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69.王城の庭

 衝撃から立ち直ったらしいフェルステルさんとヴェルと共に、廊下を進む。右側がヴェル、左側がフェルステルさん。先程両側から探知術式が展開される気配がしたから、おそらく常に警戒態勢で守ってくれるということなのだろう。とてもありがたいけど、疲れはしないだろうか…少し申し訳ない。

 多分まだ8月かそこらくらいの時期だと思うのだが、聖都は少し肌寒かった。これからどんどん寒くなって行くのだろうか。リーゼさんが白いストールのようなものをくれたので、それを胸の前で軽く手繰り寄せる。薄手なのだが意外と暖かくて、肌触りが良くて気持ちが良かった。

 踵の高い靴は、見た目の割には歩きやすいが、やっぱりちょっとしんどい。ただでさえ歩くのが遅いのに、もっと遅くなってしまう。

『ここ、何階…?』

 そういえば知らなかったのでヴェルに聞いてみる。ヴェルは無表情で前を見据えたまま、『11階だ』と答えた。…下りるのはいいが、上るとなるとかなりきつそうだ。クラウスに頼んだらエレベーターくらい作ってくれないだろうか…。いやしかし、運動不足だったのでこれくらいの運動はした方がいい気もする…。

 げんなりしながら階段まで差し掛かると、フェルステルさんが足を止めた。静かな視線がこちらを見下ろす。

『廊下を通る時は、今までは人に会わないようにしていたんだったな。今日からは人の居る道も通る。礼の仕方は聞いたか』

『はい、さっきリーゼさんに』

 右手を胸の上に当てて、右足を少し後ろに引いて膝を折る。騎士の礼なのかと思っていたのだが、こちらでの一般的な礼の取り方らしい。スカートを上げるような礼の仕方とは違って、どことなく男らしい感じがする。

『それでいい。礼を取った方がいい相手に出くわした時は合図してやる。基本的には頭は下げなくていい』

『はい』

『では行くか』

 そう言ったフェルステルさんに続いて、階段を下りる。靴が不慣れでバランスを崩しそうになりながらも、壁に手をついてどうにかこうにか急いで下りていると、隣から腕が差し出された。

『流石に抱き上げると人目につくが、掴まるくらいなら問題ないだろう。体重をかけていい』

『あ、ありがとう…』

 緊張しながら、ヴェルの腕にそっと腕を回す。…何だろう、なんていうか…カップルがこういう風に歩いているのを見たことがある。凄く照れ臭いというか恥ずかしいというか、どうしたって顔に熱が集まる。そ、素数作戦だ、素数を数えるのだ。

 ヴェルは聖騎士にしてはぱっと見細身な印象なのに、腕はびっくりするほど逞しい。190センチちょっとくらいのヴェルは、こちらの男性にしては少し身長も低いのに、これで団長さんの次に強いというのだから驚かされる。真っ直ぐ階下に向けられた視線は鋭い。顔は整っているが、それより先に鋭い目と気配が相手を威圧する。凄く不思議な人だ。…モテるのかなあ。そうだとちょっと嫌だな…。

 無の境地で素数を数えているうちに、階段をどんどん下りて行く。何階まで下りてきたのかはわからないが、ふと窓から見えた景色はだいぶ地面に近くなっていた。

 程なくして1階部分の廊下へと出る。徐々に人が増えて行くのは感じていたが、広い廊下には、美しく着飾った女性や男性がちらほらといる。侍従を従えているので、おそらく貴族なのだろう。その姿はカトリーナを彷彿とさせて、少々複雑な気分になった。

 ヴェルの腕から手を離して、改めて真っ直ぐ立つ。こ、こういうのは舐められたらよろしくないのである。胸を張って、顎を引いて、落ち着いて歩く。フェルステルさんに小声で『頭を下げろ』と声をかけられた時は、その貴族らしき女性や男性に礼を取った。緊張はするが、営業スマイルくらいは慣れている。想像していたよりはずっと人が少ない。

 そうやって廊下を進んで行って少しすると、突き当たりに大きなアーチ状の門があった。その先には庭が広がっているのが見える。おそらくあれが目的地だろう。その門の脇には黒い長髪を首の後ろで束ねた男性が気怠げに立っていた。男はこちらに気がつくと、にっこりと微笑んで歩いてくる。けっこうな美人さんだが、クラウスの顔面の美しさにすっかり慣れてしまったので、特に見惚れるような事もなかった。

 男はキラキラした笑みを浮かべて私の前に立ち塞がると、顔をこちらに近づける。

『や、初めまして、お嬢さん。随分と厳重な警備だけど…君は、名前はなんて言うの?』

『……』

 返答に窮して無言で相手を見上げる。男は薄い茶色の瞳を細めて柔らかく笑っていた。顔が近くて、思わず眉間に皺が寄る。

『申し訳ありませんが、急いでいますので』

 困っていたら、横からヴェルが助け舟を出してくれた。完璧な愛想笑いを顔面に貼り付けている。流石というかなんというか。

『ゆっくり歩いていたように見えたけど?…無礼だろう、たかが聖騎士の分際で』

 ヴェルの方に向けられた言葉は酷く高圧的なものだった。それに無性に腹が立って、思わず小さく呟いてしまう。

『…守られる側のくせに。無礼はそっちでしょう』

 我々が安心して生活できているのは、彼らが居るからだ。それは当たり前のことではない。もっと感謝して生きろ。

『え?何?』

 聞こえなかったのか、男は首をかしげて更にこちらに顔を寄せた。その距離の近さに思わず一歩下がる。…凄く苦手なタイプだ、こういうのは。

 両側に立つ聖騎士の気配が少し鋭くなって、視界の隅でヴェルが表情を崩さないまま、剣の柄を指で軽くなぞっているのが見えた。…嫌な予感がする。あまり騒ぎを起こすのは良くないのではないだろうか。

『…ごめんなさい、私、歩くのが遅くて。これでも急いでいますので、失礼します』

 出来るだけ丁寧に礼を取って見せて、笑みを顔に貼り付ける。ついでに相手の目を真っ直ぐ威圧するように睨み上げると、男は驚いたような様子で一歩後ろに下がった。男の脇をさっさと通り抜けて、真っ直ぐ庭に向かう。…面倒そうな人物に遭遇してしまった。ふう、とため息をつくと、隣でフェルステルさんがふっと小さく笑った。



 王城の庭は広いとは聞いていたが、これ程までとは思わなかった。

 気を取り直して庭に足を踏み入れると、ふわりと優しい花の香りが漂う。綺麗に整えられた生垣がまるで迷路を作るように配置されていて、その合間に花壇が置かれていた。それから花のアーチや噴水や像や――とても豪華で華々しい。ヴェルサイユ宮殿の広大な庭みたいな幾何学的な感じと、イングリッシュガーデンの自然の中に包まれているような感じを合わせたような庭だった。しかし成る程、これだけ障害物が多ければ狙いやすそうではある。

 周囲に視線を巡らせながら、庭園をのんびり歩く。庭の道は石畳で舗装してあって、ヒールの踵が地面にめり込むこともなかった。少し離れたところには人工的なものだろうが小川もある。立ち止まって生垣に咲いている山茶花のような可愛らしい花に顔を寄せてみると、花弁から林檎のような甘い香りがした。

『少し進めば座れる場所がある。疲れただろう、休むといい』

 フェルステルさんに声をかけられて、頷いて歩を進める。正直なところ足が疲れていたので有り難かった。



『ああいう手合いは苦手か』

 東屋のベンチに腰を落ち着けて休憩していると、フェルステルさんにそう尋ねられた。ああいう手合い、というのは、さっきの軟派そうな男のことだろう。

『そうですね、苦手、というか…嫌いです』

『ほお、貴族の女はアレにコロッと行くらしいが』

『アレにですか…?私はちょっと、軽そうで…好きじゃありません』

 顔は良いかもしれないが、中身がどうにも軽そうで。

『じゃあどんなのがいいんだ』

『へ?』

 問いかけの意味が一瞬理解できなくて、ぽかんと相手の顔を見上げる。フェルステルさんは小さく笑ってこちらを見下ろしていた。

『ええと…そうですね…』

 男性の好みはあるようでないような…。意識的にヴェルの方には視線を向けないようにして、庭の花を順に眺めてみた。そんなことをしてもそこに答えは無いのだが、…ヴェルの、好きなところというと。

『………や、やさしい、ひと…?』

 思わず語尾が上がる。それにフェルステルさんが思わずといった風に小さく吹き出した。

『ざっくりしてるな』

『…あんまり、考えたことなくて』

『優しけりゃいいってもんでも無いだろう』

『まあ、そうですけど』

 結果的に言ってしまえば、好きになった人が結局の自分の好みになる気がする。優しくて時々意地悪で、真面目でぶっきらぼうで無表情で、でもたまに笑う顔が優しくて穏やかで、…そういう人が、好きになった。

 背もたれに体重を預けて大きく息を吐き出す。ちらりと横に立つヴェルを見上げるが、彼は無表情で周囲に視線を巡らせていた。ふと彼の好みの女性というのがどういうものなのか気になる。…気になったが、訊くのもなんだか恥ずかしくてうまくいかない。そして聞いたところで『さあな』『特にない』という答えが返ってくる気しかしない。

『…フェルステルさんは、奥さんはいらっしゃるんですか?』

 話題に困って、尋ねてみた。フェルステルさんは軽く片眉を上げた。

『いない。聖騎士で所帯を持っている奴は少ないな』

 結婚している人が少ないのは、仕事柄だろうか。そう考えると少し寂しいような気もする。

『フェルステルさんは、奥さんがいるのかと思ってました。なんとなく』

『残念ながら無縁だな、団長が俺に仕事を押し付けるせいで多忙過ぎる。あいつは剣を振り回すしか脳がねえ』

 そういえばヴェルも『書類仕事は丸投げ』とか言っていたような気がする。まあ何というか、団長さんはペンを持っているより剣を持っている方が似合ってはいるが。というかペンなんて華奢なもの持ったら片っ端から折ってしまいそうな感じがする…。と言ったら怒られそうなので秘密だ。

『団長さんも、奥さんがいないんですか?』

『ああ。…見た目が怖いってな、女が近寄らんそうだ』

『…ああ……』

 確かに私も第一印象は『熊みたい』だった。顔も凄く怖い。

『いい人なのに、もったいないですね』

『アレをいい人という奴も珍しいぞ』

 フェルステルさんは苦笑してそう言う。そうなんだろうか、あんなにいい人なのに。お見舞いにと持ってきてくれた花束は綺麗だったし、ケーキも美味しかった。

『お前の、…『国』がどうだったかは知らんが、聖都では結婚したら耳飾りをつける風習がある』

『耳飾り?』

『揃いの銀の耳飾りをつけるんだ。右耳にな。大抵は相手の目の色や髪の色の宝石を装飾として付ける』

『へえ、そうなんですか』

 思い返してみると、先程城内を歩き回った時、耳飾りを付けている人がちらほらいた。おしゃれなのかと思ったけど違ったのか。

『あ、医者の先生は、耳飾りしてました』

 確か右耳に小さな耳飾りをつけていたような気がする。黒い宝石が綺麗だった。

『あいつはそうだな、割と若いうちに結婚した。ああ見えて愛妻家だ』

『それは、意外ですけど…素敵ですね』

『どんなに忙しくても定刻になったらさっさと帰られんのは困るがな』

 苦笑したフェルステルさんに、思わず笑ってしまった。

『その風習の延長で、意中の相手に、自分の目の色や髪の色の宝石が入った品を送る、という文化もある』

『いちゅう…?』

『ああ、…好ましいと思ってる奴にってことだ。主に耳飾り以外の…髪飾りやら首飾りやら腕飾りやら。時計なんかもあるな。特にこれって決まりはないんだが』

『へえ…』

『まあ、そう嫌いってわけでもなけりゃ受け取ってやるもんだ。その上で気持ちを伝えりゃいい』

『なるほど…』

 受け取ってあげるっていうのはなんかいいなあ、いらないって言われたら凄くショックだし…自分の選んだものが相手に受け取ってもらえたら、それだけで嬉しい。

『良い文化ですね』

『そうか?…よく分からんが』

 フェルステルさんは困ったような顔で答えた。…もしかしたら、いっぱい貰ってしまったのかもしれない。それはそれで困りそうだ。フェルステルさんはキリッとしていてちょっと近寄り難い感じはあるけど、立ち振る舞いは洗練されていてカッコいいと思う。

『まあ、贈られることがあれば、なるべく受け取ってやるといい』

『…贈られることはなさそうですけど』

『そうでもないだろうよ』

 そうかなあ、と首をひねると、フェルステルさんが隣で笑った。ふと、ヴェルに貰った櫛のことが脳裏を過る。

『………ん?』

 あの櫛、紺色の石が嵌っていなかっただろうか。花の装飾の、花芯の部分に。

 まさかな、と思って隣に立つヴェルの顔を見上げてみたが、彼はいつもの無表情で静かな視線を前に向けていた。その表情からは何も読み取れない。…まあ気のせいだろう、たまたまなんじゃないか。それなら似合うと思った、みたいなことも言っていたから、結果的にあの色になっただけだろう。

 ぼんやり視線を上に上げると、屋根の隙間から澄み切った青い空が見える。排気ガスで汚染されていない綺麗な空気。まだ夏のはずなのに、少しひんやりとした空気は肌に染み込んでいくようだ。庭はどこもかしこも淡い色の花で溢れていて、ここまで微かに甘い香りがする。

『…ここは、綺麗ですね』

 住んでいた街と比べてしまう。ここは自然が多くて、空気が綺麗で、電線もなくて、アスファルトで舗装されてもいなくて…車もなくて、ビルもなくて。不便になったこともあるかもしれないけど、この澄んだ空気には代えがたいような気がする。夜は星がよく見えて、本当に…自分の身体が、夜空に包み込まれるような感覚に包まれるのだ。距離感が掴めなくて、空が落っこちてくるみたいで。

 隣に立っていたヴェルが、静かにこちらに視線を落とした。庭に出てから初めて目があった気がする。

『時間はある。庭を散策するか』

『…いいの?動かない方が、守りやすいでしょう』

『構わねえ、そう変わらん』

 フェルステルさんもそう言うので、お言葉に甘えて散歩してみようか。

『それじゃあ、少しだけ』

 笑って見上げると、ヴェルもほんの少しだけ笑って、こちらに手を差し出した。

『手を』

 それにちょっと照れながら自分の手を重ねる。白い手袋が嵌められた手が、私の手を優しく包み込んだ。今は囮役みたいなもので、この美しい庭にいるけど…いつかヴェルと2人で、ゆっくり散歩してみたいと、そう思った。


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