もしもの小話01.はじまり
もしもヴェルが逆トリップしていたら。
※御都合主義で普通に言葉が通じます。
※深い内容は無いよう。
今日も今日とて仕事を終え、若干ふらつきながら玄関のドアを開ける。ただいま、とは言わない、家には私以外誰も居ないから。
1人で生活するには広すぎる一軒家は、もう殆ど足を踏み入れない部屋もある。年末の大掃除で溜まった埃だけ掃除して、終わり。
ふらふらと靴を脱いで、階段を上がる。時刻は深夜、1時を少し回ったところ。付き合いだと我慢して接待し、酒を注ぎ、酒を飲み。気が付いたらこんな時間だ。家近くて良かった。いや、悪かったというべきか。会社から近くに住んでいると、無理ができると思われる。遠ければ「終電が…」って言って帰れるのに。くそ、転職しよう。
「あーーー」
特に意味のない音を喉から出しながら、ベッドに向かって倒れこむ。幸い今日は金曜日、じゃない、もう土曜日だ。二日酔いだろうと仕事に支障が出ることもない。あ、化粧落としてない、やばいな。着替えるのも億劫で、うつ伏せになったままもぞもぞとストッキングを脱ぐ。ジャケットが皺になるとかどうでもいい、クリーニング出せばいいや。
「つかれたあ…」
枕に向かってふがふが声を漏らす。もういいや、服着たままだし化粧も落としてないけどもう寝よう。お酒で回らなくなった頭でぼんやりそう考えて、ゆっくりと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
どすんっ!
「んぐぅっ!?」
身体の上に、信じられない程重たいものが落ちていた。体内の空気が全部外に絞り出たような気すらする。
二日酔いで痛みに朦朧とする頭で、地震か、と1つの可能性が脳裏をよぎる。近くのタンスがこちらに倒れてきたのかもしれない。もう揺れてはいないようだが、どうにか抜け出さなくては。
そう思って背後に顔を向けて、
頭が真っ白になった。
「……」
「……」
無言で、見つめ合う。誰?とか、何?とか、何故?とか、そういった単純な疑問すらも全部吹っ飛ぶ。混乱の極致というものは、もしかしたら悟りに近いのだろうか。完全に私の脳は機能を停止し、思考を放棄していた。それは私の上に尻餅をつくような体勢で固まっている人物も同じようで、明らかに日本人のそれでない顔を歪ませたまま、呆然と固まっているようだった。
「………」
「………」
更に沈黙は続く。頭の方は徐々に冷静になってきたが、それにつれ疑問が降って湧いて出るように次々と溢れてくる。
私の腰の上で固まっている人物は、赤銅色の髪に、紺の瞳の、綺麗な顔をした男だった。髪や目の色だけで言うなら西欧人のように見える。それから、身体が凄く大きい。身長も高そうだ。服は軍服みたいで、しかも腰に剣を差している。コスプレか?外人のコスプレイヤーさんだろうか?コミケはまだ先だぞ。
「…どちら様ですか?」
「…」
何から聞けばいいのかわからないが、取り敢えず下手に出るような感じで様子を窺ってみる。言葉は通じているだろうか、どぅーゆーすぴーくじゃぱにーず?から行った方が良かっただろうか。
相手は無言で固まったまま、眉間に深い深い皺を刻んだ。引き結ばれていた唇が、ゆっくりと開く。
「ここは、どこだ」
「……」
問いに対する答えは帰ってこなかったが、彼の口から出たのは流暢な日本語だった。どこ、と言うのがどこまで指しているのか分からないが、取り敢えず家の住所を丁寧に言ってみる。
「…何だ、それは」
「番地です」
「…」
男は更に険しい顔になる。
「……あの、重いんですけど」
「あ?ああ、悪い」
意外と素直に腰からどく。男は眉間をぐりぐりと指でほぐしながら、何事か思案しているようだった。そろそろと男から離れて、何となく正座で相手を見上げる。何だろう、だいぶ混乱しているように見える。
「状況が理解できない」
「私もできません」
「…ここはどこだ」
「さっき言いました」
「…地図はないのか」
「………少し待っててください」
多分、探せば高校時代の地図帳くらいは見つかるだろうが。ふらふらしながら、殆ど触らなくなった本棚を漁る。見つけた地図帳を渡すと、彼は困惑気味にパラパラと本をめくる。
「地形は同じか。だが…見たことのない文字だ」
彼は息を吐き出して、地図帳を閉じた。
「見慣れぬものが多過ぎて混乱する」
両手で顔を覆って俯くと、彼はそのまま動かなくなる。どう対処したらいいのか全くわからず、ただ黙って男の頭のてっぺんのつむじを眺めることしかできない。だが、彼はその格好のまま、おそらくたっぷり5分ほど固まっていた。
「…あの」
沈黙に耐えかねて声を掛けてみる。男は険しい顔のまま、ゆっくり顔を上げた。
「何だ」
鋭い目に少々たじろぐ。随分目つきが悪い。
「…あの、私も状況がよく分からないんですが、どちらからいらっしゃったのでしょう…?」
「………聖都から」
「セイト?」
せいと、という地名はこの辺りには無い。地図を渡して、「指差してください」と頼むと、ロシア…モスクワのあたりを指差された。
「…はあ、随分と遠い所から、日本へ」
「ニホン?」
「この国です。ここ」
「……」
彼は険しい顔で、私の指差した先を見つめていた。
「飛行機に乗ったら、帰れるんじゃないでしょうか?」
「ひこうき?」
「…分からないんですか?」
「…知らない」
モスクワの超僻地の出身なのだろうか。船で来たんだろうか?
「実際その場所に行ったとして、それが…私の、知っている場所なのか、分からない」
彼は低く呟くようにそう言って、息を吐き出した。
私はベッドの横に落ちていたスマホを拾い上げて、モスクワの画像検索をする。それを見せると、男はどこかきょとんとした顔でそれを見た。
「…何だ、これは」
「これですか?スマホです。それより、これ、故郷の画像ではありませんか?」
「ガゾウ…?…違う。この…建物?など、見たこともない」
「あれ、じゃあ違うのかな」
モスクワの近くの別の街とかだろうか。
「詳細な場所を——」
教えてください、と言う前に、男の手が私の手首を掴む。強い力に怯むと、「悪い」という謝罪の言葉と共にすぐに手が離れた。
「いや、…わかった、そうか…」
彼はゆっくり深呼吸して、額に手を当てた。
「帰り方が、わからない」
その表情は、手の影になってよく見えなかったが——声は、酷く、悲痛なものだった。
◇ ◇ ◇
「お名前は…?」
「エインヘイル・ヴェルフリード」
「はあ」
語感的には、ヴェルフリード、というのが名前のように感じられる。
「名字はどちらです…?」
「エインヘイルだ」
「エインヘイルさん」
「名字で呼ばれるのは好きじゃない」
「はあ」
「ヴェルフリードでいい」
「はあ、では、ヴェルフリードさん」
「何だ」
「ああいえ、呼んだだけです」
「そうか」
会話が終わった。彼は未だ私のベッドの上で胡座のまま、そして私はその前で正座のまま、である。
彼は驚く程無口なのか、話しかけないと何も話が進まない。そしてどうやら、その話しぶりで、彼がどうやら未知の世界からここに落ちて来てしまったらしい、ということは分かった。正直言うと、最初は精神病院案件かと疑ったが、彼は正気のように見える。それに私の部屋の侵入経路となりそうなベランダや窓の戸締りは完璧だったし、背中に受けた衝撃は、明らかに上から何かが落下した時のものだった。…マットが固かったら、背骨折れてたんじゃ無いだろうか。良かった、高いマットレス買っといて。というかこんなにファンタジーなことが身近で起きるとは思っていなかった。
「あの、行くあてとか、無い…ですよね」
「…ああ」
「……」
「……」
「その、腰のは…本物ですか」
彼の腰には、少々細身の大きな剣が差されている。恐る恐る尋ねると、彼は軽く剣を抜いた。片刃の刃が、窓から差し込む日の光を反射して、ぎらりと光った。
「おおう…」
思わず変な声が出た。こんな平和な時代では、こんな長い刃物は見もしないし、触りもしない。
「銃刀法に抵触するので、それは持ち歩かないでくださいね」
「ジュウトウホウ…」
「持ち歩いてはいけないことが分かっていれば、それでいいです」
「ふむ…」
男は素直に腰から剣を外して、ベッドの上に置いた。そこに置かれても困るが。
「…これから先、どうしましょうか」
「…何も思いつかない」
「私も、何も…」
再び沈黙が流れる。彼は思考が未だ止まっているのか、どこか茫洋とした視線をベッドの上の剣に向けていた。そういう姿を見ていると、なんだか少し可哀想になってきた。
「…やむを得ませんから、少しの間、こちらに滞在されますか」
捨てられた犬を見ているような気分になって、思わずそう提案してしまっていた。
「…それは、悪い」
男は軽く首を振って、また剣をぼんやり見下ろす。途方に暮れていらっしゃるようだ。
「いえ、…空き部屋がありますから。服は…揃えないと難しいでしょうけど」
一般的な日本人の成人男性サイズの服しかない。父はそう背の高い方でもなかったから。
「そのうち、帰る方法も見つかるかもしれませんし…少しの間なら、問題ありません。私も、一人ですから」
そう言うとヴェルフリードさんは、顔を顰めたまま「申し訳ないが、その言葉に甘える…」と頭を深く下げた。




