79.祭礼―前日(1)―移動
『防護服は苦しくはないかの』
『はい、大丈夫です』
『感知への影響はどうじゃ』
『問題ないと思います』
フライさんとゲーゼさんが作ってくれた防護服に袖を通して確認していく。今回はリーゼさんが用意したワンピースドレスを改良して作ってくれたらしい。袖に腕を通しただけで、かなり強い防護術式がかけられているのがわかった。まるで生地と共に編み上げてくれたように、丁寧に組み立てられた術式。
『ありがとうございます。凄く、綺麗な術式ですね』
『お嬢ちゃんにそう言われると、頑張った甲斐があるのう』
ゲーゼさんが嬉しそうに笑った。
ワンピースは真っ黒で長袖、丈は足首まである。タートルネックの、ごくシンプルな服だった。胸のすぐ下の位置で結ばれたリボンが可愛らしい。首元と袖口には金の糸で唐草模様のような繊細な文様が刺繍されている。それから――念のため、脚にはバンドのようなものを巻いて、細身の短剣を刺してあった。多分使う機会は無いけど、備えあれば憂いなし、である。
『よう似合っとるのお』
フライさんにそう言われて、照れ臭くて微笑む。優しく頭を撫でられて、やっぱり孫扱いされているなあと思った。
『通信機の感度は問題ないか』
『良好です。聞こえます』
右耳には通信機を、左耳にはイヤリングの形の発信機をつけることになっていた。先に右耳に入れている通信機の音声を確認して、髪で隠す。ここから、リュゼが指示を飛ばしてくれる。問いかけた団長さんに頷きを返して、一度深く深呼吸した。
我々がいるのはまだ自室だ。一旦皆で集まって、最終確認をしている。体調を崩している間も何度も確認した地図がローテーブルに広げられていた。徐々に緊張感が高まる。
――大丈夫か。
少しぼんやりしていると、ニルさんにそう問いかけられた。感覚で、自分にだけ聞こえるようにその問いが投げられたのだと分かる。
(大丈夫)
今度はちゃんとそう言える。私は、私にできることだけやればいい。ニルさんは僅かに目を細めて、小さく頷いた。どこか心配そうな、人間臭いその表情は、初めて会ったときから変わらない。
不意に後ろから伸びた手が、私の左耳にイヤリングをつける。びっくりして振り向くと、クラウスが立っていた。
『最初だけ手助けしてやる。中に入るまで、な』
『ありがとうございます』
クラウスはニヤリと笑うと、私の耳から手を離した。
『地図は頭に入っているな?』
『はい』
『感知時の回数について最終確認する。言え』
『隠蔽術式は2度、それ以外の術式の場合は1度、緊急事態の際は3度、です』
『よろしい。では行くか』
その言葉に、空気がピリッと張り詰める。フライさんとゲーゼさんが私の手を取って、ぎゅっと握りしめた。
『無理は禁物じゃ、危なくなったら逃げるんじゃぞ』
『荒事は聖騎士に丸投げせい』
その言葉に思わず吹き出してしまう。
『はい。行ってきます』
あんまり緊張はしていなかった。昨日のヴェルのおかげかもしれない。怖がっていいと言ってくれたから。…櫛の件は一旦置いといて。いやむしろ、あの話のせいで、緊張が何処かに行ってしまったのもあるけども。
『いい顔だ』
団長さんはそんな私を見下ろして小さく微笑んで、静かに扉を開いた。
◇ ◇ ◇
聖教会へは馬車で向かう。
王城の裏口に当たる門の横に用意されていた馬車は、思っていたよりもシンプルなものだった。茶色くて、どこでも見かけるような、普通のもの。ごてごての装飾が施されているものにでも乗せられるんじゃないかと思っていたので、少し拍子抜けすると同時に安心する。
今日警護に当たってくれるフェルステルさんとリーゼさん、それから、クラウスの警護のために付いてきてくれる団長さんは、馬車の横を騎獣で走る。騎獣は茶色っぽい毛色をした、大きな虎みたいな生き物だった。歩みはしなやかで、足音は殆どしない。よく躾けられているようで、3頭ともとても落ち着いていた。
フェルステルさんに手を取られて馬車に乗り込んで、奥の席に腰掛ける。座席はふかふかで、これならどんなに馬車が跳ねても痛くは無いだろう。後ろからクラウスも乗り込んできて、隣に座った。
『出せ』
クラウスの号令に、馬車がゆっくりと前に進む。緩やかに前進するので、以前カスケードと乗った時よりもずっと楽だった。あの時はお尻が凄く痛かった。
クラウスは横で長い足を組んで、静かに息を吐き出す。
『やはりホールまではついて行ってやる』
『…いいんですか?』
『その方が話が早いだろう』
まあ確かに、この国で一番偉い人が命令すれば、それだけで話はつく。
馬車には窓はなくて、外は見えなかった。聖都の街並みを遠くから見下ろすことはあっても、街中を歩いたことはなかったので、少し残念に思う。祭礼前日ということもあってか、街は喧騒に包まれていた。以前アルネイアで花祭りに行った時のことをぼんやり思い出していると、隣から声がかけられた。
『不安か』
クラウスは静かに前を見据えたまま、私に問いかける。自分でも意外な程、落ち着いていた。
『いえ、そうでもないです』
そう返すと、クラウスはふんっと鼻で笑った。
『ふ、そうか。俺が隣にいるからか』
『違いますけど』
乾いた笑いを返すと、クラウスはむすっとした顔になった。彼は普段は…少々性格は悪そうではあるが、ちゃんと聖帝として完璧な振る舞いをしているのに、時々子供っぽい仕草を見せる時がある。掴み所がなくて、いまいち彼の考えていることは分からない。
『そういえばお前、青だの黒だの、暗い色の服ばかり着ているな。明るい色の服は着ないのか』
『はあ、例えば何です?』
『赤』
『あか…』
『嫌いなのか』
『嫌いではないですけど、似合わないので…』
赤いドレスをあてがった時の衝撃的似合わなさを思い出して顔をしかめる。赤はセクシーでかっこいいけど、自分では着こなせない。
『色味にもよるだろう』
クラウスは私の顔を見下ろして、ふうむ、と唸る。
『明日は赤を身につけろ。お前に似合う服を贈ってやる』
『ええ…』
『おい、俺が自ら下賜してやると言っているのだぞ。もう少し有難がれ』
『ありがとう、ございます…』
私に嫌がらせをするのが大好きな男である、信用ならない。眉間に皺を寄せながらお礼を言うと、クラウスは若干憐れむような視線をこちらに向けてきた。
『お前、人間として生活できているのが不思議なほどに鈍いな。同じ人類とは思えない』
ひどい、そんな暴言を吐かれたのは初めてだ。半ば愕然としていると、クラウスは重い溜息をついた。
『まあお似合いだな、お前達は』
『…はい?』
『好いているのだろう?』
『何をですか?』
『そこで、誰を、と問わないのはどうかと思うが』
『…怒らせたいんですか』
『ヴェルフリードのことだ』
『…は?』
固まって、ぽかんと相手の顔を見上げる。
『……』
『……』
沈黙が流れる。言われた意味を理解するまで時間がかかった。
『はっ、お前、茹でた蟹みたいな色になってるぞ』
なんと、こちらでは茹でダコではなく茹でガニなのか。まあ茹でた蟹は赤いですが。いやいやそんなことはどうでもよくて。
『どっ、どうして』
『分かり易すぎる』
『ええっ』
そんなに!?そんなに分かりやすいのか!?リーゼさんにもアレクシスさんにもリュゼにもバレていたことを考えると、相当表に出ているということだろうか…!?恥ずかしいやら情けないやらで顔を赤くしたり青くしたりしていると、クラウスがふっと笑った。
『顔に出過ぎだ、お前は』
ずいっと顔が迫ってきて、びっくりして狭い馬車内で後退る。後頭部がごつんと内壁に当たった。逃げ道を塞ぐように、クラウスの手が顔の横に突かれる。
『ふうむ、顔色が悪いな』
そりゃあびっくりしてますから!
『俺はそれなりに魅力的な顔をしていると思うのだが』
『は!?』
『頬を赤らめるくらいはしてみせろ』
『なっ!』
そんなこと言われても無理なものは無理である!
『あなた、からかって遊んでませんか!!』
『よく分かったな、からかって遊んでいる』
こ、こいつ…!前回撤回だ、全然完璧なんかじゃない!!
クラウスはニヤリと笑って、私から顔を離す。くそ、性格が悪すぎる。どんなに顔がよくても性格が悪いのはいただけない!
『まあ遊びはこれくらいにしておくか。あまり時間もない』
『暇つぶし…!?』
クラウスは私から離れると、実に楽しそうに笑った。
『あと10分くらいで着く。そう離れた位置にあるわけでもないからな』
『聖教会って、聖都のどの辺りにあるんです?』
『丁度中心だ。城を除けば、聖都は綺麗な円形をしている。まあ気が向けば街に出してやってもいい。いずれな』
『いいんですか?歩いてみたいです』
団長さんに教えてもらった美味しいケーキのお店にも行ってみたいし、普通の食堂でどんな料理が出されるのかも気になる。…食のことばかり考えてしまったが、純粋に街並みが見てみたい。できればヴェルと行きたいな、そしたらそれって…デートなのでは。ちょっとうきうきしてしまう。
『お前は本当に顔に出るな…』
クラウスは私を見下ろして苦笑した。ニヤニヤしてしまっていただろうかと、慌てて顔を引き締める。
『…訊きたいことがあるなら今答えてやろう。2人で話す機会などこれが最後かもしれんしな』
なんとも不吉な言葉。だがいつ何時何が起こるかわからないし、クラウスと2人きりになることなんて滅多に無い、というか考えてみると…初めて会った時以来だ。
それなら、ひとつだけ訊いてみたい。ヴェルやニルさんがいると、怒りそうで訊けなかったことがある。
『ずっと、気になっていたことがあるんですが』
『何だ、話せ』
『今起きている、この異常事態が全て解決したら…私を、殺しますか』
『……』
クラウスは赤い目を細めて、こちらに向き直った。どこか感情の読めない瞳は、彼が〈管理者〉として何かを口にする時のものだった。彼は状況次第でどんな非情な決断でも下せるのだろう。彼のそういう強い所は、少し羨ましい。
『それはお前次第だ』
『…わたし?』
『お前の血が、この地に与える影響次第だな』
『私の、血…』
『ま、利用価値がある間は殺すつもりはない』
クラウスは掴み所のない人物だが、嘘をつかない。敢えて言わないとか、適当に誤魔化すとかはあるが。だから、その言葉は信用できる。
『クラウスの、そういう所は、いい所だと思います』
小さく笑って言うと、クラウスは僅かに険しい顔になる。
『いきなり何だ、そういう所?』
『嘘を、つかない所』
『………』
クラウスは開きかけた口を噤んで、静かに息を吐き出した。
『殺すと言っている相手にそれはないだろう』
『そう、ですよね』
言われてみればそうだ。ふふ、と笑ってしまう。ただきっと、もしその時が来たとしても、私はクラウスのことは恨まないだろう。ちょっと覚悟はできた。
クラウスは一瞬困惑したような変な顔をして、しかし直ぐ酷く険しい顔になった。
『死にたくなければ利用価値を示し続けろ』
クラウスは眉間を押さえて一度ぎゅっと目を閉じると、元の落ち着いた表情に戻って、顔を正面に向ける。
『そうしている間は殺さないでおいてやる』
『…はい』
少なくとも今は感知能力を買われているから、殺されることはない。それに、魔獣の血を打ち消すことができるから。魔獣がいるから、私は生かされている。危うい所に立っている自覚はあった。
目を閉じて、静かに深呼吸する。
協力すればするほど、死に近づいていく。そう理解してはいるが、それがみんなの為になるなら、躊躇は無かった。




