85.祭礼―前日(6)―破壊
廊下をニルさんに乗って走りながら、状況を説明する。感知と平行して話すので多分時々滅茶苦茶なことを言っていたとは思うが、ちゃんと伝わりはしたらしい。後ろから付いてくるクラウスが、『なるほど』と低く呟いた。
『状況は理解した。起点の場所はどうだ』
『近づいてはいます』
『あと10分しか無いぞ、間に合わせろ』
無茶言わないでくれ、とは思うが、間に合わせないと大変なことになる。
感知でわかる気配は、方角だけだ。壁全部取っ払って突っ切れたら楽なのだが、地下が崩壊でもしようものなら前に進めなくなる。
ただ、確実に近づいてはいる。ニルさんも相当スピードを上げてくれているし、このままいけばきっと間に合う、というか間に合ってほしい。
『正面、左!』
ニルさんが声に反応して、素早く方向転換する。遠心力で落ちそうになる身体を、後ろから伸びた手が支えた。
『気をつけろ』
『…うん』
意識をまた感知に戻して、集中する。きっともう少し、あと少しで目的地に着く。
フェルステルさんに返してもらった短剣を握りしめる。身体を傷つけるのは、未だに慣れないし怖い。
でももう、多分これで最後だから。もうこれだけ身体中傷だらけだし、ちょっとくらい増えようが大して変わらない。
左手にまた増えた傷は、今は痛くは無いけど、きっと後で痛むだろう。それにもう(こんな状況だしやるのかすら分からないけど)祭礼でも弾けないだろうなあ。治癒は、皮膚の内側まではなかなか治療できないから。
少し開き直ってきている。ニルさんは私の思考を読んだのか、さっきから心配そうにしていた。…ニルさんには、後でちゃんと話さないといけない。私の血に流れているものを。
◇ ◇ ◇
それから、多分3分くらい。徐々に近付いていた気配がすぐ近くにあった。
それは、他の扉と何ら変わりのない、茶色い木でできた両開きの扉。それから、鳥の翼を模した金のノブ。緊張しながら指し示すと、団長さんが小さく頷いて剣を抜く。それに続くように、全員が剣を抜いた。それは、クラウスも同様に。
もうあまり時間がない。それから、打てる手立ても限られている。
ヴェルの方から探知の気配を感じた。しかしヴェルは軽く首を振る。何も探知できなかったのかもしれない。
先程の戦闘で、カスケードは私を狙った。多分それは、私の感知が邪魔だったからだ。ここもきっと、探査・探知妨害をかけているはず。
団長さんはそれに頷いて、壁に背を当てたまま、剣を持っていない方の手でゆっくりと扉を開けた。それと同時に、血の匂いが漂う。それが誰のものなのか、何のものなのか分からず、恐怖で少し指が震えた。
団長さんが手で合図する。その直後、全員が室内へと踏み込んだ。
『何だ、これは』
クラウスが呟く。彼らしくない、呆然とした声。
そこは、大きな空洞になっていた。岩を大きくくり抜いたような、継ぎ目のない真っさらな空洞。ポタポタと、暗くてよく見えない天井から水滴が落ちて、頬に当たって弾ける。
その空洞一杯に、巨大な陣が描かれていた。繊細で、緻密な線。床に直接彫られたその窪みには、黒い液体が流されている。そして陣を囲むように、ガラスでできた筒状の大きな容器がいくつか置かれていた。
筒の中は赤黒い液体で満たされている。この空間に満たされた血の匂いで、それがどうやら血液なのだと理解した。おそらく、魔獣の血液なのだろう。
『…後少しなのに』
声が響く。その声は、クラウスと良く似ている。陣の中心に立っているのは、フードの男。そしてその直ぐ横に、血塗れのカスケードが立っていた。床にぼたぼたと血が溢れていたが、彼は静かな表情でこちらを見ていた。フードの男はこちらに視線を向けて、ゆっくりとフードを外す。
『でももう、後少しだ。ここでほんの少し、君達を退ければいい』
フードを外した男は、マスクはしていなかった。クラウスと同じ、金の髪に赤い目の男。切れ長の目が、クラウスを見てすっと細められた。
『ああ、…これはこれは、陛下。君もここに来るとは思わなかったな。案外激情家なのかな?賢帝って聞いていたのに』
男は楽しそうに嗤う。クラウスはそれには答えなかった。ただ黙って、剣を構える。
――優。
ニルさんが、そっとこちらに忍び寄る。
――聖帝の指示だ、お前はただ破壊に集中しろ。聖騎士があの男を抑える。お前は、私とヴェルフリードが守る。
(わかった)
背中に回した手で、短剣を構える。きっと残り時間は、5分くらい。それで壊せれば私達の勝ちだ。クラウスの合図で、団長さんとアレクシスさんが前へと飛び出した。
私の左にはニルさんが、前にはヴェルが立って、戦闘からこちらを守ってくれていた。それから、あの魔獣も。彼等が護ってくれているとは言っても、時間がない。安心してゆっくりやっている時間なんてない。
起点は、確かにここだ。ただ、さっき壊した陣とは違う、剣に少し血を垂らせばいいといった代物ではない。多分、この陣の中でも、起点としての役割が強い地点というものがあるはず。
始まった戦闘から意識を逸らして、陣の中の気配を必死に探る。だが、変わらない。中心なら気配が強まるかと思ったが、この空間全てが、起点の強い気配を示していた。
試しに、まだ血の止まっていない左手を、足元の陣の溝に浸ける。血は確かに流れて、じわじわと起点を部分的に破壊していった。ただ、これでは。
『間に合わない』
呟いた声に、ニルさんが振り向く。
――何だと?
『時間が足りない!』
ずっとこうやっていれば、多分壊せるとは思う。だがそれに、どれ程の時間がかかるか。5分かそこらで出来るものではない。
「あー!もう!」
髪をがしがし掻き混ぜる。考えろ、考えろ!何か手立てはあるはずだ。今までで、何かヒントはなかったか。いや、考えてみれば、あの大きな体の魔獣の死体を、私の少量の血液で浄化できていた。干渉を拒むということは、逆に言えば干渉する力が強いということか。いや、もしかしたらそこに…母の血の特性というものが関わっているのかもしれないが。
じゃあ何故ここでは上手くいかないのか。ここは、陣に魔獣の血を使っている。それは別に影響は無いはず。それなら、形状が悪いのか。こんな細く、地面に彫り込まれていては。
「液体が伝わりづらい…?」
となると、量でまかなわざるを得ない。しかし、ここ全てに流せるような量、私の身体に流れている血を全て使ったところで、破壊できるか怪しい。というか、死んだら効果がなくなるという事は、命に係わらないギリギリの量しか使えない。
ギリギリの量、となると。自分の身体の大きさで、多分400mlとか500mlとか、それくらい。意識を失うくらいなら助けてもらえるだろうが、ギリギリの賭けで死んだら元も子もない。
『おまえ、大丈夫、か?』
ずっと黙っていた魔獣が問いかけてきた。ぶつぶつ呟いていたのを不審に思われたらしい。
『大丈夫!多分!』
全然大丈夫じゃ無いのだが、大丈夫じゃないって言ったら本当に大丈夫じゃなくなりそうで怖い。頭を抱えたまま周囲に視線を巡らせて、そこで一つ、思いついた。
『…ヴェル』
小さく声を掛けると、彼は振り向かずに『何だ』と返した。
『ちょっと、無茶するんだけど、いい?』
恐る恐る問い掛けると、マスク越しなのに途轍もなく威圧的な目がこちらに向いた。以前『危ない真似はするなとは言わないがやる前には言え』と言われたので、素直に従ってみたのだが…非常に、恐ろしい。
『何をする気だ』
そう聞いてきてはいるが、何を言っても却下されそうだ。ただこの短時間で、自分が思いついたのはこれだけだし、やるしかないと思う。
『あそこの大きい筒の中に、私の血を流そうかと、思います』
やるしかないとは思っていても、非常に恐ろしいので敬語になってしまった。
『何故』
返す声は凄く冷たい。ヴェルはこちらを向いているのに、後頭部に目でもついてるのか、こっちに飛んできた短剣を振り向きもせずに弾く。それが更に恐ろしい。
『…ここを、壊すには、量が足りないから。時間ないの、これしか思いつかない。筒に、私の血を流すから、血が私の血で置き換えられたら、一気に陣に流して壊す』
『……』
ヴェルは何も言わなかった。ほんの数秒固まって、ガリガリと後頭部を掻いた。全く彼らしくない動作に、ちょっとびっくりしてしまう。
『他に何も無いのか』
――私も正直反対したいところだが、これだけ時間が無いとそれしか思いつかない。
『チッ!』
今まで聞いた事ないくらい強烈な舌打ちをして、ヴェルは私を抱え上げた。多分片手が使えるようにだとは思うが、荷物のように小脇に抱えられて、なんとも情けない気分になる。
『どれでも良いのか!』
『どれでも良い!けど、中身がいっぱい入ってるの!』
殆ど喚くように声を掛け合って、空洞内を駆け抜ける。こっちに妨害がこないから、多分団長さん達が相手方を完璧に抑えているのだろう。
多分あと3分とか2分とかそれくらい。時間を確認する時間すら惜しい。
ヴェルの足が止まって、ぐんと上に飛び上がる。ぎゅっと目を瞑って、目を開けたら、既に大きな筒の天辺にいた。
並々と入っている赤い液体に、少しだけ慄く。後ろから続いたニルさんと、魔獣と目が合って、覚悟が決まった。
『…ニルさん、ここの血が書き替えられたら、わかる?』
――ああ、分かる。
『じゃあ、ニルさんが合図したら、この筒を陣に向かって倒すか壊すかして。なるべく早く、書き替えられるようにする』
短剣を持って、一度深呼吸する。ヴェルを見上げると、目しか見えないのに、凄く怒っているのは伝わった。それに苦笑すると、紺色の元々鋭かった目が更に鋭さを増す。以前に比べると、本当に表情豊かになった。
『死ぬ気は無いから、危なそうだったら助けて。正直これ以外思いつかないし、これがダメだったらもうダメだと思うから』
『…わかった』
頷いたヴェルに頷き返して、液体へと向き直った。もう、やるしかない。
息を止めて、筒の縁から液体の中へと身を投じる。目を閉じてはいたが、皮膚の上を通過する少しどろっとした感触が気持ち悪かった。
『ぷはっ』
水面から顔を出して、目を開ける。右手に持った剣を、左手首に当てる。よく、こうやってお風呂場で自殺してるの、サスペンスドラマで見た。それだけリスクが高いんだろうけど、後のことはきっとヴェルとニルさんが何とかしてくれるから。
歯を食いしばって、手に力を込める。痛みは殆ど無かった。ただ、熱い、というような感覚。溢れた血が、魔獣の血に混ざり合って、溶け合って、侵食していく。
息を大きく吸って、血の中へと潜る。なるべく早く、早く、血を侵すように。
徐々に、貧血気味になって来たのか、頭がぼーっとしてくる。指先からだるく、重くなっていく感覚。まだ駄目だ、意識を失うわけにはいかない。また水面に出て、筒の壁に背中を当てて、呼吸を整える。
まだか。まだなのか。もう結構、限界が近いんだが。上にいるニルさんが、「あと少し」と苦しそうに呟く。私にもその感覚が分かればいいのに。
目を閉じて、必死に意識を繋ぎ止めていると、唐突に隣の水面がばしゃんと大きく水飛沫を上げた。
『なっ、なにしてんの!?』
ヴェルが血の中に飛び込んできた、らしい。ぽかんと相手の顔を見上げると、ヴェルはマスクを外して、静かに息を吐いた。
『お前の周りならもう問題ないだろう。それにあと少しだろう?』
腕を引かれて、血の海の中で軽く抱き寄せられる。
『書き換えが終わったら、直ぐ止血する。なぜ手首を切った、失血死するぞ』
『早く、やらないといけない、から』
ヴェルは凄く険しい顔をして、私の左手首に指を添える。
――染まり切った!壊せ!
ニルさんの合図で、ガラス製の筒の外壁の下部をヴェルが蹴飛ばして破壊した。
『わ』
身体が流されそうになるのを、ヴェルが捕まえて抑えてくれる。開けられた大きな穴から、凄い勢いで血が陣に向かって流れ込む。
朦朧とした頭で、起点が崩壊していくのを感じた。これだけの量、一気に流れれば、もう起動することはできないだろう。
へたり込むように床に膝をついて、傷口が血液から離れないようにする。その肩を、ヴェルが抱えるようにして支えてくれた。
それから、多分ほんの10秒くらい。陣から力が失われたのを感じて、血液に浸けていた左腕を持ち上げる。指先から血が伝って、水面に波紋を作った。
身体から力が抜ける。自分のやるべきことは、多分ちゃんとできたと思う。震える手でポケットから血塗れの時計を取り出すと、11時59分だった。多分本当に、ギリギリだった。
ヴェルの手が腕の血管を押さえて止血する。あまり働かない頭で割れたガラスの向こう側に視線を向けると、フードの男が取り押さえられていた。それから、カスケードも。生きているのが不思議なくらい、血塗れで、呼気に血を混じらせて。
『終わった…?』
掠れた声に、隣に降り立った魔獣が小さく頷いた。
『そういう、無茶をする、ところは、よく、にている、な』
顔を歪ませて笑った獣は、そう呟いて、私の頬を舐めた。




