もしもの小話02.ギャップ萌え
「すみません、ちょっと、お風呂入って来てもいいですか?」
そういえば昨日お風呂はいってないし、化粧も落としてないし、着の身着のままだったし、多分散々な有様なのである。忘れてた、完全に。眼前のイケメンさんにこんな汚物を見せていたのかと思うと非常に恥ずかしい、そして申し訳ない。
「…かまわないが」
ヴェルフリードさんはこくりと頷く。
「少しだけここで待っててください。何か…本でも読みますか?」
「…文字が読めない」
「それなら、こちらでも」
先日美術館に行った時に購入した画集があったはずだ。ヨーロッパの美術館の作品を、日本に持ってきて展示する、というやつ。それを渡すと、彼は興味深そうにぱらぱらとページをめくった。
「なるべく早く出てきます、終わったら服をなんとかしましょう」
「…ああ、悪い」
急いで服を出して、階段を駆け下りる。ついでに水回りの掃除もしておこう…。
急いでシャワーを浴びながら超掃除して、下着も服も洗濯機に押し込んで、歯磨きしながら洗面台を磨いた。あんまり長時間彼をあのままにしていく訳にもいかない、スピード勝負だ。化粧も整えて、滅多に着ないちょっと良い服に着替えて、ついでに1階部分の掃除もざっくりする。あああ洗い物…上から布かけて隠しておこう。彼が居ない隙に洗わねば。全てが想定外だ…。
ずっと放置していたクローゼットの中を漁って、父の服の中で一番サイズの大きそうなシャツを出す。ネット通販で購入したは良いがサイズを間違えて、しかし肌触りが良かったらしく部屋着にしていた。ダークブラウンのシャツで、まるでカフェの店員さんみたい、って笑ったりして。父はちょっと抜けていたけど、とても穏やかな人だった。
自室の扉を一応ノックして、そっと中を覗き込む。彼は私が部屋から出た時の体勢のまま、じっと本を見下ろしていた。
「すみません、遅くなって。あの、服…これ、入るかわからないんですけど、着てみてください」
こちらに鋭い目を向けたヴェルフリードさんは小さく頷くと本を閉じて、騎士服だという上着を脱ぐ。うわぁ、凄いマッチョさんじゃないか。半袖の黒いインナーを筋肉が押し上げている。直視できなくて目を逸らして、そっとシャツを手渡すと、彼はそれを上から羽織った。
「ど、どうでしょう」
「ボタンが閉まらない」
ちらっと見上げると、確かに大胸筋さんに邪魔をされて、ボタンが閉まらなさそうだ。今後のことを考えると、服を買いに行った方が良いだろう。
「お洋服買いに行きましょうか。お腹は空いていますか?」
「そこまでして貰う訳にはいかない」
なんというか、出会って僅か1時間足らずなのだが…彼がとても真面目で律儀らしいということは伝わってくる。良い人なんだろうなあ。
安月給ではあるが、お金に困るということは無かった。特にお金のかかる趣味も持っていないし、物欲もあまり無くて。一軒家だから家賃もかからないし、毎月の支払いは光熱費と携帯代、ネット代。必要性に駆られて時々洋服を買うくらいだが、そう高い服を毎回買うわけでも無く、お給料ほ殆ど口座に入れっぱなしだ。1人養うくらいなら、まあ…出来ないことはないとは思う。それが厳しそうなら給料のいい会社に転職してもいいし。…元々上司には恵まれていなかったから、転職でも全然アリだなあ。それに——殆ど手をつけてはいなかったけど、両親の、多額な遺産というものもあった。
「気にしないでください、それくらい問題ありませんから。それが気になるようでしたら、何か…例えば家事をするとか、そういう風にして貰う、という返し方でも良いですし」
笑ってみせると、ヴェルフリードさんは僅かに眉間に皺を寄せた。端正な顔ではあるのだが、彼の持つ空気は異様に鋭い。そう険しい顔をされると、ちょっと怖かった。
「…世話になる。本当にすまない、借りは返す」
「どうかお気になさらず。さて、外に出ましょうか。…目立ちそうなので、帽子をかぶってもらわないといけなさそうですが」
「…?」
ほんの少し、きょとんとした顔で瞬きをした姿に、少しだけ笑いそうになった。
◇ ◇ ◇
背が高いし、体格もいい。そして顔も良い。そりゃあ目立つだろう。まあしかしながら、昨今の日本の都会というのは少々多国籍化しつつある。観光客も多いし、意外と溶け込んでいるといえば溶け込んでいた。帽子も被らなくても良かったかもしれない。
「……」
彼はなんともいえない顔で周囲に視線を向けている。
「…あなたがいた所とは、やはり違いますか?」
問いかけてみると、ヴェルフリードさんは小さく頷いた。
「…全て、違う。見たことのないものばかりだ。あの…早く動く塊は何だ…?」
「車です、自動車。ガソリンとか、電気とかで動く乗り物ですね」
「くるま…?がそりん…?」
険しい顔で問い返されて、笑いそうになる。まあしかし、私も動力がどうのとか、どんな仕組みで動いているかとか、そういうことは分からない。考えてみると、仕組みがわからないまま使っているものって、凄くたくさんある。
「…お前は、特に小柄なのかと思っていたのだが、民族的特徴か」
「ええ、そうですね。だいたい私の身長で、成人女性の平均くらいです」
「…成人女性?」
「ええ、成人女性です」
「歳は、いくつだ」
「21です」
「……」
…一体私は何歳だと思われていたのだろう。彼の表情からはそれは窺い知れなかったが、確実にかなり下に見られていたことは察した。
「ヴェルフリードさんは、お幾つですか」
「25だ」
「へえ…」
どことなく、老成した空気があるせいか、もう少し上かと思っていた。会社の先輩と同い年だ。
「あ、そうだ。買い物の前に食事にしませんか?私もお腹が空いてしまっているので」
「…恩に着る」
武士みたいだ。面白くなってしまう。
ちょうどお昼時の駅前は、沢山の人でごった返している。迷いが少なくて済みそうなので、駅ビルの上階のご飯屋さんが沢山あるフロアに彼を連れて行く。沢山のお店や機械類に興味深そうな視線を向けているのが面白い。エレベーターの扉が開くのにすら、なんとも不思議そうな視線を向けていて。
「押してみますか?」
目的階の「8」が描かれているボタンを指差して聞いてみる。
「…??」
ヴェルフリードさんは不思議そうな顔で私が指差すそのボタンを見て、ほんの少し眉を顰めた。
「どれくらいの力で押せば良い」
彼は凄く力が強そうだ。いや、破壊するなんてことは無いとは思うが、一応「軽くで良いです」と返しておく。そうすると、恐る恐ると言った感じでそっと指がボタンを奥に押し込んだ。そのボタンの縁が白く光ったのを見て、ヴェルフリードさんの肩がぴくっと震えた。
「っ、ふ」
笑ってしまったのを誤魔化そうと俯く。だが堪え切れなくて肩がちょっと震えてしまった。なんだろう、こんなに背が高くて目つきが鋭くて男らしい体格の、知り合って僅か数時間の男性に対して、可愛いと思ってしまった。ギャップかな、ギャップ萌えか。
「…なんだ」
低い声は憮然としている。咳払いして「いいえ」と返して、笑いを収めて顔を上げた。
「…豊かな国だな、ここは」
静かな声は、内側に色々な感情が込められているような気がする。
「そうですね、日本は平和で豊かな国です。…時々、過剰なんじゃないかと、思ってしまうことはありますが」
「過剰…?」
「何でも便利で、それが便利過ぎるような。そこまでしなくて良いのにって思っちゃうときがあって。そういうのは人によるんでしょうけどね」
小さく笑うと、不思議そうな顔で彼は軽く頷いた。
「何か、食べてみたいものはありますか?」
フロアガイドを指差しながら、軽く説明しながら訊いてみる。
「ヴェルフリードさんの国の料理に似たものがあれば、その方が良いでしょうか」
「いや…食べた事がないものの方が、今後のことを考えると良いのでは無いかと思っていたのだが」
「なるほど、…この中だと、どういうものでしょう?」
「…こういうものは、見た事がないな」
そう言って指差したのは、和食のお店だった。とんかつとか、うどんとか、すき焼きとか。
「それならここにしましょう。ええと、こっちですね」
先導しながら歩いて、和食のお店を目指す。ふと背後を振り返ると、ヴェルフリードさんは神妙な顔でお店の前の食品サンプルを眺めていた。食品サンプルは日本特有の文化だと言うし、彼の国にもこういったものは無いのかもしれない。もしかしたら本物だと思っているのかも。そう考えたらちょっと面白い。
2人でお店に入って、掘りごたつの個室に案内してもらう。彼は不思議そうに畳に触れて、恐る恐るといった様子で靴を脱いで室内に入った。
「これは、畳、といいます。日本の伝統的な…床材、というやつでしょうか」
「ふむ…」
「この、出入り口の仕切りは、障子、といいます。これも日本の伝統的な間仕切りですね。扉、という言葉はなんだかしっくり来ないので、違うのかもしれません」
「ほう…」
和風建築について、後で画像でも見せながら教えてみるのも良いかもしれない。お寺とか、神社とか…中に入れるところに行ってみるのも良いかも。
「この中で、食べてみたいものはありますか?」
メニューを開いて見せると、ヴェルフリードさんの眉間の皺が増えた。
「…よく分からない」
「苦手な食べ物はありますか?」
「特に無い」
「それなら、私の好きなものでも構いませんか?」
「構わない」
メニューを自分の方に向けて、ううむと唸る。超超個人的にはかつ丼をお勧めしたい。いや、単純に好きだから。私の方はどうしよう、マグロ丼にしようかなあ。いやいや、生姜焼き定食もいいな。焼き魚定食も美味しそう。今は鰆なのか、いいなあ…。こういうのなかなか決められない、時間がない時は直ぐ決められるんだけど。
テーブルの上の呼び出しボタンを押して、かつ丼と焼き魚定食を頼む。ヴェルフリードさんは呼び出しボタンを非常に興味深そうに見つめながら、水を少し飲んだ。
「うまく言えないんだが、随分と文化的に…進んでいるような気がする。効率的な術式でも使っているのか?」
「術式…?って、何ですか?」
「…こういうものだ」
ヴェルフリードさんは水の入ったコップの上の方を掴むと、僅かに力を込める。その時、なんとも言えない…空間を電気が走るみたいな、ぴりっとした気配がした。コップの中の水が凍っているのを見て、愕然とする。
「魔法使いですか?」
「は?」
「いえ、ああ…ええと、…それは、外では使わないでください」
「何故」
「そういうものは、ここには存在しません」
「…こういうボタンは、術式で動いているのではないのか」
「電気で動いています。…その辺りは帰ったら詳しくお話しします。私もあまり詳しくはないんです」
「ふむ…」
ヴェルフリードさんは困惑気味にまた術式を使って、コップの中の氷を水に戻した。…これは、今後苦労しそう。
「お待たせいたしました」
声とともに障子が開かれて、焼き魚定食とかつ丼がテーブルの上に置かれる。ヴェルフリードさんは不思議そうにかつ丼を凝視して、その後、その下の箸をじっと見つめた。
「お箸も初めてですか?」
「オハシ…」
何だろう、時々可愛いな。彼の隣に移動して、箸の持ち方をレクチャーする。
「こうやって、先の方で食べ物を挟むんです。ここを中指に乗せて、親指と人差し指を添えて…」
ヴェルフリードさんの大きな手の上だと、箸が小さく見える。彼の手に触れながら正しく持たせてみると、凄くぎこちなく彼の手が動いた。
「んっ、ふふっ」
物凄く神妙な顔をしているのが面白くて、笑ってしまった。
「ヴェルフリードさん、面白い顔してる」
「む…」
ちょっとむすっとした顔になって、それが更に面白い。お箸で食べて貰うのは断念して、スプーンを持ってきて貰うことにした。
「お前は器用だな」
ヴェルフリードさんは私の手元を見て、そう呟いた。全く意識していなかったのだが、改めて意識すると、身体が凄く近いところにある。必然的に顔も近くて、手元を見下ろす端正な横顔と、長い睫毛に見惚れて、慌てて目を逸らす。
「…私が特別器用って訳では無いですよ、この国では箸が標準ですから。持ち方が綺麗とか汚いとかはありますが、多分みんな使えます」
「そうなのか…」
ゆっくり瞬きする目は、凄く綺麗な紺色だ。その目が不意にこちらを見据えて、驚いてこちらも瞬きする。ヴェルフリードさんはすっと目を細めて、ほんの僅かに口角を上げた。
「…綺麗な目だな」
「…っ、あ、りがとう、ございます」
彼が笑ったのを初めて見た。思いの外穏やかで綺麗な微笑に、どくんと大きく心臓が跳ねて——でもそれには、気付かないふりをした。
エレベーターのボタンは、ヴェルが力一杯押したら破壊されます。




