の5枚、左腕に。
緩急をつけて同時に10枚、右足に。
等間隔で10枚、左足に。
ひと呼吸ずつ置いて4枚、背骨に沿って。
少女に納得のいく悲鳴を上げさせるため、反応を窺いながら鼻歌交じりに光の刃を生成しては嗤いながら打ち込んでいく。
急所は避けて、致命傷にならないように細心の注意を払って意図的に長く与えられる痛み。
どうせなら長く愉しみたい、苦痛に悶え、絶叫するさまを少しでも永く見ていたいからだ。
これこそが、ここに至るまでの七面倒臭い不自由な『人間』としての生活で溜まりに溜まったストレスを発散する絶好の機会なのだから。
そうしてこの後も追加の49枚を身体のいたるところにで打ち込んで、100枚目を突き刺した場所は……少女の右目だった。
「ぎやぁぁぁあああぁぁぁああぁぁっっ!!!」
「あっっっっっははははっはははっ!!! 不細工な声ぇ~~~!! やぁ~~っと、良いこちゃんが壊れたのねぇ、100かぁ~~、まぁ、折返しとしてはきりが良いわねっ♪」
「な………っ?!!」
「あれあれあれれぇ~~? まさかまさか、刺して終わり~~! なんて、思ってないですよねぇ?? そんなまっさかぁ~~♪ ご冗談でしょ~~??? 刺したらぁ~~、ちゃぁ~~~ん・と!! 抜かないとお話にならないでしょ~もぉ~~、これだから良いこちゃんは察しが悪くって、困っちゃうなぁ~~~!!!」
叫びすぎて声が上手く出せない中で、辛うじて洩れた声音は隠しきれない絶望に染まっていた。
なおも信じられない訴える左目と苦痛に歪む顔面に向けて朗らかに嗤いながら言い聞かせるように嘯いて、やれやれ…と呆れたように首を左右に振った。
「心の準備は出来ましたかぁ~~? まぁ、出来てなくてもやっちゃうけどねぇ♪ じゃぁ今度は逆再生で、行ってみよぉ~~~っ♪♪」
右目に突き刺さった光の刃が抜かれる。
抜ける際にも容赦などなかった。
勢いよく抜ける刃に引っ張られて中途半端に裂かれた眼球が眼窩から引き出された。
切れ目が入った神経は、引く勢いに耐えられず千切れた。
「ああああああぁぁああああぁぁあぁっ!!!」
獣の咆哮のような喉の奥で潰れた声があがる。
それに気を良くして、『聖女』は刃を引き抜く作業を嬉々として進めた。
少女があげる悲鳴はだんだんと力無く弱々しくなり、半数を残した辺りで呻くことしかできなくなっていた。
「あ~~あぁ~~~、鮮度が落ちちゃったぁ、もうっ! 元気に鳴いてくれなきゃ、愉しめないぃ~~っ!! 甚ぶり甲斐がないなぁ~つまんな~~~いっ!! っっっはぁっ! 飽きちゃった☆ お終いオシマ~~~イッ!!!」
「ーーーーーーっ!!!」
パンッ!!
手を打ち鳴らした音で残りの50の刃が一気に少女の身体から抜きさられた。
ビクビクッ!!
身体を大きく痙攣させただけで、声はもう上がらなかった。
少女の身体は流れ出た血溜まりの中に力無く沈んだ。
「にしてもぉ~、『破滅を招く魔女』のくせに、血が黒くないじゃない? いつもは【融合】してからしか甚振ってなかったから、気づかなかったのねぇ、失敗シッパイ☆ 次からはそうしとこぉ~~っと! そしたらそしたらぁ、もぉおっっっと、最初っから疎まれる存在になりそぉねぇ~~~!! あぁあ~~~っ楽しみぃ~~~~っっ!!! 早く次の出番が来ないかなぁ~♪」
石壁に映し出された長方形の映像枠から『聖女』の姿が見えなくなった。
何処に消えたのか、知りたくもなかったが、行き先はすぐに判明した。
閉じられていた部屋の壁が動いたのだ。
少し開いた隙間から、『聖女』が気怠そうに歩いて四角い部屋に入ってきた。
私の流した血溜まりに躊躇いもせず、小気味よくパチャパチャと水音を響かせ、血飛沫を盛大にたたせながら私の傍まで進み来る。
私の顔がよく見える位置に立って、床にうつ伏せに倒れた私を睥睨している。
無言で見下ろした後、この『聖女』の口から聞いたことのない抑揚を欠いた声音で告げられる。
「さようなら、『破滅を招く魔女』さん。 次に会う時はきっと……アンタは“■■”の立派な器になってることでしょう。 原型もとどめないくらいに【融合】しきって。」
そこで言葉を区切って、ニタリ…、と今までで1番気持ちの悪い笑みを浮かべて宣った。
「愉しみに待ってるわぁっ♪ その時こそ、真の救済の時♪♪ 特別ゲストと一緒に、フィナーレを華々しく飾りに行ってぇ、あ・げ・る♡♡♡」
投げキッスを言葉の最後に寄越した後、部屋に施された魔法陣が発動する。
半分は赤黒く、もう半分は白く、魔法陣が発光している。
『聖女』が魔法陣を発動させるもう一つの鍵だったようだ。
発動した魔法陣は定められた目的地へ私だけを運ぶようだ。
私を見下ろす『聖女』は光に包まれていない。
「御機嫌よう、お義姉様♡ 最期の瞬間までお元気で~~ ♡♡」
転移の瞬間まで、私は『聖女』の顔を見せつけられていた。
自力ではもうピクリとも動かせない身体は、横に顔を向けて倒れ伏した状態から変えられなかったのだから。
最後まで見たくない『聖女』の愉悦に染まった表情を片方の目で見ていなければならなかったのが…心の底から嫌だった。
転移した先は幾分か広い場所だった。
同じような四角い部屋には窓もなければ扉もない。
不規則に切り出した石材で作られたのだろう、床、壁、天井は隙間が見えるのにそこから光が差し込むことはない。
それなのに、不思議なことに部屋は暗闇ではなかった。
昨夜と同じ濃淡の違いで物の輪郭が浮かび上がって見えるのだ。
だからこそ私は部屋の大きさや、石造りであることも見て知れたのだ。
そして今、最も不可思議なことは……。
なぜまだ私の意識が存在しているのだろう?
普通であれば、もう死んでいるはずだ。
これだけ血を流し尽くしているのだから。
身体から熱は疾うの昔に失われ、痛みすら感じられない。
それでも残り少ない血が流れ出ていくのはわかるのだった。
恐ろしい事態のはずなのに心は恐怖を示さないままで。
床に血溜まりを作るほどはなく、最後の血の一滴が身体から流れ出たあとに、赤い液体の代わりにトロリとした黒がぬるりと流れ出てきた。
私の中にいつの間にか溶け込んでいた黒が100の傷口から堰をきったように溢れ出す。
それが呼び水となったのか、部屋の隙間という隙間、上下左右、四方八方から、溢れんばかりの黒が涌きい出た。
音もなく部屋を満たしていき、逃げ場を封じられる。
もとより、動かせる体も、逃げられる場所も、何処にもなかったが…。
昨夜とは、違う。
規模も、勢いも、雰囲気も。
今回は完全に取り込むつもりだ。
私の全てを。
私の身体から、魂から、今ある全てを奪うつもりだ。
ーーやはり囚われてしまった…。
逃れる術などない。
そして抗う気力もない。
もっと言えば、生き延びたいと思える…意欲もない。
丸呑みにされる直前、脳裏を過ぎったのはあの青年の笑顔。
もう二度と会えない、愛しいはずだった、唯一人の人物。
今になってやっと、この瞳からは一粒、彼の人物を偲んだ涙が零れ落ちた。
人間であれた、それが最後の記憶だった。
そこからは再びの地獄。
あらゆる苦痛がこの身体だったものを苛む。
あらゆる負の感情がこの魂を侵蝕してくる。
生きながら、肉を喰い散らかされているかのような。
生きながら、無数の刃で滅多刺しにされているような。
生きながら、水底に沈められているような。
生きながら、空気を奪われているような。
生きながら、炎で炙られているような。
全てが連続して、はたまた全てが並行して襲いかかってくる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。
痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い痛い苦しい熱い辛い。
『聖女』によって痛覚は壊されたと思えたのに、まだこれほどに痛みを感じる。
ここで痛みを感じなくなったら、その時こそ本当に痛覚が壊し尽くされた証だろう。
身体を苛んだあらゆる苦痛がまるで感じられなくなった後、今度は精神が蝕まれる。
負の感情が渦巻く黒の中に落とされた『私』がバラバラにされていく。
今までの過程で無数に入った罅の隙間に侵入して、罅と罅の間隔を容赦なく押し広げる。
首の皮一枚で辛うじて繋がっているような状態の結合を力技で解かれてしまう。
徐々に、徐々に、引き剥がされてしまう。
細かな破片に、欠片に、一片に、千切られてしまう。
そうして、黒の中にバラバラになった『私』が無数に漂っていく。
結合を解かれる度、細分化される度に、『私』の一片を侵蝕しようと負の感情が纏わりついてくる。
纏わりつく、『私』の周りを取り囲む、それだけで終わる。
ばら撒かれても感覚は全て繋がっている、それなのに、実際の距離はかけ離れていた。
どれだけ漂ったのか。
この黒が“■■”であると気付いたのはいつだったか。
私が“■■”で、“■■”が私で。
境目が、境界が、曖昧になってしまった。
それなのに完全な融合はしていないから、意識は混在して混濁している。
時間の経過が認知できない。
今日が昨日で、昨日が明日。
循環したり円滑に進んだり跳躍して戻ったり。
過去も現在も未来も関係が無い。
今の私には、時間の概念など、存在しない。
すべてが同時に存在するかのような、混沌の中に精神が漂っている。
『私』の欠片が“■■”の黒い液体の中に無数に散乱して漂っている。
その欠片は1つに纏まることはない。
もう2度と、元の形には戻らない。
だって結合を解かれてしまったから。
『私』の魂は罅割られて、引き千切られて、撒き散らされてしまったから。
こんな状態になって、一体どれ程時が進んだか、興味も持たなかった。
漂っている内に、声が聞こえた。
〔此ノ世ガ……憎イカ…?〕
〔破壊ヲ、崩壊ヲ、破滅ヲ、望ムナラ〕
〔更ナル憎悪ヲ!!〕
〔負ノ感情ヲ滾ラセヨ!!〕
抗うことなく受け入れた。
そこからは単純明快、『私』の意志など介在する余地もない。
ただ己に課せられた仕事を遂行するのみ。
黒い靄を生成する永久機関となること。
植えつけられた絶対の思考に沿って。
私は唯、望むだけ、この世界の破壊を。
私は唯、叶えるだけ、この世界の破滅を。
“■■”がそう望むから。
“■■”がそう叶えたがるから。
それこそが、私が此の世にとどまる理由。
唯1つの、存在理由。
それしか、残っていないのだ。
すべては“■■”の望みのままに………。
「……!………!?」
ーー………?ーー
「本当に……で………しょうね? 私………って………!」
気の遠くなるような時間を過ごしたあとに、これまで守られてきた静寂の中に1つの声が飛び込んできた。
「勿論だわ、ワタクシを信じて?」
遅れてもう1つ、最初とは違う高めの声が何事かを問うた先の声に明瞭な声で自信たっぷりに答えている。
余裕すら感じさせる笑みは、『私』を見て醜く歪む。
信じられないものを見たような、気味の悪いものを見たような、驚き慄いた表情で。
その表情も再び違う醜さに歪んだ。
何か愉快なことでも思い付いたかのようなしたり顔で、口角を上げきって嗤った。
そんな表情の変化には気づかず、最初にこの部屋へとやって来た背の高い人物の方へ焦点を当てる。
〔……? アレハ…? 誰ダッタッケ…?〕
ーー金皇の光のように眩い髪色。
〔何処カデ見タ気ガスルノニ、思イ出セナイ。〕
ーー何と言うのだったか…何とかブロンド…?
〔アノ人ハ、知ッテルハズナノニ。〕
ーーブルーダイヤモンドの瞳。
〔私ニ気付イテクレナイ。〕
ーー晴れ渡った青空のように、澄んだ蒼。
〔ソノ程度? 私ヘノ想イハソノ程度ノモノ?〕
ーー私が抱いた想い……何だったっけ?
〔見カケガ変ワッタラ、判ラナイクライノモノ?〕
ーーわからない、思い出せない、思い出したくない。
〔私ハ、忘レテシマッタノニ。〕
ーー怖いから。
〔忘レタクナクテモ、奪ワレタノニ!〕
ーーもう二度と、傷つきたくない!
〔ソレナノニ、ズルイ、酷イ、憎イ!!〕
ーー踏みにじられたくない、奪われたくない!!
〔私ヲ忘レテ過ギル時間ガ恨メシイ!!!〕
ーー私から、これ以上奪わないで!!!
『私』の感情を呑み込んだ“■■”が『私』に変わって心情を吐露する。
抑えきれなくなった感情が、突如激しい怒りを沸き起こして、纏わり付く黒い靄が膨張し、爆発して濃く激しく周囲に噴き広がる。
その靄は明確な殺意を持って侵入者に襲いかかる。
この知覚範囲内に存在する生命在るモノの存在を赦せない。
その生命を奪い去らないと、気が済まない。
故に攻撃する。
確実に奪い去るために、確実な死を与えられる方法で。
靄は侵蝕する、その生命の根幹へ。
靄は破壊する、その生命の生命維持本能を。
“■■”が操る靄は反転させる。
正のモノを負のモノへ。
生きたいと望むココロを、死を望むココロへ。
触れたら、其の生命は終焉に向かう。
実体を伴わない靄は防ぐ術はない。
通常であれば不可能だった。
しかしその悉くが聖女によって弾かれた。
“■■”の唯一の天敵。
聖女の行使する聖なる力によって、押される。
押し返される。
器の内側に押しやられる。
噴き出した靄がすべて、器の中に収まる。
かつて独りの少女だったその身体に収まりきった。
その時を見計らい、摩擦無く突き立てられる、剣身。
剣身が身体に食い込んだ瞬間から、混濁していた意識が晴れた。
視界から変化した。
昏く靄がかかっていた視界は、明瞭さを取り戻し、目に映る世界が色を取り戻していた。
そしてこの身に巣食っていた“■■”の存在を、まるで感じる事がない。
この身を貫くのは、彼の人物がその手に握り込む一振りの剣。
鍔が触れるほど深々と、この心臓を正確に穿っている。
しかしその傷口から、血は一滴も滴り落ちない。
もうそんなモノ、この身体には残されていなかった。
あの時に流し尽くしてしまったから。
胸に深々と食い込んだ剣をぼんやりと見る。
たった一度、まだ王太子の婚約者だった時、“人間”であった頃に、遠目に見た美しい剣。
国宝として王城にて厳重に保管されているはずの《神剣》だった。
それが今ならはっきりとわかる。
“■■”に侵蝕されきっていた時には混濁していた意識も、今は明瞭になっている。
私の中には、私しか居なかった。
はっきりした意識で認識する事実は唯一つ。
彼の人物、フィンレイ・フォワ・エリファレットは生きていた。
生きて目の前に存在して、私に《神剣》を突き刺している。
いつもの穏やかなブルーダイヤモンドの瞳で。
曇りも淀みも、何一つ、塵ほどもない。
なぜ彼は生きているのか?
なぜ私に《神剣》を突き刺しているのか?
ぐらりと身体が揺らいで、倒れないように2,3歩たたらを踏んで後ずさる。
その行動も虚しく、この空虚な身体からは力が抜けて、操り人形の糸が切れたように地面に倒れ伏した。
この身体を動かしていた根源の力が消え去ったのだから、当然の結果だった。
「ありがとう! ワタクシを最後まで信じてくれて…!! これでやっと、ワタクシたち自由になれたのだわ!!! 本当にありがとう、フィン様♡♡♡」
地面に倒れたあとも、目は彼から離せなかった。
だから見てしまった。
知りたくなかった真実を、今際の際で、間近から網膜へと焼き付けてしまった。
最後に見た景色は種明かしには十分だった。
駆け寄り縋り付く『聖女』を、抱きとめるフィンレイ。
そして二人の顔が近づき……、唇が重ねられた。
その姿は、想い合う者同士の親密な仕種に見えた。
それはつまり、すべては『聖女』の思惑通り。
今までの、私の身に起こった全ての事柄は、『聖女』様が裏で糸を引いた、予定調和のもとに起こるべくして起こっていた劇の一幕だったのだ。
彼女の筋書き通りに、思い通りに、操られた私はさぞ滑稽だった事だろう。
私が大事にしたかった感情はすべてまやかしだった。
出会いから、私が彼に心傾ける過程まで、その全てが…………。
笑える。
嗤いたかったのに…。
この目からは涙が零れた。
枯れ果てたと思った、人間らしい感情から、流れ出た最期の涙だった。
意識がはっきりあったのはそこまで。
疾うの昔に絶えていた生命がここで本当の最期を迎える。
“■■”が延命していた歪な存在は、世界からそれ以上存在することを許されず塵芥となって消え失せるのみ。
誰かが叫ぶ声を聞いた気がした。
でもそれはもう遥か彼方からの空気を振動させる波のようなものにしか認識できなかった。
何を言ったのかさえ、わからなかった。
視界は既に色をなくし、白い靄に沈みだしている。
そこから何も見えなくかるのは直ぐだった。
体の感覚も鈍く、今あるのは限りない虚脱感だけ。
軽くなり続ける自身の身体の重み。
まるでこのまま飛んでいけそうなくらい軽く感じる。
その崩れ始めた体を誰かが抱き上げた気がした。
それ以上は、保たなかった。
そこで途切れた意識はーーーーーーーーーー
限りない、見渡す限り一面の、白の中で再び覚醒した。
そこで私は《神》と対峙する。
正しくは《神の代行者》らしいのだが、矮小な人間だった私にとっては大差ない些細な違いだ。
その《神》は私に告げた。
この世界を滅びから救って欲しいと。
それが出来るのは、私の魂しか無いと。
語り乞われる内容に、私は頷いた。
使命を感じたわけではない。
私も変えたかったから、頷いた。
やり直す機会を与えられたのだと信じていた。




