26.悪役令嬢のバッド・エンド【参−③】
聖女から十分離れ、姿も見えなくなった頃になってようやく隣を歩く騎士団長が聖女について言及する。
「あれが噂の『聖女』様ですか…、想像以上に短絡的で幼稚な振る舞いでしたね。 あの王太子殿下を籠絡し、国王陛下すら顎で使い始められたとは、到底信じ難い。」
そこで言葉を区切り、真剣な表情でひたと見据えられる。
「大丈夫でしたか?ライリエル嬢。 本当に今までご無事で良かった。 国境が騒がしく、辺境軍の応援に駆り出されてほんの短い間王都を離れていただけのはずなのですが…。 その間にこれ程状況が変化しているなど…俄には信じ難い異常事態だ。 だと云うのに肝心要の、この国の中枢は、『聖女』の掌の上で踊り転がされて狂っていくのみ。 何が起こったのでしょう? 貴女は一番被害を被っている、何か気付いておられるのではありませんか? この異常事態の原因について。」
私を見つめるファイヤーオパールの瞳に、陰りは一切見つけられない。
炎の揺らめきのような輝きが煌々と煌めいているのみだ。
信じたい、でも、信じるのがもう怖い。
「閣下は、私を買い被っておられるのですわ。 私のような小娘に、何を見抜けましょう? それに、何かに気づいたとて、それを真に受けとる者など居りません。 巷に流れる私の噂をご存知でしょう? それが答えです……今はそれしか申せません。」
眉間に深い皺を刻み、こちらを物言いたげに見るが、どう言葉をかければよいのかを躊躇っているようだ。
逡巡した後、諦めたように嘆息してから躊躇った内容と違う言葉を低めた声で発する。
「お気を付け下さい、ライリエル嬢。 国王陛下は王太子妃の変更を近々、国民に発表するよう手はずを急ぎ整えておられます。 有りえないことですが、殆どの諸侯はこれに同意しており、賛成派の筆頭は……フォコンペレーラ公爵です。 反対しているのは私を含め、王都から離れた領地の者ばかりで劣勢と言わざるを得ません。 そして貴女の動向は逐一見張られております、王国の擁する暗部によって常に。 その指揮をとっているのは王太子殿下です。 貴女が王国立魔導図書宮で誰と逢っているかも、筒抜けております。」
「…王太子妃の件はある程度予想しておりましたが……、私に監視を…? しかも、学園外のことまで…。 私は疑われているのですね、ですがそれは、今の私にとってはむしろ好都合ですわ!」
「監視を容認なさるのですか?! それはあなたの身の潔白の助けにはなりえません、寧ろ状況が悪化することでしょう!」
「それでも、私一人の意見より、信じていただきやすくなりますでしょう? 私は噂にあるような低俗な行為は一度もしておりません、ですがそれを主張してところで私一人の意見では証明できませんもの。」
「証明する必要はない。」
静かな怒気をはらんでなお涼やかな声が背後から唐突に投げかけられる。
振り返って見れば、声から想像した通りの人物、王太子殿下がレスター様を伴って足早にこちらに向かい来ていた。
相手の雰囲気からして、平穏無事な展開は訪れそうにない。
「王太子殿下…ご無沙汰しております。 セルヴィウス・デ・ラ・オーヴェテルネルがご挨拶申し上げます。」
「久しいな、セルヴィウス卿。 貴殿が何故学園に来ているのかは、今は問わない。 ライリエル嬢、今はそなたに話がある。」
騎士団長の挨拶に軽く手を上げておざなりに返し、視線は私に固定して離さないまま、まるで近寄るのも悍ましいと言葉ではなく態度で示すように十分過ぎる距離を取って足を止めた。
「ご多忙を極める王太子殿下が私に…どの様なご用向きでございましょうか?」
「ルーフェのことだ、何についてかは、勿論覚えがあるだろう? つい先程の事だ、知らぬとは言わさんぞ!」
「ルシフェーラ・アンジェロン子爵令嬢でしょうか? 彼女がどうかなさいましたの?」
相手の出方を見るためとぼけて見せる。
今度は一体どんな理由で詰問する気なのか。
セルヴィウス卿も私に調子を合わせてか、はたまた静観するためか、どちらにしても今は自分からは行動を起こさず様子を窺う姿勢のようだ。
「どうやら忘れてしまったようだな? ルーフェはフォコンペレーラ公爵家の養女となった。 今ではれっきとしたフォコンペレーラ公爵家の令嬢、つまり君の義妹だ。」
投げてよこす冷ややかな視線に剣呑な光が混ざり始める。
「勿論、養子縁組の件は記憶しております。 ですが私は納得しておりません。 残念ながら義妹だなどと、認めることは今後もできかねます。」
「ふん、だからルーフェを虐げるのか? 彼女が君に代わる存在になるのを厭って、取るに足らない君の矜持を護るために? 浅ましい、実に利己的で高慢な貴族らしい考え方だな。」
「お言葉ですが王太子殿下、私は彼女を虐げたことなど御座いません。 ましてや、自身の矜持の為に他者を貶める行為など致しません。 私はフォコンペレーラ公爵家の名に恥じる行為など、一切行っておりません!」
「白々しい、そなた以外にルーフェに恨みを抱く不届きな輩などいはしないだろう。 世界に安寧を齎す聖女を疎んじるなど、その身に疚しいことが無い限り考えるはずもない。 君は以前からルーフェに何かしらの悪感情を抱いていたのでは? 積もり積もった鬱憤も相まって、今君を脅かす存在となったルーフェを排除したかったのだろう?」
こんなこじつけたような理由で責め立てられるとは、夢にも思わなかった。
ディオン王太子殿下が口にしているセリフだなんて信じられないくらいに幼稚だ。
「私には、王太子殿下の命で監視が付いていたのでしょう? ならば虐めなど行なっていないと、既にお分かりでございましょう? あなた方にとっては私などの証言よりも、その監視からの報告のほうがよほど信憑性が有るのでは?」
「屁理屈を。 その監視の目をかいくぐって、やってのけているのであろう? 厚顔無恥とは、このことだな。 この期に及んで開き直るとは、呆れてものも言えない。」
「屁理屈を捏ねていらっしゃるのは、王太子殿下では御座いませんか! 私一人の力で、何ができましょうか?! 私のような小娘に出し抜かれる監視など、首になさいませ!! 元より居ないものと同義ではございませんか!! 貴方様が仰っているのは、現実には到底、ありえないことで御座います! 以前の賢明な殿下ならば、このような問答、なさるはず御座いません!! 正気にお戻りくださいませ、ディオン王太子殿下!!!」
黄金色の瞳を射抜くように見据える。
以前の冴え渡る聡明な輝きは、その瞳には見つけられなかった。
しかし私の反論に対して反応したのか、鈍い色の瞳の奥に、ゆらりと煌めきが揺らぎたった。
しかし直ぐに鈍い色に呑み込まれ、立ち消えてしまった。
「不敬だな、ライリエル嬢。 私が正気を失っているだと…? 見当違いも甚だしい、私は至って正気だ。 しっかりと現状も把握できている。 だからこそ、このまま君を婚約者にも、王太子妃候補にも、据え置かないことを決定した。 その発表は今年の年末、学園で行われる舞踏会にて行う予定だ。 その際に君のルーフェに対する愚行の数々を詳らかにし、君の犯した数々の罪を白日の下に晒すことを約束しよう。」
1歩、2歩と、距離を詰めてくる王太子殿下と私の間に立ちはだかる背の高い影。
最後まで傍観に徹するかと思われた騎士団長はここで私を背に庇い、王太子殿下に意見する。
「王太子殿下、どうぞ今一度ご自身の変化と真剣に向き合われてください! 私もライリエル嬢と意見を同じくしております、王太子殿下も国王陛下も、確実に以前とは変化しておられます。 そこにいる私の息子、レスターもです!! 他にも、数限りなく変化した者を挙げられましょう…すべては『聖女』様が王城に身を寄せた時期から狂いだした!!」
王太子の後ろに控える自身の息子を厳しい目で見て告げる。
その視線に、一瞬身を竦めてバツが悪そうに目を伏せるレスターは、しかし口を閉ざしたまま、黙秘に徹した。
「王太子殿下も訝しんでおられたではありませんか! 彼女が居た教会での『聖女』様への狂信的な崇拝に、懸念を示されていた。 それなのに今、何故疑惑の尽きない『聖女』様でなく、ライリエル嬢を疑われるのですか?! ライリエル嬢の能力を誰より高く評価なさっていたのは王太子殿下ではありませんか!! 正気であればこのような異常事態を見過ごすことなど、できようはずありません!!」
「セルヴィウス卿は…この国に対して叛意でもあるのかな? もしくはライリエル嬢に唆されでもしたか? 変わったのは貴公だろう、私もレスターも、正常だとも。 王国騎士団の栄えある騎士団長ともあろう者が、少女に謀られるとは……、爵位継承を急がせたほうが良いか? それよりもこのままここで…早々に引導を渡したほうが、今後の手間が省けそうだ。」
王太子殿下の身体から、夥しい殺気が放たれる。
マナを介在したそれは、浴びせられたものを否が応でも萎縮させ、抵抗する意志を奪い去る。
ここまで短絡的に事を構える手段に出るとは、本人が認めずともこの行動こそが異常であると証明している。
騎士団長相手に実力行使に打って出るなど、普通に考えれば自殺行為であり、返り討ちに合うのが関の山。
しかしこの王太子は、残念なことに普通ではなかった。
完全無欠、この一言に尽きる。
魔法は勿論のこと、剣術ですらも非凡な才を天から与えられている。
一を聞いて十を知るどころか、百は理解してしまう天賦の才がある。
これは王族特有の『称号』とそれに付随する固有スキルが関係しているらしい。
これについては王家の機密に該当するため、王太子妃教育の中でも情報としてさわりの部分を教えられたにすぎず、詳しいことは不明のままだった。
恐らく国の中枢に関わる職位、公爵家・侯爵家・辺境伯家の当主であれば知らされていることだろう。
だからこそ、私の前に立つ騎士団長もその身を緊張させて、衝突の時に備えている。
一対一なら気兼ねなく王太子に対峙できただろうが、今は私というお荷物が騎士団長の足枷となっている。
一度護ると決めたからには、背に庇うことを止めはしない。
それがこの騎士団長が騎士の鑑と謂われる所以の1つでもある。
このまま2人を戦わせるわけにはいかない。
しかし私にこの2人を止める能力は無い。
どちらかが地に伏すまで、決着とはならないだろう。
最早衝突は避けられない。
そう思われた一触即発の事態は実現することを阻止された。
この場に現れた、またまた学園に居るはずのない乱入者によって、それどころではなくなったからだ。
「これは一体、何の騒ぎでしょうか?」
緊張を孕んだ緊迫した空気をぼやかしてしまう。
この場にそぐわないほど穏やかな声が空気を震わせて耳に届く。
常と変わらない、穏やかな聖人君子さながらの笑顔。
しかしその風貌は、常とは一線を画していた。
金皇の眩い光を反射する艷やかなバターブロンドの髪を常とは異なり、綺麗に結い上げている。
そして服装も純白の祭服ではなく、一国の王族さながらの豪奢な装いだった。
いや、王族そのものだった。
今の装いでなら、他人の空似などとは思えない。
王太子と彼の人物は、確かな血縁を感じさせる程似通い過ぎていたからだ。
驚く私達に構わず、ひたと王太子殿下に視線を向けて朗らかに微笑みながら言葉を続ける。
「国王陛下の名の下に安全が保証されたこの学園内で、一体何をなさっているのでしょう? ディオン第一王子、貴方はこの王国の権威を失墜させたいのでしょうか? 嘆かわしいですね、このように短絡的な人物だったなどと…、王太子位を授けるには時期尚早だったのではないかと、思わざるを得ませね。」
「……っ! フィンレイ…王弟殿下、なぜ学園においでなのですか? 御身は現在多忙を極めておられるはず…、何用でわざわざこのような場所まで出向かれたのでしょう?」
「ふふっ、それほど多忙でもありませんよ? 私がこの学園に居る理由は唯一つ…王弟としての職務の一環です。 正式には明日ではありますが、この学園の学園長職をあずかることに、この度決まりましたので。 下見も兼ねた訪問というわけです。」
「「「 なっ?! 」」」
王太子にも知らされていなかったようで、ディオンも驚愕を隠せなかった。
そして当然ながら、識るよしの無いレスターとライリエルも驚嘆し、それとは別に聞き知っては不味いと思われる情報に顔が引き攣る。
「今後は、私がこの学園に常に顔を出します。 なので真実に則さない、個人の尊厳を脅かす悪意ある全ての事柄は、金輪際、蔓延ることがないように徹底した排除を行っていく所存ですので、お見知りおきを。 記憶の片隅にでも、留め置いて下さい、ね? そこにいらっしゃるレディも、どうぞご安心下さい。 私が、必ず護り通してみせますので。」
「フィンレイ……様?」
「はい、私ですよ。 あぁ、先程彼が口にしたことは、一応内密に。 うっかり口をついて出てしまったのでしょうが、私が王弟であることは明日までは王家の機密ですので、内緒ですよ?」
「し、承知、致しました……、学園長、様?」
「ふふっ、それも明日からですね。 今日の時点では王籍でもなく役職もない、唯のフィンレイです。 セルヴィウス卿、お会いできて光栄です。 本日はお呼び立てしてしまい、申し訳御座いませんでした。 では、参りましょうか? 私の客人を、解放して頂けるかな? ディオン第一王子殿下。」
「勿論、どうぞご随意に……フィンレイ殿。」
「よかった、すまなかったね。 では参りましょう、セルヴィウス卿。 あぁ、貴女も、レディ。 学園長室はどこだったか…空覚えなものでね、案内を頼めないだろうか?」
それが彼からの助け舟であることは明白で、乗らない手はない。
「是非も御座いません、どうぞこちらでございます。」
その場から歩き去る私達を悔しそうに顔を顰めて見送る王太子とその幼馴染である公爵家嫡男。
「…くっ! なぜ今更になって…っ!!」
拳を握り込み震わせる。
その視線の先は聖人君子の顔で微笑んでいた青年へと照準を合わせて外さない。
「枢機卿家に引き取られ、大人しくしていたはずが…数週間前になっていきなり名乗り出るとは……! ライリエル嬢と面識もあり、かなり親しい様子…無関係ではないのでしょうね。」
「だろうな、しかし…今は手出しできない。 時期が悪すぎる。」
「そうですね、エリファレット枢機卿が教皇に選ばれた今は……今後暫くは、表立って関わるのは避けたほうが良いでしょう。」
「忌々しい…っ! これでは、ルーフェの願いを叶えられない……!!」
その言葉の意味が今の王太子にとっては身を切られるよりも辛い現実を突きつけるものだった。
『聖女』の役にたてねば、己に存在する意味などない。
一種の強迫観念に囚われ、焦燥に駆りたてられるように、『聖女』の願いを叶えることに執心する。
今はまだ世情などに配慮する冷静さが残っているが、その配慮も取れず、手段を選ばずに目的を果たすことのみを考えるに至るまで。
さほど時間的猶予は無いように見られた。
それ程に【魅了】されきってしまった。
王太子の人格を歪め、正常な思考能力を奪い、精神を自由に支配する。
《神》が“禁忌”と定めた“遺失魔法”。
一度その術中に絡め取られたならば、抗う術など矮小なる被造物には無いに等しい。
その絶望を、幸か不幸か、渦中の少女たちは未だ知り得ないままだった。




