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71.作戦

 日課に『庭の散歩』が組み込まれるようになってから、6日目。こちらで言うところの、ちょうど1週間である。

 2日前、一度襲撃されたようだった。きん、と耳元で音がして、何かが弾かれて、その後フェルステルさんが数言指示を飛ばして。ヴェルも直ぐ戻ってきた。正直一瞬の出来事で、自分にはよくわからなかったのだが――カスケードの手のものではなかったのだという。

 それに安心すると同時に、何故、誰に襲われたのかもわからなくて、それが少し不気味だった。


◇ ◇ ◇


 庭から部屋に戻るまでの道のりですっかり息が上がる。毎回5階を過ぎたあたりでしんど過ぎて一回休憩して、最終的に見兼ねたヴェルに抱え上げられてしまうのだった。なんとも情けない話である。どうやらこちらの人は、基本的にはあまり階段を使っていないようで、幸い人と会うことはほとんど無かったし、会ってもメイドさんくらいだった。…そりゃあ便利な転移陣があるなら、階段は選ばないだろう。


 今日もヴェルは私を抱え上げて6階分くらい上がった筈なのに、全く息は乱れていなかった。いつも思うのだが、腕とか疲れないんだろうか…強いな…。そういえば血の特性が『強化』なのだと以前聞いた。常に身体が強化されているってことなのだろうか。

 階段を上り終えた所で、ゆっくりと床に降ろされる。本当に申し訳ない。

『ごめん、いつもありがとう…。重かったよね…』

『いや、全く。軽すぎるくらいだ』

 無表情だから真偽がいまいちわからない。ヴェルはちらりとこちらを見下ろして、僅かに眉根を寄せた。

『お前はもう少し食べた方が…いや、食べてはいるのか。食べた分がどこに行っているのかわからないな』

『う…』

 私もそれは謎である。代謝が良いのかもしれないけど。



 自室の前には今日もアレクシスさんが立って警備をしていた。前まで行くと、こちらを見下ろしてにっこり微笑む。

『おかえりなさい』

『ただいま戻りました』

 アレクシスさんの笑みは柔らかくてちょっと安心する。いつもは冷たい感じがするのに、笑うと穏やかで。彼はしかし直ぐに笑いを納めて、静かに言葉を続けた。

『…実は陛下がお見えになっておりまして。中でお待ちです』

『そうですか…』

 ちょっとげんなりする。一休みしたかったのだが。アレクシスさんは苦笑して、扉を開けてくれた。中に入ると、アレクシスさんも室内に入って扉を閉める。

 室内では、いつもの定位置でクラウスが書類に目を落としていた。周囲には、先日噴水の街に行った時の聖騎士の面々が揃っていて、中にはニルさんも居る。…全員揃っているということは、今後の話をするのかもしれない。これだけ人が居ると、広い部屋も狭く感じる。

 クラウスは書類から視線を上げると、私の方をチラリと見て鼻で笑った。

『年相応にはなったな』

『……そうですね』

 いちいちこの男、私を怒らせるのが趣味なのだろうか。

『随分と遅かったな。何をしていた』

『階段なので…』

『ああ、そう言えばそうか』

 クラウスはソファー前に置かれたローテーブルに書類の束を置いた。あれ、私の部屋にあんなローテーブル無かったはずなんだが。運び込んだのだろうか…。結構な量の書類と本が置かれている。意外と長い時間ここにいたのかもしれない。赤い目がちらりとフェルステルさんに向いた。

『様子はどうだ』

『あれ以来は、特に報告するような事は何も』

『そうか』

 クラウスはニヤリと笑ってソファーから腰を上げると、私の前に立ってじっと見下ろしてきた。

『ふうむ……』

『な、なにか…?』

『いや、化粧で随分変わるものだなと。いい腕をしているな』

『お褒めにあずかり光栄です』

 クラウスの背後で、リーゼさんが礼を取る。

『傷も隠せるのか。便利だな』

 クラウスが私の手首を掴んで、珍しいものを見るようにひっくり返した。

『傷があっても良いとも思うが。ま、女なら無い方がいいか』

 じろじろ見られるのは居心地が悪い。困って思わず一歩下がってしまう。

 クラウスはそれに片眉をくいっとあげて、性格の悪そうな笑みを浮かべた。

『…演奏している時とは大違いだな。普段ももっと堂々としていろ』

『う』

 それとこれとは話が別なのである。緊張しないわけでは無いが、弾き始めれば完全に意識がそちらに行く。堂々としているのかはわからないが。

 クラウスは私の手首から手を離して、その手で頬にかかっていた髪を耳にかけた。ふとした仕草が綺麗ではあるが、中身が中身なのであまり心が動かされない。

『今後について話しておく。座れ』

 ソファが指差されて、素直にすとんと腰を下ろすと、隣にクラウスが平然と座った。…距離が近いのだが。というか曲がりなりにも一国の主だろう、こんなに近くに、しかも隣に座っていい存在じゃないような気がする。蹴っ飛ばした前科については目を瞑って欲しいけど。そろりとさり気なく距離を離すと、クラウスはじろりとこちらを見下ろした。

『お前、有難味というものは無いのか』

『ありがたみ…?』

『…まあいい。作戦について話す』

 クラウスはそう言うと、周囲の聖騎士に目配せした。全員が小さく頷いて、我々の前に立つ。

『2週間後、聖教会で祭礼が開かれる。年に一度の大きな祭礼だ。死者を悼み、生に感謝する。聖都に住む多くの国民が聖教会内部、聖教会周囲に集まる。夜遅くまで場が混乱する良い機会だ』

 難しい言葉の羅列に、ニルさんの通訳を待って頷く。

『お前には宮廷楽士として正式にその場に出てもらう』

 クラウスは私が頷いたのを見て、小さく笑ってそう言った。

 困惑していると、すらりと長い指先が、テーブルに広げられていた地図を指差す。おそらく聖教会の地図。建物は長方形で、おそらく手前側の大きな空間が聖堂なんだろう。両側に長い回廊があって、奥の方は部屋が沢山ある。地図だけだと分かりにくいが、多分かなり大きい建物だ。

『教会内部の地図だ。事前に目を通しておけ。前日には予行演習の名目で中に入れるようにしておいてやる』

『…その時に調べてこい、ということですか』

『そうだ』

 クラウスはニヤリと笑うと、机の上に小さな通信機らしきものを置いた。前の補聴器のような耳に差し込む形とは違う、耳飾りの形をしている。ぱっと見はイヤリングのようで、シンプルな菱形にカットされた透明なガラスが付いていた。金具部分は金でできているみたいで、高価そうで緊張する。

『中に入って怪しい場所を調べてこい。教会内部を一度デルリーンの目で確認してはいるが、怪しい場所が見つからん。お前に見て欲しい。隠蔽術式の気配を察知した場合は2度、それ以外の術式の場合は1度、その他緊急事態の際は3度、ガラスを叩け。これは音は拾わんが、叩けばこちらで確認できる。お前の動きは常にデルリーンが確認して指示を飛ばす』

 クラウスはそう言って、ぞんざいに私の左耳にイヤリングをつけた。右だと婚姻を意味するからだろう。…他人に耳飾りつけられるのってなんか、ぞわっとする。

『作戦行動中は、お前1人で動いてもらう。敢えて護衛は付けない』

 思わず身体が跳ねる。1人で、動く。今までは常に誰かが近くにいてくれたから、1人で動き回るのは正直怖い。

 クラウスは私の顔をじっと見下ろして、小さく笑った。

『何かあれば、フェルステルが近くに転移する。心配しなくていい』

『…はい』

 ごくりと唾と一緒に恐怖を飲み込む。大丈夫、みんなが付いてる。この国最強の聖騎士達なのだ、絶対に大丈夫。

『前日の護衛はフェルステルとシュタールベルクにやってもらう。聖堂で試験的に演奏した後、探査に当たれ』

『わ、わかりました。よろしくお願いします』

 フェルステルさんとリーゼさんにぺこりと頭を下げる。リーゼさんは輝かんばかりの微笑を浮かべ、フェルステルさんは『ああ』と言って軽く片眉を持ち上げた。

 ヴェルは、来てくれないんだろうか。ちらっと斜め後ろに立つヴェルを見上げると、眉間に軽く皺を刻んだ、比較的いつも通りの無表情で前を見据えていた。

『当日の護衛はフェルステルとルーカスだ。真横に立つわけにもいかんからな、転移が出来る奴にしてある』

 ルーカスさんもできたのか。ほう、とルーカスさんを少し羨望のこもった眼差しで見上げると、照れ臭そうな笑みが返って来た。

『祭礼に向けて、1週間後、お前をお披露目する機会を作ってやった。まあそれなりにでかい夜会になるが、気負わなくて良い。いつも通り演奏しろ』

『は、はあ…』

『そっちの警護はヴェルフリード、お前がやれ』

『承知致しました』

 ヴェルは静かにそう答えて頷く。それに少し安心して、小さく息を吐き出した。一気に色んなことが決まって行って、ちょっと気持ちが追いつかない。

『ここまでで質問はあるか』

 最後にクラウスにそう問いかけられた。この件とは関係ないかもしれないが、気になっていたことを聞いてみる。

『あの、先日、庭で起こったことなのですが…』

『ああ、あの襲撃か』

 クラウスは軽く目をすがめて、忌々しそうに息を吐く。

『結果的に言えば、カスケードは関係ないだろうな。…最近どうにも勘違いする輩が多くて困っている。近衛を警護に付けているせいもあるだろうが、少々面倒な事態が起きすぎてな。あれは、お前のことを宮廷楽士ではなく愛妾だと馬鹿馬鹿しい勘違いをした馬鹿な輩が勝手に動いただけだった』

『…は?』

 思わず固まって、言葉の意味をもう一度頭の中で咀嚼し直して、…そしてつい相手の顔を睨み上げてしまった。なんだそれ、ただのとばっちりじゃないか。それにクラウスも眉間に深い皺を刻む。

『おい何だその顔は、俺も迷惑をしているんだぞ。…良い機会だから場を圧倒しろ。名ばかりの宮廷楽士はいらん』

 酷い言われようなのだが、私のせいではないのでは。むっとすると、相手は面倒くさそうに背もたれに肘をついて顔を背けた。ガラが悪い。

『他には』

『何を、演奏したら良いですか』

 夜会にしろ、祭礼にしろ、こちらの曲を弾いた方が良いのではないだろうか。そうなるとあまり時間もないし、練習しないといけない。

『夜会の方は何でもいい。30分程度か、適当に何曲か弾け。祭礼の方はそうだな…俺の前で初めて弾いた時の、何といったか、あの曲でいい』

『ラ・カンパネラ、です。こちらの曲じゃなくていいんですか』

『必要な曲は別の楽団が演奏するからいい。お前は1曲だけ弾いて引っ込め』

 祭礼ではきっと、沢山の人が聴きに来るだろう。王城に住まう人々や貴族だけでなく、聖都内に住む、沢山の人々が。それなら、たった1曲…それだけで、自分が宮廷楽士であると知らしめねばならない。気合いを入れねば。祭礼では、今までで最高の演奏を。

 静かに決意を固めていると、クラウスが『当日だが』と言葉を続けた。

『隠蔽された空間を発見した場合、夜、この場にいる全員で侵入する』

『…クラウスも?』

『ああ、そうだが』

 危なくないのだろうか。平然と言い放ったクラウスに困惑して周囲を見回すと、皆一様に眉間に皺を寄せて苦渋の表情を浮かべているのに気付く。ああ、なるほど…どうやら彼のわがままらしい。

『祭礼当日の夜は、夜中鐘が打ち鳴らされる。教会の人員もほぼ全てが外に出払う。かなり動きやすい機会になるだろう。むしろこれを逃すと暫く身動きが取れん』

 鐘が打ち鳴らされる…それなら、多少の物音は誤魔化せるかもしれない。

『作戦開始時刻は夜中の11時。強力な探知妨害を肉体にかけた状態で、他の術式は基本使わずに侵入する。隠蔽術式解除後、デルリーンがまず内部構造を確認する。簡易的な地図を作成し、内部へ侵入。お前には周囲の術式の感知を行ってもらう。そこから先は未知数だが…敵に遭遇した場合は可能な限り捕縛する。脳を探らせる必要があるからな。これは後程グレイプニルにやらせる。俺がやるより効率がいい。ただし、俺と同じ顔の奴を見かけたら、即俺に連絡しろ。俺が殺す』

 クラウスの言葉に、全員静かに頷いた。

『俺が直々に手を下さんと気が済まん』

 冷徹に笑った顔が近くて怖い。

『さて、説明は以上だ。質問はあるか』

 そこまで話してこちらを向いた男に、慌てて思考を巡らせる。

『グレイプニル、は、一緒に来ますか』

『いや、目立つから入れん。言葉を勉強しておけよ』

『…うう』

 戦闘訓練と感知訓練の上に、更に言葉の勉強まで…つらい…つらいものがある…。そこそこ喋れるようにはなったが、1人だとまだ少し不安だ。特に作戦中言葉がわからないと、指示を正しく受け取れないかもしれない。

『他に質問はあるか』

『いいえ…』

 クラウスは苦しむ私にニヤリと笑う。

『それなら話は終わりだ。全員、一度演奏は聞いておけ。演奏中ぼんやりされても困る』

『それ程ですか』

『それ程だ』

 団長さんが不思議そうな眼差しをこちらに向けた。それ程も無いような気はするけど、曲が良いのは確かである。クラウスは変わらず人の悪い笑みを浮かべたまま、こちらに問いかける。

『弾けるか』

『はい、もう治ってますから』

 立ち上がって、ディルネの前に座る。久し振りに弾く曲だし、みんないるし、緊張する。団長さんとフェルステルさん、ルーカスさんの前で弾くのは初めてだ。しかし、祭礼では鐘が打ち鳴らされるというのなら、この曲ほど合うものはないかもしれない。『ラ・カンパネラ』は『鐘』の意味だ。

 目を閉じて、ふう、と息を吐き出す。ゆっくりと指先を鍵盤に滑らせて、力を込めた。

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