表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/98

77.熱(2)

『昨日の演奏だがな、素晴らしかった。良くやった、俺も鼻が高い』

『…ありがとうございます』

 夕方頃になって、クラウスがルーカスさんを連れ立ってふらりと部屋を訪れた。機嫌が良さそうな様子のクラウスは私を褒めると、ニヤリと笑う。

『ドレスもそれなりに似合っていたぞ』

『うっ…』

『次はもう少し胸元が開いててもいいんじゃないか?』

『勘弁してください…』

 本当にこの男、性格が悪い。


 正直まだ気持ちの整理がついていなくて、あんまり頭が働いていなかった。衝撃から立ち直れていない。リュゼはいつからそういう風に思っていたんだろうかとか、なんでそう思うようになったんだろうとか。ぐるぐる、同じことを考えてしまって、悲しそうに、でも穏やかに笑ったリュゼの顔が脳裏に焼き付いて離れない。

『どうした、いつもより反応が鈍いな』

 クラウスはつまらなそうにそう言うと、軽く片眉を上げた。

『熱は高いのか?』

 指先が額の真ん中に触れる。

『お薬出してもらったので、そこまでは高くないはずです…』

 おでこを押さえられたまま答えると、クラウスは少し険しい顔になった。

『体温がだいぶ高くないか。それとも元が高いのか?』

『どうなんでしょう…』

 平熱は36度と少しで、特に高いわけでも低いわけでもないと思う。ただ、こちらの人基準で考えるとどうなのか、と言う点は不明だ。リーゼさんはだいぶ体温が低い感じがするし、ヴェルはちょっと温かいような気がする。血の特性でも個人差がありそうだ。

 だがしかし、体温は少しずつ上がっているような。考え込んでいるせいで、知恵熱みたいなものも出始めているのかもしれない。目の奥の方が熱を持っていて、目が潤む。首をかしげて考えていると、クラウスは私の額から手を離して、腕を組んだ。

『祭礼まで時間もない。身体はちゃんと休ませて、早く治せよ』

『はい、すみません…』

『謝るな、体調を崩すことくらいあるだろう』

 うちの上司もそれくらい優しければなあ。ちょっと風邪引いた時なんか、叱られたっけ。それもあったせいか、仕事している間は気が張り詰めていて、逆にあんまり体調は崩さなかった。

『…何か欲しいものはあるか?』

『…はい?』

『冷たい飲み物でも送らせようか』

『…クラウスが優しいと、気持ち悪いですね』

 いつもなら多分口にしない軽口だが、頭がうまく働いていないせいか、ぽろっと口にしてしまった。クラウスはむすっとした顔になって、私の額に強烈なデコピンを入れる。

「あいたっ!」

 額を押さえてうずくまると、ふんっと頭上から鼻で笑うような音がした。

『んうううう…』

 思わず涙目になる。今の結構痛かったぞ。クラウスは『好意は有難く受け取れ、愚か者が』と言って、私の頭をがしがし掻き回した。

『ありがとう、ございます、いただきます』

 ぐわんぐわん揺れる頭でお礼を言う。絶対おでこ赤くなった。

『後で送らせよう。水分は多く摂った方が良い』

 クラウスは小さく笑うと、椅子から立ち上がった。

『今日はこの辺で勘弁してやる。明日また様子を見に来てやろう』

『うつしてしまうので、来ない方が…』

『お前のそれは、免疫力が落ちたせいだろう。俺にはうつらん。もし明日悪化していたら、何か罰でも与えるか』

 こ、これはちゃんと治さねば!!慌ててこくこく頷くと、クラウスは私の頭を軽く撫でて、来た時と同じようにふらっと出て行った。

『…お大事に』

 困ったように笑ったルーカスさんが、最後に小声でこちらに声をかけていく。それに笑みを返して、小さく手を振ると、彼も手を振り返してくれた。うむ、ちょっとずつ仲良くなっている気がして何となく嬉しい。


◇ ◇ ◇


 夜になって、身体がもっと重くなってきた。体温が上がって、身体を起こすのが酷く億劫に感じる。リーゼさんが折角身体を拭いてくれたのに、直ぐに汗をかいてしまった。

 ひんやりとした濡れたタオルが額に載せられて、目を開ける。心配そうに覗き込んだ薄い水色の瞳を見返すと、困ったような微笑が返ってきた。

『熱が上がってきています。先生をお呼びしましょうか』

『いいえ、だいじょうぶ、です』

 たかだか風邪くらいで、忙しい先生を呼ぶ訳にはいかない。

『食事は摂れますか?難しそうなら、果実にしましょうか。何か召し上がっていただかないと、お薬が飲めませんから』

 果物なら、食べられるかも。こくりと頷くと、リーゼさんも小さく頷きを返した。

『かしこまりました、用意しますね』

 彼女の姿が天蓋の向こうへと消える。遠くの方で、ごそごそと話し声が微かに聞こえた。頭がぼーっとして、会話はよく聞き取れない。

 ここまでしんどいのは久々だ。何年かぶりに風邪をこじらせている。熱によってじわじわと溢れてきた涙が、目の端を伝って枕にこぼれた。

『スグル』

 少し経って、低い声と共に天蓋が捲られる。ヴェルは私の顔を見下ろして、少し複雑そうに顔を歪めた。

『…起きられそうか』

『…ん』

 ゆっくり身体を起こして、ヘッドボードに身体を預ける。関節がズキズキと痛んで、唸り声が喉から漏れた。ヴェルは天蓋の中に椅子を入れて座ると、膝の上に果物の乗せられた皿を置いた。見た感じは、小さく切られた林檎のような感じ。ヴェルの手が無造作にフォークを取って、果物にざっくりと刺した。

『ほら』

 口元にずいっと突き出される。困惑して固まると、ヴェルは眉間に皺を寄せた。

『口を開けろ』

 唇に果実が触れる。思ったより柔らかい感触だった。口をそろりと開けると、口内に小さな塊が入ってくる。

『美味しい』

 冷たくて、甘い。よく熟したキウイみたいな味がした。ごくんと嚥下すると、直ぐに2切れ目が差し出される。

『…自分で、食べられるよ』

『力が入らないんだろう。いいから、食え』

 前にもこんな事があった。あの時も体調を崩して、怪我もして。多分あれは風邪ではなかったけど。

『…一緒だね』

『何が』

『前、体調崩した時…』

『ああ…』

 ヴェルは鋭い目を細めて、小さく頷く。

 なんだか少し、懐かしい。…それから思い返してみると、怪我ばかりしている。

『…お前は、身体が弱いのか』

 2切れ目を口に入れたところで、そう問いかけられた。ヴェルは視線を落として、3切れ目にフォークを刺す。

『弱くは、無いんだけど…』

『…強そうにも、見えないな』

『……』

『…口を開けろ』

 差し出された果物をまた口に入れる。

『聖都の冬は、長く厳しい。雪も多く降る。お前が生まれ育った場所は温暖だったのだろう?身体がついていっていないのではないか』

『うん…』

『寒いなら、横で寝てやる』

『…う、ん』

 自分から言うのと、言われるのとではこうも違うものか。風邪の熱とは別に、顔に熱が集まるのを感じる。

 果物の量は少なくて、直ぐに食べ終わってしまう。最後の一切れを飲み込むと、ヴェルはお皿を持って立ち上がった。

『薬を用意しよう。今日は私が添い寝する』

『えっ!?リ、リーゼさんは…!?』

『あいつが居たら冷えるぞ。…まあ、今日はもう直ぐ自室に戻ると言っていたが』

 えっ、えっ、そんな!ふ、2人きりですか!…朝の、『こちらからも攻めないと』と笑ったリーゼさんの顔が脳裏をよぎる。まさかとは思うが、こういうことか!?

『私も着替えてくる。騎士服ではお前も寝辛いだろう』

 どんどん話が進んで頭がついていかない。ぽかんと無表情のヴェルの顔を見上げて数秒固まって、いやいや待てと慌てて思考を巡らせる。

『う、うつしちゃうから、だめ!』

『うつらない』

『あ、汗だってかいてるし』

『さっき拭いてもらったんだろう、それに別に気にならない』

『私が気にするの!』

『今更だろう』

『ぐっ!』

 ヴェルはやると決めたらやる男である。どんなに断ってもいつも押し切られる。そう、今まで断る事ができた試しがない!

 頭を抱えていると、ヴェルが天蓋の向こうへ消えて、代わりに薬と水の入ったグラスを持ったリーゼさんが顔を出した。ニヤリと笑った顔は、とても楽しそうで、とても悪そうで、軽く絶望した。


◇ ◇ ◇


 ラフなシャツ姿に着替えたヴェルは、特に表情も変えずに、私の隣に横たわる。髪も下ろしていて、いつもより少しだけ幼く見えた。彼が横で寝るのは凄く久々で、少し前は慣れて緊張しなくなっていた(というか直ぐ寝てしまっていた)のに、ガチガチに緊張してしまう。というかシャツ姿もちょっと久しぶりに見るし、もうなんだか、熱が急上昇しているような気がする。

『ほら、来い』

 腕を広げられて、ぐうっと唸る。なんだそれは。

『うつしたら、悪いもん』

『うつらない。風邪は引いたことがない』

『…一度も?』

『一度も』

『私の国のことわざで、馬鹿は風邪をひかないっていうのがあるんだけど』

『……』

 軽口を叩くと、ヴェルは顔を顰めてぐいっと私の腕を引っ張った。腕が背中に回されて、ぴったりと密着する。どくんどくんと大きく心音が聞こえて、目が回りそうになった。

『血のせいか知らないが、人より身体は丈夫に出来ている方だ。相当な無理をしない限り体調は崩さない』

『う…』

 シャツは薄くて、肌が近い感じがする。これなら騎士服の方が良かった。こんな状態では、熱がもっと上がりそうだ。たった1枚の薄い布の向こうに、ヴェルの肌があるのだと思うと、なんか、もう。

 思わず身動ぎすると、腰に回された手がぎゅっと更に身体を引き寄せて、より密着した。息をするのを忘れてしまいそうになりながら、回らない頭で羊を数え始める。

『身体が熱いな』

 そりゃあ熱があるから当たり前だ。1匹、2匹。

『目も潤んでいる』

 そりゃあ風邪引いてるから。3匹、4匹。

『…お前が体調を崩しているのを見るのは、妙な気分になる』

『妙な、気分?』

 羊を数えるのを中断して、聞き返す。

『…悔しいような、無力感に苛まれるような』

『悔しい?ヴェルが?…なんで?』

『…守ってやれなかったのが』

『風邪だから、仕方ないよ。ヴェルのせいじゃ、ない』

『…外に連れ出したのは私だ』

 ちらりと顔を見上げると、困ったように笑われる。

『風邪というのは、辛そうだな』

『…うん、ちょっとだけ』

『代わってやれないのが、もどかしい』

 腰に回されていた腕が離れて、手が頬を包み込むように添わされた。親指が目元に溜まっていた涙を掬って、優しく頬を撫でていく。

『グレイプニルもかなり心配していた。治ったら顔を出してやるといい』

『…うん』

 こつん、と額を胸に当てる。ニルさんは凄く、それこそヴェルより過保護だから、心配させてしまっているだろう。早く元気な姿を見せないと。それから、お気に入りの曲を聴かせてあげよう。いつも、あの綺麗な蒼い目を細めて、心地好さそうに聴き入ってくれるのが嬉しかった。

 じっとしていると、徐々に眠気が襲ってくる。結果的に言えば、彼が横に寝てくれて良かったかもしれない。風邪を引くと心細くなってしまうから。それに凄く、温かい。

 頬が触れている胸が、ゆっくりと上下している。私よりもずっと深く、長い呼吸。それに意識を向けていると、自分がいつもどれくらいのペースで呼吸していたのかわからなくなってしまう。

ふとヴェルの手が後頭部に移動して、優しく髪を撫でだした。大人の女性として扱っている、とは言っていたが、やっぱりどうも子供扱いされているような気がする。

『…ん』

 不意にヴェルが不思議そうな声を出して身じろぎする。何だろう、と視線を上に向けて、彼の手に細長い白い箱が握られているのを見て、――眠気が一気に飛んだ。

『あっ』

 枕の下に隠していたの、そのままだった!ヴェルの鋭い目がすっと細められて、こちらを見下ろしてくる。

『これは?』

『えっと、その』

 リュゼに貰った首飾りは、自分だけの胸の内にしまっておきたかった。リーゼさんも開けるサイドテーブルの引き出しにも仕舞えないし、置き場所が無くて、一旦枕の下に入れていたのである。

『中身は?』

 ヴェルは箱をじっと見つめて、静かに問いかけてきた。

『ひっ、ひみつ』

 箱に向かって手を伸ばすが、ヴェルの方がずっと腕が長い。ちょっと彼が腕を伸ばすだけで、指先すら掠らなくなる。

『ん、うう…』

 更に手を伸ばすために身体を反転させようとするが、ヴェルのもう片方の腕が背後からがっちり腰に回されて動けない。

 視線の先で、ヴェルが器用に片手で箱の蓋を開けようとする。ヴェルには何となく特に見られたくなくて慌ててもがくが、奮闘虚しく、箱の蓋は目の前であっけなく開けられた。

『…これは?』

 ヴェルは箱の中身をじっと見て、短く問いかける。

『……も、貰ったの』

『誰に』

『………』

 黙り込むと、視線の先で、ヴェルが首飾りの台座に嵌った石に触れる。

『リュザフィールか?』

『…っ』

 部屋はかなり暗いのに、色が分かったのか。息を詰まらせると、『やはりそうか』とヴェルは低く呟く。

『こういうものを贈る意味は知っているだろう』

『…うん』

『…好いているのか、あいつを』

 顔をヴェルの方に向けると、険しい顔がこちらを見下ろしていた。

『…好き、だけど、そういう『好き』じゃなくて、…家族、みたいな、兄弟みたいな…』

 もごもご口にすると、ヴェルの目が鋭さを増す。

『それなら、何故受け取った』

『それは…』

 答えに逡巡すると、私の腰に回されていた手が、頬に添えられた。そのまま顎を上に向けられて、真っ直ぐ目が合う。

『それは?』

 催促されて、恐る恐る口を開いた。

『…リュゼが、私のために、用意してくれたものだったから』

 少しだけ泣きそうに笑った顔を思い出す。全部知ってて、…私がヴェルのこと好きだって、知ってたのに。断られるって分かっていて、それでも私にくれたものだった。

『大事にしたいって、思ったから…』

 胸がぎゅうぎゅう締め付けられて、苦しくて、息がつまる。

 ヴェルは困ったように顔を歪めて、少しだけ溢れた涙を指先で拭った。

『…そうか』

 強い力で抱き寄せられて、肩口に目元が当たる。後頭部に当てられた手が、ぐっと頭を押さえつけた。

 自分の熱い息がシャツに吸い込まれて、じんわりと熱を持つ。少しずつ、気持ちも落ち着いてきた。

 ヴェルの手がそっと箱の蓋を閉じて、元の場所に戻す。私の呼吸が落ち着いてきたのに気が付いたのか、腕から力が抜けた。

『悪かった』

 小さく息を吐き出した彼は、小さく呟いて、それきり黙り込む。それから、ただ静かに呼吸する音だけが鼓膜を揺らした。

 その後は気が付いたら眠ってしまっていて。目が覚めたら、少しだけ気持ちの整理がついていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ