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78.祭礼―前々日―

 熱も下がり、数日してやっと、先生から訓練と練習の許可が出た。

 それまで皆何度もお見舞いに来てくれて、ちょっと心苦しかった。忙しいだろうに。…リュゼも、よく来てくれたのだが、どう接したらいいのか分からなくて、少し困った。でも彼はいつも通りの態度だったから、私も前みたいに、いつも通りに接することができるようになった、…と思う。


 祭礼、前々日。練習できるのは実質あと2日間のみだ。感知訓練は中止して、その時間を演奏の練習に充てることになった。

 数日ディルネに触れていなかったから少し不安だったが、比較的まともに指は動いた。それに安心すると同時に、時間が進むに従って緊張で押しつぶされそうになる。徐々に自分のやらなくてはならないことが実感として湧いてきて、心臓がばくばく音を立てた。何度も地図は見て、イメトレもしているけど、正直怖くて仕方がない。


 明日、祭礼前日の調査から全てが一発勝負、失敗できない。もしもこの調査が、真相に近づくものだとしたら――そうだとしたら、終わりも近い。相手が何をしようとしているのか、完全に未知数だが…風邪が治ってから、久しぶりに会ったニルさんはかなり焦っているようだった。それは即ち、時間があまり無いということなのだろう。


◇ ◇ ◇


 今日の戦闘訓練では、ヴェルがいつも以上に本気だった。

 鋭い剣筋は、訓練の成果か、ギリギリ避けられるようになった。一太刀目ならほぼ確実に避けられる。勿論当たりそうになれば彼は直ぐに手を止めるが、常に本気でやらないと意味が無い。

 剣が頭上を掠めていく。しゃがみ込んだ姿勢のまま、横に転がって次の攻撃から避ける。身体を動かしている間は、頭が空っぽになるのが良い。

 すぐに立ち上がって、ヴェルから距離を取る。相手からは絶対に目を逸らすなと教え込まれた。呼吸を整えながらヴェルの剣を注視する。

 今は室内にいるのはヴェルと私の2人だけだ。リーゼさんは明日の準備をするらしく、一旦退出している。そのせいなのか分からないが、いつもよりも集中できている気がした。

 何処までも冷静な目がこちらを見て、大きく足を踏み出した。真っ直ぐ横一文字に振り抜かれた剣を避けようとして、こちらも後ろへ下がる。

『っ!』

 背中が壁に当たった。ふと意識が逸れた瞬間に、剣先が鼻先に突きつけられる。

『もう少し周りを見ろ』

 剣を一度納めたヴェルが、こちらに手を差し出した。その手に捕まると、ぐいっと引き寄せられる。勢い余ってヴェルの胸におでこが当たった。

『むぐっ、ごめん』

『いや』

 何故かヴェルはそのままの姿勢で一瞬止まる。きょとんと顔を見上げると、ヴェルは眉間に皺を寄せて、私の背中に腕を回した。軽く抱き寄せられて、ぴしりと固まってしまう。

『大丈夫か』

 問いかけられて、どう答えて良いのか分からなくて、ヴェルの胸に耳を寄せる。規則正しい音を聴いていると、少し心が落ち着いて来るような気がした。ずっと落ち着かなくて、いっぱいいっぱいだったのに。

『多分、大丈夫』

 風邪で寝込んでいた間添い寝されていたおかげで、前よりは緊張しなくなったような気がする。緊張するのに安心する、不思議な感覚。

『…明日は、警護につけない。悪い』

 ぎゅっと、抱きしめる腕に力が入った。それに驚いて、更に身体が固くなる。

『私は、堂々と聖教会には入れない』

 過去の、出来事のせいだろうか。頷くと、ヴェルは鋭い目を細めて、私の目をじっと見下ろした。

『怖いか』

『……』

 返答に困る。自分で選んだことなのに、怖いとは言い出せなかった。だが、ヴェルは私の恐怖を見透かしたように、小さく苦笑する。抱きしめていた腕が離れて、手が私の肩に乗せられた。

『別に、怖いなら怖いと言ってもいい。誰しも恐怖心はあるものだ』

『ヴェルも…?』

『ああ』

 それは意外だ。きょとんと見上げると、腕を引かれてベッドに座らされた。

『そろそろ一度休め。病み上がりだろう』

『訓練は…?』

『今日はもういい。もう必要ない』

『必要ない?』

『十分動けている。勘がいいな、お前は。自信を持っていい』

『そうかな』

 珍しく褒められている。ちょっと嬉しい。へらっと笑うと、ヴェルも小さく笑って、ベッド横の椅子に腰掛けて足を組んだ。

『…怖いのは当たり前だ。それを否定しようとしなくていい』

『否定…』

『怖がることは悪い事じゃない。恐怖するからより周囲に気を配れる、最悪の事態を想定して予防線も張れる。恐怖を感じなくなったら、その時は死ぬと思え。…無謀な賭けは最後まで取っておけ』

『……』

『自分に何ができて何ができないか考えろ。できない事はしなくていい、できる事だけをやればいい。お前ができない事は私が何とかする』

 やれる事だけを、やる。そうだ、自分1人で全部やる訳じゃない。そう考えると、狭まっていた視界が開けるように感じた。

『何もお前に、それ以上は求めていない。気負うな』

 虚飾のない真っ直ぐな言葉は、案外自分の中にすとんと落ちる。強張っていた肩の力が抜けていった。

『あり、がとう…』

 呟くと、ヴェルは小さく笑って頭を撫でてきた。

『何だ、その顔は』

『…何でもない』

 いつも思うのだが、みんなして私の頭を撫ですぎだと思う。丁度いい所に頭があるんだろうか。特に団長さんは髪をぐしゃぐしゃに掻き回して去って行くので、後が大変だ。

『ヴェルの怖いものって、何?』

 少し気になって訊いてみると、ヴェルは軽く片眉を持ち上げた。

『さあな』

『えっ』

 さっきの言葉は何だったんだ!ぽかんと相手の顔を見上げると、困ったように笑われた。

『…秘密だ』

 秘密。本当は恐怖なんか無いんじゃないか。ヴェルはどんな時も冷静で、剣を握っている時も恐れなど感じていなさそうで、常に迷いがない。それが凄く羨ましかった。

「ずるい」

 小さく呟くと、ヴェルは不思議そうにこちらを見下ろす。まあ、分からないように言ったけど。

 靴を脱いで、ベッドの上で膝を抱える。頬を膝にくっつけて息を吐き出すと、視線の先でヴェルが組んでいた足を下ろしてこちらに向き直った。

『ああ、あと、1つ伝えておくことがある』

『なに?』

『体調が悪そうだったから後回しにしていたが、今なら丁度いいな』

『…?何が?』

『櫛は、そういうつもりで渡した』

『…はい?』

 そういうつもり、とは、どういうつもりだ。首をかしげると、ヴェルは険しい顔になる。

『お前、本当に鈍いな』

『は?』

 鈍いって言われても。正直ヴェルにだけは言われたくない。

 ううむ、と首をひねって、櫛を思い浮かべて、フェルステルさんに聞いた話を思い出して、リュゼの言葉が脳裏をよぎって…そこでやっと、ヴェルが言った『そういうつもり』に思い当たった。

『…やっと分かったのか』

 私の、多分赤くなった顔を見下ろして、ヴェルは深い深い溜息をついた。

『だっ、だって渡した時言わなかった!』

『それは、…悪いとは思っているが。後から考えれば普通分かるだろう』

『なっ!』

 分かるか!!腹立たしい言葉に、照れ臭さとか恥ずかしさとか全部吹っ飛ぶ。思い切り睨むと、ヴェルはおもむろに立ち上がってベッドに片膝を乗せた。彼の体重で、ベッドがぎしりと音を立てる。何となく本能的に嫌な予感がして後退りすると、ヘッドボードに手を突かれて退路を塞がれた。あれ、なんかこの感じ、以前にも。

『それで?』

 そういえば櫛を私に渡した後、ヴェルは同じ言葉を口にしていた。全く甘さの欠片も無い鋭い目に、自分はもしや勘違いをしているのでは無いかという気すらして来るのだが。そうだ、全てはこの男の態度のせいである!だってそういうことしなさそうだし!態度にも出ないから分かりにくい!!いや、分かるわけがない!!

『知らない!!』

 訓練の賜物、腹部へ鋭い一撃をお見舞いしてやると、ヴェルも予想外だったのか一瞬怯む。その隙に転がるように彼の腕から逃れて、思い切り睨み上げてやると、ヴェルは眉間の皺を増やした。

『全部終わったら!返事する!』

 そう言うと、ヴェルはむっとした顔になった。なんだそれ、私の方がそういう顔したい気分!

『チッ』

 しかも舌打ちまでしやがった!ヴェルは大層機嫌がよろしくない様子で、ヘッドボードから手を離す。

『じゃあその時にな』

『その時にね!』

 半ば喧嘩腰で答えると、ヴェルは片眉を軽く上げて笑った。くそ、その顔ムカつく!ふんっと顔を逸らすと、素早くヴェルの手が伸びて手首を掴んだ。そのままずるずる引っ張られて、元いた場所に戻される。

『午後になったら起こしてやる。少し寝てろ』

 そうやって、いきなり優しくなるのは卑怯だと思う。ヴェルはベッドから降りて椅子に座り直すと、私の上に布団をかけた。それを無意識に顔の上まで引っ張り上げて、そうすると徐々に怒りが落ち着いてきて。ぶわっと顔に熱が集まるのを感じた。慌てて頭のてっぺんまで布団を引き上げる。

 うわあ、どうしよう、どうしよう!素面に戻るとヴェルの顔が見れない!

 そ、そういうつもりって。頭の中がぐるぐるする。勘違いじゃないか、リュゼはちゃんと、その、そういう事だって口にしたけど、この男は『それで?』しか言っていないわけで。本当にそういう、恋愛的な、好意なのか。顔色も全く変わらないし、明確に言葉にされわけでもないし。疑心暗鬼になる。

『…そういうつもりって、どういうつもり?』

 布団の中から小声で問いかけてみる。

『言葉にしないと分からないのか』

『ぐ』

『お前が答える時に言ってやる』

『う』

 ヴェルはそう言うと、私の頭から布団を引っぺがした。

『呼吸しづらいだろうが。顔が赤いぞ』

 この男に『鈍い』とか言われたのが心底納得いかない。ヴェルはいつもの無表情で私の顔を見下ろして、布団を掴んでいた私の手を取った。いつの間に外したのだろう、手袋のしていない手は、あたたかい。

『寝ろ。付いててやるから』

 小さく笑って、ヴェルがぎゅっと手を握った。くっ、惚れた弱み…。言葉が足りないのも、時々壊滅的に鈍いのも、意地悪なのも許せてしまうから始末に負えない。

 ムカついた勢いで、全部終わってから返事するって言ってしまったけど、先延ばしにしたところで返す言葉は変わらない。なんかもう頭の中がごちゃごちゃで、明日が作戦開始だというのに、不安とか緊張とか恐怖とか吹っ飛んでしまった。

「…ずるい」

 いっつも私ばっかり振り回されてる。絶対見返してやる、振り回してやる。ついっと顔を背けると、背後で微かに笑った気配がして、それがまた悔しかった。

 手を繋いでいると、よく分からない安心感がある。こちらでは、眠れない子供の手を親が握るのだと言っていたが、思ったより効果はあるみたい。その温もりにぼんやりと意識を向けているうちに、ゆっくり瞼が重くなっていった。

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