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27.悪役令嬢のバッド・エンド【肆−①】

 王太子とその側近からの急襲を逃れ、一路学園長室へと向かう。

先程の短い間で、疑問は山のようにある。

しかし、何処に第三者の耳が潜むかも理解らない状況で軽々しく口にできる話題ではない。


フィンレイ様が王弟、つまりは数年前に逝去した先王のご落胤だったのだ。

一夫一妻を国の法で定めているため、基本的に婚外子は法的に認められない、醜聞でしかないのだ。


かの第二王子と同じ…不義の子。


フィンレイ様の母親ならさぞ目の覚めるような美女であったことだろう。

その美貌でもって、先王を籠絡したのだろうか。

はたまたその逆、色香に抗えず先王が襲ってしまったのか。

真実は何であるにせよ、今後そういった邪推や、悪意ある視線に否が応でも晒されることになる。

それを百も承知で、名乗り出たのだろうか。


何のために?


自惚れでなければ…(わたくし)の……為だろうか。

王弟として認められた今、彼の行使できる権限は王国内でも屈指のものだ。

閲覧制限のある書架など、通常より待つこと無く容易く見ることができるだろう。


ただその為だけに…今までの平穏な生活環境を全て捨てさり、茨の道を選び取ったとしたならば……私はどう報いれば良いのだろう。

彼の献身に還せるものなど、私には無い。

公爵家の唯一の直系令嬢という、身分も危うい今の私になんて。



 考えれば考えるほど、重苦しくなる胸の内。

この胸中でもやつく感情を持て余してしまう。

道中親しげに言葉を交わす2人に配慮して、邪魔することは控えて、それを理由に口を噤む。


存在を消して案内に徹する私を、ブルーダイヤモンドの瞳が、物言いたげに見遣っていた事には終ぞ気付かなかった。


学園長室の前に辿り着き、後ろの2人を振り返る。


「できる限り、最短距離でご案内致しましたが…お時間を取らせてしまい、申し訳ございません。それでは、私はここで失礼させて頂きます。 セルヴィウス卿、先程は庇って頂きありがとう存じます。 御立場が悪くならないか…それだけが心配ですが、私などのために、申し訳ございませんでした…。」


「ライリエル嬢、謝罪など不要です。 あの場で王太子殿下を諌めねばならなかったのは、私の愚息であったのに、それをしなかった。 私の教育の至らなさが招いた結果だと、そう受け止めております。 なので感謝の言葉のみ、受け取らせていただきます。 然し思い返すと…私に出来たのは庇うのみで、あの場から事を構えず脱せたのは、偏に王弟殿下の存在とその機転によるところが大きい。 私よりも、フィンレイ殿にこそ感謝の言葉が必要でしょうね。 手柄を独り占めするところでした、申し訳ない、フィンレイ殿。」


「気にしておりませんよ、セルヴィウス卿。 私一人ではライリエル嬢を救い出せませんでしたから。 お恥ずかしい話、私には応戦する術が何も御座いませんから。」


悔しげに眉根を寄せ、目を伏せて、苦笑する。


「セルヴィウス卿がライリエル嬢と居て下さって本当に良かった。 私からも謝意を、御礼申し上げます、閣下。」


「フィンレイ殿、貴方はもう無闇に(こうべ)を垂れてはなりません、明日以降は特にお気をつけを。 謝意は確かに、お言葉とともに有り難く受け取らせていただきます。 なので、これ以上は必要ございません。」


「ふふっ、そうですね、これ以上は困らせてしまうでしょうから控えることと致しましょう。 あぁ、ライリエル嬢、行かれる前にこれを…受け取って頂きたい。 今後はお帰りの前に学園長室(この部屋)までお越しくださいね。 合鍵をお渡ししておきます、ですのでもし私が不在の折は、遠慮なく入室いただいて構いませんので必ず部屋の中でお待ち下さい。」


言葉の途中で私の手を掬い取り、不意打ちで力の抜けた掌の中に鍵を滑り込ませ、握らされた。

あまりにも自然な動作だった為、突っ撥ねる機会を逸した。


「公爵家に帰るにしても、図書宮に立ち寄るにしても、決して独りで向かおうとなさらないで下さい。 お約束下さるまで、この手は放して差し上げられません。 今この場で色良い返事をお聞かせ下さいますね、ライリエル嬢?」


宣言通り、見かけとは裏腹にガッチリと握り込まれた手は、引けど、振ろうと、離れない。

騎士団長の目の前で、などとは微塵も気にした様子がない。


「フィンレイ様…、お戯れを。 今後は今まで以上にお立場に気をつかうでしょうし、私のような一介の学生に特別目を掛けていると勘繰られ……万一おかしな噂が流れでもしたら……! 私は自分を許せそうにありません、きっと後悔致します!! そのような醜聞に…私の事情に巻き込む危険を冒させるわけにはまいりません!!!」


クスッ……。


青年がその美しい顔に浮かべる笑みの種類が一瞬で様変わりした。

先の会話の何処に、彼を艶めかせる要素があったのか。

妖艶過ぎる笑みをたたえるその顔は、経験の乏しい少女の目には毒過ぎるものだった。


妖しい色香にあてられて、知らず赤みを増す少女の顔。

それを見て、浮かべる笑みを深くしながら、囁く言葉にも艶が混じる。


「ご心配には及びません、全て承知の上ですから。 貴女に声を掛けると、関わると決めたその時より、既にどんな覚悟もできております。 この期に及んで我が身可愛さに、私が貴女を見捨てることなど有り得ません。 どうぞ私を頼って下さい。 その為に…その為だけに、手に入れた地位と権力です。 全ては貴女の為だけに、ライリエル嬢。 お約束、下さいますね?」


言葉を言い終わると、しっかり捕らえた手に恭しく口づける。

ダメ押しには十分過ぎた。


「…………はい、お約束、致します……。」


抗いきれなかった。

ダダ漏れた過ぎる色香に、囁かれる言葉の魔力に、誘惑する瞳に潜む隠す気のない未知なる熱い()()に。


今はもう、体中が真っ赤に茹で上がっている。

頭も湯気が出るほど、沸ききっている。


私の答えに満足して、それでも未だに妖しく微笑むフィンレイ様に促されて教室へと帰る為歩き出した。

フラフラとした足取りで、辛うじて歩く。

どの道順で教室に帰りつけたか、覚えがない。

しかし、その浮ついた頭は長く続かなかった。

教室に居た生徒達からの冷ややかな視線で、茹だった頭に冷水を浴びせかけられたようだった。

このときばかりは、このことに感謝した。


その後一番大変だったのは、事ある毎に思い出されるフィンレイの紡いだ言葉、(あで)やかな表情、手の甲に口づけてきた唇の感触、それらを完全に思い出す前に、頭から追い払う事だった。


約束させられた通り、授業が全て終わった後は脇目も振らず学園長室へと向かった。

一応人目は忍んで向かったつもりだが、王城からの監視の目は誤魔化せなかっただろう。

しかしその監視の目も、学園長室の中までは届かない。

この学園で最も安全なのがこの学園長室であると、その事実を教えてくれたのは他でもないこの部屋の現在の主、フィンレイ様だった。



 翌日には昨日言っていた通り、フィンレイ様は学園長に就任していた。

穏やかな笑顔で、就任の挨拶を簡潔に述べる彼が、急に遠い存在に思えた。


このまま、彼の提案を受け入れ続けて本当に良いのだろうか?

迷惑でしかない。

重荷でしかない。

足枷でしかない。

それが分かっていて、唯々諾々と彼の好意に甘え続けて、本当に良いのだろうか?


忙しい日々の合間を縫って、以前と同じように魔導書探しを率先して行ってくれている。

無理をしていると、一目でわかる。

今までにはなかった濃い隈が、目の下にくっきりと居座っていたからだ。


ちゃんと休んで欲しい、その1言を何度言いかけただろう。

でもその言葉は、この口から発せられたことは1度もなかった。


恐らく、止めても無駄だろうから。


彼は言ってくれた。

謝罪ではなく、御礼を述べてほしいと。

今回も、それと同じ言葉が返ってくるに違いない。


だから、止めない。

止められなかった。


私の葛藤は(こたごと)く、彼には見透かされていた。

彼は、私が顔を俯ける度に、慈しむような表情で私を見ていたのだから。

それが居た堪れなくて、私は毎回、御礼の言葉を云う際に、彼の顔を直視できなかった。


あの日以来、『聖女』と王太子が絡んでくる様子は無い。

再びの嵐の前の静けさだった。

その平穏さとは違い、慌ただしさは段違いとなった。


そんなある日、フィンレイ様がここ最近で一番明るい顔色で、嬉しそうにある報告をもたらした。

王国立魔導図書宮での閲覧制限のある魔導書の、閲覧許可がやっと下りたのだ!


それはフィンレイ様が学園長に就任してから3ヶ月後の事だった。


実際に書物を見に行けたのは、さらにその5日後だった。

フィンレイ様の仕事の都合に合わせた結果、少しだけ見に行くのが遅れた。

でも焦る必要はない、これからはいつでも見に行けるのだから!


その日は学園は休みだった為、朝早くから図書宮に行って遅くまで籠もる予定で居た。

早起きをして、屋敷の者に見つからないようにそっと出かけた。


喜び勇んで辿り着いたその場所に、常では見かけない人物が居た。

偶然にしろ、待ち伏せたにしろ、久しく顔を突き合わせていない人物、我が公爵家の長子、アルヴェインお兄様が入口近くの席に座していた。


フィンレイ様との約束した時間より、早く着きすぎたのが仇となった。

助けを求めても、公爵家の人間に立ち向かえる立場ある者など居合わせる偶然など在るはずもなく、独りでお兄様から逃れなくてはならない。

一般書架が並ぶ一階では、逃げ込めるスペースがない。

死角も多く、いたずらに逃げ回るのは得策ではない。


気付かれる前なら回れ右をして、外に出れば事なきを得られただろう。

しかしアルヴェインお兄様は、もう既に私の存在を認識している。

私を真っ直ぐ、見つめているからだ。


お兄様の表情は静かだった。

いつかの食堂で見せていた、激しい感情は欠片も窺えない。

だからといって、油断するわけにはいかない。

周囲を用心深く窺い見る、『聖女』がいないことを確認したくて。

もしこの場に『聖女』があらわれたら……これ以上何が起こるかなど考えたくもない。


逡巡している間に、アルヴェインお兄様はこちらに向かって歩いてきた。

無視して歩き去ってくれることを期待した。

しかしそれは叶わなかった。


「久しぶりだな、ライラ。 顔を合わせるのは…あの食堂での一件以来か…? 少し、やつれたんじゃないか? ライラ、あの時は……済まなかった。」


「え……?」


まさか、お兄様が……正気に戻っていらっしゃる、の?

突如もたらされた謝罪の言葉に、衝撃を受けすぎて驚きを呟いた唇が、わなないてしまう。


申し訳無さそうに、伏せられた瞳。

俯いていて、その瞳の色が窺えない。


 ーー期待してはダメ、簡単に信じては、危険だ!ーー


そう警告する声は小さかった。


もし本当に、お兄様が正気に戻っていたならば…こんなに嬉しいことはない!

私の胸は期待に高鳴ってしまった。


目の前に居るお兄様が俯けていた顔を上げた。

その瞳を見て、愕然とした。

煌めきを宿さない、鈍い橄欖の瞳。

それが意味することは、つまりーーー…。


「もっとちゃんとした監獄に、お前を送るべきだったと、後悔しているよ。」


心が悲鳴をあげてしまう。

痛いのが、心なのか……心臓なのか、分からなかった。


期待してしまった分、無防備になった心を言葉の刃が遠慮なく抉った。

こんな事、二度目は耐えられない…!


「お兄様…やめて、下さい……!」


「今からでも遅くない、当初の予定通りにしよう。 やはりルーフェは優しすぎた。寛容な心が、お前という性悪につけあがる隙を与えたんだ。 可哀想に、ルーフェは泣いていたよ…、お前のせいだ、ライラ! 全部、お前が原因だ!!」


「違います、私は……何も…してな……っ! 誤解です、……全部、あの『聖女』が、自分で…っ!? 痛いっ、離して!! 嫌です、やめて、お兄様っ…手を、離して下さいっ!!!」


力の限りに腕を掴まれる。

容赦なく喰い込む硬い指が、血管を圧迫し、血流を妨げる。


「お願いしますっ、止めて下さい! お願いっ、ですからぁっ!!」


絶叫してしまいそうだった。

心が恐怖で死んでしまいそうだった。


 ーー助けて!

   誰か、助けて!!

   フィンレイ様っ!!!ーー


助けを求めて心の中で叫んだ直後、その願いは叶った。

心に叫んだその人物によって、助けられた。

暴漢と化したお兄様を背後から冷静に打ち据える手刀が見えた。

常の穏やかさなど欠片も感じられない、(いかめ)しい表情で的確に相手を昏倒させた。


「ライリエル嬢、こちらへ!」


「は………っい!!」


差し出された手に、自分の手をのせた。

この手はちっとも、怖くなかった。

寧ろ安心した。

心の底から、安堵できた。


手を引かれるままに、素直に追従して直走る。

今まで、この一階部分をどれだけ歩き回ったか知れない。

もうこの階で見ていない場所は無いのではと密かに得意に思っていたが、その考えはただの勘違いだったようだ。



 今までこの路を何度も通った。

しかしその度に目にしたのは突き当たるまで続く連続した壁面だったのに、今この時にはその壁面のちょうど中央部分に見覚えのない意匠を凝らした扉がその存在を主張して鎮座していた。


その扉に迷うことなく手を触れて、押し開ける青年。

見たことのない扉の先は、白い石造りの塔の中。駆け入る勢いのまま塔内の半ばまで進み、そこで先導する為にしっかりと繋がれていた手はゆっくりと(ほど)かれた。


柵も手摺もない螺旋階段の造り付けられたその壁一面を隙間なく埋め尽くす本の群れ。


ここが噂にしか聞けなかった、閲覧制限のある魔導書が収められた場所…?


先程長兄からもたらされた恐怖の名残が、この体から抜け落ちた。

圧倒されてしまった、これ程までの蔵書量とは…まさに圧巻の一言に尽きる。


高い塔の上まで、びっしりと魔導書で埋め尽くされた壁面。

天井があり、塔の頂上部は部屋になっているようだ。

たどり着くには、かなりの時間がかかりそうだが。


口をぽかんと開けて塔内を見回す私を振り返り無言のまま見ているフィンレイ様に気付き、ハッとして向き直る。


はしたない姿を見せてしまったことが、急激に恥ずかしくなった。

気恥ずかしさにモゾモゾと身動ぎする私に、無言のまま…。


ふわりと何かに包まれた。

それが、フィンレイ様の身体であると思い至るのに、時間がかかった。

私を包み込んだ優しい腕が、我慢できなくなったように性急にギュッと抱きしめてきた。

存在を確かめるように、逃さないように、キツく、強く。


正面から、隙間なく抱き竦められている。

今までにも、何度か触れられてきた。

さっきまで手だって繋いでいた。

でもこんなのは初めてだった。

息遣いも、匂いも、体温すら…こんなに近くて、早鐘を打つ心臓の鼓動が、振動と共に伝わってくる近すぎる距離。


フィンレイ様から与えられるすべてに、頭がクラクラして心臓はドキドキしすぎてこの胸から今にも飛び出してしまいそうだ。


それなのに一向に、逃げ出したいと思えなくて、そんな自分に困惑してしまう。

ずっとこのままが良い、とすら思ってしまった。


どれくらいそうしていただろうか。

お互いの体温が溶けて同じになった頃。


「間に合って良かった…!」


やっとの思いで絞り出された言葉が耳元で呟かれた。


「嫌な予感がしたのです…約束した時間には早すぎると思いましたが、胸騒ぎがして、居ても立っても居られなかった…。 それを信じて、来てよかった……!! 貴女を乱暴に扱う人物が、許せなくて、怒りでどうにかなりそうでした!!!」


「フィンレイ、さま…!!」


「ライリエル嬢、お願いです! 今回だけは、断らないで、私の提案を受け入れてください!! 公爵家(あの家)にはもう、戻らないでください、絶対に!!!」


不意に抱擁が解かれ、二人の体が離れたかと思うと両肩を掴まれ、真っ直ぐに目を覗き込まれながら説得される。


「もし嫌だというのなら、貴女をこのまま監禁するしかない…そんなことを、私にさせないでください…! あなたの意志で、私の保護を受けて欲しい!! お願いです、ライリエル嬢、断らないで…!」


言葉を紡ぐ間も、肩を掴む手の力は強くなる。

普通なら痛いと思うはずなのに、全然痛くない。

今の私には、彼のどんな行為も喜びしかもたらさないみたいに。

怯え慄いた後に、すぐさま与えられた愛しい人の優しい温もりが、すべてを帳消しにしていた。


 ーー愛しい人、そうだ、そうなのだわ。ーー


もう認める他ない、疑う余地もないほど、この胸に溢れるのは確かな愛情だった。


「はい、わかりました…保護を、受けます…お願い、します! ありがとう、ございます……っ、いつも、いつでも……、助けてくださって、本当に……っ!!」


滲んできた涙を堪えて今できる精一杯の笑顔を向ける。


「フィンレイ様が、居てくださって…、良かった…!!!」


私の言葉に目を見張ったあと、肩を掴んでいた手を片方離してそっと頬に触れてくる。

親指の腹が、柔らかく唇をたどる。

見返した瞳に宿る、今までとは比べ物にならない燃え盛る炎のような激しい感情。


「ライリエル嬢…嫌なら、言って…?」


何をしようとして問うているのか、分からない程子供ではない。


「イヤ……では、ありません……!」


必死の思いで、承諾の言葉を紡ぐ。


「ふふっ、ダメですね、信心が足りない証拠ですね。 理性を保つのに苦心するなんて。 貴女があまりにも、可愛らしいから…。 目を閉じて、ライラ。」


ドサクサに紛れて呼ばれた愛称にも、ドキリと鼓動が跳ね上がって嬉しくなるだけだった。

瞼をそっと下ろす。

ラピスラズリの瞳が隠れきるのを待って、直ぐに唇に重ねられた、私とは体温の違う唇。


触れ合わせるだけの優しいキス。

それがこれ程、心を熱く震わすものだとは、今まで知らなかった…。



 一冊、また一冊と、書物を手にとっては、内容にざっと目を通して元の場所に戻す。

流れ作業のように、黙々と同じことを繰り返す。


今は二手に分かれて、書物を確認している。

螺旋階段からは手の届かない書物はどうやったら取れるのか、という疑問はすぐに解消された。

床面の色が付いた部分が足場となって、浮かび上がるとわかったからだ。

それがわかったのは偶然だった。


それもこれも、あの………キス………の後。

どちらが先に触れ合いを解いたのか覚えがないが、冷静なるそばから羞恥が極まってしまい、ヨロヨロとよろめいた拍子に、色付きの床部分を半分踏んでしまった。

中途半端な踏み込みでも反応して浮かび上がった事で転びそうになったのだが、傾いだ身体は危な気なくフィンレイ様が抱きとめてくれた。


お礼を言う間も、まともに顔が見られず一人であわあわしてしまった私に気を遣ってか、二手に分かれての魔導書探しを提案してくれた。

フィンレイ様の冷静に見える。

平静そのものの態度に、身体に籠もっていた熱が冷まされる。

『はい』という以外、言葉が出なかった。


自分の失態で余計気まずくなってしまいながら、これ以上迷惑とならないように魔導書探しに集中するべく気合を入れるために少し強めに頬をはたく。


パチーン!


静かな空間に乾いた叩音(こうおん)が響き木霊する。

これでは彼にもバレバレだ。


 ーーこんなはずではなかったのに…!?ーー


何をやっても裏目に出る。

調子が狂ってしまった、どうやって平静に戻れば良いのか見当もつかない。

考えれば考えるほど、答えから遠ざかってかけ離れていく。


出口の無い思考に囚われた私の耳に、忍び笑う微かな笑い声が聴こえてきた。

羞恥で震えながら恨みがましく思い横目に険を含ませて見遣る。

その私の行動も結局、彼の笑いを抑えるどころか、さらに煽る行為にしかならなかった。


「……ふ、…ふふっ、も……、申し訳ありませんっ! あはははっ、…はは、これでは、いつかの逆ですね、……ふふっ!」


それは、私が1週間寝込んだあとに心配して動揺したフィンレイ様を笑ってしまったときだろうか?

確かに、あのときの私もたくさん笑ってしまったけれど、前後の出来事が違いすぎる。


しかし屈託なく笑うフィンレイの幼い表情に、怒りなど微塵もわかず、先程までの頭を占めていた羞恥もどこかに行ってしまった。


「あぁ、こんなに笑ったのは、産まれて初めてです。 ふふっ、たくさん笑うと、こんなに疲れるものなのですね。 失礼致しました、お怒りではありませんか、ライリエル嬢?」


「………もぉ、ライラとは呼んでくださらないのですか?」


「ぇ?」


「……っ!? 何でも、ありません! お気になさらず、怒っておりませんから!! どうぞ作業をお続けになって?! 私も邪魔にならぬよう、大人しくいたしますから!!」


「ライラと、呼んでも良いのですか? 貴女を愛称で呼ぶ許可を…下さるのですか?」


「~~~っ!! わ、たくしたち、お友達、でしょう?! いつまでも、他人行儀では、味気ないですしっ?!」


「唯のお友達は、キスなどいたしませんよ? 明確な下心があります、それでも、許してくださいますか?」


「~~っ、許し、ま……す…っ。 キ……ス…については、そちらは、事前に了承しておりましたが、お友達では、…しないものなのです、か?」


「少なくとも、唇にはしないでしょうね。 あぁ、断っておきますが、先程のキスは友人としてしたものではありません。 1人の女性へと想いを寄せる男として、したものですから。 お間違えないようしっかりとご記憶下さいね?」


結局振り出しに戻ってしまった。

キスのことが頭を巡るのは諦めるしか無さそうだ。

今日はどうやっても、平静になることなどできなかった。



 その日の夕方には、エリファレット家に部屋が用意されていた。

教皇聖下となられたフィンレイ様の養父、ウィルフレッド・サン=フォア・エリファレット様に緊張しながらご挨拶して、驚くほど温かく好意的に迎え入れられ、拍子抜けしてしまった。


挨拶もそこそこに、急かすフィンレイ様に押されて、用意していただいた部屋へと向かう際に、横目に見た教皇聖下は……、義息子に向けて生暖かいニヤついた笑顔で親指を立てた手を突き出していた、ような気がした。

よく見えなかったのは、フィンレイ様の手に目を隠されてしまったからだった。

ご実家に着いてから、何故か凄く笑顔が貼り付けたものに見えてしまうが、これも気のせいだろうか?


案内された部屋で、学用品まで万端準備されていることには驚きなんてものではなかった。

教材は理解できるが、制服までも準備されていてぽかんとしてしまった。

無言でじっと制服を眺める私に気づくと、何でもないことのように種明かしをしてくれた。


公爵家の使いを装い、制服を専門に扱うテイラーに予備として作り置かれていた一式を購入してきたのだと言うから、抜かりない采配に舌を巻くばかりだ。

身分が高い家にはテイラーの意向で注文され品数に一式追加して準備しているらしかった。

自分の経験談が役立った、とフィンレイ様は微笑みながら話してくださった。

過去の学園生活の中で、急遽制服の替えが必要になる事態が起こったようだ。


至れり尽くせりな環境に、こんなに良くしてもらえる理由が分からず恐縮してしまう。

フィンレイに問えば恐らく『したくてしているだけだから、気にせず受け取れ、厚意に甘えろ』と言われるのが関の山だ。


ふかふかの寝具に、糊の効いたシーツ。

隙間風などあり得ない、丁度良い暖かさに調えられた室内。

安全を約束してくれる、家主と使用人たち。


かつての自分が当たり前に享受していた環境に戻って改めて…思うことは。

私が帰りたいのは、やっぱりあの家なのだということ。

どんなに良くしてもらっても、心に思い描く我が家は、かつてのフォコンペレーラ公爵家なのだった。


どんなに踏み躙られても、家族を取り戻したい想いは(つい)えなかった。

どんなに愚かだと蔑まれ、罵られても、私の中に根付いた愛情は、枯れなかった。


それが少しだけ誇らしい。

いつだったか、教えてもらったフォコンペレーラの名が持つ意味、ほこりを。

それを体現できた自分を、ほんの少し褒めてやりたくなった。



 一夜明けた日の夕方。

フィンレイ様の口から夕食の席で事もなげに報告された。

アルヴェインお兄様を臨時教諭から解任しそれに伴い公爵家の邸宅での蟄居を命じた、と。


3人で食卓を囲み、前菜を食べ終えた頃。

給仕係が空いた皿を回収する音に紛らせて、まるで明日の天気の話をするように、特に意味のない話題であるかのような気軽さで話のついでに口にした。


驚いて言葉をなくした(わたくし)を見て、何を勘違いしたのか的外れに謝罪してきた。


「ライラ()()、私の力不足で申し訳ありません。 貴女にとっては不本意でしょうが、王都からの追放までには至れませんでした…。 このように中途半端で不甲斐ない結果となり、甚だ遺憾です。 ですが次同じことがあれば、物理的に首をはねる旨をフォコンペレーラ公爵にも既に通達しておりますから、ご安心を。」


学園長らしさを意識したのか、畏まった態度で語りきった。


目標とした処罰が厳罰過ぎると思ったのは、この場では私だけのようだ。

しかも、次は極刑だなんて、刑罰の度合いが飛躍的に重くなりすぎている気がするのに、そう思うのも私だけのようだ。


ウィルフレッド様は先の処罰内容では納得できない様子で、いつもの慈愛溢れる微笑みではなく苦り切った渋面となっている。


以前ウィルフレッド教皇聖下と呼んだときも反応が芳しく無く、何故なのかお伺いしたら堅苦しく他人行儀で嫌だとおっしゃられた。

その後ご本人からの強い要望で名前の様付呼びに…『恐れ多い!』と恐縮しきる私に朗らかに笑いながら、『もう家族のようなものなのだから、気兼ねなく接して欲しい。』と意味深長に含み笑っていらした。

あの時のフィンレイ様の何とも言えないお顔が気になったが、触れてほしくなさそうだったので聞かないことにした。


「コーネリアス殿がその件に抗議してきたようだが、彼は一体、どうしてしまったんだい? 何よりも家族を優先させていたというのに、何故愛娘だけをこのような境遇に追いやっているのか…全く理解に苦しむ。 教会内部でも、一部が激しく『聖女』に傾倒していて、まるで洗脳でもされているかのように盲目的に追従している。 国の中枢部も同じような状況だとか…『聖女』とは一体、何者なのだろうね?」


「それを探るためにも、私達には今の地位が必要でした。 父上は、何かお心あたりございませんか? これ程人心を惑わす術に、何か思い当たることは…? 手がかりになりそうな何か、若しくはそれらしい与太話でも構いません。」


「私は魔法に疎くてね…、そちらでは役立つ情報は期待しないでほしい。 手がかり…か、…ふむ……これと言って、思いつくことは……んん? そういえば…、噂程度に耳にしたことがある。 王家には歴史の闇に葬られた真実の過去を記録した書物が存在すると。 代々の国王のみがその在処を知ることが出来ると、以前何処かで耳にしたが…果たして真実かどうか…。 確かめる術はなかろう。 国王陛下でさえ、今は正気であるとは到底思えないからねぇ。」


目下『聖女』の何かしらの影響下にある国王に真実を聞き出せる見込みなど無い。

出来る範囲で『聖女』を探ることを教皇となった父親にも頼みながら、王弟の地位を活かして自分でも探る心積もりのようだ。


叛意あり、と取られてもしかたない行動だったが、フィンレイもウィルフレッドも、迷いなく動く心積もりでいる。


残りの料理を食べる間は食事を進めることに集中した。

食事をすませたあとは談話室へと場所を移し、私とフィンレイ様は紅茶を、ウィルフレッド様はウイスキーをそれぞれ飲みながら、他愛ない話題を選び談話を楽しんだ。


秘密裏に王家からの監視の目を掻い潜って『聖女』を探る行為。

彼らのこの行動が吉と出るか、凶と出るか、答えはもう少しでわかるところまできていた。

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