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83.祭礼―前日(5)―合流

『おまえは、アルネイアの、あの街に、いたな。あそこで、何がおきたか、しっているな?』

 こちらに向き直った魔獣は、静かに言葉を紡ぐ。頷くと、獣は口元を歪ませて笑った。

『今、ここで。あいつらは、おなじことを、しようとしている。あの街は、いい予行練習に、なった。聖都とおなじ、きれいな、円形の街だったから』

『同じことって、何…?どういうこと?』

『あの街、今、どうなっているか、しっているか?』

 あの、噴水の街。水路に流れ込んだ魔獣の血で、土地が穢れた。魔獣が一時的に現れやすくなってしまったとニルさんが言っていたのを覚えている。2度目に訪れた時は、水の浄化はできていたが、作物も育たなくなって…。私の顔をちらりと見て、察したように獣は頷いた。

『聖都も、地下に、水路が、ながれている。あの街と、おなじ、円形に。円は、陣を、つくりやすい。ここに、大量の、魔獣の血がながれたら、どうなる?』

『…!』

 そんなことしたら、この地は穢れてしまう。魔獣の血で侵されて、そのせいで更に魔獣が現れて、それを倒せば更に血で穢れて。負のスパイラルだ。そんな状況になれば、おそらくこの階層は長くは保たない。歪み、潰れてしまう。

『なんで、そんなこと!』

 座ったままの獣の首元の毛を掴んで揺さぶる。だが獣は全く動じた様子もなく、『さあ』と一言だけ返した。

『さあ、って!』

 あまりに無責任じゃないのか!叫びに近い声に、獣は煩そうに顔をしかめる。

『しらない、あいつらに、興味が、なかった。こんな場所、つぶれて、なくなってしまえばいいと、おもっていた』

『なっ…』

 何だそれは。魔獣だというなら、ここで生まれた存在ではないはずだ。この地で生きる生き物達を何だと思っているんだ。絶句していると、獣はゆっくりと瞬きをした。

『おまえ、おもったより、あいつに、にていないな。顔は、すこし、にている気がしたが、気質が、まるでちがう。もっと、穏やかな、人間だったのに』

『…似てないって、誰に』

『おまえの、母親に』

『……は?』

 思考が完全に止まる。この獣は一体何の話をしている?指先から力が抜けて、獣の毛が離れた。

そんな、魔獣が、母のことなど知っている訳がない。一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。

『何言ってるの、知らないくせに』

 誰かと勘違いしているんじゃないのか。自分の声が強張っているのが分かって、慌てて口を噤む。だが獣は、更に私の精神を抉ってきた。

『しっている。エリーゼは、おまえの、母親だろう』

『なんで…』

 なんで、名前、知ってるの。問いは言葉にならず、喉元で霧散した。獣は私が落ち着くのを待っているみたいに、口を閉じたまま微動だにしない。その灰色の瞳に、ぼんやりとしていた頭が、少し現実に引き戻される。



 エリーゼ、それが母の名だった。黒い髪に、珍しい灰色の目の、綺麗な人。底無しのお人好しで、困っている人には手を差し伸べずにはいられないような。そういう人だった。

 母は、自分の故郷のことは全く語らなかった。日本語を話してはいたが、どこか発音がおかしい時があって、出身が日本ではないのは明らか。どこの生まれかと問いただしても、はぐらかされるばかりで…父も、母の出身を知っていたのか分からない。

『…貴方は、何を、知ってるの?』

 訊ねる声は、少し震えてしまっていた。もう知ることも無いと思っていた。葬式でも、母の親族は現れなかったから。

『あいつは、ここの、人間だった。はじめて、あったときは、…とても、綺麗な、青い目を、していた』

『青い…?』

『私の、血が、ながれてしまった、から。あんなに、綺麗な、色だったのに。色を、なくして、しまった』

 どこか後悔するような暗い声。

『血が流れたって、どうして…?』

『あいつが、かばったから』

 うまく意味を理解できなくて、困惑する。獣は何度か瞬きを繰り返して、頭を振った。

『あいつには、かえしきれないほどの、借りが、ある』

『……借り?』

『命を、すくわれた。かわりに、あいつは、しんだとおもっていた』

『……』

『おまえの、中の、血。ほんのすこしだけ、まじっているな。こちらと、あちらの、血。エリーゼと、私の、血だ。エリーゼの、血の方が、おおそうだが』

 獣に対して感じる、本能的な、何か自分と近しい生き物と出会ったような感覚。きっとこの獣の言葉は真実だ。

 それで一つ、合点がいった。この地へ来ることができたのは、僅かに流れた、獣と母親の血に因るものなのだと。身体も血肉も、全てのベースになっているのはビルレストのもの。だから肉体は殆ど耐えきれなくて、『ああ』なった。

『おまえ、ビルレストの、人間だな。私の、血は、何物にも、干渉されない、から。だから、のこって、しまったのだろう。あいつのは、わからないが、ビルレストの血に、はじかれて、いないなら、それも、特殊なもの、なのだろうな』

 干渉を拒む血と、調和する血と、もうひとつ、何かの力の血。自分の出自というものは、かなり特殊だったらしい。

『あいつは、ビルレストに、おちていたのか。そうか、いきて、いたのか』

 ほっとしたように呟いた獣に、胸が詰まる。事故で死んだのだと、言い出せなかった。

『…ああ、話が、それた。おまえが、ここに、いるなら…、ここを、こわすわけには、いかない』

 獣はゆらりと尾を揺らして、立ち上がった。こちらを見下ろす灰色の目は、私と全く同じ色。

『あいつらには、わるいが。わたしは、おまえに、協力する。術式の、起動は、まだ先だ。それまでに、こわす』

 起点を壊せば、術式全てが崩壊するはず。相手はきっと予想していない。今なら隙をつける。

『あいつに、借りを、かえしたい。おまえが、ここで、しんだら、あいつは、かなしむ、だろう?』

『そりゃあ、多分…』

『それなら、協力、する』

 獣は口を歪ませて、いびつに笑った。



『あの、私、助けたい人がいるんだけど』

 マスクや聖衣をぎゅうぎゅうに詰め込んだ荷物を背負い直して、獣に声をかける。獣は尾を揺らして、『ああ』と頷いた。

『おまえと、一緒に、つかまっていた、奴らか。かまわない、場所は、しっている』

『ありがとう』

 よかった、これで一旦は2人と合流できる。ほっと息を吐き出すと、獣は顔を顰めた。

『いきているかは、なんとも、微妙な、ところだが』

『どういう、こと…?』

『空気の、問題だ。魔獣が、おとなしいことに、疑問は、かんじなかったのか?』

『それは、おかしいとは思ってたけど…』

『ここは、今、あちらの、空気に、ちかい。おまえには、影響は、ないだろうが、こちらの、生物にとっては、毒のような、ものだ。長時間、すいつづけると、身体が、もたない、だろう』

『じゃあ、急がないと…!早く案内して!』

 扉の外へ出た獣の後ろを追いかけて、廊下を走る。廊下を右へ左へ、5分ほど走っただろうか。術式の気配も濃厚になってくる。

『ねえ、これ、何の術式…!?』

 前を走る獣に訊ねてみるが、獣は答えなかった。壁に並ぶ扉のひとつの前で立ち止まると、こちらを見上げてくる。

『ここ、だ』

 ここに、2人がいる。慌てて扉を開けると、縄で縛られて、床にぐったりと倒れている2人の姿があった。

『リっ、リーゼさん…?』

 息を、していなかったら、どうしよう。震える手で口元に手をやると、かなり浅いが呼吸はしていた。顔色がかなり悪くて、元々白い肌がもっと青白くなっている。

 荷物からガスマスクを引っ張り出して、リーゼさんの頭に被せた。これで多少はマシにはなるだろうが、早くここから出してあげないと。

 フェルステルさんの方は、身体が大きいからか、呼吸は比較的安定しているようだった。だが顔色が悪くて、苦しそうにしている。先にマスクを被せて、短剣で縄を切っていった。

 さて、ここから先が問題だ。多分、私では2人とも運べない。

 しかしこんな所に置いて行く訳にもいかない。フェルステルさんの重たい腕を引っ張って、背中に背負う。

『んううううっ』

 歯を食いしばって、身体を起こそうとするが、全く動かせなかった。なんだこれ、体重が私の倍以上あるんじゃなかろうか。ひいひい言っていると、私の様子を眺めていた獣が、『何を、している?』と問うてきた。見ればわかるだろうが!欲を言うなら手伝って欲しい!

『…う……』

 小さな唸り声が聞こえて、びっくりしてフェルステルさんの腕を離しそうになる。唐突に身体にかかっていた重みがなくなった。

『お前、何してる…?』

 フェルステルさんが目を覚ましてくれた。どこか混乱しているように呟いて、彼は自身の顔に手を触れる。マスクをペタペタ触りながら、『何だこれは』と唸った。

『……状況が、読めねえんだが』

 まあそりゃあ、敵に捕まって気を失って、目が覚めたら知り合いが自分の腕を引っ張って起こそうとしていて、更に何故かガスマスク被せられていたら、私も状況が読めなくて頭が真っ白になる。

『そこに転がってんのは、シュタールベルクか…?何がどうなってる』

『ええと、その』

 言い淀んでいると、フェルステルさんの身体がびくりと反応した。

『それは、魔獣…か…?』

 反射的にだろうが、彼の手が腰に伸びる。そこに剣がないのに気が付いたのか、フェルステルさんは小さく舌打ちした。

『せわしない、な』

 灰色の目の魔獣は、目を細めて呟く。その姿に、フェルステルさんが身体を硬直させた。

『人語を話す獣など、見たことがない。お前、何者だ』

 魔獣はいびつに笑って、私の方に視線を向けた。

『おなじ、話を、二度するのは、面倒、だ。おまえが、はなせ』

『どういうことだ、スグル』

 両側から圧がかけられて、うう、と唸ってしまう。私だって色々脳が処理しきれていないのに。

『スグル』

 更に催促されて、溜息をついてしゃがみこむ。

『…実は――』



 フェルステルさんに、どこまで話すべきか迷いながら、現状について説明する。ただ、この獣との関係や母については触れないでおいた。彼に対しては話すべきことでは無い。

『なるほど。このマスクはそういう理由か』

 頭部をすっぽり覆うマスクに触れながら、フェルステルさんが呟く。

『しかし、空気そのものが害となると、マスクだけで抑えられるものでは無いのではないか?皮膚からも吸収してしまうのでは』

『それは、そうだな。おまえは、丈夫そう、だ』

『…聖獣の血に因るものかもしれん。身体はかなり重いが、動けない程じゃない』

 そうか、フェルステルさんには一度治癒のためにニルさんが大量に血を注いだ。第1階層のニルさんの血は強いはずだから、その分少しだけ耐性がついているのかもしれない。

『…シュタールベルクを早く地上に連れ出さねえとな。それから、スグル。お前もだ』

『え…?』

 きょとんと見上げると、フェルステルさんは静かにこちらを見下ろした。顔はマスクで見えないが、怒っているのは何となく空気で伝わってくる。

『お前は本来、護られる側の人間だろうが。ここから先は俺達の仕事だ』

『…私は、』

 そこで一度唾を飲み込む。

『私は、ここで戦うって、決めたんです。私にしかできないことがあるから。クラウスに言われたから決めたんじゃない』

 今はもう、相手方の準備は整いつつある。

 この地下をぐるぐる歩き回っていて、一つ、気が付いたことがある。それは、常に自分が術式の陣の上にいるような感覚があるということ。曖昧な感覚で、確証は無いが――あの時…、噴水の街の、領主の館のホールで。演奏を終えて、観客全員が地下に転移させられた時に、一瞬感じた強烈な術式の気配に似ている気がした。おそらくあれは、転移と同時に、特定の範囲にいる生物全てを肉塊に変える術式。その術式の上に、我々は、魔獣は、捕らえられている。

 文字通り、血の雨でも降らせる気だろうか。それも、魔獣の血の雨を。獣は、術式の詳細は口にしなかった。ただ、起点を壊す必要があると、そう言っただけ。

『私は、この空気から受ける影響も、術式から受ける影響も、ここの人達よりもずっと少ない。それに、私なら確実に術式も破壊できます』

『また、身体を傷つけてか?』

『…はい、必要なら』

『いい加減にしろ!』

 唐突に怒鳴り声を浴びせられて、身体が跳ねる。フェルステルさんは小さく舌打ちして、深く息を吐いた。

『何でもかんでも背負い込みすぎだ、大馬鹿が』

『…なんで、背負っちゃ、いけないんですか?』

『…あ?』

 反応がいつもより荒っぽくて、怖い。でも今は、尻込みして、言いたいことが言えない方が嫌だった。

『みんなは背負っていいのに、なんで私は背負っちゃいけないんですか。そんなに信用できませんか』

『…信用できないとは言ってねえ』

『ヴェルは、私に、できない事はやらなくていいって言いました。でもこれは、できる事です。それならやるべきだと思います』

『黙れ、足手纏いだ。お前あの時、腰抜かしてただろうが』

『…もう、大丈夫です。次はちゃんと避けられます』

『…お前な』

 重い溜息を吐いて、フェルステルさんが後頭部をガリガリ掻いた。怒りが振り切れたのかもしれない。

『…術式を解除するのには、時間がかかるんでしょう。術式が強力なものであれば強力なものである程、難易度も高いし時間もかかるって、フライさんに聞きました。でも、私の血を使えば時間はかかりません。解除じゃなくて、破壊するから。…考え無しに言ってるわけじゃありません。多分フェルステルさんが思っているより、この術式は大きくて、強力です。時間もありません。私がやった方が合理的です』

 フェルステルさんは、私なんかよりずっと合理的な判断ができる人間のはずだ。聖騎士団の副団長、ヴェルも以前『切れ者』だと言っていた。

『感情を抜きにして冷静に考えても、私がやるべきだと思います。フェルステルさんは何故、私が前に出るべきでないと考えているんですか』

 純粋に疑問に思う。もしこれがクラウスなら、私の意見に賛同するはずだ。首をかしげて相手の顔を見上げるが、マスクで表情が分からないので何を考えているのか判然としない。

『…お前に、命を救われた。それなのにまた、命を擦り減らすような真似を強いたくは無い』

『……それでも、私が、やるべきです』

『…わかってる』

 フェルステルさんは小さく呟いて、右手で額を抑えた。

『わかってんだ。その方が『合理的』だ。…感情的になってんのは俺の方だな。お前の判断は正しい』

 フェルステルさんはまた重い溜息を吐いて、ふらりと立ち上がる。

『…先にシュタールベルクを地上に上げてやりてえが、転移妨害がかかってるな。通信機が無い以上、このままだと助けも見込めねえ。まあ直前まで繋がってはいたから、あっちはあっちで動いてはいるだろうが…くそ、情けねえ。またあの男にしてやられた。知らん術式が出てくるとどうにも後手に回される』

 壁にもたれて立ったフェルステルさんは、深く息を吸い込んだ。

『悪い、冷静さを失っているな、俺は。…おい、獣。ここからその術式の起点とやらまで、どの程度の距離だ』

『10分、くらいだ』

『近いな。カスケードとあのフードの男はどの辺りにいるかは知っているか』

『しらない。だが、術式の、起動まで、1時間、きっている。起点の、ちかくに、いるかも、しれない。もうすぐ、日がかわる』

『え…?』

 慌てて時計を取り出す。11時20分。

『嘘、朝じゃなかったの…!?』

 そんなに長い間気を失っていたのか。じゃあ、ヴェルたちは…?これだけ時間が経っているのに、みんな、この空間を見つけられていないということ…?

 背筋を嫌な汗が伝う。カスケード達は何と言っていた?明日になれば全て終わると、そう言っていなかったか?

 日付が変わるまであと40分。40分で全部にけりをつけないといけない。

 フェルステルさんを見上げると、小さく頷きが返ってきた。

『時間がない。剣もねえし、こっちの戦力が少ない以上、相手方に見つからないのが理想だ。戦闘になっても勝ち目がねえ。…酷な選択になるが、シュタールベルクはここに置いて行かざるを得ないな』

『…はい』

『…お前、その背中に背負ってるのは何だ?』

 ふとそう問いかけられて、はっと思い出す。

『教会の聖衣です。あと、残りのマスク』

 広げて見せると、フェルステルさんは聖衣を持ち上げて、小さく唸った。

『着た方がいいな。聖騎士の服を着たままうろついては目立つ。助かった』

 がしがし頭を撫でられる。いつもより少し乱暴だった。

『お前は、…小せえからな。着ねえよりマシか。変装にもならねえかもしれんが、上から羽織って、マスクもつけてろ』

『はい』

 マスクを被ると、ちょっと息苦しい。ニット素材みたいな、よく伸びる素材で出来ているみたい。聖衣を羽織ると、裾が床に着きそうだったが、ギリギリ大丈夫だった。

『もし移動中戦闘になった場合、お前は先に行け。お前が起点を破壊できるかにかかっている。…作戦もクソもねえ行き当たりばったりになるが、余裕が無い』

『分かりました』

 フェルステルさんも聖衣を着て、真っ直ぐ立つ。さっきまでふらふらだったのに、その立ち姿はやっぱり聖騎士らしかった。

『案内しろ』

 その言葉に、灰色の目の獣が背を向ける。扉を開けたフェルステルさんの後ろに続くと、前に立ったフェルステルさんがこちらをちらりと振り向いた。

『お前、よく自分の命を勘定に入れないだろう』

『……いいえ、そんなことは』

『だからあいつもずっと心配なんだろ。自分を守ることも考えろよ』

 あいつ、というのが誰を指しているのかは分かる。それにそこまで自分のことを軽んじているわけでも無い。勿論死ぬつもりはないし死にたくもない。

 しかし反論する前にフェルステルさんは歩き出してしまって、慌ててその後を追いかけた。

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