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82.祭礼―前日(4)―灰色の瞳

 男の顔に防護服を割いて作った布切れをぐるぐるに巻きつけて、その場しのぎにしかならないかもしれないが、マスクのようにはしておく。彼の頭から引き剥がしたマスクを片手に、部屋に置かれた檻を確認していった。

 捕らえられている魔獣は、全部で23頭。背後を律儀に付いてくる獣を入れれば24頭だ。どういうわけか、この空間にいる魔獣は皆落ち着いていた。

 何故、魔獣を捕らえているのだろう。カスケードが意味のないことをするとは思えない。多分捕らえているのにも理由はあるはずだ。ただそれが何故なのか、想像することはできても、答えはわからない。

『ごめんね、ちゃんと後で助けに来るから、もう少しだけ待ってて』

 残された獣に声をかけて、床に転がった鉄の棒を拾う。それから唯一檻の外に出した獣に向き合った。

 隠密行動のやり方なんて知らないが、魔獣の大きな体は目立つ。それにおそらく、見つかってしまったら、魔獣はきっと相手に向かっていってしまう。それは、聖騎士でも同様に。危険な賭けはしたくない。

『私、助けたい人たちがいるの。絶対、みんなも助けに来るから、元の世界に戻してあげるから。だからここで、大人しく待っててくれる?』

 申し訳無くて、胸が苦しい。俯くと、獣が私の頬をぺろりと舐め上げた。ザラザラしていて、昔飼っていた犬を思い出す。あれに比べるとかなり大きな舌ではあったが。

『…ありがとう』

 励まされてる気がして、お礼を言う。自分の顔を思いっきり両手で叩いて、気合いを入れ直した。



 廊下に出ると、狭い通路が続いている。

 試しに左側へと、廊下を進む。突き当たりは左右に分かれていて、またその先も分かれているみたいだった。

 思ったよりも複雑な構造をしている。これでは元の場所に戻るのも困難かもしれない。

 短剣を片手に握り締めて、曲がった壁に傷を付けて目印にする。基本的には左手法で行ってみよう。

 扉は片っ端から開けてみないと、リーゼさん達を見つけられない。だがその分、誰かに見つかってしまう可能性は高くなる。

『ふう…』

 息を吐き出して、覚悟を決める。まずは1つ目の扉。音を立てずに、慎重に慎重にドアノブを回す。そっと開けて中を覗き込むと、普通の小部屋になっているみたいだった。誰もいないし、少し確認してみることにした。

 テーブルと椅子、ベッド、クローゼットがあるだけの、狭くてシンプルな部屋だ。誰かの居室なのかもしれない。クローゼットを開けてみると、聖衣が数着とガスマスクが2つ入っていた。

 私は女だし身長も低い。聖衣を着たところで変装にもならないし、今の服の方が防護服として優秀だ。だが、他の人…例えばフェルステルさんとかなら、変装になるかもしれない。クローゼットの中の衣類とガスマスクを全て出して、シーツに包み込んで斜め掛けにして背負う。

 室内には他には何も無いし、ここからはさっさと抜け出そう。廊下はやはり完全に無音で、何の音もしない。それに少し違和感を感じながら、そっと扉から出た。


◇ ◇ ◇


 それからいくつか部屋を確認したが、誰にも会わなかったし、全て居室のようだった。取り敢えずガスマスクだけは大量に確保したので、皆が助けに来たら渡せる。

 ひたすら左手法で進んで来たが、これ、ちゃんと前に進めているのか。元々方向音痴だし、同じ場所ぐるぐる回ってたらどうしよう。

 進み続けていると広めの廊下に出た。そこに大きな両開きの扉がある。期待を込めてそっと扉を開けると、檻だらけの広い部屋になっていた。

 ここの檻はほとんど空のようだった。私が閉じ込められていた所よりも大きな檻が並んでいて、中にいるのも大きな魔獣。こちらもやはり落ち着いていて、身体を伏せたまま静かに佇んでいた。

 ここにも誰もいないのかもしれない。ここで捕まってから会ったのは、監視役だったと思われる1人だけだ。思ったよりもずっと人が少ない、というかいない。

 部屋の奥まで進むと、小さめの椅子がぽつんと置かれていた。歩き通しだったので、それに座って休憩する。時計を確認すると、10分ほど経っていた。皆、どこにいるんだろう。


 小さく溜息を吐き出していると、近くの暗闇がもぞりと動いた。


『お、まえ』


 歪な、掠れ声。慌てて立ち上がるが、焦りのせいで手に持っていた鉄の棒を床に落としてしまう。からん、と乾いた音が広い部屋に響いた。慌てて拾おうと手を伸ばしたが、目の前で棒が黒い前脚に押さえつけられる。

『おまえ、あのときの、娘か』

 闇に溶け込む、真っ黒な獣。その灰色の瞳は見覚えがあった。かつてアルネイアの噴水の街の地下でカスケード達と遭遇したとき、一緒にいた獣。ニルさんが使う、相手の意識に繋げることで会話するやり方とは違う、ちゃんと空気を震わせる声をその獣は出していた。どこか発音しにくそうな、歪んだような声。

『殺す気は、ない』

 その言葉が嘘なのか真なのかは分からない。ただ、彼らと一緒にいた獣だ、信用はできない。緊張が背後の魔獣に伝わったのか、空気が張り詰める。

『ほんとうに、殺す気は、ない』

 獣は棒から脚を退けて、お座りの態勢になった。座ると、ニルさんと頭の位置が同じくらいになる。

 改めて見ると、その姿は魔獣によく似ていた。大きな狼のような…ただ、瞳の色だけが違う。灰色の瞳。…私と、同じ色の瞳。何とも言えない複雑な気分になって、その瞳から目を逸らす。

『貴方は、…』

 そこから先の問いが、上手く言葉にできない。言葉を操る獣。カスケードが側に置いていたのには何か理由があるのだろうと思う。どういう存在なのか、彼らに協力しているのか。疑問は尽きない。何を訊くべきか、何から訊くべきか。口を噤んだ私に、獣は喉を鳴らして顔を歪めた。…まるで笑っているみたいに。

『おまえ、ひとりで、ぬけだした、のか。肝がすわっている、な』

 獣は目を細めて、またくつくつと笑う。どうやら、本当に襲う気は無いらしかった。

『貴方は、…なにもの?』

 何から訊いたらいいのか分からず、漠然とした問いを投げかける。

『むずかしい、問い、だな』

 獣はそう言うと、顔を歪めた。

『まず、わたしは、魔獣だ』

 魔獣?魔獣には見えない。瞳の色も違うし、人語を操り、理性を保っている獣だ。私の困惑を感じ取ったのか、獣は言葉を続ける。

『特殊な、魔獣だ。唯一、階層の、影響をうけない、調和の、獣』

 調和の、獣…?血の特性が、調和、ということ?

『おまえの、中から、同じ血を、かんじる。おまえは、なにもの、だ?』

『同じ…?』

 問いを返されて、思考が止まる。私はビルレストの生まれで、干渉を拒む、ただそれだけの存在のはずで――こんな魔獣のことなど知らない。知らない、はずなのに。どこか懐かしいものに出会ったような気分になるのは、どうしてなのか。

『同じじゃ、ない』

 怖くなって否定する。だが獣は、顔を歪めて笑った。

『同じだ。おまえも、わかって、いるのだろう?』

 違和感はずっとあった。多分本来、私のように、ど真ん中の階層で産まれた人間なら、術式は全く効かないはず。それなのに、治癒が多少は効くし、ニルさんとも会話できた。そもそもこの地に現れている点も説明がつかない。全部が全部中途半端だった。

『そんなはずない。だって、私は、魔獣じゃない』

 顔が引きつるのが自分でもわかる。目を逸らしていた事実を突きつけられているような気がして、声が震えた。

『おまえは、なにものだ?』

 再び、同じ問いかけ。思考が止まって、言葉が返せない。沈黙していると、不意に獣が僅かに目を見開いた。

『そうか、おまえ、おまえは…あいつの…』

『…?』

 あいつ…?


ドンッ!


 遠くの方で、何かが破壊されるような大きな音が轟く。空間ごと揺さぶられるような強い衝撃に、ぐらりとふらついてしまった。

 何だ、何の音…?周りの檻の中の魔獣達も騒つく。

『…時間どおり、か。しにたく、ないなら、にげたほうが、いい』

『…どういうこと?』

『いや、だめか、にげたところで…』

 灰色の瞳の獣は、ぶつぶつと低く呟く。ふと、背筋にぞわりと悪寒が走った。気持ち悪い術式の気配がする。

『何が起きてるの…?』

 獣はその問いには答えない。目を細めて、じっと何事か考えているようだった。どうしたらいいのかわからなくて、獣の毛を掴んで引っ張る。

『ねえ』

 獣はちらりとこちらを見上げて、ゆっくりと瞬きをした。

『おまえは、しぬのは、嫌か?』

『…は?』

『生きたい、か?』

 何を訊かれているのか。ぽかんと見下ろすが、相手はとても真剣な目をしているような気がした。

『…死にたく、ないよ』

 それに、誰にも死んで欲しくない。その為に、今動き回っているわけで。呟くと、獣はまた少し黙り込んだ。

『…それなら、力を、かしてやろう。前は、すくえなかった』

『前、は…?』

 獣は尾を揺らして、まるで溜息をつくように、長く息を吐いた。

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