もしもの小話04.料理
買い物を終えたヴェルと私は、沢山の荷物を抱えて家まで戻ってきた。殆どの荷物をヴェルが持ってくれて、とてもありがたかった。衣類だけでも結構な量だったのに、食材も買い込んでしまったので、1人だったら持ちきれないくらいの重量だっただろう。
帰宅してからは荷物を仕分けして、食材を冷蔵庫に入れていく。並行して、それがどういう電化製品なのかとか、使い方とかも一緒に教えたりしているうちに、時刻は夕方に差し掛かってきていた。
ヴェルは新しく買ってきた服に着替えて、ちょっと小綺麗な感じになった。買ってきたのは全部無地の服なのだが、元が良いと何でもかっこよくなる。
「あ、そうだ。お部屋を準備してきますね」
「ああ…悪い」
ヴェルをリビングのソファーに残して、隣の和室に向かう。押入れにはお客さん用の布団があったはずだ。本当は一回干した方が良いんだろうけど、今回はやむを得まい。
…両親の寝室だった部屋なら、何の問題もなく生活できるのだろう。大きなベッドもあるし、クローゼットもあるし。だがまだ、あの部屋に平静な気持ちでは入れない。まだあの部屋を、他の誰かに明け渡したく無い。わがままかもしれないが、まだもう少し、時間が必要だと感じていた。
畳を珍しそうに見ていたことから考えると、多分畳で布団を敷いて寝るのは初めてだろう。押入れの中から敷布団を2枚取り出して、畳の上に重ねて敷く。これなら硬さは気にならない、と思う。多分だけど。
季節は冬に差し掛かった頃。寒そうな地域出身だから、もしかしたら寒さには強いのかもしれないが、あたたかいに越したことはない。掛け布団と毛布を取り出して、布団の上に置いておいた。
「…ふう」
結構な重労働だった。息をついて、押入れを閉じる。
他に必要なものって何かあっただろうか。和室内には一応テーブルと座布団はあるが、他には何も無い。欲しいものはあるかと尋ねても、特に無いという答えが返ってくるような気がしてならない。
まあいいか、と思い直して、障子を開けてリビングに戻る。ヴェルはじっと窓の方に視線を向けたまま微動だにしていなかった。
「ヴェル…?」
まだ彼のことを、愛称で呼ぶのは慣れない。ヴェルはこちらに視線を向けると、「何だ」と返した。
「あ、いえ…布団を用意してきましたので、眠る時はそちらで」
「…口調」
「…あ、すみません」
やっぱり、敬語をいきなりやめるというのは、難しい。
「なかなか慣れないや、追い追い慣れていくのかもしれないけど」
「いや、別に構わないが。そのうちでいい」
「はあ…」
彼がここにどれくらい滞在するかわからないし、長い目で見るなら敬語じゃない方が気楽なんだろうか。だがまあお言葉に甘えて、今まで通りにすることにする。
「まだ夕食には時間がありますし、飲み物でも用意しましょうか?」
「ああ。…ありがとう」
「紅茶と、緑茶と、コーヒーならあるけど、どれにします?」
「コーヒー、というのは知らないな」
「コーヒーはなんていうか…苦い汁みたいな」
「なんだそれは。飲み物なのか…?」
「一応飲み物だけど…飲んでると美味しさが分かってくる感じ、かなあ。苦手な人は甘くしたり、ミルク入れたりして飲んでる…」
「…そこまでして飲む必要があるのか?」
「いや、無いんですけど。眠気覚ましになるのと、慣れると美味しいから?」
「ふむ…」
「飲んでみます?」
「…少し」
「それなら、私が飲むので、一口どうぞ。ヴェルのは緑茶か紅茶にしましょう。どっちにする?」
「それでは、紅茶を」
初めてだと、コーヒーはちょっと苦いだろう。考えてみれば、コーヒーって不思議な飲み物だ。苦いのに美味しくて、ついつい飲んでしまう。これはもしや…カフェイン中毒だろうか。
お湯をケトルで沸かして、その隙にこそっと洗い物を済ませる。少し薄めのインスタントコーヒーとアールグレイを用意して、お盆に乗せて運んだ。テーブルにコップを置いて、先にコーヒーを差し出してみる。
「…黒いな」
「ええ、まあ…砂糖もミルクも入っていないコーヒーは、ブラックコーヒーと言います。ミルクが入ると、カフェオレです」
「ふむ…」
ヴェルは神妙な顔で、コーヒーを一口飲んだ。眉間に刻まれていた皺が、追加でちょっと増える。
「………」
「美味しくない?」
「形容しがたい。何も知らなければ毒だと思っていたかもしれない」
「っふふ、確かにそんな味ですね」
思わず笑ってしまった。彼からコップを受け取って、こくりと嚥下する。もうこの味を、美味しい、と思うようになってしまった。ヴェルは何だか物珍しそうな視線を私に向けたが、アールグレイが入ったカップに手を伸ばす。
「コーヒーにも色々あって。産地とか、ブレンドの仕方とか…私もあまり詳しくないんですが、酸味と苦味のバランスでかなり味は変わります。これはインスタントでブレンドのものですが、酸味が弱くて苦味が強いものです。私は酸味が苦手なので、こういうものが好きで」
「…ふむ……」
難しい顔でヴェルは頷いた。彼にはまだコーヒーは美味しく感じられないようなので、ここらでコーヒーの話はやめておこう。
「明日は私は家にいるんですが、明後日から仕事です。ええと…」
壁にかかっていたカレンダーを引っぺがして、彼の前に置く。
「今日は11月17日、土曜日です。月曜日から金曜日までの5日間は仕事、週休二日制です。出勤は朝9時、退勤は夜6時。残業するともう少し遅くなりますが、今は繁忙期ではありませんから、定時には退勤できるかと。私が居ない時間帯は、家で好きに過ごしてくださって構いません」
「……」
ヴェルは咀嚼するような間を置いて、すっと顔を上げた。
「私が生活していた場所と、少々暦が違うようだ。時計の造形を見た限りでは、1日は24時間か?」
「ええ、そうです。1日は24時間、1年は365日。ヴェルの故郷とは違いますか?」
「いや、その点は同じだ。暦が違うだけらしいな」
ヴェルは顎に手を当てて、じっと何事か考え込む。
「…ここにどれだけの間滞在することになるか分からない。私も何か…仕事をした方が良いだろうか」
「無理はしなくて大丈夫です、1人くらい何とか養います!」
「いや、それは悪過ぎる。何か私にでもできる仕事は無いだろうか」
「うーん、アルバイトくらいなら、なんとかなるかも知れませんが…」
「…アルバイト、とは」
「…どこから説明したらいいんでしょう。うーん…仕事をするにあたって、契約形態というものがありまして」
アルバイトとか会社員とか、契約社員とか…色々難しい。日本では戸籍がないとなかなか仕事にありつけないだろうし、そもそも戸籍を作るのも難しそうだ。これだけ流暢な日本語を話せるのなら、可能性はあるかも知れないけど。例えば記憶喪失だと言えば可能なんじゃないか。一通り説明すると、ヴェルは難しい顔で頷いた。
「長い目で見るなら、戸籍というのは必要になりそうだな。その…アルバイトという契約形態ならば、仕事ができるのか」
「会社にもよります。会社じゃなくてお店とかの方がアルバイトはしやすいかと。…まず、ヴェルが、何ができるかにもよりますね」
「…剣は扱える。だが、話ぶりからすると…そういうものは、ここでは仕事にならないようだな」
ヴェルは理解が早い。静かにため息をついて、お茶を一口啜る。
「ヴェルは、あちらではどういった仕事をしていたんですか?」
「…そうだな、簡単に言えば…国や世界の防衛機構のようなものだった。争いを鎮める必要があれば駆り出されるし、危険な獣が現れれば討伐する。ただ、私は近衛隊に所属していた。普段の業務は、王の護衛だ」
「へえ…」
それなら、警備会社とかが向いていそうだ。それかSPとか。でもああいうのって、どうやったらなれるのか知らない。だがしかし、根本的に…文字が読めないとなると、すぐに仕事というのは厳しそうだ。
「分かりました、色々調べておきます。暫くは、私がいない時間で言葉や文字の勉強をした方がいいかもしれません。ここは識字率の高い国ですから。まあ、ひとまずは、そうですね…何もしないのが辛いということであれば、家事のお手伝いをしていただければ。ヴェルは、例えば、料理はできますか?」
「………料理は…」
ヴェルは眉間に皺を寄せて、なんとも言えぬ複雑な顔をした。
「食材を、言われた通りに切るくらいなら、できると思う」
それは料理なのか。
「…片付けくらいならできる。掃除もおそらくできる」
ちょっと不安だ。
「それなら、料理も教えます。他の機械の使い方も追い追い教えますね。今日の晩御飯、作るのを手伝ってくれますか?」
「ああ、わかった」
「もう少ししたら作り始めましょう。きっと、お米を炊くくらいならすぐできると思いますので」
「…善処する」
神妙な顔で頷いたのが面白くて、思わずくすりと笑ってしまった。ヴェルはほんの少し眉を顰めてこちらを見下ろす。
「お前は、よく笑うな」
「そ、そうでしょうか」
馬鹿にしてるとかじゃないんだ、気を悪くさせてしまっただろうか。すみません、と謝ると、ヴェルは軽く首を振った。
「いや。別に不快じゃない、気にするな」
そう呟いて、紅茶に口をつける。まだ彼との距離感が掴めなくて、本当に嫌じゃないのかはよく分からなかった。
◇ ◇ ◇
「これは炊飯器です」
「…すいはんき」
「お米を炊く、とても便利な機械ですよ。お米を洗って、決められた分量のお水を入れて、ここにセットして、スイッチを入れれば勝手に炊き上がります」
「…ふむ……」
「お米はこうやって、水で洗います。最初は軽く流すくらいで、しっかり洗うのは2回目から。でもあんまり力一杯洗うと、お米にヒビが入って炊き上がりが少しべちゃっとしてしまうので、気をつけてくださいね」
「……わかった」
「何度かすすいで、水が濁らなくなったら洗い終わりです。釜の周りを拭いて炊飯器にセットします。今日は3合なので、ここ…3って書かれているところまで、お水を注ぎます。これで準備は終わりで、後は蓋をして、炊飯ボタンを押せば完了です」
「………ああ」
反応が徐々に鈍くなってきている気がするが、ヴェルは何度か頷いて、何となく覚えてくれた様子だ。
「これで、30分くらいで炊き上がりますから、その間に料理をしましょう。今日はすき焼きです」
「すきやき…」
神妙な顔で頷かれたのが面白い。笑いを堪えて、冷蔵庫から野菜を取り出す。
「さ、野菜を切りますよ。お手伝いをお願いします」
「ああ、任せろ」
食材を切るのは自信があるようだ。それなら安心と、テーブルにまな板と包丁を置く。
「野菜は先に洗って、切ります。見本で少し切るので、同じように切ってもらえると」
「ああ」
自分の分のまな板と包丁を取り出して、キッチン台の上で洗った野菜を少し切ってみせる。白菜と、長ネギと、にんじんと、水菜。ヴェルが野菜を切ってくれている間に、きのこ類やお肉、豆腐、しらたきの準備ができる。こんな風に誰かと料理で作業を分担するのは久々で、楽しかった。
「手慣れているな」
「自炊は時々してましたから。誰かがいた方がやる気が出ますけど」
「そういうものか」
「そういうものです」
簡単に見本を作って、ヴェルの方を見上げる。思ったよりも近い距離に顔があって、びっくりして心臓が跳ねた。どうやら手元を覗き込んでいたらしい。気配が鋭い癖に、時々気配が薄く感じる。
「何だ」
ヴェルは私の顔を見下ろして、ゆっくり瞬きした。ああ、話しかけるのを忘れていた。
「ええと、…この通りに、野菜を切ってもらえますか?この野菜…白菜と水菜は、茎の部分と緑の部分は別にしてください」
「ああ、分かった」
「それではよろしくお願いします」
野菜とザルを渡して、私の方は他の用意だ。
自分以外の誰かの包丁の音を聞くのは久々だ。とん、とん、という小気味いい音。大抵の家ならそれはお母さんの音なのだろうが、うちではお父さんの音だった。
どうしてかとても懐かしくて、なんだかちょっと泣きそうになる。深呼吸してそれを納めて、ひとつずつ準備を終えていった。
「終わった」
「ありがとうございます」
ヴェルから野菜を受け取って、鍋を火にかける。最初はお肉から。サービスでついていた牛脂を鍋に入れて溶かして、お肉を焼いていく。
「今日はちょっと奮発したので、牛肉ですよ」
「良い肉なのか?」
「ちょっと良いお肉です」
割り下を入れてから、切った具材を投入して、蓋をする。
沢山具材が入った鍋を見るのはなんだか高揚する。美味しく出来上がるといいな。
「あとは暫く煮込んだら終わりです。簡単でしょう?」
「…うむ」
「まあ…やっていけば勝手に慣れますし、失敗を重ねて上手くなっていくものですから」
初めから上手くなんて出来ない。まずは本の通りに作ってみれば、そのうちコツも分かるし、知識も身についていくものだ。ヴェルはなんとも言えない顔になって、軽く頷いた。
「優しいな、お前」
「えっ?」
そういう事を面と向かって言われると照れる。思わずへらっと笑うと、ヴェルも小さく笑った。
「…煮込むのは、どれくらいの時間だ?」
「うーん、10分くらいでしょうか。火が通ればそれで良いので」
「そうか。他にはどんな料理ができる?」
「まあ、色々…調べればいくらでも」
今の時代、料理はとても簡単なのだ。ネットでちょちょいと調べれば、いろんなレシピが出てくる。あ、そうだ、それならタブレット端末をひとつヴェルに渡しておいた方が良いかもしれない。その為には文字が分からないといけない訳だが。
「この時間で、少し文字を覚えましょうか。そうすれば、ヴェルも料理ができるようになるかも」
「それなら、よろしく頼む」
そう言って頭を下げたヴェルを一旦椅子に座らせて、ノートやらタブレットやらを持ってくる。ヴェルは物珍しそうな視線をそれらに向けて固まっていた。その手にペンを持たせて、ノートを広げる。
「ヴェルの国の文字は、どんなものでしたか?書いてみてください」
「…」
ヴェルはペンをノートに走らせて、文字を書いていく。それは英語の筆記体みたいな文字で、やはり日本語とはかけ離れているのだと思い知らされた。
「この国の文字を今日一日で見てきたが、なかなかに複雑そうだった」
ヴェルはそう呟いて、ペンを走らせていた手を止めた。確かに日本語は複雑だ。複雑だが、喋れているなら多少は楽なはず。
「大丈夫、ちょっとずつやれば覚えられます。頑張りましょう!」
「…ああ、ありがとう」
ヴェルがちゃんと、こっちでも生きていけるように。…そうして、1人でも生きていけるようになったら、ここから出て行ってしまうかも。
少し寂しいけど、彼がそうしていけるなら、それが一番だと思う。そう思考を巡らせて、彼に文字を教えるべく、ひらがなをノートに書き連ねていった。




