もしもの小話03.お買い物
「これは、何という料理だ…?」
運ばれて来たスプーンを片手に、ヴェルフリードさんは神妙な顔でかつ丼を見下ろしている。
「かつ丼です。お口に合うと良いんですが」
「……」
ヴェルフリードさんは、眉間に皺を寄せたまま、そっとかつ丼にスプーンを入れる。それがご飯と卵と、とんかつを掬って、口に入れられた。
「どうです?」
「…美味いな」
別に作ったのは自分じゃないのだが、嬉しくなってしまって微笑む。日本食は最高だと思う。ヴェルフリードさんは二口目を掬いながら、私の方をちらっと見た。
「食べないのか」
「え?ああ、食べます」
慌てて自分も箸を取って、食事を始める。鰆は淡白で癖がなくて、とても食べやすい。美味しくて好き。
彼の国では、生魚を食する文化はあるんだろうか。もしも抵抗が無いというのであれば、お寿司も食べさせてあげたい。日本酒も一緒に楽しみつつ、お刺身も良いなあ。
半分くらい食べ進めて、ふと顔を上げると、ヴェルフリードさんは既に食事を終えていた。食べるのが早い。
「足りました?」
「ああ、十分だ」
頷いてそう言ってくれたが、彼は身体が大きいし、食べる量も本当は多いんじゃ無いかと思ってしまう。気を遣わせてしまったかもしれない。
晩御飯はどうしよう。外食続きだとお金もかかる。できれば家で食べてしまいたい。
冷蔵庫の中身を思い出しながら、何にしようかと考える。平日はあまりまともな食事はしていないから、スーパーで買い揃えないと、ちゃんとしたご飯は作れないだろう。
和食に興味があるようだし、晩も和食にしようか。肉じゃがとか、生姜焼きとか、すき焼きとか…?あれ、肉ばっかりだ。いやその、肉か魚かと問われると肉が好きだけど。
そんなことを考えながら食べ進めているうちに、私も食べ終えたので、食後にほうじ茶を啜る。ヴェルフリードさんは少し不思議そうにお茶を飲んでいた。彼の国にはほうじ茶は無いんだろうか。
「さて、お洋服を買いに行きましょうか」
「ああ」
彼を連れ立って、駅ビルの中を歩く。男性物の服屋さんとかよく知らないし、入るのにも勇気が要るので、全国展開している、男女の服を広く扱うお店に行くことにした。安価なので私もよくお世話になっている。下着も靴も帽子も、なんでも揃う良いお店だ。
男性服が並んでいる棚の所まで行って、背後をちらりと振り返る。モデルがいいのでなんでも似合いそうだが、彼は好みは無いんだろうか。
「どういう服が良いですか?」
「服には特に好みは無い」
「は、はあ」
「お前が選んで良い」
それならばと、取り敢えず落ち着いた服を選んでみる。白の無地のYシャツの、一番大きいサイズ。これが入らなかったら、多分ここでのお買い物はできない。
「試しに着てみてください。入らないかもしれないので…。試着室がありますから、そこで着替えましょう」
そう言って、彼を試着室のある方へと連れて行く。ヴェルフリードさんはやはりどこか物珍しそうな表情で、周囲に視線を向けていた。
彼を試着室の中に押し込んで、カーテンの前で待機する。こうして1人になると、なんともこの状況の意味不明さに、一周回って笑いがこみ上げて来た。不思議なこともあるものだ。
彼はやはり、目を惹くと思う。ああいう人が近くにいて、私、色んな意味で大丈夫だろうか。改めて意識すると緊張する。
程なくしてカーテンが開けられて、白いシャツを着たヴェルフリードさんが現れた。
「…似合いますね」
「そうか?」
なんとも、イケメンの度合いが増して見える。シンプルなただのシャツなのに。
「服のサイズはどうです?」
「丁度いい」
「それなら、そのサイズで、色違いも買いましょうか。あとはTシャツとか、ズボンもいるし…寝間着とかも。あとは下着…?」
ぶつぶつ呟きながら考えていると、ヴェルフリードさんの眉間にどんどん皺が刻まれていく。申し訳ないと思われているのかもしれない。
彼の体格を考えると、多分全て一番大きいサイズを選べば大丈夫だろう。
彼を再び試着室に押し込んで、どういう服なら良いだろうかと考える。変な柄のシャツとか着せてみたい悪戯心を押し殺して、ずらりと服の並ぶ棚に視線を向けた。
◇ ◇ ◇
Yシャツが4着、Tシャツが4着、ズボンを3着。あとは下着とか寝間着とか、靴下とか、靴とか…結構な値段になったが、まあ良いかと思う。これだけあれば暫くは問題無いだろう。
帰りにスーパーに寄らせてもらって、野菜と肉を買うことにした。
「…豊かだな」
綺麗にパッケージされた、既にカットされた肉や野菜。ヴェルフリードさんはそれを見下ろして、静かにそう呟く。
「過剰に感じる、という気持ちは分からないでもない」
「…そうですよね」
ただこの便利さに、我々はすっかり慣らされてしまった。
今日はすき焼きにでもしようか。白菜と、ねぎと、しらたきと、椎茸と、豆腐と、お肉と…。買い物かごに増えていく食材の数々に、不思議な感覚を覚える。
1人になってから、こんなに沢山の食材を買うことはなかった。腐らせてしまうから。たった1人増えるだけで、こうも違うものだろうか。
いや、それはもしかしたら、ちょっと違うのかもしれない。ずっと1人だったから、浮かれているのかもしれない。
…彼は、突然現れたから、いつかまた突然いなくなってしまうかもしれない。そうしたら、私は、また…誰かを失う辛さを、味わうことになるのだろうか。
つい、自問自答を繰り返してしまう。ぼうっとした頭で、パッケージされたお肉を見下ろす。一番大きなファミリーパック。普段は買わないそれを買い物かごに入れて、静かに息を吐く。今そんな事を考えても仕方ない。
ふと重くなりだしたかごから重みがなくなった。ヴェルフリードさんが、無言で私の手から買い物かごを取り上げる。
「あ、りがとう、ございます」
「いや」
なんてスマートなんだ、中身までイケメンなのか。
「力は強い方だ。頼っていい」
確かに彼は力が強そうだけど。ちょっと申し訳ないがお言葉に甘えることにして、食材を入れていく。
「あれ、優?」
唐突に名前を呼ばれて、びっくりしながら振り向く。初めは誰だかわからなくて、少し困惑した。
「…田嶋くん?」
知っている面影があるような気がして、半ば無意識に呟く。声を掛けた男の人は柔らかく笑って頷いた。
「良かった、優だ。知らない人かと思った」
良かった、間違っていなかった。高校の時の同級生だった、田嶋くんだ。家が近いから小学校から一緒だった。幼馴染といえば幼馴染、あまり男子と話はしなかったけど、彼とはよく話した。人当たりが良くて、友達が多くて、人気者で、みんなに慕われていた、そんな人。背が高くてスポーツ万能、でも勉強は苦手で、授業中によく突拍子も無いことを言って笑わせる、クラスのムードメーカーだった。そんな彼に憧れを抱く女子は多くて、でも彼は誰かと付き合うことは無かった、ような。あまりその辺りに興味が向かなかったので深くは知らない。
「めちゃくちゃ久しぶりだな、3年ぶり?」
「うん、多分それくらい」
「元気だった?みんな心配してたんだよ」
「…元気。もう大丈夫だよ」
軽く笑いかけると、田嶋くんはちょっと心配そうに笑い返した。
「優、今何してるの?ピアニスト?」
「ううん、ピアノは…やめたの。ただの会社員だよ」
「えっ、勿体ない…あんなに上手かったのに」
「はは、そんな事ないよ。田嶋くんは今何してるの?」
「俺は今大学生。3年だよ」
「へえ、そうなんだ…」
「今は冬休みでこっちに帰ってきてるんだ。実家でバイトしてる」
「そっか、お好み焼き屋さんだよね」
「今度おいでよ、奢るから」
「えっ、いいの…!?ありがと!」
田嶋くんの家のお好み焼き、美味しいから好きだった。楽しみになってほわっと笑うと、田嶋くんはちょっと目を泳がせた。あれ、奢ってくれるってもしかして社交辞令…?
「…あ、もしかして、彼氏さん…?」
泳いだ目が、背後のヴェルフリードさんに向けられた。
「ひえっ!?ち、違うよ、この人は、ええと…ええと、お母さんの知り合い!」
幸いというかなんと言うか、母は外国人。出身地は結局不明だったが、ヨーロッパっぽい感じの顔立ちをしていた。高校一年の時、授業参観に母が来た事があるから、これは周知の事実だ。
「へえ、そうなんだ…」
「……」
多分190センチ超のヴェルフリードさんに比べると、背が高い方の田嶋くんも小さく見える。田嶋くんはじっとヴェルフリードさんを見上げて、どうも、と軽く頭を下げた。それにヴェルフリードさんも軽く頭を下げて返す。
「優、もしかして、未だに彼氏いないの?」
半笑いで聞かれて、ちょっとムカつく。むすっとした顔で伝わったのか、田嶋くんは声を出して笑った。
「はは、…あ、そうだ、連絡先交換しようよ。同窓会にも来なかっただろ?多分みんな心配してるし。グループあるから、みんなにも教えとく」
「ほんと!?ありがとう」
高校の時仲良しだったのに、会わなくなった子が沢山いる。彼なら顔が広いから、みんなの連絡先も知っているだろう。
ポケットからスマホを出して、連絡先を交換する。また連絡するね、と田嶋くんは笑って、手を振って去って行った。
「…友人か?」
ヴェルフリードさんは彼の姿が見えなくなった頃、問いかけてきた。ああ、放ったらかしにしてしまっていた。申し訳ない。
「はい、幼馴染みたいなもので…久しぶりに会ったので長話しちゃって、すみません」
「いや、気にしなくていい」
ヴェルフリードさんはそう言って、じっとこちらを見下ろした。
「普段はああいう口調なのか」
「えっ?まあ…そうですね」
「気を遣わなくていい、砕けた口調の方が楽だろう」
「うーん、それなら、お言葉に甘えて…」
とはいえ、なかなか知り合ったばかりの人に砕けた口調と言うのは難しい。頑張らないとな、と思う。
「ヴェルフリードさんは…」
「ヴェルでいい。親しい人間はそう呼ぶ」
「ええと、じゃあヴェルは、食べたいものとかありま、ある…?」
我ながらぎこちない。ヴェルフリードさん、じゃなかった、ヴェルは軽く首を振った。
「特にない、任せる」
「じゃあ…甘いものは、好き?」
「甘過ぎなければ、嫌いじゃない」
「それなら、ビターチョコでもどう…かな」
「よく分からないが、任せる」
ビターチョコでも甘いかもしれないので、普通のものと、カカオが70%のものを選んだ。すっかりかごもいっぱいなので、ここらでやめておこう。
「晩御飯、楽しみにしててください」
料理は割と得意な方だと思う。母は料理が壊滅的で、父が作る事が多かった。興味があってよく教えてもらった。笑いかけると、ヴェルは小さく微笑んだ。




